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朝靄

 東西に細長いウェールス国は、中央からほんの少し東寄りに首都を置いている。その首都から東に向けて馬車を六日程走らせたところに、アシュリー家の領地はあった。

 アシュリー家の当主は、代々皇室の騎士を務めている。そのため、普段は首都のタウンハウスで過ごし、領地の実質的な管理は別の者に任せていた。先代は、夫人がその役割を務めていたが、今代は、領地管理人を雇っている。

 今代の当主――すなわち私の父は、愛妻家として知られていた。結婚してから、ほとんどの時間を母と共にタウンハウスで過ごしている。

 私も、妹のアビゲイルも、弟のヴィンセントも、首都の生まれだ。もちろん、領地に来たことはあるが、それほど多くはない。何しろ、遠い。往復十二日に見合った目的がなければ、なかなか足が向かない場所だった。

 とはいえ、私は昔からこの場所が好きだった。

 畑と森しかないような場所だったし、使用人が少ない屋敷には侘しさがあったが、肌で感じる空気が優しかった。

 

 だけど、今、その優しさに身を任せられるほど、呑気ではいられなかった。

 ここに来てからというものの、ここに来て良かった、という気持ちと、ここに来るべきではなかったという気持ちが、せめぎ合っていた。

 何かを決めないといけない、と思った。

 それは、何ヶ月後、というような期限でも良い。もしくは、何か達成すべき目標でも良い。

 いつまでもここにはいられない。ずっとここにいれば、己が誰だかわからなくなってしまう気がした。

 

 

 

 領地では、森で過ごすことが多かった。

 伯爵邸にいれば、領主の娘として過ごさなければならなかった。使用人は良くしてくれたが、仕事を増やしてしまっている申し訳なさで、居心地の悪さを感じていた。寮生だった私は掃除も洗濯も一通りできるが、かといって使用人の仕事を手伝えば、それこそ咎められてしまうだろう。

 だが、森では、誰の手も煩わせず、一人でいられる。本来なら護衛をつけるべきかもしれないが、この屋敷に護衛として雇われている人はいなかった。それに、非力な私でも、熊くらいなら一人で追い払える自信はあった。

 いつだって森が好きだったが、心にもやもやとした女々しさを感じた時は、特に森へ行きたくなった。それを晴らしたい、というよりは、隠したい、という気持ちが強かった。

 そのもやもやは、多分、未練と呼ぶべきものだろうと思う。

 

 そもそも私は、諦めが良い人間なのか、それとも諦めが悪い人間なのか。

 それは、自分でもよくわからなかった。ただ、諦めるべきか、そうでないか、それだけを考えて選んできた。

 私は、騎士を目指すことを諦めなかった。幼い頃から剣術を叩き込まれてきた。たとえ剣の才能がなくても、毎日剣を振り回し、魔法の腕を上げ、騎士の道にかじりついてきた。アシュリー家の長子として、あるべき姿を目指していた。

 でも、騎士学校をやめることには簡単に諦めがついた。ヴィンセントはまだ幼いが、十年後、今の私と同じ年になる頃には、私よりもすぐれた騎士になっているはずだ。そう思えば、騎士の道に縋りつく理由はなかった。

 

 だが、こと魔法に関しては、自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、わからずにいた。

 ただの貴族令嬢となった今、魔法はあれば便利だがなくても問題ないものである。

 将来、ヴィンセントに魔法コントロールを教えたい、という気持ちはあったが、それも私がいなくても別の者が務められるだろう。

 それでもどうしても振り払えない、わだかまりのようなものを感じていた。

 

 無意識に、自分の中に魔力を探してしまう瞬間が何度もあった。

 それは、未練がましい、と呼ぶべき諦めの悪さで、いやな羞恥を伴っていた。

 

 

 

 幾度ともなく感じたその思いを抱えながら、私は何となしに、森の深いところまで来ていた。

 長い距離を歩いたわけではない。しかしそこは、人の手が加えられていない、人の目が届かない場所で、「深い森」という言葉が良く似合った。木は鬱蒼と茂っており、そこら中に見たことのないきのこが生えている。わずかに認められる獣道は凹凸が激しく、足元はかなり悪い。太陽は中天に昇っているにもかかわらず、夕方のような暗さだった。

 その場所で、一本の古木を見つけた。

 周囲の木は比較的若いように見えたが、その木だけは大きく、太く、そして老いていた。どっしりとした構えだが、樹皮はガサガサで色褪せ、うろが開いている。

 

「……」

 

 ため息が出る程、荘厳だと思った。

 私はその樹の肌に、右手でそっと触れた。ひんやりとしていてじっとりとした湿り気がある。歩き通しで熱を帯びていた私の手を、ほどよく冷ましてくれた。

 ふと風が吹き、周りの木が枝と葉を揺らす。

 さわさわと木々のざわめきが聞こえる中で、その古木だけはただ静かに佇んでいた。

 まるで死んでいるようだった。でも、確かに生きていて、私をじっと見下ろしていた。

 

「あなたは……生きているのね。あなたの意思で……生きるべくして……」

 

 何故だかわからないが、そう強く感じた。

 私は手を放し、古木の根元に腰掛けた。そして、そっと目を閉じ、木が呼吸する音に耳を傾けた。

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