屈折し反射し弧を描く七色の光(2)
自室に戻ると、ふっと肩から力が抜けた。知らず知らずのうちに、体が強張っていたらしい。
そのまま、ふらふらと椅子に近寄り、腰かける。
――彼女が笑った。
今更、カッと顔が熱くなるような感覚に襲われ、書斎机に肘をついて頭を抱える。
まさか、笑いかけられたなんて思い上がってはいない。だが、俺を見て微笑んでいた――。
しばらくそうしていると、ガチャリとドアが開く音がした。
顔を上げると、ギルバートがいた。
「……ノックしろよ」
ギルバートはそれには答えず、「はあ……」とわざとらしくため息をついた。
「……彼女に外に出て良いって言ったらしいね」
「随分と耳が早いな」
「アンから、靴を用意するように頼まれたからね」
「そうか……」
「……」
「……」
数秒の間、重い沈黙が流れた。ギルバートは黙りこくり、じっとりとした視線をこちらに向けていたが、やがて諦めたように口を開いた。
「……君は一体、彼女を誰だと思っているの? 彼女をこれからどうするつもりなの?」
存外に強い口調だった。
俺はぐっと詰まる。
それは、目を逸らし続けていたことだった。俺だけではない。今、ギルバートが口を開くこの瞬間まで、この屋敷の誰も彼もが、まるで何も見えないかのように扱い続けていた。それを、当のギルバートが、唐突に目前に突き出してきたのだ。
「……あれは、どこかの刺客だ。どう扱ったって、俺の勝手だ」
俺は、ギルバートを睨みつけ、唸るように言った。自分でも馬鹿げた答えだとわかっていたが、それ以外に返せる言葉がなかった。
「セオ……さすがの君も知らないわけはないと思うけど、世間ではアシュリー伯爵令嬢が行方不明になったと、騒がれているらしいね。首に傷を負って領地に引きこもり、失意の末に姿をくらませたと言われているみたいだけど。領地付近で捜索されているかもしれないね」
「……」
「はあ……どこかの刺客ね……。きれいなドレスと貴族の食事を与えて、誰の指金か聞き出すこともせず、挙句の果てには外に出ることを許可して……――なんてことを、外で吹聴するつもりもないけれど、かばいきれるとも思えない。それに」
ギルバートは一旦言葉を切り、躊躇したような表情をした後、続けた。
「抱きしめそうになるくらい大切なんだろ? それなら尚更、これから彼女とどう向き合っていくのか、よく考えるべきだ」
やっぱり気付いていたか、と内心舌打ちをする。だが、忌まわしいことに、まったくもって正論だった。
ギルバートは、「それじゃあ、よく考えてね」と念を押すと、部屋を出て行った。
残された俺は再び、肘をついたその右手の上に、頭を落とした。
彼女が誰か、か……。
己の愚かさは、自分でもよくわかっている。
彼女と出会った時、痛みで眠れない日が続いていて、正常な思考ではなかったのだ。
いや、そんなことは、本当にくだらない言い訳にすぎない。
わかっているのに、今も、彼女が何も言わないから、彼女が逃げないから、身勝手に振る舞い続けている。
彼女が口を開き、己の身分を明かしたら、どうすれば良い。それに、拒絶の言葉を口にしたら、俺のもとを去ったら――それは本当に、天国から地獄に突き落とされる気分なのだろう。




