【69】※ ⑨fugitive(逃亡者) ※
自宅に戻り、小説の資料や細々した備品等を処分した。
もし今日爵位が戻れば、すぐに隣国へ行くつもりだ。
……早く新しい拠点を確保したい……
ゴミ置き場で、左手を見ながら深く溜息をついた時に声をかけられた。
「ユーゴ・リーブル様ですね?」
「はい。そうですが……。」
「失礼致しました。私は西方の国バーリアの者で、ソーレと申します。」
口髭を蓄えた、品の良い紳士は、胸元から名刺を出し渡して来た。
「バーリアの…出版社の方ですか?」
「はい。左様でございます。
先程リアム出版社を訪ねましたが、昨日連載休止を告げられたとの事。
そこで勝手ながら、ご住所を伺い訪問させて頂いたのです。」
……そういえば、あの月刊誌は他国でも発売していると聞いたな……
「……そうですか。実は、ご覧の通り、ここを引き払い、暫く旅に出たいと思っていたので、連載休止を申し入れた次第です。」
「旅ですか?……しかし、何故溜息など…何かお困り事でも?」」
「はい、この国では無い何処かの国へ行きたいと思いまして。ですが、私は平民ですので。
特別な用事がある訳でもなく、なかなか国外への転出の許可が出ず、困っております。」
「特に行きたい国がある、という訳ではないのですね?」
「はい。出来れば遠い国へ。」
「……でしたら、私にお任せ頂けませんか?」
「お任せする……?」
「はい。私、こう見えましても一応バーリアの貴族でございます。
貴国に掛け合えば、本日中に出国許可は出ると思います。」
……貴族…あまり関わり合いにはなりたくないが……
「ありがたいお話ですが、そこまでして頂いても、お返し出来る物がありません。」
「いえ、我が国で新しい空想小説を書いて頂ければ充分でございます。」
「それだけでよろしいのですか?」
「はい。そもそも、私がこの国を訪れた目的は、新しい小説を執筆して頂きたいと、ユーゴ様に直接交渉しに参ったからです。
我が国でも『Si』は大人気です。貴族も平民も連載を楽しみにしています。
連載休止になるのは残念ですが、我が国で新しい小説を書いて頂ければ、皆喜ぶと思います。」
「貴族…も……?」
「はい、我が国では貴族と平民の間に何も隔たりはありません。
私も普通に会社勤めをしておりますし、妻は元平民です。」
「夢のような国ですね。……是非行ってみたいです。」
「フフッ、失礼ながらブルージェ王国は、時代遅れの身分制度が絶対の国ですからね。貴族と平民の街も隔絶されていますし。
では、決まりですね。朗報をお待ちください。」
……突然現れたソーレ氏。半信半疑だが、本当にそうなるなら、なんと幸運な事か……
私は家を片付けながら、ソーレ氏の朗報を待った。
昼過ぎ、家のドアが叩かれた。
「はい。」
期待に胸の鼓動が速くなる。
ドアを開けると、そこにいたのはクレール嬢の執事だった。
「ユーゴ様、正式に爵位が戻る事が決定致しました。
つきましては明日、侯爵家にて爵位返還、並びに侯爵位授与と婚姻の儀を執り行いたいと思います。」
「それは、早急な事ですね。大変ありがたい事ですが、まだこちらの片付けが……。」
「片付けに関しましては、後日当家より召使いを派遣致しますので必要ございません。
明朝、お迎えに上がりますので、ユーゴ様はそれ迄に他のご用事を済まされますよう、お願い申し上げます。」
「はい、承知致しました。」
「では失礼致します。」
「はい。ありがとうございました。」
ドアを閉めてから、頭を抱え、深く溜息をついた。
……なんて事だ。侯爵邸で爵位が戻っても意味がない。更にすぐに婚姻とは…まさか!もうリラ嬢の出奔が露呈したのか?……
コン、コン……ドアをノックする音が聞こえる。
執事が戻ってきたのだろうか?
「はい。」
私は努めて明るく返答をした。
ドアを開けると、そこにはソーレ氏が立っていた。
「ユーゴ様、大きな溜息が外迄聞こえました。気をつけられねば、相手に気取られます。」
私は心底ドキッとした。
「……そうですね。気をつけます。」
「失礼ながら、盗み聞き…コホンッ、いえ、たまたま聞いておりました。
御事情はよくわかりました。」
「……そうですか。ともかくお上がり下さい。」
私は力なくソーレ氏を部屋に招き入れ、紅茶を入れて出した。
「それで……どこ迄ご存知なのでしょうか?」
「まず、ユーゴ様は平民ではなく、男爵家のご子息である事。
2年前、妃候補の方とのスキャンダルで、爵位を剥奪された事。
そして侯爵令嬢がユーゴ様にご執心で、そのスキャンダルの元である事。」
「……よくご存知ですね…。」
「はい、閉鎖された貴族社会では、噂話が飛び交っていますから。」
「……申し訳ありません。私はソーレ様に嘘をつきました。」
「いえ、構いません。少なくとも遠い国に行きたい、という言葉に嘘はないのですから……。」
ソーレ氏は紅茶を一口飲み、言葉を続けた。
「そして、今、貴族社会は大変な騒ぎです。」
「えっ!?」
「妃候補の失踪……その反応は、やはりユーゴ様が関わっておられる。」
「…………。」
「大丈夫です。すぐに出国の準備をいたしましょう。
平民の聖印は教会で得られます。許可証はもう貰ってきました。平民『ユーゴ・リーブル』として。」
「……ソーレ様は、何を考えておられるのですか?
私が、国家反逆の罪人と知りながら、逃がすと仰る。」
「想い合う2人が、身分の違いで引き離され、家の為、望まぬ相手と婚姻を結ばされる。
この理不尽な現実を打破し、愛を貫こうとしただけで国家反逆の罪人ですか……馬鹿馬鹿しい話ですね。」
「……それがこの国の現実です。」
「失礼ながら、私はこの状況が嬉しくて仕方ないのです。」
「……嬉しい!?」
怒りを抑えたつもりだったが、相手には伝わったようだ。
「そんなに怖い顔をなさらないで下さい。」
「すみません……。」
「私はソーレ、母国の言葉で『太陽』を意味します。
大丈夫です、クレール・ド・リュンヌ『月の光』の光には負けません。」
「……すみません、何を仰っているのか、意味がわかりません。……」
「失礼致しました。私の国は皆、陽気でロマンチシストなのです。
私が嬉しい…と申し上げたのは、私がお力になれると確信したからです。
ユーゴ様の実体験がそのまま小説の題材になると、確信したからです。
ユーゴ様程の才能を、本人が望みもしない侯爵家に埋もれさせるのは忍びない。
勿論、お相手の方も一緒にお連れします。
我が国に行けば、身柄の安全はお約束致します。
私を信じて頂けませんか?」
「本当ですか!?」
信じるも何も、こうなった以上、それしか悲劇を回避する道はなさそうだった。
「それでは早速、教会へ参りましょう。」
私は教会で、ようやく聖印を手に入れた。
「お相手の方は、勿論聖印をお持ちですね?」
「はい。」
「では、その方をお連れ下さい。馬車を走らせる準備は整っています。」
「すぐに戻ります。」
私は自宅に戻り、固有魔法を使い、別荘に転移した。
その場で転移してもよかったが、まだソーレ氏を信じ切ってはいない。
最終手段は見せない方が得策だと思ったからだ。
「ライラック?」
呼びかけたが返事がない。
……まさか!?……
「…ユーキ?……」
「どこですか?」
「……ここです。」
彼女は玄関の近くに座りこみ、傍らには『Si』の本が落ちていた。
「何故そんな所で……。」
「……王国の騎士が…来ました。」
「!!…ともかく、一刻も早くここを出ましょう!」
……もうこの場所は安全ではない。
だが、何故彼女は連れ去られなかったのだろう?……
疑問はあるが、ともかく急がねばならない。
彼女の手を引いたが、脱力しているのか、立ち上がれないようだ。
身体を抱き上げ、転移魔法の詠唱をした。
自宅に戻り、彼女の顔が見られないよう、布を頭から被せた。
何があったのか、まだ震えている彼女から話を聞いた。
突然、1人の騎士が窓を破り、入ってきたという。
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「リラ・ルグラン様ですね。」
「いいえ、違います!」
「無駄でございます。私は辺境伯令嬢様のお顔を存じ上げております。」
「……………。」
「ユーゴ・マテューは何処にいますか?」
「知りません!わたくしは1人で逃げてきたのです!」
「ユーゴ・マテューを庇うのですね?」
「……ユーゴ様には、最近お会いした事もございません!
……わたくしを捕まえなさい!もう覚悟は出来ております!」
「……そうですか。」
騎士が動いた。
「!!」
……やはり『万が一』は、ありました。でもわたくしは幸せでした。ユーゴ様、せめてもう一度お会いしたかった……
「これを、ユーゴ・マテューにお渡しください。」
「!?」
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そのまま騎士は帰っていったという。
彼女の手には封書が握られていた。
……まさか?……
【あとがき雑学】
ロマンチシスト
《romanticist》から転じて、ロマンチストが一般的に使用されています。
①ロマン主義を信奉する人。ロマン主義者。
(ロマン主義とは、18世紀末〜19世紀前半にかけてヨーロッパで広がった芸術運動を指します。従来の古典主義・合理主義に抗い、感情と個性、自由を尊重する芸術の事です。
日本では、明治中期の文学運動をロマン主義という事もあるようです。)
②甘美な空想などを好む人。夢想家。空想家。
対義語として、現実を真正面から見据えて考え、行動する人「リアリスト」という言葉があります。




