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真夜中の聖女と七人の花婿候補  作者: 土井フニ
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 目覚めると、枕の側に、栞が一枚、置いてあった。


 私は、悲鳴を上げそうになって、慌てて口を手で押さえた。


 それは、昨晩の夢の中で、ディーの持つ本から落ちた、それを拾った瞬間に夢が終わった、あの栞だった。


 その栞に触れようとしたけれど、出来なかった。触ったら、消えてしまうような気がしたから。


(もしも消えてしまったら、ディーとの何もかもが消えてしまう気がする。そんなの、耐えられない!)


 そう思ったからだった。


 しばらく、じっと見詰めていたけれど、心を決めて、そーっと手を伸ばした。ディーとの思い出の品を、そのまま放っては置けなかいと思ったから。


 その栞に触れた瞬間、私の脳裏には、鮮やかな映像が映った。


 その場所は、夢の世界の応接室。


 私がいつも、ディーを見るために座っている安楽椅子が、部屋の中心に向けて置いてある。


 そこに座っている、背の高い青年は、足を組んで、その上に肘を立て、手の上に顎を乗せて、何か考え事をしている表情。


 銀色に輝くプラチナブロンドの髪は、肩に掛かる長さ。ルビー色の瞳は、穏やかに煌めいている。真白の頬、薄紅の唇は、微かに微笑んでいるように見える。


 青年の顎に当てた手と、組んだ足に軽く乗せられた腕と、その先で、すっと伸ばされた指を見て、


「なんて綺麗なの」


 私は、思わず、独り言を言った。


 その手は、男性らしい大きさなのに、無骨ではなく、広い手の甲から伸びる指は細長く、私が、今まで見た男性の手と、同種の物とは思えないほどだった。


 頭に浮かぶ映像の人の、手に見とれていた私は、その人の全体像を思い浮かべた。


 その人の顔を思った時、男性が、ふっと笑った。


 笑みが、唇をきゅっと両頬に引き上げる。口の端、頬に、細い筋が発生する。


 男性の目が細まり、優しく目尻が下がり気味になる。


(男の方が笑う時に、口の脇、頬にしわが寄るのは、女の子のえくぼと同じくらい魅力的だわ……)


 胸の奥で、何かがトクンと音を立てて跳ねた。


(ディー? あなたは、ディーなの?)


 心の中で叫んだ。


 その瞬間、胸の奥で、キュッと引き絞られる痛みが有った。


 心臓が、心が、とても痛い……この痛みはどこから来たの? と、私は思った。


 もう一度、心の中で、目を上げて、脳裏に浮かぶ男性を見る。


 その人は、最初に見えた体勢のままで、窓の外を眺めている。


 横顔が見えた。


 その顔は『世界で一番美しい横顔』と、子供の頃に思っていた、私の実家に有る『太陽神の彫像』を思い出させた。


(あの彫像よりも美しいと思える男性がいるだなんて!)


 思わず、大きな溜息を吐いた。


(なんて美しい人なの! 今まで見た事のある人の中で、誰よりも美しいわ。綺麗な女の人は、何人も見た事があるけど、その誰よりも美しい。これが、大人になった、本当の年齢のディーなの?)


 目眩がしたように頭を振った私は、また溜息を吐いた。


(女の人を綺麗とは思うことは多いけど、男の人を綺麗と思うことが有るなんて……今まで、ハンサムな人も、感じの良い顔立ちの人も、見た事があるけど『誰よりも美しい』と思う男の人がいるなんて!)


 三度目の溜息を吐いた私は、手にしていた栞を、机の上に置いた。


 タンスから、一番大切にしている、レースで縁取られたシルクのハンカチを出すと、栞を丁寧に包み、机の引き出しの一番上の袖に、そっと仕舞った。


 大切な宝物を、ディーからプレゼントされた気持ちだった。




 それからの私は、色んな人から、


「何か、良い事が有ったの?」


 と、何度も聞かれた。


「どうして?」


 尋ねる私に、


「顔が笑っているわ」


「足取りがウキウキしている」


 そう、みんなが言う。


 修道院の手伝いで、救民院の子供たちのお世話をしに行った時には、おませな女の子たちから、


「恋をしているの?」


「恋人が出来たの?」


 そう聞かれて、顔が真っ赤になることもあった。




「大人になったディーに会いたくて、朝に夕に、栞を取り出してしまうのが、いけないのかしら?」


 溜息と一緒に、独り言が口から出た。


(他の人から、浮かれまくっているように見えるなんて、ダメだわ!)


 自戒した私は、栞を見ない事に決めた。


 ところが、気が付くといつも、栞が見せた『大人になったディー』の姿を、思い浮かべている事に気が付いた。


(浮かれてはいけない。栞は大切に仕舞って置いて、見ない事!)


 そう決めたはずなのに、心が勝手に裏切ってしまう。


 目の前の仕事に心を込めなくてはならないのに、ある人を思い浮かべる事を止められない。


 そんな自分は初めてで、どうして良いのかわからない。


(私は、どうにか、してしまったんだろうか?)


 と、悩んだ。


 どんなに自分を叱っても、思い浮かべてしまう姿。そのたびに、胸の奥が甘く痛む。


(可愛い女の子の姿だったディーには、直接会っていたのだから、大人になったディーには、あの頃の面影が、どんな風に残っているのか、それが知りたいから、だから、思い浮かべてしまうのよ!)


 ままならない心を、私は、そんな風に、自分に言い訳をした。




 新月の朝、私は、院長様に呼ばれた。


「あなたは、七人の花婿候補のうち、女の子の服装の方とは、言葉を交わしましたが、他の方との交流は、まだ一度もしていませんね?」


 そう言われて、頷いた。


「言葉を交わした唯一の方とだけは、最初の姿で会う『三度の逢瀬』を終えていて、次に会う時は、その方の本当の姿を見るのですね?」


「はい、その通りです」


「そうですか……」


 院長様は、小さく溜息を吐き『導きの書』の、栞の挟んで有る所を開いた。指で追いながら読んで、小さな古い手帳を開いて見比べて、私を見た。


「一人の方と、声を交わして、姿を現した聖女は、過去にもいたようなのですが、他の方との交流を、まったくしていない状態で『三度の逢瀬』を終えてしまった聖女の記録が無いのです」


 心配そうに院長様は、声を潜めて言う。私の心に不安が起こる。


「私ーーーーしてはいけない事をしてしまったんでしょうか?」


「いいえ」


 院長様は、首を横に振った。


「それが禁忌であるなら『導きの書』に書いてあるはずです。ただ……」


「ただ?」


「まだ誰も出会っていない、新しい禁忌であるなら、それが禁忌だとは気付かずに、体験してしまう。という場合も有るのです」


「ーーーーそんな!」


 思わず、叫んでしまった。


 院長様は、私の手を取り、慰めるように優しく、ポンポンと叩いてくれた。


「不安がらせてしまって、ごめんなさい。きっと大丈夫ですよ。その一人の人が、最初からあなたの心を捉えたのでしょう。何人もの素晴らしい男性と出会っても、その中のただ一人を見た瞬間に、一目惚れをする事も、あるでしょう」


 院長様に言われて、私は赤面した。


 確かに、もう一度会いたいと思ったのは、ディー、ただ一人だった。けれど、それは、女の子のディーと親しくなりたいと思ったのであって、一目惚れをしたのでは無い。


 むしろ、一目惚れというなら、栞が見せる『大人のディー』に、かもしれない。


 赤面した私を見て、院長様が優しく微笑む。そして、改めて顔を引き締めて言った。


「今晩は、新月の夜です。夜空の月の区切りの日です。今晩は、改めての『出会いの夢』を見る事になるでしょう」


「改めての、ですか?」


「そうですよ、ソフィー」


 院長様は、今晩の『出会いの夢』には、初回の時と同じように、聖女の花婿候補の全員が、夢に出てくると言った。


「最初の言葉を交わした人とは、今まで通りに、お互いの姿を見る事も、言葉を交わす事も出来ます。けれど、今晩の『出会いの夢』では、別の方と出会いを考えなくてはなりません。それは、七人の花婿候補の全員と、言葉を交わさなくてはならないからです」


「全員と、ですか?」


「そうです。今晩見る夢で、最初に言葉を交わした人とは、挨拶を交わす事は出来ますが、その他の六人の中から、次に会う人を一人選んで、話しかけなければなりません」


「……他の人を?」


「そして、その次の夢では、新しく選んだ方と、二人きりで会う夢を見ます」


「新しい人と、二人きりで……」


 心配そうな私に、院長様が言う。


「ソフィー、新しい方を選んだからと言って、最初に選んだ方への裏切りとはなりません。全員と言葉を交わし、一度だけでも『二人だけの逢瀬』をしなくてはならない。これも、聖女の勤めなのですから」


「でも、新しい方を、選ばなくてはならないのですよね?」


「ええ、その方と、二人きりの夢も、です。けれど、二人きりの夢を、一度でも見れば、新しく選んだ方への義務は終わりです。あなたが「もう一度会いたい」と思わなければ、その方は、二度と夢には出てこない。そういう約束になっているのです」


「二度と、夢には出ないのですか?」


「そうですよ。あなたの義務は、言葉を交わして、二人きりの逢瀬の機会を、一度だけ夢に見る事。あなたが、その人の事を「もう一度会いたい」と思わなければ、その方への、聖女としての義務は終わりです」


「一度だけで、義務は終わる……」


 困ったような、戸惑いの顔をした私に、院長様が言う。


「二番目に会った方との義務を果たし終えたら、その方以外の、残りの全員と会う夢を見ます。最初の方とは、花婿候補が全員揃う夢で会えますが、二人きりでは会う事は、まだ出来ません。今度は、三番目に会う方を決めて、言葉を交わさなくて、ならないからです」


「……そんなに、次々と、新しく会う人を決めなくてはならないんでしょうか?」


 院長様の言葉は、私に、苦しい選択を迫るものだった。


「難しく考えなくて良いのですよ、ソフィー」


 院長様が、私の手をポンポンと叩く。


「聖女が、その運命を知るために、修道院に入る年は、本当は十五歳です。それは、大人に差し掛かる年齢を選んでの事もあるのです。七人の花婿候補と、次々に会う事も、舞踏会で、次々と相手を変えてダンスを踊るのと同じに考えて良いのですよ」


 院長様の言いたい事は解る。私に「気楽に考えて」と伝えたいのも解る。


(けれど、ディー以外の人と、二人きりで会いたいと思うかしら? 私が義務の気持ちだけで会うのだとしたら、その方に失礼をする事にならないかしら?)


 いくら「気楽に出会えば良い」と言われても、私には「婚姻への出会いは神聖なもの」という思いが強かった。


「あなたは、十歳で修道院へ来て、ずっと女だけの生活を送ってきたので、殿方に対して、構えてしまう事も有るでしょう。でも、義務だと感じたのなら、そう思う心のままで、会って良いのです」


 院長様の声に、私は、ハッとして顔を上げた。


「義務と思っている心のままに、会っても良いのですか?」


「ええ。実際に、この出会いは『聖女の義務』なのですから、義務を果たす事を、仕事をすると考えて、最低限のことをするだけでいいんですよ」


 院長様の言葉は、私の気持ちを軽くしたが、別の憂いを発生させた。


(婚姻のための出会いを、こちらが選ぶ側だとしても、そんな、仕事を終わらせる、みたいな出会い方をしたら、相手の方に失礼ではないかしら?)


 私の困惑が、顔に出たのかもしれない。


 院長様が、ふふっと笑った。


「あまり深刻にならずに、出会いを楽しみなさい。七人の候補の全員と、言葉を交わすだけで良いのです。最初から心に決めた人がいるなら、その思いを秘めたままの状態でも、七人とお話をするだけで、候補者の全員と出会った事になるのですから」


 その言葉に、私も、心が緩んだような気がして、小さく笑った。


「二番目に会う方を決めて、一声かけるだけで良いのですからね」


 院長様は、優しい笑顔のままだった。


(二番目の人……ディーではない人……)


 そう思うと、私は、渋々頷いた。




 月の区切りの夜、夢に入った私は、我が目を疑った。


 ディー以外の六人のうち、四人は、最初に出会った時と同じ、大人の男性の姿だった。残りの二人は、最初に見た姿ではなく、もっと年若い、十二歳くらいの少年に見える姿で現れていた。


 そして、一番を大きく変わったのは、ディーだった。


 少女の姿から、大人の男性の姿へ。


 けれど、その容姿は、私が栞の力で見た、あの麗しい姿とは、似て非なる容貌が、そこにあった。


 少女だったディーに会う時に、私が座っていた安楽椅子が、部屋の中心に向けて置いてあり、その椅子に座っている男性は、どう見ても、この部屋で唯一の『銀色の髪、赤い目』の人だった。


 けれど私は、心の中で(違う!)と叫んでしまった。


 細身の身体、背の高い男性が、椅子に座って足を組んでいる。気怠そうに、肘を安楽椅子の袖に預け、その腕の先の手を軽く握った上に、片頬を乗せている。


 栞の見せた姿と同じだと感じるのは、そこまでだった。


 私の心に有る、少女姿だったディーも、栞が見せたディーも、一番の特徴は、輝く銀色の髪。


 今、私の目に映る男性は、確かに銀色の髪と言えなくも無い。けれど、艶も無く、白と灰色の混じった髪の毛がもつれ合っている。張りも無く、頭の上に、掃除を終えたばかりの、濡れたままの汚れたモップを乗せているように見える。


 煌めくルビーだった瞳は、使い古しの油で汚された、濁りで輝きの消えたガーネットにしか見えない。


 雪のような白い頬は、死人の肌のような、灰色の蝋燭の色に変わってしまっている。


 驚いて立ち尽くす私を見詰める、ディーであろう男性は、目を反らす事無く、じっと見詰めたままで、手招きする。


 私は、驚いた。


 その人が『動かぬ彫像』であるかのような気持ちで、今まで眺めていたからだった。


 慌てた私は、周りを見る。


 佇んでいる他の六人は、前回と同じく『ここに居るのは自分独り』といった風情。けれど、よく見ると、前よりも、人待ち顔のような、待ち合わせの人を探しているような表情に見えた。


 ただ、ハッキリと見えた前回に比べ、その姿が空気に滲んで、霞が掛かっているように見えるーーーーと、私は思った。


 呼ばれたような気がして、ディーと思われる男性を見る。


 私の目には、他の六人が、おぼろげでよく見えないせいか、ディーらしき男性が、異様なほどハッキリ見える気がした。


(どうして、見え方がこんなにも違うの?)


 そう思い、私はディーの方を見る。


 つまらなそうな顔をしていたディーが、私と目が合うと、微かに笑い、また手招きをする。


 私は、その手招きに応じたくないと思った。


 けれど、なぜ、自分がそんな事を思ったのか、不思議だった。


(誰もが、お互いに見えない、居る事を知らないでいる状態で、私が見えているという事は、あれは、本当に、ディーなの?)


 ディー以外の誰だというのだろう。


(大人になった姿を、直接に見たのは初めてだから、ディーの様子に慣れないだけよ、きっと)


 恐る恐る近付く私は、怖じ気づく自分の心を叱りつける。


(あそこに座っているのは、ディー以外には有り得ないじゃない! まさか具合が悪いのに、無理して来たのではないかしら? 髪に艶が無いのも、目に光が無いのも、肌がくすんで見えるのも、もしかしたら病気なのかもしれない。ほら、あんなに痩せてしまっているじゃない!)


 私は、心の中で、たくさんの言葉を並べて、ディーの姿が、思っていたのと違う印象である事の言い訳をした。


 それでも、栞が見せた容貌とは、似ているようで、まったく違う顔立ちや佇まいに戸惑ってしまう。


 面長の頬は痩せて、より一層顔の長さが目立つ。切れ長の目は細く、目尻がつり上がって見える。鼻は細く長く、鼻先が尖っており、唇の赤黒さだけがハッキリとした色で目立つ。その唇は、とても薄くて、微笑むように引き絞られた様子が、耳までの裂けた大きな口を連想させた。


 栞の見せた姿とは、よく見るほどに、かけ離れた顔立ちに見える。


 栞が見せたのは、私の中の理想が、無意識に見せた美しい男性で、自分が勝手に期待しただけで、本当のディーは、大人になったディーは、何かの事情があって、笑顔が暗く見えるのだ、そう思おうとした。


 そんな私の気持ちなどお構いなく、ディーは、私を見詰めたままで、ゆっくりと手招きをする。


 私は、小さく頭を振り、顔が笑顔に見えるように意識して、ディーに近寄った。


 招いている手を下ろしたディーは、私が近付くのを待っている。


 私は、ディーの少し前で止まった。


 ディーが、ちょっと眉をひそめ、より一層の笑顔を作り、再び手招きをする。


 一瞬迷った私は、恐る恐る近付いた。そして、あと少し、手の届く距離まで来たら、もう近付くのは止めよう。


 私がそう思った瞬間、ディーが、椅子に座ったままで身を乗り出し、私の左手首を掴んで、強く引き寄せた。


 突然の事で、私は転んで、両膝を床に打ち付けた。椅子に座るディーの足下に、ひれ伏すような体勢になってしまった。


 それなのに、ディーは、助け起こす事も無く、掴んだまま離さない左手首を強く引っ張って、自分の顔に近付けた。


 私は、いきなり強く引かれて、前に倒れそうになる。とっさに右手を出して、身体を支えた。


 そんな様子など構わず、ディーは掴んでいる私の左手の甲にキスをし、薬指の付け根にキスをする。


 驚いたのと、キスをされた時、微かに痛いような気がして、私は顔をしかめた。


 ディーは、左手首を掴んでいた手を離すと、その手を、私の顔へと伸ばし、顎を掴んで上を向かせた。


 四本の指で顎を掴んだまま、親指で私の唇を、右から左へと辿る。


 触られた指の感触ではなく、唇が薄く切られるような痛みを感じ、私は顔を歪めた。


 そんな様子など気が付かないように、ディーの手は顎を離し、人差し指の指先で、私の左頬を、下から上へと撫でる。


 ヒヤリと、カミソリで、薄く切られたような痛みが頬に走った。


 たじろぎ、身を引こうとする私の右肩を掴んで、動きを止めさせたディーは、頬を触った指を左の耳朶に当て、擦るように強く撫でる。


 その場所に、針で刺されたような痛みを感じた。その衝撃で、ディーの指から逃げようと、私は強く身を引いた。


 一瞬、驚いた顔をしたディーは、嬉しそうに目を細め、口を大きく開けて笑う。


 声は無く、口の中で踊る舌は、その先端が二つに分かれて、クネクネと踊っている。


「俺のソフィー、おまえは俺の女だ。今すぐに、愛を乞え、ソフィーリア。俺に全てを捧げると誓え……」


 大きく開けた口のままなのに、何故か発せられた声は、私の耳に、毒を吹き込むように入ってきた。


(……この人、ディーじゃない!)


 私の心が叫ぶ。


 その瞬間、世界が消えた。


 消えかかった世界の中で、


「なぜ、騙せなかった? 俺の擬態は完璧だったはずなのに……」


 ディーのように見せた男の声が、最後に聞こえた。


 それで夢が終わった。

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