【68】※ ⑧moment heureux(幸せな時間) ※
寝室に案内した。
もう夜も遅い。彼女も心身ともに疲れている事だろう。
「粗末なベッドなので、寝心地はあまり良くないと思いますが、ライラックはこちらでお休み下さい。」
「……ユーキはどちらで休まれるのですか?」
「私は居間のソファーで休みます。」
「……それでは申し訳ないですわ。わたくし…いえ、私が居間で休みます。」
「ライラックにそのような事はさせられません。
それに、1人の時もよくソファーで寝ていますのでお気になさらず、こちらでお休み下さい。」
「……ありがとうございます。……
あら?……ユーキ、このお洋服はわたくし…いえ私の物ですか?」
彼女は、洋服掛けに掛けておいたワンピースに目を止めて言った。
「はい。サイズがわからなかったので、通常サイズを購入しましたが、やはりかなり大きいようですね。明日、小さいサイズの物を購入してきます。他にも何枚か平民女性の着衣をご用意致しましょう。」
「いえ、初めてユーキがくださるお洋服ですもの……着てみてもよろしいのでしょうか?」
「はい。それでは私は別室に参ります。」
「いいえ、少し後ろを向いていてくだされば……すぐに終わりますわ。」
貴族令嬢が、男性のいる部屋での着替えなど、あり得ない事ではあるが、彼女は敢えて『もう令嬢ではない』と私に示したいのかもしれない。
「承知致しました。」
私は、後ろを向き目を瞑った。
「……もう大丈夫ですわ。」
彼女の言葉で振り返った私の目に飛び込んできたのは…
顔を真っ赤に染め、恥ずかしそうに佇む、下着姿の彼女だった。
私は思わず下を向いた。
「……ライラック、どうか服を着て下さい……。」
「嫌です。私はユーキを誘惑致します。先程も申し上げました。」
「……お願いです……。」
「……わたくしの事がお嫌いなのですか?……」
「決してそんな事はございません。ですが……。」
「……では何故……。」
彼女は泣き声になっている。
「……あの日、自ら平民になった理由の一つは、貴女の幸せを願いながらも、貴女が私以外の誰かと仲睦まじく微笑みあう姿を見たくなかったからです。『身分の違い』がこれほど辛いと思った事はありませんでした。
隔絶された平民街なら、貴女を忘れられると思いました。しかし、貴族社会から離れても、貴女を忘れられなかった。
私はリラ様が今でも大好きです。
どこにいても、誰といても貴女には幸せになってほしい。……今は本心からそう思っています。」
……私が愛した女性は幸せでいてほしい。それが王宮であっても、逃亡先でも……
「……わたくしの幸せは……ユーゴ様のお側に……いる事なのに……。何故わかってくださらないのですか?……」
「……もし自由になれば、広い世界の中で、リラ様の選択肢はもっと広がります。
今は、私しか頼れる者はないでしょう……ですが、この先、私以外の誰かと幸せになる機会があるかもしれません。
リラ様の一時のお気持ちを利用して、貴女の全てを奪う訳にはいかない。
……私が貴女の自由を奪う事はしたくありません。」
「……わたくしを大事に思ってくださる気持ちは……本当にありがたいです。
でも……穢された身体などと言わないで下さい!
ユーゴ様は……一時の感情だけで、私が貴方を愛していると錯覚していると思われているのですね……わたくしは……それが悲しい……。」
「……………。」
涙声の彼女は続けて言った。
「……自由を手に入れたとしても、ユーゴ様以外に愛せる方など現れる筈がありません!
……何故、わたくしの気持ちを……わかって頂けないのですか?……」
「……………。」
「……万が一はあるのかもしれません…。それは……明日かもしれません……。
この後、例え悲劇が待ち構えていたとしても……いえ、待ち構えているなら尚更……わたくしは今、貴方にこの身を捧げたい。
後悔など絶対に致しません!
わたくしは貴方をずっと愛していました!今も愛しています!」
令嬢の彼女にとって、自らあられもない姿になる事は、とても勇気がいる事だっただろう。
そして彼女はやはり私の不安を察知し、現状の困難を充分理解している……
自分勝手な思い込みをしていたのは、私の方だった。
彼女は再会してから、ずっと私に愛を告げていてくれたのに…中途半端な愛の表現で、彼女を追い詰めた。
彼女の想いに気づかないふりをして、私はまた、逃げていただけなのかもしれない……。
愛情……それは一時の感情に流される物ではない。
彼女の今後を思うなら、それでも、今の自分は理性を保たなければならない……だが……
「………リラ様………。」
もう理性では抑えられない程、彼女への恋心は燃え上がってしまっていた。
私は彼女の華奢な身体を抱き上げ、部屋の隅にあるベッドの上に運んだ。
「申し訳ありません。……私の勝手な思い込みで、悲しく辛い思いをさせてしまいました。
……本当に…私でよろしいのですね?」
「はい。……ユーゴ様との大切な思い出があれば……王宮に連れ戻されようとも……何があっても……1人でも強く生きていきます……だから……」
泣きながら言葉を繋ぐ彼女の唇を、唇で塞いだ。
「リラ様……愛しています!……狂おしい程に貴女の全てが欲しい!」
「ユーゴ様、嬉しいです!わたくしも愛しています!」
そして私達は、2年間の空白を取り戻すかのように、夜明け迄激しく求め合った。
「……元の名前を口にしていましたわね、わたくし達。」
睦言は全て、『リラ様』『ユーゴ様』だった。
「そうですね。……でもこれからは違います。ライラック、ユーキとして生きていくのですから。
……お身体は大丈夫ですか?……」
彼女の初体験を証明する、シーツに付いた赤色のシミ……
……私は本当に彼女の身体を穢してしまったのだ……
「大丈夫ですわ。わたくし…いえ、私は生きてきた中で一番幸せな時でした。」
「……では、これから毎日一番幸せな時が訪れます。体力が保たないと困りますので、ちゃんと食事をして下さいね。」
ライラックの額に口づけをして、微笑みながら言った。
「フフッ、そうですわね。たくさん食べてポンポンになります。」
彼女も微笑んで、私の胸に口づけをして言った。
「ポンポンは目指さなくていいですが……必ず貴女との幸せな暮らしが続くように致します。」
……彼女の全てを奪ったのだから、必ず、絶対に……
心の中で改めて誓いを立て、彼女の言葉に、苦笑しながら、私は身を起こし、ベッドから出た。
「やはり大き過ぎますね。」
「でも、私はこのお洋服気に入っています。」
「では、同じ物の小さいサイズを購入してきます。他にも違う洋服と寝間着と……。」
「寝間着はいりませんわ。ユーゴ、いえユーキが温めて下さいますもの……。」
頬を染め、恥ずかしそうに言う。
「勿論、毎晩温めて差し上げます。でも…温め過ぎてまた汗をかきます。」
彼女の首すじに微笑みながら口づけをした。
「……嬉しいです。でも恥ずかしいですわ。」
昨夜を思い出したのか、彼女は瞳を潤ませ、紅潮した顔でそう言った。
「風邪などひかぬよう、一応用意致します。
……では行って参ります。」
「ユーキ、くれぐれも気をつけて下さいね。」
「はい。ライラックもお家でいい子にしていて下さい。」
「もう!子供じゃありません。」
拗ねたような表情……本当に愛らしい。
抱き寄せて口づけをした。
「また夜、必ず帰ってきます。食事はちゃんと食べて下さいね。
それでは、行って参ります。」
私は魔法を詠唱し、自宅へ戻った。
【あとがき雑学】
あられもない姿:
ふさわしくないさま。 特に貞淑な女性には似つかわしくない姿などを指す表現です。
睦言:(むつごと)
仲よく語り合う会話。特に、男女の寝室での語らいを指す言葉です。




