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第3話 【回想】桂木雪弥 前編




ニコロ・パガニーニとしての記憶を取り戻して約2年。色々と我慢していたものが、ついに限界を迎える。


「そこのお嬢さん、少しお時間よろしいでしょうか?」


その日、ガキどもの蝟集する巣窟(小学校ともいう)から帰った俺は、宿題を放り投げ、駅前にナンパへと繰り出していた。外見はどうであれ、俺の中身はれっきとした大人なのだ。


「あらやだ。こんなおばさん捕まえてお嬢さんだなんて。お兄ちゃんはお世辞が上手ねぇ」


声を掛けたのは、40代半ばくらいと思われる艶美なマダム。

しかし俺的にど真ん中ストライク。

果実とは熟すほどに甘く芳醇なものとなるのだ。


「お世辞なんてとんでもない。むしろ貴女にそんなことを言わせるなんて、世の男たちは宝石を見分ける目が無いのです」

「ふふふ、ありがとうね。それでどうかしたのかしら? おばさんで良ければ何でも相談に乗るわよ?」


お、これは好感触だな。いけるか?


「いえ、相談などではなく。これからご一緒にお茶でもして、それから二人きりの場所で素敵なひと時を共有できたら、と思いまして」

「…………は?」


俺のその一言で、マダムの顔が一気に険しくなった。


「どうかされましたか?」

「お、お兄ちゃんは……今、いくつなのかな……?」

「12になります」

「ど、どこかにどっきりカメラでも仕込まれているのかしら……」

「いえ、そんなことは決して――」

「ご、ごめんなさいねっ! おばさん、これからちょっと外せない用事があるから……!」


マダムはそう言うと、足早に去っていった。


「あの――くん」


ちっ。また失敗か。若さは武器なのかもしれんが、若すぎるってのも考え物だな。


「――弥くん」


まあいい、次だ次。まだチャンスはいくらでもある。芸術と女に生きる元イタリア人をナメなんなよ。


「か、桂木雪弥(かつらぎゆきや)っ!」


うるせえな。さっきから誰だよ。こっちゃ取り込み中だっての見て分かんねーのか。


声が明らかにガキだったので無視していたのだが、このまま纏わり付いてきて邪魔をされても面倒なので仕方なく俺は声の方へ振り返る。


「お前さ、そんな顔近づけて叫ばなくてもちゃんと聞こえてるから」

「あ、あなたが私を無視するからです!」


そういって長い黒髪の少女は気色ばんだ顔で俺を睨みつけた。


「ふむ。ならば非礼は詫びよう。そして慎んで汝の言葉聞こうじゃないか」


ボウ・アンド・スクレープ。

いわゆる西洋式のお辞儀で応じてやったのだが、少女はさらに激昂した。


「そうやってあなたはいつも私を馬鹿にして! 今度こそ負けませんからね!」

「前者は必ずしも否定しないが、後者の勝ち負けについては話がまったく見えない。ってか、そもそもなんで俺の名前知ってんだ?」

「…………」

「急にどうした?」

「…………衣」


少女は突然俯いて黙り込んだかと思うと、ボソリと一言呟いた。


「なんだっって? もう少し大きな声で言ってくれ」

「わ、私は近衛結衣です! 先月も会ったばかりじゃないですか!」

「……そうだったか?」

「そうです! ジュニアコンクールの授賞式で一緒だったじゃないですか! 正確にはもう10回以上会ってるはずです!」

「……悪い。覚えてない」

「うっ……わ、私なんか眼中にないってことですか……?」

「単純に人の顔と名前を覚えるのが苦手なだけだ。で、前回はどんな曲を弾いたんだ?」

「……サラサーテのツィゴイネルワイゼンです」


ああ、それなら思い出したわ。


「前半は表現力をアピールしようとするあまり無駄なビブラートが多すぎる。で、後半は技巧を見せつけようとして難易度を上げた即興を入れたまではいいが、複雑なパッセージを速く弾くことに意識を向けすぎて音程のバランスが酷い。全体として評価するならイマイチな演奏だったな」

「それ、授賞式にも同じようなことをあなたに言われましたよ……」

「……そうだったか?」

「あなたは曲は覚えていても、私のことは記憶にないんですね……」


別にそういうわけでもないんだが……。


「と、とにかく桂木雪弥っ! 次こそは絶対に負けませんからね!」


落ち込んだかと思えばまた興奮したり忙しいガキだな。

いずれにせよ情緒不安定なこの年頃の相手は疲れる。これ以上絡まれる前にさっさと退散するとしよう。


「話は終わったみたいだな。じゃ、俺はこれで……」


そういって俺は踵を返し、そそくさとこの場から立ち去ろうとしたのだが――


「……まだなんか用か?」

「え……あ……その……」


どうやらこの少女はなぜ俺のコートの裾を掴んで引き留めたのか分かってないようだった。


「そもそもこんな駅前に子供が一人で出歩くのは関心しないな」

「……子供じゃないもん。それにあなただって」


子供じゃない。

大人になりかけの少しマセたガキがよく使う言葉。

拗ねたように頬を膨らませる仕草が、やはり年相応の子供にしか見えない。


「分かった、キミは立派な淑女だ。で、まだなんか俺に用でも?」

「よ、用というか……せっかく授賞式以外で初めて会ったんだから、少しくらいお話でも……」


え、もしかして俺、口説かれてんの? こんな子供に?


「……………………(ジー)」

「な、なんですか?」


ふむ。確かに将来性はありそうな容姿をしているが、いかんせん前世の俺からすれば、もはや孫みたいなもんである。なんぼ俺が悪魔と呼ばれようが、さすがに子供相手に欲情するほど落ちぶれちゃいない。だが……。


「……いいだろう。少しだけ話に付き合ってやる」

「ほ、ほんと?」

「ああ。2、30年後のキミに賭けようじゃないか」

「???」


少女は訳が分からないといった顔で首を傾げている。

基本的に俺は35歳以下の女性は相手にしないのだが、まあ単なる気まぐれのようなものだ。


「とりあえず外は冷えるから場所を移すぞ」

「う、うん……」


当初予定していた年齢層とはだいぶ異なるが、俺たちは駅前から離れ、住宅街へと向かう。


「で、お前はいつまでその裾を掴んでるつもりなんだ? ここまで来たらもう逃げないし、いい加減離してくれないか?」

「あっ、ご、ごめんなさい……」


俺の指摘にようやく手を離してくれたので幾分歩きやすくなる。

どうやら本当に無意識だったようだ。


「…………」

「…………」


それから特に俺たちの間に会話もなく、ただお互いの足音だけが冬の道に響く。


やがて沈黙に耐えかねたのか、後ろを歩く少女が再び口を開いた。


「ね、ねえ、桂木雪弥……」


さっきまでとは違う、妙に媚びた声。それが俺の鼻に付いた。


「最初に聞こうと思ったんだが、なんでフルネーム? どっちかハッキリしろよ」

「だ、だって……桂木くんじゃ他人行儀だし……雪弥くんじゃ馴れ馴れしい気がするし……」

「ふぅん……………………めんどくさ」

「うん? なんか言った?」

「いや、なんでもない。好きに呼んでくれ」


そんなくだらない話をしているうち、目的地に辿り着いた。


「ここは……喫茶店……?」


少女は建物を見上げながらそう呟く。


アンティーク調の外観から想像したのだろうが、まあ半分正解ってところか。


「入れば分かる」

「えっ? でもドアにCLOSEの札が……」

「いいから」


俺は構わずカランカラン、とドアベルの音を鳴り響かせながら中に入った。少し遅れて少女も続く。


暖房の効いた店内に足を踏み入れると、コーヒー豆を煎った芳ばしい香りが鼻腔を刺激する。だが、少女はそんなことよりも先に気になることがあったようで。


「わぁ……すごい数のヴァイオリン……」


壁に掛けられた無数のヴァイオリンを見渡す少女の目は爛々と輝いていた。


『クレモーナ』


16世紀イタリアの楽器製造で名高い都市の名を冠した、主に弦楽器を扱う楽器兼喫茶店。


俺の実家である。


「ぼーっと突っ立ってないで座れよ」

「あ、うん……」

「上着は入り口の脇にあるハンガーラックに掛けてくれればいい」


言われるまま上着を脱ぎ、カウンター席に腰掛ける少女を横目に俺は裏のキッチンへと回った。


「ねえ、ここって――」

「話は後だ。お前は珈琲か紅茶、どっちだ?」

「……じゃあ、珈琲で」

「分かった。少し待ってろ」

「……………………」


やはりヴァイオリンが気になるのか、少女の視線はずっと壁の方に向いている。


「おい、触れるのは自由だが傷つけたり壊したら容赦なく弁償させるからな」

「そ、そんなことしないよっ!」

「ふん、どうだかな……」


この年頃のガキは破壊と分解において天賦の才があるものだ。釘を刺しておいて損はない。


俺は警戒を強めつつ、本格ドリップコーヒーの準備に取りかかった。


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