【85】※ cuento (昔話 ) ※
「……ただいま…戻りました。」
伯父の家に到着し、私は元気なく挨拶をした。
出迎えてくれたのは祖母だった。伯父はまだ帰宅していないようだ。
「…おかえりなさい。随分疲れた顔をしているね。」
「……うん。伯父上に迷惑をかける事を、またしてしまったかもしれない。」
「……ともかく座りなさい。」
「……うん。」
それきり暫く会話はなくなった。
ふと目を上げると、祖母は優しく微笑みながら、私の顔を見つめている。
「何も聞かないの?」
「そうだね……。お前の事だから、何となく私にはわかる気がするよ。
ソノラ州に行ったんだろう?」
「…うん…。」
「……少し昔話をしようか?」
「昔話?」
「元はアパッチ族の私が、何故お前の祖母になったのか…知らないだろう?」
今迄考えた事もなかったが、言われてみれば確かに…。
祖父はスペインの血筋だった。
混血は進んでいるが、スペイン人と婚姻するのは、主にアパッチ族以外の先住民だ。
「うん、聞かせて。」
祖母は少し遠くを見るような眼差しで語り出した。
「私の一族は小さな集団でね、毎日何もないような荒野を食糧を求めて移動していた。
私が15歳の夏、たまたま国境近くで、メキシコの軍隊と鉢合わせしてしまった。案の定、一族は5名の若い女を残し、老人も男も子どもも殺されてしまった。」
「……そんな事が……。」
エル・ニーニョの姿が脳裏に浮かんだ。
「一族の弔いもする事は許されず、私達は鎖で繋がれ、3名の兵士に引き立てられ、メキシコ国内へ向かった。」
……鎖?…で繋がれ…る?……
心の奥がその言葉に反応し、何かを思い出せそうで思い出せない、そんな落ち着かない気分になった。
「……アパッチ族の弔いって?……持ち物を燃やすの?」
「そうだね。アパッチは自然とともに生き、自然へと還る。
生前の持ち物は燃やし、自然へ還す。
……何故そう思ったんだい?」
ゴヤスレイが、遺品を焼いていた姿が思い返された。
彼は、怒りと憎しみを凝縮させた悪魔のような形相をしていた。
だが、それだけではなかったと思う。
どうしようもない哀しみ、苦しみ、が彼の瞳に映っていたように、私には感じられた。
「…ミンブレス・アパッチの集落に行った時、血だらけのアパッチが一人、焚き火に色々な物を焼べていた。」
「……そうだったんだね。」
「彼はこれからどうするんだろう?……まさか自ら命を……。」
心配そうに言いかけた私の言葉を遮るように、祖母が言葉を発した。
「そんな事はしないよ。
いくら哀しくても、憤っていても、アパッチならば、絶望の果てでも自ら命を絶ったりはしない。
それは自然に還れない行いだ。」
「自然に還れない……のか…。」
「人間も自然の一部だから、自然の理の中で生かされている。生かされているのに、自ら命を捨てる事は、理に反しているんだよ。その魂はもう自然に還れない。」
「……アパッチは、哲学的な考え方なんだね。」
「哲学的?……難しい事はわからないけど、私達はそういう教えの元で育ったからね。」
「そうか。……話の腰を折ってごめん。続きを聞かせて。」
「いいんだよ。お前がアパッチに興味を持ってくれる事は、嬉しいし。」
祖母は本当に嬉しそうに微笑んだ。それから再び昔を思い出す為なのか、遠くを見るような仕草で語り出した。
「私達は、メキシコの奴隷市場で売られる筈だった。」
「奴隷市場だって!?」
「公にはされていないようだけど、非合法の人身売買組織があるらしいね。
『男は危険だから殺す。子どもは売り物になる迄に金がかかるから殺す。若い女は高く売れるから、抵抗しなければ殺さない。』とアサバスカ語で話す兵士が言っていたね。」
「そんな所が今でもあるの!?」
「今はどうなのか、わからない。当時も行政がしっかりしていた所では、市場は開かれていなかったそうだよ。」
「……そんな……。」
「女は主に売春宿に売られる……そう言われたけど、当時の私には何の事だかわからなかった。
兵士達は、国境前の小さな森に入り、何故か私達の鎖を外した。そして服を脱げと言った。」
「!!」
「私達が躊躇っていると、兵士が私の隣にいた姉さんの顔を殴り、服を剣で切り裂いたと思った。……でも服だけではなく…身体も切られていたんだね。」
「………。」
私は怒りで震えた。祖母になんと声をかけていいのか、わからなかった。
「姉は血だらけになって倒れた。見せしめに殺されたんだろう。
一人の兵士は、笑いながら『勿体ない事をする。俺達の玩具が一つ減ったし、金も減った。』と言った。
私は姉に縋って泣いた。……でも他の3人は、恐怖に駆られて逃げ出したんだよ。」
「……お祖母ちゃん…辛いなら…もういいよ……。」
私の声は怒りで震えていた。
「大丈夫だよ。」
祖母はそう言ったが、握りしめた手が微かに震えている。
「一人の兵士が私を姉の亡き骸から引き離し、拘束した。
他の兵士達は笑いながら、逃げ惑う女性達に向けて発砲していた。」
……許せない!……
私の震えは更に強くなっていた。
「拘束していた兵士が私に言った。『抵抗しなければ殺さないと言っただろう。お前も死にたくなければ俺達の言う事をきけ。』と。
銃声も悲鳴も止んで辺りは静かになった。
茫然としている私を、薄笑いを浮かべた3人の兵士が取り囲んだ。彼らは、笑いながら、私にはわからない言葉で何かを話していた。
拘束していた兵士が『お前には、死んだ女達の分迄、たっぷり奉仕してもらうからな。』そう言って、私を押し倒した。」
「……許せないっ!!」
怒鳴って唐突に立ち上がった私を、祖母が驚いたように見上げた。
「そいつらこそ『害獣』じゃないかっ!!」
……カラスコが言っていた『害獣』はアパッチではなく、メキシコ人の方じゃないか!……
「……落ち着きなさい。もう昔の話だよ。」
祖母に宥められて、私は座った。
「……そいつらは……やっぱりスペイン系だったの?」
「違うね。彼らは…私達の古い兄弟達…マヤの子孫だろうね。」
「……カラスコと同族かっ!」
「同族で括るのはよしなさい。
暮らしてきた環境で、人間は変わると思うよ。
国家が、アパッチを排除すべき民族と教育してきたなら、メキシコ人となったかつての兄弟は、アパッチを悪として滅ぼそうと動く者も多いだろうね。
同じアパッチでも、一枚岩ではないよ。古くからの教えを守り、自給自足で生活している部族や、祖先の土地を奪われたとして、略奪を繰り返す部族もある。部族によって言葉が違ったりもするし、部族同士で殺し合うような争いもある。
それに、物事は感情だけで判断しない方がいい。……お前はミンブレス・アパッチに恩義と同情を感じているのだろうけど……。
国家の言う事や周りの言葉を盲信せず、感情的にならず、様々な経験をして、色々な角度から考えてみなさい。
お前は、自分の頭で考えられる子だと私は思っているよ。」
祖母の言葉は私の心に響いた。そして怒りの気持ちは治まっていた。
「うん、ありがとう。お祖母ちゃん。」
祖母は微笑んで言った。
「話を続けようかね。」
「……うん。」
「その時、馬の走る音が聞こえた。私を抑える兵士達の手が弛み、頭を上げて見ると…国境の方から騎馬隊がやってくるのが見えた。
私はもう、すぐに姉と同じように殺されると思ったよ。逃げだそうと思ったけど、体が竦んで立てなかった。
でも、その軍隊が来ると、姉達を殺した兵士達は、慌てていた。
騎兵達は下馬し、一人の騎兵が険しい顔をして、兵士達に何かを言っている。
驚いた事に、騎兵達は兵士達を縛りあげ、数騎で国境の方に連行して行った。
残った騎兵達は、姉や同胞の女性達の遺体を集めていた。
その様子を茫然と眺めていた私に、一人の騎兵が近づいてきた。
思わず身を屈めると、彼はアサバスカ語で「大丈夫か?」と私に言葉をかけた。
私は「……はい。」とだけ答えた。
彼はニコリと微笑み、「少し待っていて。」と言うと、騎兵達の方に行き、暫く何か話をしているようだった。
戻ってきた彼は「あなたの同胞達の遺体は、責任をもってこの森に葬る。
良ければ、一緒にメキシコに行こう。私はアサバスカ語がわかる。私の家で働かないか?」と言った。
たった一人になってしまった私には、その先どんな事が待ち受けていようとも、他に選択肢はなかった。
「……行きます……。」そう返事をした。
そして、私は彼の家で下働きをする事になったんだよ。」
「それで…メキシコに来たんだね。」
「そうだね。最初は本当にメキシコが、メキシコ人が恐ろしかった。
でも彼や彼の家族は、とても親切で、仕事の合間にメキシコ語や勉強を教えてくれたり、休日には遊びに連れて行ってくれたり、私も段々とメキシコでの暮らしに馴染んでいった。」
「その彼が、もしかしてお祖父ちゃんなの?」
「違うよ。彼はお前のひいお祖父ちゃんだよ。」
「じゃ、お祖父ちゃんは彼の息子なんだね。」
「そうだね。最初に会った時はまだ子どもで、私が仕事をしているとよく邪魔してきたね。」
「子ども?」
「私より3つ下だったから、12歳だったよ。悪戯っ子だったけど、一緒に勉強したり、メキシコ語を教えてくれたり、街を案内してくれたり……優しかったね。」
そう言うと祖母は、懐かしむように暫く目を瞑った。
祖父は私の記憶にはいない。物心つく前に亡くなったからだ。
「……お前はお祖父ちゃんに似ているかもしれないね。優しくて…破天荒だった。」
「破天荒?…まぁ、私はどちらかといえば問題児だ。メキシコに来てから、伯父上に迷惑をかけている。」
私が溜息交じりに言うと、祖母は笑って言った。
「フフッ、大丈夫だよ。あの子もお前と同じ…正義感が強いから、多分迷惑なんて思わないだろうね。」
「だと良いんだけど…ね。お祖父ちゃんも問題児だったの?」
「お祖父ちゃんも正義感が強かったから…街で使用人に暴力を振るっていた金持ちを殴って問題になった事もあった。
……それに成人してから、下働きの私に、突然プロポーズして、家族を驚かせたんだよ。」
「……反対されたの?」
「いや……皆驚いたけど、反対はされなかったね。ただ、お祖父ちゃんは学生だったから、まだ早いって言われていたよ。」
「そうか。お祖母ちゃんはどうだったの?」
「私は、正直ビックリしたよ。主人の子息とはいえ、弟みたいに思っていたし、私はアパッチ出身で使用人だったから。
そう言って、断ったけど「立場とか人種を理由にするな!僕は、一人の女性としてきみを愛しているんだ。僕の事も一人の男性として見てくれ!」って少し怒っていたね。私はその言葉がとても嬉しかった。
結局、お祖父ちゃんが就職してから結婚したんだけど、とても幸せだったよ。
メキシコに来る迄は、メキシコは恐ろしい人達ばかりだと思っていたけど、そんな事はなかった。
同じ国だから、同じ民族だから、そこにいる全ての人が善とか悪とかなんて事はない。
あの絶望から救い出してくれて、語学も勉強も仕事も幸せも与えてくれた、お前のひいお祖父ちゃんには感謝しかないよ。」
「そうか…。お祖母ちゃんがそう思ってくれるなら、私も嬉しい。」
祖母は微笑んで頷いた。
【あとがき雑学】
※理 : ことわり
(意味):
『物事の道理、条理、筋道』
・仏教においては、現実世界をどのように認識するかということがもっとも大切なことであり、その現実を現実のままに認識することを『事』と言い、それを理論づけたり言葉に乗せることを『理』と言う。
※破天荒 : はてんこう
(意味):
『今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと』
『前人未到の境地を切り開くこと』
・故事成語の一つ。
・『豪快で大胆な様子』という意味に誤解、誤用される事が多い。
(由来):
中国の唐代、荊州(現在の湖北省)から100年も科挙(官吏登用試験)の合格者が出ず、世の人はこの状況を「天荒(未開の地)」と称した。やがて劉蛻という人物が荊州から初めて科挙に合格すると、人々は「天荒を破った」と言った故事に由来する。




