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真夜中の聖女と七人の花婿候補  作者: 土井フニ
2/9

 翌日の朝の祈りの後で、私は院長室に呼ばれた。


「昨晩は、よく眠れましたか?」


 院長様の問いに、笑顔で頷く。


「夢は見ましたか?」


「はい、見ました」


 それを聞き、院長様は、同席している修道女に向かって頷いた。


 机に向かって座り、右手にペンを持った修道女は、頷いて、紙に書き付け始めた。


「聖女の勤めの事は、出来るだけ記録に残したいので、あなたが話す事を書き留めます。良いですね?」


 私は「はい」と答えた。


「夢では、どんな場所に行きましたか?」


 私は、広い応接室の様子を話した。


「七人には会えましたか?」


「はい、会えました」


「どんな様子でしたか?」


「全員が、その場に居るのは自分独りだけといった感じで、お互いが見えていないようでした」


「もう一度会いたいと思う方は、いましたか?」


「……一人だけ、いました」


「一人でも、また会いたいと思える人がいたのは、よかったですね」


 院長様が笑顔で言ったので、私も笑顔で「ええ」と頷いた。


 私が話したのは、院長様に聞かれた事の答え、だけだった。


 聞かれてもいない事を、自分からベラベラ話すことはしなかった。なので、もう一度会いたいと思う人が、一人だけ居た女の子である事は、私だけの秘密になった。




 それからの私は、寝る前のお祈りの後で、


「今晩の夢でも、あの子に会えますように」


 そう願うのを忘れた事は無かった。


 そして、毎晩の夢の中で、女の子と会っていた。


 けれど『会っていた』というのは、正確ではないかもしれない。私は、女の子を、飽きる事無く『見ていた』のだから。


 夢の中の場所は、あの広い応接室と同じ部屋だと思うのだけれど、最初に見た夢の時よりも、ずっと小さな部屋だった。


 絵画も何も飾っていない壁は、一面が本棚に変わっていた。


 女の子は、いつも同じ様子で本を読んでいる。手にしている本は、読み終えて次の本になったのか、数日で変わる事が多い。


 いつも物憂げな表情。髪をまとめるリボンも同じ。


 毎回違うのは、着ている服装だけだった。


 それはシンプルな無地のドレス。色目も、深緑、藍色、茶色がかった紫など、暗い色の無地で、艶消しで織られたシルクのドレスばかり。


 女の子だけに会った夢の一回目で、私は、彼女の座る席の、一番近くに有る安楽椅子を、すぐ側まで移動させようとした。


 けれど、それはなかなかに重く、無理矢理に引っ張ると、ギーっと音がしそうだし、床に傷を付ける恐れも有るため、椅子を動かすのを諦めて、女の子のすぐ側に立って、その顔を見る事にした。


 自分が、相手から見えていない事が、私に大胆な行動をさせる。


 息が掛かるほど近くに顔を寄せ、まじまじと観察した。


 柔らかな雪色の肌。銀色に輝くプラチナブロンド。長い睫毛が頬に影を落とす。


 美しいルビー色の煌めく瞳は、本を読んでいるため、伏し目がちだが、時々、目を上げて、少しの間、真っ直ぐに、じーっと何かを見詰めている。


 私は、真正面を見る女の子の顔の前に、自分の顔を出して、その瞳を見詰めた。


 やがて、瞳を閉じた女の子は、溜息を吐いた。薄紅色の唇が小さく尖る。


 私は、嬉しくなった。


 美しい人を見詰めるという事は、ただ見ているだけなのに、こんなにも嬉しいという気持ちが沸いてくるものなのかと、自分の心に驚いた。


(これほど美しい女の子が、笑ったら、どれほどまでに可愛いのだろう?)


 私は思った。


(笑うと可愛いだろうな。いつか笑顔が見たいな)


 と。




 次の夜の夢では、移動させようとして諦めた椅子が、女の子の座る机のすぐ側に置いてあったので、


(簡単に望みが叶うのは、夢の中だから?)


 と思い、変化に感謝して椅子に座った。


 この日の女の子は、前日よりも、少しだけ悲しそうに見えた。


(まあ、シルヴィー、今日はどうしたのかしら?)


 心の中で、女の子に語りかけた。


 この『シルヴィー』という名前は、私が名付けた。


 私は、夢の女の子を『女の子』『あの綺麗な子』ではなく、名前で呼びたいと思い、銀色の髪から『シルヴィー』または、赤い瞳から『ルビー』と、二つで迷い、呼び名を『シルヴィー』に決めたのだった。


 それからの毎晩、夢の中でシルヴィーと会い、飽きずに見詰める私は、現実に戻った昼間にも、気がつくとシルヴィーの事を考えている事に気が付く。


「あんな妹がいたら、どんなに嬉しいでしょう!」


 あの子は、どんな声でお話しするのかしら? 食べ物は何が好きかしら? 本を読むのが好きらしいけど、どんな物語が好きかしら?


「笑ったら、きっと可愛いわ。笑った時の声が聞きたいわ」


 自分で『妹』と言っておきながら、本当は、友達になりたいと思っている事に、その時の私は気が付いていなかった。


「私は十六歳だし、シルヴィーは七歳くらいだし、やはり妹、よねぇ?」


 私は、シルヴィーと出会ったのが『聖女の勤め』の『出会いの夢』だったことなど忘れ、毎晩の夢が『第二の日常』であるかのように、シルヴィーを見詰める時間を、夢を見る事を、とても大切な時間だと思って過ごしていた。




 ある日の夜、夢の中に入った私は、慌ててシルヴィーに駆け寄った。


 シルヴィーが、本も読まずに、机に突っ伏していたのだ。


(寝ているのかしら? 具合が悪いのかしら?)


 近寄ったら、シルヴィーの細い肩が、小さく震えているのが分かった。


(ーーーー泣いている?)


 私は、驚いてシルヴィーを見た。


 彼女のこの日のドレスは、黒に近い藍色、いや、青みがかった黒色だった。


(つらいことでも……何か、悲しい事でもあったのかしら?)


 私は、母を亡くした頃の自分を見ているような気持ちになった。


 慰めたいと思い、肩に手を掛けようしたけど、その手を止めた。夢の中で、シルヴィーに触って良いのか、判らなかったからだ。手を引っ込めて、声を掛けた。


「何か、悲しい事があったの?」


 驚かさないように、小さな声で言った。


 シルヴィーは、ビクッと身体を震わせて、泣くのを止めた。そして、恐る恐る顔を上げる。


 私は、その様子をじっと見ていた。


 顔を上げたシルヴィーは、辺りをキョロキョロと見ていたが、やがて、私の方をじっと見て、目を細めた。


(すぐ目の前にいるのに、見えないのかしら?)


 そう思った私は、これまでの間、シルヴィーは、私がいる事を知らないままでいた、その事を思い出した。


(もしかしたら、声を掛けてはいけなかったのかしら? 声を掛けたから、見えないはずの私が見えるようになったのかしら?)


 ドキドキしながら、私はシルヴィーを見詰めた。


「あっ! 見える! 見えるような気がする!」


 シルヴィーの声は、幼い子供の声だった。


 私は、鈴の転がるような、可憐な声を想像していたのだけれど、発せられた声は、低く、少し枯れていて、ずっと声を出す事をしないでいた喉から、発せられたような感じだった。


 顔を上げたシルヴィーの頬は、涙に濡れていた。目の縁も赤く濡れていて、長い時間、ずっと泣き続けていた顔をしていた。


 私は、自分も泣きそうな気持ちになった。そして、シルヴィーを抱き締めたいと思ったけども、それは我慢した。


「見える! あの、お姉さんは、精霊なの? それとも幽霊なの?」


「幽霊でも精霊でもないわ。私の名前は、ソフィー。今は、夢の中であなたに会っているの」


「……そうなんだ…」


 呟くように言うと、シルヴィーは、はあっと息を吐き、目を伏せた。瞳に貯まっていた涙が、頬を伝う。


「そんなに泣くなんて……何か悲しい事でも有ったの? シルヴィー」


 私の声に、弾かれたようにシルヴィーが顔を上げた。


「シルヴィーって、誰? 僕のこと?」


 私は慌てた。


「夢で、あなたを見て、銀色の髪が美しいから『シルヴィー』と名前を付けたの。勝手に呼び名を付けてしまって、ごめんなさい」


 謝る私に、シルヴィーは、悲しそうな笑顔で、首を横に振った。


「悲しい事が有ったの?」


 再びの私の問いに、頷いたシルヴィーは、口を開き掛けて、唇を噛みしめた。


 涙が、頬を伝う。


「母様が……」


「お母様が?」


「ご病気なの……」


「そう……それは心配ね」


 私は、シルヴィーを抱き締めた。


 一瞬、身を固くしたシルヴィーは、私を抱き締め返し、小さな溜息を吐いた。


 私は、母を亡くしたばかりの、七歳の時の自分を抱き締めているような気持ちになった。


(なんて声を掛けてあげれば、シルヴィーの心を明るく元気にできるの?)


 どう慰めて良いのか判らない。


 ただ、このまま、ずっと抱き締めていたい。と思った。




 どのくらい抱き締め合っていたのだろう。


「ソフィー?」


 腕の中のシルヴィーが呼ぶ。その声は、泣いている声ではなかった。


「なあに?」


 身体を離した私は、シルヴィーの顔を見た。まだ頬は濡れているが、目の光がはっきりしている。


 頼りない幼子の面差しではなく、キリッとした少年らしい感じがあった。


「ソフィーは、聖女なの?」


 問われて、私は、


「そうよ」


 と答えた。


「月読みの聖女なの?」


 シルヴィーが重ねて聞く。


 私は頷いた。


「ソフィーは、僕以外の人とは、どんな風に会っているの?」


 シルヴィーがそう尋ねたので、


(シルヴィーも、花婿候補の七人の中の一人なのかもしれない)


 と、私は思った。


「私が会っているのは、あなただけよ、シルヴィー」


「僕だけ?」


「そうよ」


 と、短く答えた。


(もっと色々と聞かれたら、何と答えたらいいの? 最初の『出会いの夢』の次の晩から、毎晩会っていた事は内緒にしたい。だって、相手に知られずに、毎晩、ずっと見詰めていたなんて、恥ずかしくて言えないわ!)


「ソフィー?」


「なあに?」


「ソフィーは、どうして僕と会っているの?」


 この問いに、私は正直に答えた。


「最初の夢では、七人の人と会ったの。でも、会ったと言うよりは『見た』かな? 夢の中では、誰もが『ここに居るのは自分独りだけ』という感じだったの」


 私の説明に、シルヴィーが頷く。


「最初の夢はね、この部屋と同じ部屋なんだけど、ずっと広いの。そこに、六人の男の方と、一人の女の子がいたの」


「女の子?」


「そうよシルヴィー。その女の子に『もう一度会いたいな』と思ったら、夢で会う事が出来たの。それがあなたよ」


「それは、ソフィーが僕に『会いたい』と思ったの? 他の人は?」


「私が会いたいと思ったのは、あなただけよシルヴィー」


「そうなんだ……」


 シルヴィーは、考え込む様子になった。それを見た私は(可愛い!)と思い、嬉しくなった。


(シルヴィーのような幼い子が、大人みたいに難しい顔をして考え込む様子は、本当に可愛い! 自分の事を『僕』と呼ぶなんて、シルヴィーは、元気な時は、男の子に混じって遊ぶような女の子なのかしら?)


「ねえ、シルヴィー?」


「えっ? 僕の名前は、ディーグ……」


「ディーグ?」


 小首を傾げた私に、シルヴィーが慌てて首を横に振る。


「ううん。僕の名前は、あのね……ディーって呼んで」


「ディー?」


「うん」


「わかったわ。これからは、あなたの事を『ディー』って呼ぶわね」


 言われたディーは、コクコクと何度も頷いた。


(ディー……『月の女神ディアナ』みたいね)


 そう思った。




 声を掛けた事がきっかけとなり、夢の中で、お互いを認識し合うことができた。


 そして、シルヴィーの名前が『ディー』だと知った私は、翌晩の夢で、ディーと会える事を、心待ちにしていた。


「今晩も、ディーと会えますように」


 ベッドに入る前に祈ったのに、この夜は、夢を見なかった。


 翌朝の私は、とても悲しく寂しい気持ちで目覚めた。


 今までの間に、夢は毎晩の『第二の生活』となっていた。なのに、毎晩会っていた人に、なんの予告も無しに、会えなかったのだ。


(どうしたのかしら? 何があったのかしら?)


 それだけを考えて、一日を過ごした私は、その晩、前日とは比べものにならないくらい、熱心に、


「ディーに会いたい」


 と願って眠ったけど、やはり、眠りの中に夢は無かった。


「また会えなかった……」


 朝、目が覚めた瞬間、私はそう呟いた。悲しくて、涙が零れてくる。


 そしてその夜もーーーー


 目覚めた私は、悪夢から覚めた人のように、ベッドの上で弾かれるように身を起こした。


 強い悲しみが私を支配する。


 号泣したい、号泣の直前であると、私は思った。




 朝の祈りを終えると、私は、修道院の院長様に面会を望んだ。


「どうしましたか?」


 優しい笑顔で問われ、私は泣きたくなる自分を堪えて言った。


「夢で会っていた方と、会えなくしまって……つらいんです」


「会えなくなって?」


「……はい」


「そのお話、よく聞かせてもらって良いかしら?」


「……はい」


 院長様は、ベルを鳴らした。


 顔を出した院長室付けの手伝いの者に、


「書記官を、大至急」


 と言った。


 書記が現れるまでの少しの間にも、


(今、泣き始めてしまったら、泣き止む事が出来なくなる……)


 私は、必死に涙を堪えていた。


 幸いにも、書記官はすぐに現れた。


 記録用紙を広げた書記官と院長様が頷きあった。それから、院長様は私の真正面に座った。


「ソフィー、一番最初から話してちょうだい。前に聞いた事と同じ事を話してもいいから、最初からね」


 院長様が言うので、私は、一番最初の『出会いの夢』の事から話し始めた。


 一番最初の『出会いの夢』の後での院長様の質問には、尋ねられた事だけを正直に答えたけど、他にも色々とあった事。


 色々とは、七人の人を夢の中で見たけれど、その中の一人だけ、女の子がいた事。


 そして私は、その女の子と、毎日夢で会っていた顛末を話した。


 言葉を交わした事も、会えなくなって三日経った事も。


「そうですね……」


 院長様は、私が秘密にしていた事にも、叱る事なく、話を聞いてくれた。


「やはり、言葉を交わした事で、お互いの姿を認める事になった……この事が原因でしょう」


 それを聞き、私は、落胆の溜息を吐いた。


「やはり、声を出してはいけなかったのでしょうか?」


「そうね、ソフィー。ちょっと待ってね」


 院長様は、隣室へとつながる扉をくぐり抜け、立派な皮表紙の厚い本を持ってきた。


「導きの書に『出会いの夢』での、共通の約束事が書いてあるのよ」


 そうして開いた部分を読み上げた。



・聖女が夢で見る『出会いの夢』の中では、聖女から声を掛けられるまでは、花婿候補は、聖女の姿を認める事が出来ない。



・声を掛けて、お互いを認め合ったなら、その時を一度目として、声を掛けた相手と二人きりで会えるのは、三度まで。



・声を掛けた後では、月の導きがなくては会えない



 など、他にも幾つかの事を。


「そうね、ソフィー。声を掛けて、お互いの姿を認め合ったのだから、次の『月の導きの夜』にならないと、会えないのだと思いますよ」


「月の導き……ですか?」


「そう。月が形を変える節目の時、満月、上下弦の二つの半月、新月、この四つが『導きの夜』であり『出会いの夢』が訪れる夜であると、記してあるわね」


「じゃあ、次の『月の節目』の夜に見る夢で、会えるのでしょうか?」


 一筋の希望を得た私は、院長様に尋ねた。


「そうね、きっと。会える事を願っていますよ、ソフィー」


 院長様の声に、私は頷いた。


 満月の夜は三日後。


(もうすぐ! もうすぐ会える!)


 私は、ずっとディーだけを思い浮かべていた。

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