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取り憑かれたように死ぬことばかり考えていた青年の人生が一転したのは令和5年の晩夏で、彼は19歳だった。その頃彼は年齢の十の位が変わることを恐れ、何としてでもそれを回避しようと計画を練ることに躍起になっていた。が、そうしている合間にも時間はジリジリと流れ、焦燥は拍車をかけて青年を焦がしていた。
青年について語らなくてはいけない背景が二つある。
まず、彼は貧しい母子家庭の生まれだった。貧しいとは言っても生活に困窮するほどではない。母親の稼ぎは平均以下であったが、彼女の父親ーつまり青年の祖父は税理士として名を馳せており、生活費の大半を負担してくれていた。
青年には姉が二人いる。それぞれ三つずつ歳の離れた姉たちはともに進学したため、青年の進路は国公立大学への進学か就職かの二択に限られたが、国公立であれば進学させてもらえるほどの余裕はあった。無論、ほとんど満額と言っていいほどの奨学金を借りながらではあるが。
さて、青年の家庭環境はおおよそ上に書いたとおりで、決して特殊とはいえない平凡な境遇であるが、青年は家庭に対し並でない劣等感を抱いていた。青年に言わせてみれば、「どれも中途半端で幸にも不幸にも至らない」と。
父親は不倫し、女三人男一人の生活が始まったわけであるが、父親は一度たりとも裁定された慰謝料を納めていない。にも関わらず、青年一家は父親の姓を引き継ぐことを決めた。あるいは、当時幼かった青年やその姉に対する世間の目を慮っていたのかもしれない。
青年は父親に対する印象を何一つとして持っていない。離婚当時青年はあまりにも幼かったのである。それゆえに青年にとって父親とは妹やあるいは男兄弟とほとんど同列に扱われるもので、羨望の対象であった。
しかし、重要なことに、姉たちには父親がいた。歳の離れた姉らの記憶には寡黙でベビースモーカーの父親が鮮明に焼き付いている。むろん母には父も夫もいた。つまり一家で唯一父親を知らないのが青年であった。
ただひとつ、曖昧に孤立し、曖昧に繋がった鎖から青年は逃れることもすがることも叶わなかった。それが青年の人格となり、青年を苦しめた。