7
泣きながら目覚めた。
朝日の中で、暖かなベッドでの目覚めを、号泣している顔で、苦しい気持ちで迎えた。
穏やかな朝の始まりなのに、私の脳裏に浮かぶのは、夢の中の、苦しんでいるドラゴンの姿。
巨大な魔獣が、鎖につながれて呻き苦しむ姿を夢に見たら、それは、さぞ恐ろしい悪夢だろう。
なのに、私は、あのドラゴンが、夢で出会った美しい少女姿のディーと、同じ人物なのだと思っている。
「なぜ、ディーが、あんなことに……どうして?」
ドラゴンを、ディーだと思う自分が信じられない。
けれど、あれはディーなのだ。
痛む頭を振った私は、目眩を感じて、倒れそうになる。
「ディー……どうして?」
その名前を口にすると、瞳から涙が流れた。
頬が濡れるのを、私は暗い気持ちで感じていた。
ベッドの上で身を起こしたまま、涙が流れるままにしていた私は、部屋に入ってきた修道女に驚かれた。
「ソフィー、何かあったのですか?」
尋ねられても、なんでもないと言うべきか、恐ろしい夢を見たというべきか、答えがわからずに、首を横に振った。何か一言でも言えば、号泣してしまうと思った。
修道女は、難しい顔になったけれど、この六日間の朝と同じように、七日目の朝の『清めの水』を、私の前に出した。
目覚めてすぐに、ベッドから出る前に行わなくてはならない儀式なので、私は、顔が涙に濡れたままで、水に両手を浸した。
最初の日とは違い、私の手の甲から浮かぶ黒い粒子は、よく見ないと分からないほど、少なくしか出なくなった。
水に浮かぶカミツレも、白い花びらは、ほんの少し影が指した程度の灰色にしか変わらなかった。
「この七日間で、呪いのほとんどが消えたようですね」
見守っていた修道女が言う。
私も頷き、両手を水から引き上げようとした。
その時、カミツレの花の色が変わった。
白くて細い花びらの、たくさん有るうちの一枚が染まったのだ。
水に浮かんでいるカミツレの、全ての花の花びらが一枚だけ、赤に染まった。
「……花びらが、血の色に!」
修道女が、思わず言い、慌てて自分の口を手で覆った。
これは、ディーの流した血の証拠なのだと、私は思った。
呪いを祓う儀式の、最後の夜に見た夢を『悪夢を見た』だけで、終わらせたいと思っているのに、あの夢は、もう一つの『夢の中の世界』の現実なのだと気付かされる。
夢が現実であるなら、あの苦しむドラゴンの姿は、現実のディーが苦しめられているのだとーーーー
息が、苦しくなる。
胸の奥が、痛い。
目が霞み、涙が流れる。
(ディー、どうしたら、助けてあげられるの?)
私の心が、引き絞られるように痛んだ。
この日の夕方、まだ日が落ちきる前に、私は、修道院の院長様に呼ばれた。
「今朝は、泣いた顔で起きていたと聞きましたが、大丈夫ですか?」
問われた私は、首を横に振った。
夢で見た、傷付いたドラゴンの事は、誰にも言う気持ちになれなかった。
(聖女の勤めとしては、報告しなければならない事、なのかもしれないけど……)
そう思いつつも、自分からは何も話さないと、心に誓った。
話してしまえば、今回の穢れの原因がディーであり、それを理由に、二度と会えなくなるような気がしたから。
「今朝の、最後の『清めの水』では、花の色が変わるのは微かでしたが、花びらの一枚だけ、赤くなったそうですね」
言われて、私は頷いた。
院長様は、悲しい顔になり、額に手を当てて、首を横に振った。
「ソフィー、花びらの赤は、あなたが流す血の色かもしれません」
院長様は、私を見ないで、そう言い、溜息を吐いた。
私は「あなたの流す血」と言われても、恐ろしいとは思わなかった。あの赤が、ディーのこれから流す血の事ではなく、自分の流す血なら、自分が傷付く事でディーを救えるのであれば、どんなに嬉しいか。
(それが出来るといいのに……)
私は、叶えられるはずも無いと、その思いを、悲しいと感じた。
「ソフィー?」
院長様の声に、私が顔を上げた。優しい声で呼びかけられたのに、院長様は、厳しい、難しい顔をしている。
「覚悟の夢となるでしょう」
そう言い、大きな溜息を吐く。
「覚悟の、ですか?」
「そうです」
院長様は、言いながら『導きの書』の、栞が挟んである所を開いて、指をさした。
「聖女の歴史は、とても古いのです。けれども、残されている記録はとても少ない。呪いを受けた聖女は、あなたが初めてという訳ではありません。けれども、その記録は、本当に少ないのです」
院長様は『導きの書』を、人差し指でトントンと叩いた。
「数少ない、呪いの事ですが、共通する事があります。それは『出会いの夢』を、聖女と花婿候補の、婚姻に進む出会いのためでなく、他の思いを持って、その場に出向く者が現れた時に、呪いが発生する、という事なのです」
自分の表情が曇るのが分かった。
「婚姻のためではなく、ですか?」
「ええ、そうです」
院長様は、手引き書を指で押さえて、少し読んでから、顔を上げた。
「残された記録の中では、聖女として生まれた女性が、聖女教育を受ける前に、愛する男性を得てしまい、その人と駆け落ちする事を思いながら『出会いの夢』に入り、その思いの、向く方向の違いから、隙間が生まれ、魔が入り込んだ。と、記されています」
「思いの向く、方向の違いの、隙間から?」
私が、言葉に中の、特に気になった箇所を繰り返して問う。
院長様は、重々しく頷いた。
「聖女だけではありません。花婿たちの記録では、復讐のために、あるいは、自分が年若い頃に戻って、その年で出来なかった何かを成し得るために、聖女との『出会いの夢』での、年齢を変えて現れる事を利用した。との記録も有ります」
自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
花婿が、婚姻以外の目的で『出会いの夢』を利用すれば、魔が入り呪われる。そうであるなら、ディーの「母に会いたいから」は、呪いの発動になってしまったのだろうか?
「どうして」
「えっ?」
「どうして、そのことを、最初に教えてもらえなかったのですか?」
「そのこと? それは『出会いの夢』を、婚姻のため以外には、使ってはならない事を?」
「そうです。最初に教えってもらえていれば、誰も間違いを犯す人は出ないのでは、ありませんか?」
私の問いに、院長様は、首を横に振った。
「それは、教えることが出来ないのです。聖女と花婿候補は「禁忌を犯してはならない」という、押さえつけた気持ちを持って出会う事も「魔を呼び、呪いを受ける」と伝えられているからです」
「そんなーーーー」
叫んだ私は、口に手を当てたまま、絶句した。
(じゃあ、ディーは? お母様に会うために、五歳の姿を選んだディーは、呪いを受けてしまったの? だから、ドラゴンの姿で、あの岩山で、つらい責め苦を負っているというの?)
私の驚きを、院長様は、悲しそうな目で見ていた。
「誰が禁忌を犯したのか? それは分かりません。けれど、魔の力よって、誰が呪われたのかは分かります。ソフィー、呪われたのは、まぎれもなくあなたです。そして、その呪いは、祓いの儀式で、限りなく小さくする事が出来ましたが、消す事は出来ていないのです」
「どうしたら、魔を呼んでしまった人を助ける事が出来ますか?」
私にとって、呪いを受けた自分よりも、ディーの方が、ずっと大事だった。
呪いと言われても、自分は、顔と手にホクロが出来ただけなのだ。
けれど、ディーは、冷たい岩山に捕らえられて、責め苦を負っているのだ。
院長様は、首を横に振るだけだった。
「難しいと思います。『導きの書』には、呪いは、魔が現れた印と記してありますが、具体的な事例は、本当に少なく、いくつかしか記録されていません。そして、魔を祓ったという記録は、残されていないのです」
「それでは、魔を呼んだ者は、呪いを受けた者は、どうなったかは?」
「ただ『魔を呼んだ、呪いを受けた』だけで、どうなったのかは、記録に残されていないのです」
「残されていないーーーー」
私は、両手で顔を覆った。
どうすればいいのかと、希望を探して、すがり付きたい思いが、暗闇に迷い込んで、もう出られないのだと、宣言されたような気持ちになった。
「魔を呼び、呪いを発動させた方を、あなたは知っているのですか?」
院長様の声に、ドラゴンの姿のディーの事を、どう話したらいいのかと思い、私は苦しい気持ちになった。顔が、つらそうに、より歪んでいくのが分かった。
「ソフィー、あなたに言っておかなければならない事が有ります」
院長様が、厳しい声を出したので、俯いていた私は、顔を上げた。
苦しげな眼差しで、院長様は私を見詰める。
「あなたは、前回の『出会いの夢』の中で、呪いを受けました。その場所には、魔を呼んだ方の姿を模した魔物がいたはず、そうですね?」
夢の中で、大人になったディーの振りをして、自分に触った男を思い出し、私は、身震いしながら頷いた。
「その夢では、他の六人の花婿候補たちも、その場に居ましたね?」
「はい」
「……そうですか」
院長様は、細く長い溜息を吐いた。
「夢で汚れたため、祓いの儀式を行いましたが、あなたの穢れは、まだ祓い切れていません。それは、ホクロが消えていない事でも証明されているのです」
言われて私は、唇の左端に有る、針で突いたような小さなホクロを触った。
「聖女の花婿候補は、聖なる獣を始祖に持つ王国の方々です。呪いに巻き込まれた六人の花婿候補は、その怒りを現す時、それぞれの始祖の姿となって、あなたの前に現れるでしょう」
院長様の、握り締めた手が震えている。
「どんなに恐ろしい姿を見ても、たとえ襲いかかられたとしても、あなたは、声を出してはいけません。どんな小さな一言であっても、声を出してしまったら、あなたはその場で、生きたまま焼かれてしまうーーーーそう『導きの書』に書いてあるのです」
「生きたまま、焼かれる……」
「そして、あなたの穢れの原因となった者は、あなたの何万倍もの苦痛を、永遠に受け続ける事になると……」
「ディーが? そんな!」
院長様が、悲しい目で私を見る。
「あなたが、夢で言葉を交わした人が、一人だけいましたね? その方が、自分でも知らずに、魔を呼び込む行いをしてしまったのでしょう……」
院長様の声に、私は、小さく頷いた。
(確かにディーは『出会いの夢』を、婚姻のためではなく、お母様に会うために使った。けれど、それが永遠の責めを負うほどの悪行とは思えない。私だって、お母様に会えるのなら、夢を、そのために使うと思う)
私は、六人の花婿候補の、獣になった姿に会う恐ろしさよりも、自分が焼かれる恐怖よりも、岩山に捕らえられているディーに、これ以上の苦しみを与える事は出来ないと思った。
ましてや、永遠の苦痛など、絶対に阻まなければならない。
自分は、どれほどまでに恐ろしい目に会っても、耐えなければならない。それ以外に、ディーを救うきっかけは無いのだ。
私は、そう、強く思った。