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真夜中の聖女と七人の花婿候補  作者: 土井フニ
8/9

 満月の夜、夢の中。


 いつもの夢と同じに、応接室に私はいた。


 けれど、同じ部屋のはずなのに、そこは、とても広い空間だった。


 天井は、あまりに高いので、空に浮かんでいるように見える。ディーと会う時に壁に有った本棚は消え、一番最初の夢と同じに、何も飾っていない壁なのだけれど、どこまでも、どこまでも続く、果ての無い空間となっていた。


 部屋の隅に置いてあった、ディーの読書机は無く、その隣に有った安楽椅子が、部屋の中心を向いて置いてあり、その椅子に座った状態で、私は、夢の中で目覚めた。


 室内を見渡して、自分の目を擦る。


 広い部屋の奥の方に、人影が六つ、小さく見える。背の高い、細長い人のようだけれど、ハッキリとは分からない。


 よく見えなくて目を細めると、六人のうちの一人が、こちらに歩いて来るように見えた。その影は、あっという間に大きくなり「歩いてきてる?」と思った時には、その人は、目の前に立っていた。


 とても背の高い細身の男性。けれど、その姿は、ハッキリとは見えない。髪の色は暗い赤、瞳の色は深い紺色、真っ白な衣装に負けないほどの白い頬。


 ぼんやりした霞が、人の形をしているだけなのに、そんな風に私には思えた。それは、目で見えたのではなく、霞を見詰めているだけで、頭の中に、そんな風に映っている姿だった。


 その人が、目の前に立った瞬間、人間の姿とは別に、私の脳裏には、恐ろしい映像が浮かんだ。


 身の丈が、人の二倍もの大きさの巨大な馬の姿。全身が真白なその馬は、長い首を振る。たてがみが揺れる。そして、額には青く光る長い角が一本ーーーー


(ユニコーン!)


 私は、心の中で叫んだ。


 ユニコーンが、私を見る。


 興奮した馬のように、鼻息を高く鳴らし、首を振って猛る。歯を剥き出しにして唸り、敵意を露わにした。


 ガツッ! ガツッ!


 憎々しげに歯噛みする音が響く。


 悲鳴を上げかけて、私は、口を開けたまま動けなくなった。声を上げてはならない事を思い出したから。


 ユニコーンは、頭を振り立てたてて、こちらを睨み付ける。額の角が、私の顔面に狙いを付ける。角を突き刺すべく突進してきた。


 恐ろしい! なのに、瞳を閉じる事が出来ない!


(角で、突き刺される!)


 私の見開いた目と、ユニコーンの怒りに燃える目が、至近距離で見詰め合う。


 顔の左側に、強い風が当たったような衝撃を受けた瞬間、角は、私の左耳の耳朶を突き刺した。


 不思議な事に、痛みは、感じなかった。


 激しくぶつかる衝撃で、身体ごと後ろに倒れるかと思った。


 私の耳に、重い物が高い所から落とされるような、激しい音が聞こえた。


 強い衝撃に堪えた私が見たのは、責め苦を与えた青年のつらそうな顔だった。私から目を反らした青年は、背を向けて去って行った。


 入れ替わりに、広大な部屋の彼方から現れた青年は、私の脳裏に、巨大な狼の姿を見せた。


(神狼フェンリル?!)


 歯を剥き出しにして唸るフェンリルは、私の目の前で、巨大な口を開けた。すると、私の左腕が勝手に動き、フェンリルの前に差し出す形となった。


 私は、恐ろしさに震える。


 大きく開いた口が、激しい勢いで閉じられる。私は目を見張った。左手の手首に、重く硬い物がぶつかるような衝撃が有った。


 私は、左手の手首から先が、噛み千切られて無くなったと思った。


 悲鳴を堪えて、恐る恐る左手首を見ると、大きな犬がふざけて噛んだみたいな、甘噛みのような痕が、そこには有った。痛みは無いのだが、衝撃が強すぎて、麻痺しているような感覚があった。


 この青年も、私を傷つけた後に、つらそうに目を伏せて、部屋の奥へと去って行った。


 次に現れた青年は、私の脳裏に、グリフォンの姿を浮かび上がらせた。


 グリフォンは、私の口元を目掛けて、嘴を突き立ててきた。痛みは無く、私の唇の左端の辺りに、鋭く風が吹き付けたような衝撃が有った。


 激しく私にぶつかった青年は、悲しそうな目をして、離れていった。


 次に現れた青年は、ペガサスを脳裏に見せた。


 私の前に立つと、左手が彼の前に差し出される。歯を剥き出しにして猛るペガサスは、私の左手に激しい勢いで噛み付いた。


 私が感じたのは、手の甲を強く押す感覚だった。


 その青年は、難しい顔をして私の前から去って行った。


 手の甲には、何かを押し当てたような跡が、横一文字に付いた。


 次に現れたのは青年は、私の脳裏に、赤い翼を持つ黄金色の姿を見せた。猛々しい戦士のような男性の身体に、鷲の頭と翼が付いている。


(この姿は、神鳥ガルダーン? 人の身体に鷲の頭と翼……本当に、ガルダーンなの?)


 目を開けたままの私は、脳裏に浮かぶ鷲と見詰め合う。その瞳は、怒り狂う人間の目のように見える。


 私に向かって手を上げたガルダーンは、大きく手を開く。人間の手なのだが、その爪は、指と同じ長さの、先の細く尖った鋭い金属のように見える。


 大きく開いたままの手の、人差し指だけを私の左頬に当て、引っ掻くような仕草をする。


 私の頬には、引っかかれた痛みでは無く、強く鋭い風が吹き付けたような衝撃が有った。


 驚く私を悲しそうに見て、ガルダーンも去って行った。


 次の現れたのは、全身が赤い色をした青年。揺らめいて見える姿は、金色の光を発している。


 脳裏には、燃え上がる炎で形作られた巨大な鳥の姿が有った。


(これは、フェニックス?)


 青年が前に立つと、私の左手が再びその前に差し出された。


 フェニックスは、左手の薬指の付け根を睨み付けると、ものすごい勢いで、燃える嘴を突き刺した。


 驚く私が感じたのは、小枝で指を押す感覚だった。それは、本当は、骨を砕くほど強く押し付けているのだろうけれど、麻痺していて、痛みを感じないような感覚だった。


 けれど、見詰める私の目には、紅蓮の炎で焼かれる指が見えていた。


(指が、燃えてしまう!)


 心の中で、私は叫んだ。


 けれど、焼けるような痛みは、欠片も感じてはいなかった。


 青年は、くやしそうな目で私を見ると、背を向けて去って行った。


 六人の霞のような青年が、遠い部屋の隅に立つ。全員が、改めてこちらを見詰め、そして背を向けた。その瞬間、部屋全体の空気が揺らいだ。


 目眩を感じ、私は、目を瞑り頭を振った。


 もう一度、青年たちを見ようと、目を開けた私に見えたのは、一番最初の夢で見たのと同じ広さに戻った室内だった。


(えっ? どうして?)


 目眩がするのを我慢して立ち上がる。


 再び、空気が揺らめいた。


 目を閉じたけれど、頭の中が揺れるような感覚に続いて、身体が倒れるのを感じた。


 とっさに、安楽椅子の袖に手を着く。


 身体は支えられた。けれど、手の平の感触がおかしい。何か、平らで硬く冷たい物に、手の平を置いた感覚。


 もう一度、頭を振ってから目を開ける。


 目の前には、荒涼とした岩だらけの世界が、暗く広がっていた。




 何度も瞬きをした。時には頭を振り、わざと目眩を起こさせるような仕草をして、更に瞬きした。


 けれど、景色は変わらない。


 自分の手を見る。身体を膜のような物が覆っており、それがほんのり白く光っている。


(ここは、ドラゴンの姿のディーが、囚われている岩山と同じ所?)


 私の思いを肯定するかのように、前に来た時と変わらずに、風が強く吹いている。無数の氷の粒が、岩にぶつかって弾け飛ぶ。


 この強風の中でも、服がはためく事もなく、寒さを感じずに居られるのは、前回と同じく、私を覆っている、この光る膜のおかげだと思った。これは、何かの守護の力なのかもしれないと。


 私を守る何かの力に導かれて、この岩山へ来たのだと思った。


 夢の中で、六人の花婿候補からの怒りを受けた。そこで、声を出してはいけないという禁忌を犯す事なく、試練を乗り越える事が出来た。だから、ディーの無事な姿に会うために、この場所に導かれたのだと。


(ディーはどこ? 呼んだら返事をしてくれるかしら?)


 ディーの名を大声で叫びたかった。


 けれど、声を出してはいけない禁忌は、確実に終わったという保証が無い。


 岩山の頂上を見上げた私は、前に見た夢の中で、傷だらけのドラゴンが捕らわれていた、頂上の窪みへと向かった。




 岩に手を掛け、踏みしめて登っていく。


 前よりも、岩肌が凍り付いたように冷たい気がした。


(ディーは無事かしら? こんなに寒くい所で、大丈夫かしら?)


 この時の私には、


『自分は、花婿たちの試練を耐えた。穢れも消えているはず』


 との思いがあった。だからこそ、きっとディーも解放されて、傷も癒えた元気な姿で待っていてくれるはず。


 そう思っていた。


 岩山を登りながら、私の心に浮かんでいるのは、栞が見せた大人のディーが、暖かい服装で微笑んでいる姿だった。


(きっと、笑顔で迎えてくれるはず!)


 自然と零れる笑顔のまま、岩山の頂上を目指し、辿り着く。


 耳を澄ませてみても、聞こえるのは風の唸り声だけ。ドラゴンの呻く声は、混じってはいなかった。


(きっと、ディーは元気になったのよ!)


 完全に回復した姿で、人間の青年の姿で、満面の笑みを浮かべるディーを想像して、私は、岩山の頂上から見下ろした。


 石で囲まれた擂り鉢の底には、鎖につながれたドラゴンが横たわっていた。


 その姿は、すでに命の炎が尽きた、巨大な遺体にしか見えない。


 前に見た夢の中のドラゴンよりも、小さくなったような身体は、一面が赤黒い、硬い膜のような物で覆われている。


 風が運んでくる臭いで、ドラゴンを覆っているのは、乾いた血なのだと、私は思った。


 傷口から噴き出した血が、固まって身体中を覆ってしまうほど、ディーは、長い間動けなかった。身じろぎ一つ出来ない状態だったのだと。


(ディー!)


 心の中で叫ぶと、私はディーの側へと駆け寄った。


 重く閉じられた目蓋を触る。それは、ずっと前から閉じられたままのように硬かった。


 ドラゴンの頬に手を当ててみた。


 冷たく硬い感触が、随分長い間、この形のまま動かなかった事を思わせる。


 私の時間では、前回の夢から今回の夢までは、七日間という時間が経過していた。けれど、ドラゴンの時間、いえ、この岩山の時間は、どれほど長く続いたのだろうか?


 ドラゴンは、息絶えたまま、長い間放置されたせいで、身体が縮んでしまったのではないかと思った。


 苦しく悲しい心が湧き上がって、私は自分が絶叫している事にも気が付かなかった。


「ディー!」


 声にすべての力を込めて叫んだ。


 ドラゴンは、欠片も反応する事は無かった。


 絶望という言葉が、心に浮かび、刃となって私を深く突き刺す。


「ディー! どうして? どうして、ずっとつながれているままなの?」


 赤黒く血に染まったドラゴンの頬に、手を当てた。石のように、冷たく硬い手触りしか感じられない。


 肉が腐ったような臭いがして、私は、ドラゴンの頬に当てている手の平を見た。固まっていたはずの血が、体温の熱で溶け出していた。手の平には、ベッタリと赤黒い粘液が付いた。それが、膿んだような臭いを発生させていた。


 私は、再び悲鳴を上げた。


「ディー! なぜ生きていないの? 元気な姿になったのではなかったの? 私が試練に耐えきれば、あなたは解放されて、自由の身になるのではなかったの?」


 確かに『試練に耐えきれば、ディーは自由になれる』というのは、私が勝手に期待した事だった。


 けれども、私は、そうである事を信じ、ディーが助かるために、今以上の責め苦を負わないために、試練に臨んだのだ。


 ディーが許されないのであれば、私は『自分の行動に意味は無い』と思った。


 ただ、ドラゴンを、ディーを助けたいだけだった。


「ディー……」


 その名を口にすると、胸の奥が鋭く痛んだ。視界が歪む。私の目に涙が浮かんできた。


「ディー……ディー、起きて……」


 涙が、頬を伝う。


 血濡れた両手を、ドラゴンの頬に強く押し当てる。


「誰か……助けて……」


 呟くように言うと、赤黒く濡れたドラゴンの頬に、顔を近付けた。


「ああ! ディー! どうしたら、助けてあげられるの?」


 私の目から、吹き出すように、涙が零れ落ちる。


「助けて! ディーを助けて! 私の命をあげるから! 私の全てをあげるから! お願い! ディーを助けて!」


 声は、強く吹く風の叫びを超えて、岩山にこだました。


 頬から落ちた私の涙が、冷たいドラゴンの頬に降りかかる。


 一粒の涙が落ちた。そのほんの小さな雫に濡れた場所が、微かに光る。


 次の瞬間、その小さな光が、ものすごい早さで広がり、ドラゴンの全身を包み込んだ。


 ドラゴンが光に包まれる。


 その光が強く熱を発している。


「ディー?」


 眩しくて目を開けていられない。


 私は、ぎゅっと目蓋を閉じた。


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