第三十五章 楽園(前編)
冬。
見上げる空は、重い鉛色。昼間からひどく冷たい風が、ぴゅうぴゅうと吹き付けています。山は、分厚い雲に覆われた空の下に、ほんのかすかにその存在を匂わせているだけです。
家を出てから半年ほどが過ぎていました。
手持ちのお金も底をつきかけ、魚や動物を獲るのも骨が折れるため、ここ数日、あまり食べていません。また、何日も歩き続けてきたために、膝が思うように上がらなくなっています。一歩一歩、足を引きずるように歩くのが、ひどく重労働です。
(まだまだ、あの山を越えて、向こうの世界へ着くまでは、歩き続けるぞ。なあ、父ちゃん。)
ヤエさんにもらった杖は、一時も手放せず、もう身体の一部のようになっています。
辺境の小さな村。
昼間から薄暗い空の下、ワクは道端に腰を下ろしていました。もう長い間そうしてじっとしています。
寒さのせいか、大半の人は家にこもっているようで、辺りにはほとんど人影が見えません。が、唯一、ワクの目の前、路地を挟んだ向かいにある小さな家から、一人の女性が出て来ました。背中には――生後半年くらいでしょうか――可愛い赤ん坊を背負っています。
女性は井戸からたらいに水を汲み、しゃがんで、おむつなどの衣類を洗い始めます。この寒空の下。吐く息は白く濁ります。背中の赤ん坊は、寒さに鼻水を垂らし、頬を真っ赤に染めています。
やがて、赤ん坊は泣き出しました。よほど寒いのでしょう。いえ、子供なりに、暗く淋しい雰囲気を感じているのかも知れません。
「あーあー、いい子だから泣くんじゃないよ。もう少しだからね。これだけは洗ってしまわないとね。」
赤ん坊はさらに大声を上げて泣きます。
「よしよし、分かったから、もうちょっと我慢して! 静かにしなさいったら!」
母親は徐々に苛立ちをその態度に表し始めました。
ワクは座ったまま、路地の反対側から赤ん坊の顔をじっと見つめました。少しして、赤ん坊がワクに気づきました。泣き止んで、不思議なものでも見るように真顔でじっと見つめます。
ワクは、子供に対する愛おしい気持ちを込めて、満面の笑みを浮かべました。にっこり。
子供は一瞬ぽかんとした後、大きな声を上げて笑い出しました。手足もばたばたさせて、とても楽しそうです。
驚いたのは母親です。
「どうしたのよ、この子は急に?」
その視線の先を見て――。そこに一人の痩せ細った老人が座っていることに、初めて気づきました。ワクがあまりに風景に溶け込み過ぎていて、目に入っていなかったようです。
「あら、どうも…。」
子供は相変わらずワクを見て、声を立てて笑います。心から楽しそうに。
「可愛いお子さんだね。」
「あ。まあ、ありがとうございます。…お爺さん、どこからいらしたの?」
「なあに、すぐ近所さ。」
いや、すぐ近所でこんなお爺さんは見たことがないけれど。母親は怪訝に思いますが、赤ん坊が本当に楽しそうなのを見て、ついつい顔がほころびます。
「この子がお爺さんのこと、とても好きみたい。」
そのまま二人で顔を見合わせて笑いました。
おほほほ!
ははは!
「ちょっと待ってて。」
母親は手を止めて家の中へ入って行きました。
やがて再び出て来ると、
「これ、少しだけど、持って行って。お口に合うかしら?」
おにぎりが二つと、饅頭が一つ。至極素朴な贈り物でした。ワクは、慈愛に満ちた目でじっと女性の顔を見つめて、やがてぽつりと、
「ありがとう。」
母親がその後しばらく洗い物を続けている間も、赤ん坊は上機嫌で手足をバタつかせ、きゃっきゃっと笑い声を上げていました。
洗い物を片付けて母親が顔を上げると、老人の姿はいつの間にか見えなくなっていました。
母親は、ほんのり温められた心の余韻を味わうかのように、微かな笑みを浮かべながら、家へ入って行きました。
村の外れ。
夕方近くになってようやく、雲はすっかり消え、遠くの山が、その美しい姿を見せました。風は相変わらずひゅうひゅうと音を立てて吹き付けます。
「今夜は星が綺麗だろうな。すばるも見えるかな。」
真冬独特の冷たく澄んだ空気。きっと、星はこぼれ落ちて来そうなほどでしょう。ワクは、待ち遠しい気持ちでワクワクしました。
吹き付ける向かい風に逆らって歩くのに、大そう骨が折れます。身体に力を入れて踏ん張り続けるのが、ふと億劫になり、ワクは自然に力を抜き、風に吹かれるままに倒れました。
地面すれすれの目線から見上げる世界。倒れたままで見る、横向きの世界。奇しくも、山がまっすぐ前方に見えます。ワクはしばらくそのままの恰好で、遠くの山を見つめていました。
(なあ、お前さんよ。いつでも、いつまでも俺のことを待っていてくれて、本当にありがとうな。もうすぐ近いうちにお前さんのところへたどり着くよ。決して裏切ったりはしないから、もう少しだけ、待っていてくれな。)
すると、ワクの耳に、山からの返事が聞こえました。山が言葉ではっきりと答えてくれたのは、これが初めてです。
――ああ、待っているよ。慌てることはない。お前のことは、長い長い間待ってきた。昔からの盟友じゃないか。これからだって、いつまでも待つさ。いつでも、お前のことは見守っているから。――
ワクはにっこり笑いました。山が見守ってくれているのです。怖いものは何もありません。そろそろと地面に手をつき、上体をゆっくりと持ち上げます。風が意地悪くワクの邪魔をしますが、大丈夫。何しろ山が見守ってくれているのですから。
時間をかけてようやく立ち上がったワクは、またそろそろと歩き始めました。
すぐ目の前に、小さな小屋が見えてきました。人の家ではなく、物置小屋か何かのように見えます。
(今夜はあそこに宿を借りるとしようか。薪で暖かい火でも焚こうかな。)
ボロ小屋の、建てつけの悪い入口の戸を開け、中へ入ります。まだ夕暮れ時ですが、小屋の中は陽が差し込まず、慣れない目には真っ暗に見えます。ワクはほとんど手探りで中へ入り、そこへ胡坐をかきました。
やがて目が慣れてくると、中の様子が見えてきました。床などというものはなく、地面の上に、かろうじてござが敷いてあるだけです。ほんの十二、三歩で端から端まで行けるような、狭い小屋でした。周囲の壁沿いに、いくつかの道具類が並べて立てかけてあります。クワ、スキ、ホウキ、カマ、竹ざるなど――。その中に混じって、藁で編んだ蓑が壁に掛けられているのを、ワクは見つけました。
(ああ、これはいいものがあるな。今夜はこれを拝借しようか。)
それからワクは、今夜の宿泊について考えを巡らせました。
(焚火をしないとな。ええと、薪はさっき拾い集めて…あれ、どこへ行ったか? 確かさっき拾って来たよな、いや、あれは昨日のことだったか…。)
手元に薪がないのですから、きっと自分の勘違いなのでしょう。焚火は出来ません。
(さて、これはどうしたもんか…。)
思案しているうちに、空気が深々と冷えてきました。ワクは壁にかけてある蓑を取り、身に纏いました。
(やあ、これは暖かい。ありがたい、ありがたい。)
ワクは再びござの上に胡坐をかいて、しばらくぼーっと宙を見つめていました。
ふと思い出して、荷物袋から、昼間に赤ん坊の母親からもらったおにぎりとお饅頭を取り出しました。
(ありがとうよ。ありがたくいただくよ。)
おにぎりを一口。
(ああ、おいしい。本当においしいおにぎりだ。)
が、ワクは一口食べた切り、動きを止めました。そのまま、相変わらず強く吹いている外の風の音に耳を傾けました。それは、ともすると人の声のように聞こえてきます。
「お気をつけてね、お爺さん。」
(ああ、ありがとう。お前さんたちも、元気でな…。)
「この子がお爺さんのこと、とても好きみたい。」
ワクの顔が思わずほころびます。
(可愛いお子さんですな。)
子供を抱いた母親は、姿を変えて――犬を抱いた少年になりました。
「ジロウが死んじまった。」
(そうか。なに、大丈夫。お前の人生はこれからだ。楽しいこともたくさんある。顔を上げて、元気を出して行きなさい…。)
「おじちゃん!」
(どうした。お前は何でも真面目に思い詰め過ぎるきらいがあるからな。俺はお前の父親代わりだ。何でも俺に言え。)
ワクは心の中で、いろんな声と会話をしていました。
蓑のおかげで身体が少し暖まったせいでしょうか、ワクは次々に耳に届く声と会話をしながら、いつしかうつらうつらとし始めました。
外では陽が暮れて、辺りは真っ暗になりました。ワクが予想した通り、夜空は晴れ渡って、風は強く冷たいものの、数えきれない星々が、空いっぱいに燦然と輝いています――。
「オジキ! オジキ! もうそろそろ起きろよ。」
誰かが自分の身体を揺さぶっています。
ワクは、布団の上でうっすらと目を開けました。
「おはよう。もう朝ご飯できているよ。」
「おお、少し寝坊しちまったかな。悪い悪い。」
ケイの後について居間に行くと、いつものちゃぶ台に三人分の朝食。台所からシオリが来ました。
「おはよう、おじちゃん。」
「おはよう。」
「さあ、食べましょう。」
「いただきます。」
朝のまぶしい光が、いつものように窓から差し込みます。少し目を細めながら、ワクはお味噌汁をいただきます。
「いやあ、しかし昨日は心配したよ。どこへ行ってたんだよ。」
ケイが食べながら、そんなことを言います。すると自分は昨日、どこかへ出かけていたのでしょうか。待てよ、どこか見知らぬ小屋に入って、そこに泊まろうとしていたような気がする――。すると、やっぱりあれから家に帰って来たのでしょう。なんだ、そうだったのか。
「いや、ちょっと行かなきゃならない場所があってな。そこへ行こうとしていたんだが、昨日はなにしろ風が強かったからな。」
「…昨日? 風なんか強くなかったと思うけど。」
「そうか?」
「うん。…それで、行かなきゃいけない場所って、どこさ?」
「すまない。実は、一人で山の向こうの楽園へ行こうとしていたんだ。」
「?」
「いや、俺は若い頃から、山の向こうの楽園を目指して旅をして来たんだがな。」
「知ってるよ。」
「そうか。それで昨日はいよいよ自分一人で楽園を目指しに行ったんだ。」
「何言ってるの?」
「?」
「しっかりしてくれよ、オジキ。」
ケイは小さく溜息をつき、席を立ちました。シオリも一緒に立ち上がり、二人で顔を見合わせると、裏庭へ出る障子戸の前に立ちました。そして、二人で障子戸を左右に大きく開きます。
眩しい光が、部屋へ差し込んで来ました。光に目が眩んで、外の風景は見えません。
「こっちに来てみなよ。」
ケイが手招きします。シオリはにっこり笑っています。
ワクも立ち上がり、障子戸へ近づいて行きます。
障子戸の上に、大きな看板状のものが掛けてあるのが目にとまりました。眩しい光に目を細めながら、看板を見ると、そこには――。
【楽園】
威厳のある大きな筆文字で、そう書いてありました。
「!」
ワクはびっくりして、ケイに尋ねます。
「何だ、これ? どうなっているんだ?」
「何だ、って? やだなぁ。俺たちはもう楽園に着いてるんじゃないか。忘れたのか?」
「何だって!」
やがて、眩い光に目が慣れ、少しずつ外の風景が見えてきました。
真っ青に晴れ上がった空。樹々の緑。足元の叢を少し下った先には、小川。菜の花が川べりいっぱいに並んで咲いています。花から花へと飛び回る蝶々。
ワクは戸口に立ちすくんで、外の景色を見つめていました。頬に心地良い風が当たります。
ここが楽園なのか――。
ケイが、促すように、小さく頭を振りました。
ワクはうなずいて、裸足のままそっと外へ降り立ちます。足裏に、柔らかい草の感触。むせ返るような緑の匂い。
小川に人影があります。十六、七くらいの少年が二人。傍らに一匹の犬。ワクは自然に彼らの方へ近づき、左の少年に強い親近感を覚えました。次の瞬間、ワクは自然にその少年の背中から、中へ入って行きました。いや、その少年になっていました。
「それでお前、どうするんだ?」
「まだ分からねえ。」
「三日間で決めるんだろ?」
「ああ。…でも、山へ行こうかな、と思ってる。」
「山か。…」
しばらく後、
「しかし、釣れねえな。」
隣の少年がぼやきます。そう、二人は釣りをしているのでした。やがて日が暮れかかり、そろそろ家へ帰ろうかというとき、ワクは、一匹も釣れなかった従兄弟に、自分がかろうじて一匹だけ釣った魚を譲りました。彼の家では、魚を釣らずに帰るとひどく叱られることを知っていたからです。
「悪いな。」
照れたように、ぶっきらぼうに呟いた従兄弟の、心の中の声がワクには聞こえました。
《いやあ、助かった! これでオヤジに殴られずに済む。ワク、お前は本当にいいやつだ!》
ワクの頬に、小さな笑みが浮かびました。
家に帰ったワクは、父親に向かって、山を目指して旅に出ることにした、と告げていました。
「そう言うのではないかと思っていたよ。行きなさい。行って大いに楽しんできなさい。お前なら、きっと望むものを見つけられる。」
「向こうで住む場所を見つけたら、きっと迎えに来るよ。待っていて。」
父親の心の声が聞こえます。
《お前は優しい子だ。その優しさを失わなければ、どこへ行ってもお前は幸せになれる。俺のことは忘れていいから、お前はたくさんの愛する人たちに囲まれて、良い人生を送れ。》
(父ちゃん…。)
「ジロウ、旅に出るんだ! 一緒に行こう!」
「クウン。」
ワクは元気のなくなったジロウを長い間抱きしめていました。と、ジロウは急に元気を取り戻し、ワクの顔を舐め始めます。
《ワク、ワク、大好きだよ! 生まれたときからずっと一緒だった。優しいワク。どこへ行くのも一緒だった。とっても楽しかった。ありがとう。》
(…こちらこそありがとう、ジロウ。ごめんよ、お前の身体を気遣ってやれなくて。俺は、お前と一緒に旅に出ることで、勇気が持てたんだ。俺が自分の人生を始めることが出来たのは、お前がいたからだ。本当にありがとう。)
ふと顔を上げると、月夜の縁側。ワクの隣にはサブロウが座っています。
「俺たち、来年からはいよいよ大人の仲間入りさ。」
《進む道は違うけど、一緒に頑張るだな、俺たちは。》
(そうだ、そうだぜ。一緒に生きている仲間だ。離れてても。何をしてても。いつまでも。)
サブロウは、いつしか何十年も歳を取り、いつの間にか立派な初老の紳士になっています。
「おめえのこと、羨ましいと思ったこともあった。今でもおめえのこと、素晴らしい奴だと思っている。俺も頑張ったんだぞ。最近では、近くの町や村から呼ばれて、農業の実践講習会のようなこともしているんだ。ワク、ありがとう。おめえがいたから、農業で頑張る覚悟ができたよ。」
「サブ…。俺の方こそ、お前を心から尊敬するよ、サブ。」
「お互い、良い人生だったよなぁ。」
「ああ!」
ワクは改めてサブロウを抱き締めました。
「踊り子しゃん、踊り子しゃん!」
幼子が駆け寄ってきました。
「お、ユキ坊、元気だったか?」
ワクはユキ坊を抱き上げます。
「踊り子しゃん、踊って!」
「よし!」
二人は向かい合って、一緒に「メチャクチャ踊り」を踊り始めます。時々、ポンと頭を叩いてやりました。
幼子は踊りながら成長し、立派な若者の姿になりました。屋根の上で茅葺の修復作業をする、凛々しいその表情。あの頃の親方そっくりです。横でその姿を眺めているワクを、きらきら光る瞳で見つめ返してきます。
「お久しぶりです。」
「大きくなったな。」
「ええ。正直、あなたのことをはっきりとは覚えてないんですが…。」
「そりゃあ、小さかったもんな。」
「でも、幼い時に、母親以外に、踊りを踊る大人の人が身近にいて、とっても楽しかった記憶があるんです。よく一緒に踊ったりして。男の人だったんだけど、オヤジではない。あれは誰だったんだろう、ってずっと思ってた。あなただったんですね。」
「そうだよ。楽しかったな。」
ワクは目を細めてユキを見ました。あの小さい坊やが、こんなに立派になって。
「ユキはお前さんにずいぶんと救われた。それは間違いねえよ。」
「親方!」
そしてその親方の横には、懐かしい、大好きな――。
「ナズナ!」
次の瞬間、ナズナは背伸びをして、自分の唇を軽くワクの唇に触れました。そしてゆっくりと体を回して後ろを向き、家の方へ歩き出しました。一度だけ振り返り、最高の笑顔を見せてくれました。
《ワク、ありがとう。大好きよ。私の手の荒れを気にして手伝ってくれる、優しいワク。私を見て顔を赤らめる、照れ屋でかわいいワク。あなたに会えて楽しかった。お嫁に行っても決して忘れません。》
「ナズナー! 大好きだ!」
ワクは涙を浮かべていました。
「あらやだ、ワク。私も結婚して、今ではすっかり子持ちのおかみさんなのよ。」
若い娘の姿のままで、口に手を当てておほほほと笑います。とても幸せそうでした。
「ほらよ!」
香ばしい香りが広がります。
「焦がし胡麻団子。よく二人で食ったよな。」
「センタ!」
並んで食べる焦がし胡麻団子は最高です。
「俺は、まあ改めて言うまでもないんだが、お前のおかげで良い人生を歩めたんだ。お前がいなかったら、まったく違った人生になっていたよ。」
「それは俺だって同じさ――。ケイは立派な男になったぞ。逞しくて、思慮深くて、真面目で、優しくて…可愛い嫁さんももらった。申し分なしだ。あれがお前の息子だなんて、ちょっと信じがたいな。」
「へっ! 言いたいこと言いやがる。」
二人で大笑い。
そこへ、
「ワクくん、お久しぶり。」
「キミちゃん!」
「私からもお礼を言わなくちゃ。どうしてもお礼を言わなくちゃならないわ。私とお祖母ちゃんを救い出してくれたことも。センちゃんが散々お世話になったことも。そして、ケイのことも。本当に、いくらお礼を言っても言い足りない。」
「私からもお礼を申し上げますよ。」
「お祖母さん!」
「あれから、キミとセンタと一緒に暮らした最後の数年間は、私は本当に幸せだった。あなたたちのおかげです。」
ワクは面映ゆい気持ちで、照れ笑い。
「センタ。すまない。お前との約束を、俺は未だに果たせていないんだ。」
「何の約束だ?」
「何って、ケイを山へ連れて行ってくれって、お前言っただろう?」
「何を言ってやがる。お前たち、とっくに楽園に着いているじゃねえか。ケイとシオリとお前と三人で。いいや、俺たちも含め、みんなで。みんな一緒に楽園にいるんじゃねえか。お前に関わった人間はみな、楽園にいるんだよ。」
「あ、ああ、そうか? もう着いたんだったかな。」
ワクは少々混乱して、状況がよく呑み込めないでいますが、センタもケイも口を揃えて言うのですから、きっとその通りなのでしょう――。
「お前に会わせたい人がそこにいるぜ。」
「誰だい?」
一人の男性が近づいて来ました。鉢巻きに法被姿です。
「コウサクさんじゃねえか!」
「やあ、お久しぶりだねえ。あの時は本当に世話になったな。あれから、うちの村の祭りは途切れることなく、ちゃんと三年ごとに開催できているだぞ。助かったよ。」
「よかったなあ。でも、礼を言うべきなのはこっちなんだ。なあ、センタ。」
センタもニヤニヤと、ワクとコウサクを見比べています。
「コウサクさんに貰ったあの御守りのおかげで、俺たちは偶然再会できたんだ。もうそりゃ、奇跡的に。」
「へー、そうかい!」
「その後の人生、あの御守りで決まったようなもんだ。本当にありがとう。」
「いいや。」
コウサクは、懐かしい、素朴な照れ笑いを浮かべました。
ケイが近づいてきました。シオリも一緒です。
「ああ、ケイ、お前、ワクをこの先へ案内してやれ。」
センタがケイに言いました。
「ああ。そのつもりだよ。」
「?」
「さあ、オジキ。まだまだオジキに会いたがっている人たちがたくさんいるんだよ。」
「…。何だってんだ? 誰がだよ?」
「誰って、みんなさ。」
「みんな、って…。みんなが本当に楽園にいるのか?」
「そう、みんな楽園にいるよ。しかもオジキに会うためにここへ集まってくれているんだよ。」
「何だ? 俺の誕生日会か何かみたいだな。」
「ははは。ま、そんなようなもんだよ。」




