【21】 ノア様の来訪
少し長めになっています。
ノア様は抱えていた二つの花束を、一束ずつ贈ってくれた。
マリエルには、小ぶりな花弁をもつピンク色と薄い黄色の薔薇の花束。
「ありがとうございます」
花束を受け取って微笑んだマリエル。
ピンクブロンドのふんわり髪に、二色の薔薇の色がよく映える。
マリエルはちらりと視線を寄越した。
花が苦手なのを心配をしてくれたみたい。
大丈夫と肯く。
深い赤色の薔薇の花束はわたしへ。
ノア様はわたしに花束を渡すことなく、部屋の外に控えていたメイドを呼んでそのまま渡した。
マリエルの分も渡して、水に挿しておいてもらう。
そういえば……。
花束を贈ってくれるけど。
いつからかわたしではなく、メイドに手渡すようになっていた。
花粉にアレルギーがあることを、わかってくれたのかな?
「あの、ノア様。よろしかったら……ご一緒にいかがですか? マリエルのお土産もありますし」
椅子を勧めると、「では少しだけ」と優雅な身のこなしでマリエルの隣の席に着く。
「よかったら、こちらをどうぞ」
にこにことした営業用スマイルを放ったマリエルは、個別に包装されている、クッキーとケーキをノア様の前に差し出した。
「ありがとうございます」
ノア様も麗しの微笑みを浮かべる。それから、切り出した。
「実は。本日は、明日の舞踏会についてのことでうかがいました」
「はい」
「セオドア殿下ですが、明日は公務の関係で、ルナ様のエスコート役を務めることができません。そのことをお伝えしに参りました」
……うん。
思ったより大丈夫だった。
想定してたことだから。
会場でそれを知らされるより、ノア様に託してくれたことに誠意を感じるし。
「承知しました」
表情を変えずに答えることができたと思う。
「明日は私も会場の警備を担当しておりまして、セオドア殿下の代理として、ルナ様のエスコート役を務めることができません。申し訳ございません」
深々と頭を下げたノア様の艶々しい黒髪は、するりと胸元にかかる。さらさらと流れる音が聞こえてくるのではないか。そう思うほどに滑らかだ。
「ノア様、お顔を上げてください。お仕事ですもの。お気になさらないでください。わたしなら、大丈夫です」
仕事なんだから、ノア様が謝る必要はない。
「近衛護衛騎士団から、非番の者をルナさまのエスコート役に付けるようにセオドア殿下から申し付かっております。私のほうで、推薦させていただきたいのですが……」
「いいえ。お気持ちだけで十分です。エスコート役は必要ありません」
もともと、必ずしもエスコート役が必要なわけではない。婚約者がいればエスコート役は婚約者が務める。だけど、いなければいないで特に問題はない。
それに、いきなり知らない人と引き合わされても、お互いに気を使うだけ。ただでさえ疲れる舞踏会になるはずなんだから、これ以上の心理的負担はいらないよ。
「ですが……」
小首をかしげて戸惑うノア様。
「本当に、必要ありません」
そう答えて、ふとマリエルの視線の先を追う。
じっと穴が開くほどにノア様を見つめていた。
ん?
どうしたのかな? ようやく今頃、ノア様に興味を持ったとか?
いや、でも、マリエルだし……。
それに、あからさまに見すぎだって。
軽く咳払いをしてみるも、マリエルはノア様を見つめたままだった。
視線を落としたあと、しばらくなにかを考えていたようなノア様は、再び青い瞳を上げた。
真剣な眼差しを向ける。
「……そうですか。しかし、我々はいつでもルナ様をお護りしておりますことを、覚えておいてください」
出た! 「我々」。
ノア様以外、未だに見たことはないんだけど。
「ありがとうございます。心強いです」
微笑んで、そう返事はしたものの。
近衛護衛騎士団と王立騎士団とで、がっちりと舞踏会の会場である王宮の警備を固めているはず。そうそう、そんな場でなにかは起こらないよね。
ノア様は肯くと、今度はマリエルに青い瞳を移す。
マリエルが穴の開くほど見つめているのを知ってか、知らずか。涼しい表情で穏やかに尋ねた。
「マリエル様、明日はどなたか貴女をエスコートされるお方は、いらっしゃいますか?」
「エスコートは兄がしてくれます」
満足そうに肯くノア様。
「そうですか。それでは、兄上様とともに、ルナ様をどうぞよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げたノア様を、マリエルは神妙に、まだじっと見つめたまま答える。
「……はい。もちろんです」
顔を上げたノア様は、青い瞳を細めて微笑んだ。
▲▽▲▽▲
ノア様が王宮にもどるときに、マリエルは「ぜひ騎士団の皆さんにお渡しくださいね」と手土産を持たせていた。
なにを渡したのかと訊くと、薔薇の花弁のジャムだそう。
「騎士様たちがご家族に渡してくれれば、次は絶対に買ってくれるわ。だって自信作だもの」
うん。さすが商売上手。
見込み客は逃がさない。
クロス男爵領はマリエルとオーギュスト様がいれば安泰だね。
「ところでルナ。ノア様が来る前に、なにか言おうとしてなかった?」
甘いクッキーに齧りついたあとは、ほんのりとした塩味のいろいろな種が入ったケーキを頬ばっている。
その食欲で、よくもそんなにほっそりとした体形が維持できるものだ。羨ましいという話を以前にしたところ、普段は商品開発のために、ものすごく頭を使ってエネルギーを消費しているからね、と言っていた。
「うん。あのね、マリエル。落ち着いて聴いてね……」
そこで、すうっと息を深く吸い込んでから吐き出す。
わたしのほうが少し落ち着きたい。
「ええとね。もしかしたら、明日の舞踏会でテオ殿下……セオドア殿下は、わたしとの婚約をなかったことにするかもしれないの」
「……え?」
マリエルのケーキを突いていたフォークが止まった。
「それって……流行りの婚約破棄宣言っていうこと?」
はっきりとした二重瞼の大きな緑色の瞳が、さらに大きく見開かれる。
「ううん、それとは違う。セオドア殿下はなにも悪くないの」
「……ルナ。どういうこと?」
「あのね……」
湖でのことを話した。
わたしがノア様に憧れていたことを、セオドア殿下は気がついていたこと。
それ以来、セオドア殿下には会えていないこと。ノア様が子爵邸に遣わされていること。
それでも公爵夫人教育は続けられていること。
なぜノア様が子爵邸に遣わされているのかを訊いてみたら、「セオドア殿下の大切なルナ様のことを、くれぐれも大事無きようにと頼まれておりますので」という謎の言葉を返されたこと。
マリエルは眉間にしわを寄せて腕を組み、なにやら難しい顔で考え込んで聴いていた。
それからやがて、ふっと表情を崩す。
「ルナは昔から、ノア様みたいな容姿の人に弱いよね」
仕方がないなぁと笑った。
「うう……」
そう面と向かって言われると面目ないというか、なんというか……。
だってドキドキしちゃったんだもん。トキメいちゃったんだもん。
学院時代にはさんざん理想のタイプの話で盛り上がっていたから、マリエルはなにを言わなくても解ってくれる。
「ううん……。なんとも言えないけど。ノア様の言葉もよく解んないし。さっきだってルナのエスコート役に誰かつけるように、セオドア殿下が仰ったって……。それに我々がいつでも護るとか。わたしとお兄様にルナのことくれぐれも頼むとか……。あれかな? クリスタのことを警戒してるのかな?」
「クリスタは……なんとなく、違う気がする」
箝口令を敷かれた上の厳重注意だからね。
もうわたしには、そうそうちょっかいをかけないと思うんだけど。
「でもね……婚約を白紙に戻したい相手に、そこまで気を遣うかな?」
「セオドア殿下はとても優しい人だから」
「……そうなの?」
「うん」
「セオドア殿下のことは全然知らないけど、ルナがそう言うのなら、きっと優しい人なんだね」
マリエルがにこりと笑った。
「解らないんだから、考えてもしょうがないよ。明日、そうなったらそうなったときに一緒に考えよう。大丈夫! わたしもお兄様もルナについてるから。破棄されるとなるとアレだけど、いざとなればお兄様と結婚すればいいし! そうすればわたしたち姉妹になれるよ? ね? いい考えじゃない?」
そう言って、また甘いクッキーを口に放り込む。
慰めてくれてありがとう、マリエル。
金髪碧眼美人さんのことはまだ話せないけど、憂鬱な気持ちが少し晴れた気がする。
ああそうだ。さっき……。
「ねぇ、マリエル。ノア様のこと……気に入ったの?」
「なんのこと?」
訳がわからないというように、ぽかんとしている。
「さっきノア様のこと、すごい見てたでしょ?」
「……ああ! あれね!」
そう言って笑い出した。
「違うよ~。髪の毛が艶々だったから、どんなお手入れしてるのかな? と思って。香油ならうちの領の材料で作れないかな? とか考えてたの。やっぱり訊けばよかった。明日会えたら、なにを使ってるのか訊いてみる」
……。
そうだよね、マリエル。貴女はやっぱり、マリエルだった。




