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幼い頃から、私は漠然と死ぬことについて考えていた。小さな靴が並ぶ行列は、黒いネクタイを締めた大人たちに取り囲まれ浮足立っている。白い煙が立ち上る行列の先頭で、白くメイクアップされたあどけない少年は私である。当時の私にとって死とは葬式であり、それ以上の意味を持たなかった。
年を取るにつれ死の意味合いは、より一層明晰で確固としたイメージを伴うようになっていった。例えば窓から身を乗り出し電線に掴まれば私はきっと死ぬ。大雨で氾濫した茶色い川を泳げばきっと死ぬ。未成年で酒を飲めばきっと。あるいはロープでわっかを作り、そこに首を通せばきっと。そして高学年の児童になる頃、朝の報道番組でカフェイン中毒が取り上げられているのを見たときには、これならばきっと、と考えた。
そんな児童時代の夏休みに私は一つ度胸試しをした。二階の自室から身を乗り出し、電信柱へと伸びる電線を握るのである。決して死にたかったわけではない。しかし死にたくなかったわけでもない。十歳の少年は神話に懐疑的で、むしろ科学の世界を信じ込んでいた。しかし科学は生死を教えてくれても、死後については一言もくれない。だから試すのである。運悪く死んでしまっても構わない。充実した暮らしに好奇心が勝ったのだ。
母親が仕事に出、家に一人となった私は胸を高鳴らせながら自室へ向かった。その瞬間の鼓動は凄まじいものだった。新作のゲームを起動する際とは比べられないほどに高揚していた。小さな肋骨を打ち壊すほどに心臓が暴れていた。そのときの私に恐怖心はなかったように思える。それほどまでに好奇心は私の心を占めていた。
自室に入り、窓を開けた。空の描く青の濃淡の美しさに見惚れ、ほのかに排気ガスを残した空気のさわやかであるのを思い知った。瞬間モモの鳴き声が耳を衝いた。生まれたときから共にした愛犬は不穏な空気を感じたのか、けたたましく鳴いていた。向こう岸の歩道に小さな自転車が転んでいた。8段階の変則を持ったそれは友人のもので間違いなかった。思えば彼と二週間も会っていない。私の心に日々の充足が映し出され、ようやく私は死を恐怖した。それまで強く打っていた心臓は途端に弱弱しく、しかし早く動き続けていた。震える膝は前進を拒み、細い腕までもが痙攣し始めた。
窓際に設えたシングルベッドに体を預け、天井を見るやいなやひとひらの涙が頬を伝った。私は幼く、弱かった。死が恐ろしいことを知って、私は前にも後にも進めなくなってしまったのである。
やがて日が真上に上がり、私は普段のように妄想をした。
黒い服に身を包んだ母はハンカチーフで顔を覆い、小さな棺に手を入れる。そこには不穏な空気が充満していて、それを掻き消すための線香が灰に落ちる。クラスメイトは困惑の表情で行進し、先頭に立って初めて級友の死を知り、涙を流す。次いで彼らは私との思い出を思い、再び泣き出すのだ。彼らの中には私に恋していたものがいるかもしれない。彼女はきっと告白できないまま終わってしまったことで深い傷を負い、生涯死んだ私を背負っていくのだ。あるいは多くの者がそうであるかもしれない。私の死を契機に彼女は恋心を友人に打ち明け、そして友人も共鳴し、私を思う。その光景は少年の童心を再び好奇心の渦へと引き戻した。
開けたままの窓から空を見ると入道雲が日を覆っていた。私は先刻の恐怖を振り払うように、とびきり太い電線を掌に収めた。そしてその刹那、私は落胆から後ろに倒れ、妄想が現実にならぬことを知った。