表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/22

潮騒(2)

「セオドア様さえよろしければ、私をお屋敷に置いていただけないでしょうか」

 

「え」

 

 エレノアからの唐突な申し出に意表を突かれ、思わず声が出た。

 実を言えば、ギルバートからも「エレノア嬢に屋敷に戻ってもらえるよう、打診すべきだ」と何度も言われていた。婚約者でもない男が、これ以上訪問を続けることに無理があることは、俺自身も理解していた。それよりは、彼女を雇用する形で屋敷に招き入れる方が、ずっと自然なのだろう。

 だが、そうは言っても、粗暴な男と軽薄な男と老いた使用人しかいないような不便な屋敷なのだ。れっきとした貴族令嬢であるエレノアを招き入れるのであれば、それなりの準備が必要だった。

 そしてその準備は、実際には大分前から着手してはいたのだが――遅々として進んでいない。

 まず、使用人の補充ができない。公爵家の秘事が詰まったような屋敷だから、身分の確かな者でないと雇い入れられない。身分の確かな者で、且つ労働条件の悪い東の屋敷で働きたがる者は、そう簡単には見つからなかった。

 あまりに見通しが立たないので、屋敷への移住を提案することには大きなためらいがあった。

 そんな折に、当のエレノアの方からそのような提案をされたのだから、間抜けな声が出てしまうのも仕方がなかった――と思う。

 

「そうしてくれるのであれば、俺としてはすごく助かるが……。エレノア嬢は本当にそれで良いのか?」

 

「ええ」

 

 彼女がにこりと微笑んだ。

 

 エレノアは家族に愛されていた。両親はもちろんのこと、ちらっと挨拶をした彼女の弟妹も、彼女のことを慕っていることが見て取れた。

 部屋を見渡せば、見舞いの花が沢山飾られている。彼女を大切に思う人間が、沢山いるということだ。

 それでも俺を選んでくれるというのか。

 

「実はお母様には、既にお許しを得ているのです。お父様にはこれからお伝えしますが、多分問題ないでしょう」

 

「そうか、それならば俺からも伯爵に正式にお話しし、準備をしよう。準備は――多分、二、三ヶ月はかかりそうなのだが、待っていてもらえるだろうか」

 

 二、三ヶ月がでどれほどの準備ができるかはわからなかった。ただ、俺が彼女に会わずに、ギリギリ耐えられそうな長さではあった。

 

「二、三ヶ月、ですか……。差し出がましいことを言うようですが、私はすぐにお屋敷に移るべきなのではないでしょうか? もしそうであれば、遠慮なくおっしゃってください。もし、私のための準備をされるつもりでしたら、それは不要ですから」

 

「いや、さすがに、これ以上俺の都合で振り回せない」

 

「セオドア様……。ご自覚があるかわかりませんが、顔色が悪いですよ。二、三ヶ月もその状態でいるのは、良くありません」

 彼女は真剣な顔で言った。

 自分の顔色は、よくわからない。だがここ数日、ギルバートから「人相が悪い」とは言われていたのは確かだった。

 首都に通うための事務手続き、使用人候補探し、それに加えて魔獣狩り――今回ばかりは、ギルバートに任せきりとはいかない案件が立て込んでいて、ゆっくり休める時間が取れていなかった。その上、彼女に毎日会えるわけでもない。彼女に会えない日は色んなものがわだかまるのを感じ、一層寝苦しかった。

 そういうものが、今、彼女の前でさえ、隠しきれていないようだった。もはや、体裁を取り繕っても仕方がない。

 これだけ真摯に申し出てくれているのだから、ありがたく受け取るべきだし、誠心誠意応えるべきだろう。

 

「……ありがとう。エレノア嬢が構わないというなら、すぐに来てもらえると助かる。屋敷はあんな有様だから、エレノア嬢にも不便をかけてしまうかもしれない。でも、今度こそエレノア嬢を絶対に大切にするし、必ず幸せになれるように努力するから」

 

 俺は至極真面目だったし、心の底から出た言葉だった。――が、彼女は一瞬ぽかんとした顔をした後、クスクスと笑いだした。

 

「すみません、母がセオドア様のことを、愛情を深そう、と言っていたことを思い出しました。まさか、セオドア様の口からそんなプロポーズみたいな言葉が出るとは思いませんでした」

 

「え……」

 

 俺はそんな先走ったことを口にしたのだろうか。あまりの羞恥に、右手で顔を覆い、俯いた。本当は耳も隠したい。耳が熱かった。

 俺は、「そうじゃなくて、本当に、君のことが大切なんだ」と口の中でもごもごと呟いた。

 

「そ、そうですか……」

 

 もはや引き際がわからなくなり、指の隙間から彼女の様子を伺い見ると、俺につられたように、彼女の頬がほんの少し赤く染まっていて、困ったような表情を浮かべていた。

 彼女を笑顔にしたいのに、やっぱりいまひとつ、うまくいかない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ