【63】※ ③Le manoir du marquis(侯爵邸) ※
貴族社会の事が平民にはあまり伝わらないとはいえ、流石に国王の結婚ともなれば、平民にも広く報じられる。
国王は今年で45歳。既に3人の妃と3人の王子、5人の王女がいる。
第4妃に選ばれたのは20歳の辺境伯令嬢…リラ・ルグラン嬢。
結婚式は来月盛大に行われる。
街はお祝いムードで賑わっていたが、私の気持ちは沈んでいた。
王国の妃候補…と手紙にはあったが、まさか王子ではなく年の離れた国王の第4妃になるとは思っていなかった。
あれから1ヶ月…
彼女の真意を、いまだに測りかねていた。
手紙を受け取ってすぐに焦燥感に駆られ、思い余って次兄に手紙を書いた。
『少しの時間でいい。リラ・ルグラン嬢に一度会いたい。』と。
次兄は幼い頃から私を慈しみ、平民になってからも色々と気にかけてくれる人だ。
とんでもない頼み事なので、無理だろうとは思ったが、何か行動を起こさずにはいられなかった。
いまだに次兄からの便りはない。
諦念の境地に至り、運命に従う決心がついているなら、それでいい。
しかし手紙の『Si』……もし彼女が私に助けを求めているのなら……
だが、どうする?
国王妃となる彼女をどうやって救うのか。
仮に略奪したとして、この王国に居場所はなくなる。そして彼女が守ろうとしたルグラン家とマテュー家の立場はなくなるだろう。
それは彼女の望む結果ではない。
「……自分勝手だな……。」
私はおそらく、彼女が運命を受け入れる決心をした事を確認して、安心したいだけなのだ。
『ルグラン家令嬢に一目会いたいという気持ちは理解出来る。
だが令嬢の立場は以前とは違う。辺境伯令嬢ではなく王妃となるお方だ。分をわきまえろ。
今更会った所で、無駄に令嬢を苦しめるだけだと知れ。』
ようやく届いた次兄からの手紙には簡潔にそう書いてあった。
兄の言う通りだ……
決心を固めた彼女なら、今更私に会いたいとは思うまい。
例え『Si』が意味を持つとしても時が経った。
リラ嬢は助けをもう諦めているだろう。
彼女が今後、心穏やかに王室で過ごせる事を祈る。私が今出来る事はそれだけなのかもしれない。
……いや、他にもある……
私は新しい空想小説『 aventure de la lilas(リラの冒険)』を書き始めた。
次兄の手紙が届いてから3日後、家を訪ねてきた者がいた。服装からして平民ではない。
「ユーゴ・マテュー様でいらっしゃいますね?」
「いえ、違います。」
「いえ、ご本人様ですね。私は、リラ・ルグラン様からの遣いの者でございます。」
「!?」
「ユーゴ様とお会いしたいとのご希望で、私がお迎えに参りました。」
リラ嬢が?……どうして今更……
『今更会った所で、無駄に令嬢を苦しめるだけだと知れ。』次兄の言葉が頭を過り『会ってどうするつもりだ?』自分への疑問も湧いたが、今迄抑えていた思いをこの場で抑える事が出来なかった。
「……………。」
迎えの馬車に乗ってから、遣いの者も私も何も言わなかった。
貴族社会と平民の街を隔てる城門を越え、馬車は走り続ける。
「どこに向かっているのですか?」
「…間もなく到着致します。」
馬車が止まり、降りた場所は数名の衛兵が並ぶ、見慣れたリュンヌ侯爵家別邸だった。
嫌な予感がした。
しかし今更逃げ出す事は不可能だろう。
「お部屋でお待ちでございます。」
執事に案内され入った部屋には、案の定クレール嬢がいた。
「ユーゴ様!お会いしたかったですわ!
ずっと、お探し申し上げておりましたわ。」
「……お久しぶりです。」
我ながら全く感情のない態度と声だ。
「お怒りはご尤もです。しかしわたくし、嘘は申し上げておりませんわ。
リラ様はユーゴ様にお会いしたいと仰っていましたもの…。」
……『リラ様からの遣い』と従者に言わせた事はどうなのか……
「……そういう意味では、仰る通りなのかもしれませんね。…侯爵令嬢様、差し支えなければお答え頂きたいのですが……。」
「どのようなご質問ですの?」
「何故リラ様と私の事を、歪曲してお伝えになったのですか?」
「歪曲?わたくしはそのような事は致しておりませんわ。お二人のご様子は、本当に仲睦まじく見えましたもの。」
「……そうですか……。そう思われたのに、何故私に…私のような身分の低い者に縁談を持ちかけられたのですか?」
「…気付いていらっしゃらなかったのでしょうけど、わたくしは以前から貴方様をお慕い申し上げておりました。
王立図書館に通ったのも、侯爵家別邸をお貸ししたのも、ユーゴ様に会える事が嬉しかったからですわ。
それなのに、リラ様はわたくしからユーゴ様を奪った。」
奪うも何も、クレール嬢とは親しく話をした事もない。
「ユーゴ様は高望みされ過ぎですわ。」
「高望みとは、どのような意味でしょう?」
「辺境伯家は王族に継ぐ家柄です。」
そんな事は言われずともわかっている。それがなんだと言うんだ。
「そうですね…。」
「辺境伯家に婿入りを望むのは、流石に分不相応ですわ。侯爵家でも充分でございましょう?
ユーゴ様が、わたくしとの婚姻をお約束してくださるなら、父上にお願いして、爵位を戻して頂く事も出来ますわ。」
クレール嬢は、私が高位の身分になりたがっていたと思っているのか。
「私はそのような事を望んだ訳ではございません!!」
「………。」
つい大声を出し、怯えさせてしまったようだ。
「失礼致しました。
しかし、私が分不相応な身分になりたかったのであれば、自ら平民になる選択など致しませんでした。
それこそ、侯爵家からの御縁を台無しにする事もなかったでしょう。」
「……それなら何故リラ様に近づいたのですか?」
「身分を目当てに近づいた訳ではございません。
たまたま、リラ様には失礼ながら…同じ変わり者同士『空想小説』が好きな者同士、惹かれ合っただけです。」
「……惹かれ合った?……では、やはりユーゴ様もリラ様を……。」
「……お慕い申し上げておりました。」
すると、クレール嬢は、表情を固くして意外な事を言った。
「……では、お望み通り……リラ様に会って頂きますわ。……」
クレール嬢に案内され、別室に連れて行かれた。
扉の前で彼女は無表情で言った。
「……お一人で中にお入り下さいませ。わたくしは別室におりますので、一時の逢瀬を思い残す事なく、どうぞお楽しみ下さい。……」
理解出来ないクレール嬢の言動…また嫌な予感はしたが、言われるまま室内に入った。カーテン越しに人の影は見える。
本当に彼女なのだろうか?……もし彼女だったら自分は何を話せばいい?
胸の動悸が激しくなる。
「リラ様……?」
声をかけると、人影はゆっくりと振り向いた。
貼り付けた微笑みと冷たい視線……令嬢特有の表情。しかしリラ嬢に間違いはなかった。
「御機嫌よう、ユーゴ様……何故このような場所にいらっしゃるのですか?」
静かに話す彼女の顔…令嬢特有の表情は崩れない。
「……貴女様からお手紙を頂いて……文面の『Si』の意味をずっと考えておりました……あれは私へのメッセージだったのでしょうか?」
「……左様でございましたか。そのようなお手紙を送った事もございましたね。……特段何も…意味は…ございません。……」
静かに言う彼女の表情は変わらない。
「……そうでしたか。勝手な思い込みを致しまして、大変失礼致しました。……」
「……いいえ……。」
「この度は王家へのお輿入れ、おめでとうございます。」
「……ありがとうございます……。」
彼女は全く表情を変えない。
あんなに生き生きとした表情は失われ、痛ましい程痩せた生気のない彼女の姿。……どれだけの苦悩があったのだろう。…籠の鳥に余計な知識を与えた私のせいだ。
その場に居たたまれず
「……それでは私は辞させて頂きます。どうかお幸せに……。」
そう言った途端、彼女の目から滂沱の涙が流れた。だが表情は変わらない。
「……ユーゴ様……わたくし……笑い顔も泣き顔も忘れてしまいました。まるで呪いのようにこの表情が張り付いてしまったのです。本当の人形のように……」
私は何も言えなかった。
「……もう、どなたもわたくしの為に人生を狂わせて欲しくなかった……でも、ユーゴ様にだけは本当の自分の気持ちをお伝えしたかった……」
「…………。」
「……お手紙を差し上げた事、今は後悔しております。……このようなわたくしの姿をユーゴ様にお見せしたくなかった……。」
やはり私はここに来るべきではなかったのだろうか。……それでも……
「リラ様、本当の事を教えて下さい。『Si』の意味を!」
「……それは………」
「もし(マテューに届いたなら)もし(救い出して貰えたなら)……そのように思われたのではないですか?」
「……………。」
「リラ様は優し過ぎる……
私は人生を狂わされたなどと思っていません。自ら望んで平民になったのですから……貴女がこんなに苦しんでいる事も知らず、私は平民として気楽で平穏な日常を送っていました。
運命に逆らう事が難しいリラ様に、無責任に余計な知識を与えたのはこの私です。
どうか私にだけは、本当のお気持ちを仰って下さい。」
何が出来るかはわからない。しかし彼女をこのままにしておく事は出来ないと思った。
張り付いていた表情が崩れた。そして彼女は倒れ込むように、体を預けてきた。
「…ユーゴ様……わたくしは……自由になりたいです!籠の中は……もう嫌です!……でも……もう……」
私の胸に顔を埋め、泣きじゃくる彼女の頭を暫く撫でていた。
そして考えていた。これからどうするか…。
おそらくクレール嬢は万が一を考え、通常はいない衛兵を配置しておいたのだろう。
だが、この部屋の会話が聞かれていた可能性は低い。
「……リラ様、これから私の言う事をよくお聞き下さい。決して私は貴女様を裏切りません。信じて頂けますか?……」
彼女は涙で濡れた顔をあげて頷いた。




