【01】 突然、婚約宣言 1
「ルナ・フィリップス子爵令嬢、この場で貴女との婚約を宣言する!」
目の前で筋骨隆々のマッチョ王子様が声を張り上げた。
狭くはない会場に、いや、むしろ我が子爵家のホールと比べたら水たまりと大海原くらいの差があるリンク侯爵家の大ホール。
比べること自体がおこがましい、豪華絢爛にキンキラキラリンと飾り付けられたその会場に、野太い大きな声が響き渡った。
今の今まで、楽団の演奏する優雅な楽曲でダンスを楽しんでいた人々。
色とりどりのカクテル・グラスを交わしながら、談笑をしていた人々。
そんな陽気な喧噪に包まれていた会場だったが、一瞬にしてしんと静まり返る。
楽団の指揮者の白い指揮棒も、その指揮棒に合わせて麗しい音色を奏でていた演奏者の手も、そのリズムに合わせて華麗にステップを踏んでいた足も、カクテル・グラスを上品に口元に運ぶ手も、すべてが止まってしまった。
婚約を宣言したマッチョ王子様と宣言されたわたしに、会場の皆の視線が集まっている。
マッチョ王子様は……正確にはセオドア・サリファ第三王子殿下は、堂々と真っ直ぐに、だけど緊張を含んだ灰色の瞳でわたしを見つめている。
ええと……?
どういうこと?
頭の中には「?」マークが大量に飛びかっている。
だけど。
そんな理解できない状況だけど。
一番に考えてしまったことは。
んんん?
宣言をするのは「婚約破棄」が定番じゃないの?
これである。
なぜそう考えたかには訳がある。
だって。
最近では近隣諸国の王子様や公子様、高位貴族の方々の間で婚約破棄宣言が流行っているのだ。
もはや社会現象と言っても過言ではないくらいに。
皆様は学院の卒業パーティーや、どなたが主催の夜会でもお構いなしに張りきられて、はきはきはきはきと婚約破棄宣言をしていらっしゃる。
むろんこの国……サリファ王国も例外ではなかった。
先日の夜会では国の三大公爵家の一つ、クラウド公爵家の公子様が、同じく三大公爵家の一つ、ウィンズ公爵家の幼馴染であり、婚約者の公女様に婚約破棄宣言を突きつけた。
ひと騒動どころか大騒動になってしまったのだ。
ほとんどの場合は婚約破棄宣言をした側が、新しい婚約者と称する者と取り巻き連中と一緒に、婚約破棄の正当性を示すために(元)婚約者に罪を被せる断罪劇を開幕する。
すると、あら不思議。
あっという間に卒業パーティーや夜会の会場は、どこからか重厚な音楽が聞こえてくるような気がするサスペンスな劇場に早変わり。
観劇者になってしまった者たちが「それ、ここで上演しなくても……」と、口元を扇子で隠したり、ひそひそとした囁き声が漏れ聞こえる中で、(元)婚約者がいろいろな罪状を捲し立てられ吊るし上げられていく。
しかし……。
なんやかんやともめた挙句に、結局のところは(元)婚約者の無実が証明されるのだ。
故に婚約破棄宣言側は、偽証や名誉毀損などの罪状で信用も地位も失くす。そして、その騒動の責任を取ることになり、追放されるか廃嫡されるかして騒動に幕を降ろされている。
件の公子様も例外ではなかった。
それにもかかわらず、なぜかこの婚約破棄宣言ムーブは、まだまだ収まる兆しを見せてはいないのだ。
……はっ!
今一瞬、現実から逃避してしまった。
そんなことを考えている場合じゃない。
問題は目の前のマッチョ王子様だ。
えーと。
このマッチョ王子様、一体なにを言い出した?
婚約宣言?
わたし、婚約破棄を聞き間違えちゃったのかな?
いや……だけど、そもそも。
わたしとマッチョ王子様は婚約もなにもしていないんだから、そりゃ破棄のしようもない。
えーと。
やっぱり婚約宣言だよね?
だけどお父様も、マッチョ王子様からの婚約の打診は何回もお断りしてくれていたはずだよね?
弱小子爵家と王家の第三王子様とは家格が釣り合いませんからって。
あれえ?
解ってなかったのかな?
マッチョ王子様、もしかして脳みそまで筋肉?
これ……どうしたらいいの?
衆人環視の中で婚約宣言なんかされたら、お断りなんかできないよね?
だって相手は王家の第三とはいえ王子様。
この場で子爵家の娘ごときが王子様の婚約宣言をお断りなんかしようものなら、サリファ王家や第三王子様の面目も丸潰れ。
大恥をかかせてしまうことになる。
そんなことをしたら……吹けば飛ぶようなうちの子爵家なんて、下手をしたら取り潰されかねない。
……うん。確実に飛ばされる。
読んでいただいて、ありがとうございます!