【62】※ ②lettre(手紙) ※
あれから2年近い月日が流れた…
私は街の小さな図書館で司書として働く傍ら、空想小説を書いている。名前もペンネームも『ユーゴ・リーブル』を名乗った。
そこそこ売れている月刊誌で連載をしている。
小説の舞台は身分制度のない世界…タイトルは『Si』
司書の仕事と原稿料で、かなりの収入を得ている。郊外に週末を過ごす為の別荘も購入した。
平民としての暮らしは、とても気楽で快適な物だった。
しかし、懸念が一つだけあった。
『リラ嬢は大丈夫だったのだろうか?』
平民の街には、貴族社会の出来事はあまり伝わってはこない。
そのおかげで私の醜聞も知られていない訳だが。
たまに次兄から手紙は届くが、リラ嬢の事は記されていなかった。
ある日、いつもの通り出版社から渡された読者からの手紙の束の中に、妙に分厚い封筒を見つけた。
差出人名は書いていない。……鼓動が早くなった。
急いで封筒を開き、中の便箋に視線を落とした。
懐かしい文字……紫紺の彼女の字に違いなかった。
『初めてお便りを差し上げます。
私はリラ・ルグランと申します。
突然にこのような質問で大変失礼ですが、貴方様はユーゴ・マテュー様でいらっしゃいますか?
もし違っていたなら、申し訳ない事でございますが、2枚目以降の便箋は破り捨てて頂けたら幸いです。』
1枚目の書き出しにはそう書いてあった。
2〜6枚目には、自分の浅慮を詫びる言葉と自分を庇って虚偽の供述をし、謂れのない罪を一身に浴びてくれた事への御礼と謝罪。貴族の称号を剥奪され、平民となった私の事を気遣い心配する内容と、マテュー家に咎めはないので安心してほしい、という報告が彼女らしい丁寧な文章で書かれていた。
そして7〜11枚目には、彼女を取り巻く環境の変化と、彼女の切実な思いが綴られていた。
『わたくしは、ユーゴ様に褒めて頂いた本物の表情を失いました。
父上は、以前から、わたくしを王族に嫁がせるつもりだったようです。
ユーゴ様に非がなかった事は、父上も恐らく理解していました。
あの日…
「お前に少しでも瑕疵があると知れたら、王族と姻戚関係が結べなくなる。たかが男爵家の三男だろう。その男が供述している通り、お前はあくまでも被害者なんだ。」
「そんな!ユーゴ様にはなんの落ち度もありません!全て、わたくしが悪いのです!」
「黙れ!最下層の男爵程度のしかも三男が、最高位の辺境伯令嬢と気安く話しなどするのが悪いんだ。お前に落ち度はない!」
「わたくしは!王族との姻戚を結ぶ為の人形なのですか!?綺麗な人形を差し出す為に、無実の方の罪を捏造されるのですか!?」
「黙れ!王族の御子を産む事が、辺境伯令嬢の使命なのだ!そんな位の低い者に邪魔されてたまるか!」
「わたくしの使命!?父上は……娘を…女性をなんだと思っていらっしゃるのですか!」
「……より高位の貴人に嫁ぎ、子を産む事が女の幸せだ。全く戯言本などを読むから、余計な事を考えるようになるのだ。
張本人の男爵家三男は、クレール嬢との縁談があったというのに勘当されたという。侯爵家も面子を潰されたと怒っている。マテュー男爵家が潰れるかどうかは、私の裁量次第だ。お前の態度によるがな。」
怒りと悲しみと…感情が溢れかえり、わたくしはそれ以上、何も申せなくなりました。
そして、あの日…
「貴女はどこまでわたくしの気持ちを逆撫でするの!!」
わたくしの秘めた想いをお話しした際、クレール姉様に叱られました。
姉様は、以前からユーゴ様をお慕いしていたようです。
ユーゴ様にお会いする為に王立図書館に通われ、幾度も「身分が違う」と仰る侯爵様を『ユーゴ様以外とは婚姻しません』と説得されていたと後で聞きました。
そんな姉様のお気持ちに気づく事もなく、別邸をお借りする事をお願いした私の浅慮が、この事態を引き起こしてしまったのです。
どうかお許し下さい。
軟禁された屋敷から出られるのは、王族主催のパーティーやお茶会に父上同伴で出席する時だけです。
あの時に、感情が無くなってしまったのでしょうか…以前より『令嬢らしさ』を強要する父上に逆らう気力も無くなり、無理に作った微笑みを顔に貼り付け、操り人形のように命じられたまま、令嬢を演じております。
……そして先日、王国の妃候補に選ばれました。
わたくしが何故『aventure de la sainte fille(聖少女の冒険)』に夢中になっていたのか……
今頃になってわかったような気がします。
主人公ジャンヌが、どのような圧力にも屈せず、自分の頭で考え、道を切り開いていく…その自立した姿勢と勇気を羨ましく思い、そして『Si』があれば、わたくしもそうなりたいという願望があるからだと思います。
お話の結末は知りませんが、悲劇で終わろうとも、ジャンヌの生き様は素晴らしい。『Si』があれば、わたくしもその様な生き方をしたいと思います。
信頼出来る侍女から、空想小説『Si』の話を聞きました。
もし、貴方様が私の知るユーゴ様であったなら、小説家として成功された事を心より嬉しく思い、お祝いを申し上げます。
ユーゴ様の人生を狂わせた、わたくしのわがままをお許し下さい。
そして最後に……
ユーゴ様を心からお慕い申し上げておりました。』
「……貴女は賢く、優しい方だ……」
便箋を見つめたまま呟いた。
『aventure de la sainte fille(聖少女の冒険)』彼女が読んでいた刊では、ジャンヌはまだ破竹の勢いで進軍している所だった。ただ読むだけでは悲劇的結末など予測も出来ないだろう。そこかしこに小さく散りばめられた布石…それに気付いていたから悲劇が読み取れたのだろう。
彼女が人形と化して、父親の言うなりになっているのは、感情が無くなったからではないだろう。
ルグラン家、そしてマテュー家を守る為…これ以上誰かの運命を変えたくないからなのだろう。
自分の感情を封じ込めた彼女は幸せになれるのだろうか?
ルグラン辺境伯の言う通り、王家に嫁ぎ御子を産んで、女性の幸せを感じられるようになればいいのだが…。
貴族が『空想小説』など読むべきではない。
余計な知識は、運命に抗う術を持たない者を苦しめる結果になるだけだ。
やはり私が悪かったのだろう。
「……それでも、貴女は私に伝えたかったのですね……。」
頬を伝う涙を拭いもせず、私は呟いた。
誰かに、今胸に抱えている思いを全て吐露したい…そう思ったのは事実だろう。そして出来れば、私に伝えたかったのだろう。
リーブルがマテューだと確信したのか…
いや、彼女はどちらでも良かったのかもしれない。
もしユーゴ・リーブルが私と別人だったとしても、2枚目以降の破棄なんてしないだろう。
恰好のネタ、小説素材に成りうる内容だ。
それが小説として、いずれ私の目に触れる事を期待したのかもしれない。
「……いや、違うのかもしれない……」
落ちた涙で滲んだ文面を何度も読み返し、思い直した。
諦念の境地に至り、自分の気持ちに区切りをつけるつもりでこの手紙を書いたなら、文面通り、これは私への別れの手紙だ。
しかし『Si』が気になる。
もし(マテューに届いたなら)もし(救い出して貰えたなら)……そう解釈するなら、私に助けを求めているのだろう。
彼女の真意が見えない。
「……もし、この世での『Si』を期待しているなら……
リラ様、この手紙ではわからないよ。……私は…どうすればいい?……」
【あとがき雑学】
『瑕疵』:かし
意味:傷、欠点
よく契約書などに書かれている用語です。
法律上、何らかの問題がある場合、意思表示の取消しや契約不適合責任の法的効果が発生します。
※契約の瑕疵については2020年改正民法により、従来の「瑕疵担保責任」が「契約不適合責任」に改められました。




