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【第四話】ハハとボクと

「お風呂、長かったね」

 母が夕食の皿を洗いながら僕に言う。


 「そう?」

 「うん」


 寂しいリビングには食器の擦れる音と、水道からの流水の音が、鬱々しく響いていた。

 僕が二階へ行くため、リビングを出ようとした時だった。


 「日々斗」


 途端、母が僕の名前を抑揚のない声で言う。しかしその声は、僕がどこか遠くへ行ってしまうことを恐れているような強ばりも含んでいるようだった。


 僕はピタリと身体を止め、無意識に母の声に注意深く耳を傾けていた。


 「何か悩み事あるでしょ」


 ハッとして振り返る。母の声に意識を向けたせいか、単にどうでもよかったのか、この時すでに食器の擦れる音は止んでおり、部屋には重く寂しい沈黙が漂っていた。


 「言ってごらん」


 母はシンクの戸棚の持ち手に掛けたタオルで手を拭いて、食卓へ向かう。


 長方形の食卓は三つの椅子で囲まれていて、片方に二つと、もう片方に一つある。その内、母は二つ並んだ椅子のキッチン側、反対に一つ置かれた椅子の対面になる椅子へ座った。


 それから、僕をジッと見つめながら手招きをする。僕は混乱と焦りの中、母の対面にある椅子に座った。


 ○ ○ ○


 〜 風呂に入っていた間のこと 〜


 僕はとても汚い人間らしい。


 好きな人が亡くなったことをラインで知った時、僕は「肩の荷が降りた」気がした。

 彼女はもう誰のモノでもなくなって、寂しかったけど楽になった。そんな自分に気づいて、気持ちが悪くなった。


 好きな人が僕にだけ見えると知った時、僕は「彼女を僕だけのモノにできるチャンスができた」と思った。

 寂しそうに空を眺める彼女の唯一の理解者になれると。その時、自分は何か変なものを飲まされたみたいに思考が蕩けていた。


 好きな人が僕以外に好きな人がいると知った時、僕は「そっか」と思った。

 重々しい鉄球が、酔っ払った僕のお腹に思い切り当たって、吐きそうだった。同時に、その鉄球と僕の心臓を鎖で繋がれた感覚もした。


 「独占欲」か、「嫉妬」か、それでも酔いは覚めなかった。


 シャワーに溶けて、排水溝へと流れゆく涙。声を押し殺して自分の頭を叩いたり、腕を強く握り締めたり。

 でも、対して痛くなかった。だって本気で自分を傷つけるような度胸はなかったから。


 僕はヘタレだ。


 ○ ○ ○


 母は母自身と僕に、お茶を注いだコップに氷を数個入れて、机に出してくれた。


 「で、何を悩んでるのさ」

 「別に、何も無いけど」すっとぼけたような声。

 「嘘だね」母は、自身のコップを親指と中指で持ち、カラカラと回しながら氷の音を立てる。


 「いやいや、嘘じゃないよ」僕は笑いきれていない笑みを零す。


 母は、コップを置いて顔を上げ、僕をジッと見つめて言う。「出来ることがあるうちは、全力でそれをやりなさい」


 僕にはそれがどういう意味が分からなかった。


 「本当に、好きなら、頑張りなさい」


 なんのことだ。思い当たることは一つしかない。僕と先輩のことだ。だとして、なぜ母がそれを知っているか、分からない。


 「お父さんが事故で死んだ時、私後悔したの」


 僕はずっと混乱している。僕と先輩のこと、そして、僕が乳児期の頃に事故で亡くなったお父さんについて話し始めたことに。


 「お父さんね、いろんなお店の料理を食べることがすごい好きで、よく外食に誘われたんだ。でも外食って高いからさ、私はなるべく自炊で済ませたくて。今思えば、もっと一緒にいろんなとこ食べ行けばよかったなって」


 「……」


 僕は何も返せなかった。何を言えばいいか分からなかった。


 「詳しいことは分からないけどね、日々斗、心から好きな人がいるなら当たってぶち壊さなきゃ!」

 母はニィっと笑って言う。


 急な笑顔に、僕はポカンとする。


 「なんで好きな人いることを知ってるか? そりゃ母親の勘よ! 最近表情が浮かれてなかったからさ、何か悩んでるのかな〜、恋かな〜って、どうだ、合ってるか!」


 特に…深い意味はなかったらしい。


 「う、うん、まあ、そんな、感じ」

 「ぅおっしゃやり〜! いぇーい!」


 気分が良くなった母はお茶を勢いよく飲み干し、「くぅー!」と感嘆を漏らしながらコップを机に勢いよく置く。


 「んでさ、その子のどこが好きなの?」

 「え、えっと」


 言うのが恥ずかしくて口篭る。

 先輩のどこが好きか。

 練習中の凛と的を射る姿と、休憩中や渡り廊下で見かける無邪気な笑顔とのギャップが…。


 「…さあ」口下手に誤魔化す。


 「ええ〜気になる〜、いいじゃーん、百円あげるからさー」

 「恥ずい…」

 「恥ずかしくないよぉー! ねぇー!」


 僕は苦笑しながら、「眠くなってきたから寝るー」と、早々と、お茶を飲み干して台所にコップを置いてから二階へ上がろうとする。


 「あ、逃げたな!」と言う母の声を余所耳に階段を駆け上がる。そして上り切ろうとした時、下から母が大きな声で言う。


 「おやすみー!」


 だから僕も勢いよく返す。

 「おやすみー!!」

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