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第三十章 幸せの資格

それは、これまでになく大きな、賑やかな町でした。

昨夜は、町の入り口近くの民家で、一晩お世話になりました。とても親切な一家で、出がけに奥さんが、おにぎりやふかしいも、それに飴玉やまんじゅうなどの菓子類を、どっさりと持たせてくれました。

ワクとケイは丁重に礼を言ってその家を後にし、そこから歩くこと四十分ほどで、ようやく町の中心部に出ました。色とりどりの装飾を施した店が所狭しと並び、今までに訪ねたどの町よりも派手で人が多いように感じられました。見渡したところ、中心の大通りの向こうの果ては見えません。まるでどこまでも続いているようです。

ワクはともかく、ケイはその賑わしさ、活気に、心浮き立っている様子です。

「オジキ、ちょっとあちこち見ていこうよ。どうせ今日もまたこの町に泊まるだろう。そう急ぐ用事もないし。」

「仕方ねえな。お前の好きなようにするよ。けど、荷物が重いからなあ。あの奥さん、これでもかというくらいに沢山、色々くれたからなあ。」

「人から物を貰っておいて文句言うなんて、罰当たりだよ。荷物は茶店にあずけておこうよ。最近の茶店はあずかってくれるところが多いよ。もちろんお代はいるけどね。」

もう、どちらが保護者なのか分かりませんね。年齢的にも、もう対等、いえ、大人になったケイが、年老いたワクの面倒を見ている部分も多いのかも知れません。

ワクは六十三。ケイは二十四。ケイはちょうど、昔、センタと別れた時のワクと同じ年頃になりました。


しかし、とにかく人が多い。ワクたちはとにもかくにも、真っ先に目に入った茶店へ入り、腰を下ろしました。やれやれ。

「すみません、焦がし胡麻団子とお茶を二人分ね!」

「へい、ありがとうございます!」

「最近ではどこに行ってもたいがい焦がし胡麻団子があるが、何ていうか、地方によって、少しずつ味が違うんだな。」

「そうだね。といっても、俺はオジキほどたくさんの焦がし胡麻団子を知らないけどね。」

「お前の親父も好きだったな。」

ワクは遠い目をします。ケイは、また年寄りの昔話が始まったよ、という顔を一瞬したものの、笑顔でワクの話を聞きます。

「よく一緒に食ったもんだ。あいつは、人の心を開くのがめっぽう上手くてな。初めての家や店で道を尋ねたりすると、必ず何かを貰って来るんだな。あれには参ったよ。で、一度は焦がし胡麻団子をもらって来たあいつと…。」

「喧嘩になったんだろ?」

「ああ、そうだ。前にも話したか?」

「うん、三十五回くらい聞いた。」

「くそっ、この野郎。」

「あははは。いいよ、何回でも聞いてやるよ。」

自分をからかうケイを、可愛くも思い、頼もしくも思う最近のワクでした。物書きの活動もいっそう盛んになってきています。ケイ自身も書き物をしている時間が長くなりましたが、世間一般でも、公共読物というものが、もうほとんど当たり前のものとして浸透してきているようでした。ワクたちも、新しい町や村に着くと、まずは公共読物の掲示板へと向かうことが多かったのです。

「そういえば、ヒロ(にい)は元気にしているかな?」

「ああ、あれを見て思い出したな?」

「うん。」

茶店のすぐ向かいに、大きな店構えの彫り物屋があるのです。繊細な装飾を施した木の作品がたくさん並んでいます。

「まだまだ親方に絞られている頃かな。音を上げてないといいがな。でもあいつはきっと大丈夫だ。根が真っすぐだからな。一人前の職人になれる。」

「そうだね。…そういえば、オジキ、最近、手紙とかいうものがあるらしいよ。」

「なんだ、そのテガミってのは?」

「うーん、何ていうか、遠くにいる人に、挨拶を送る、というか。」

「?」

「紙に文を書いたら、それを希望の相手に届けてくれる仕組みだそうだ。遠く離れて暮らしている人に対して、こちらの最近の様子とか、相手に知らせたいことを色々と書き記すだろう? それを、その専門の人に渡すと、馬か何かに乗って届けてくれるんだって。もちろんお代を払うんだけどね。」

「へえー、それはすごいな。でも、そんなことが出来るのか? 例えばヒロの町なんて、ここから歩いて…六年くらい? も離れたところなんだぜ?」

「だから、馬だからな。馬を精一杯速く走らせるんだってよ。しかも、一頭の馬が最初から最後まで担当するわけじゃないんだ。途中で中継所みたいなところがあって、そこまで行ったら別の馬に引き継いで…という風に繋いで行くらしい。そうするとほら、最終目的地が違っても、同じ方面へ行く手紙は、まずは同じ馬がまとめて運べばいいだろう? 中継点まで来たときに、別の方向に別れて行けばいいんだから。」

「なるほどな。すごいこと考える奴がいるもんだな。長く生きていると、想像もしなかったことが起こるな。」

「はは、大げさな。」

「でも、それ、本当に無事に着くのか? そもそも、無事に着いたのかどうかなんて、俺たちには分かりゃしねえじゃねえか。」

「そうなんだよね。そこはまだまだ改善の余地があるらしい。まあ、今のところは、着いたものと信じるしかないね。それか、相手から返事が来たら、それで初めて、ああ、ちゃんと着いてたんだ、と分かることになるね。」

「気の長い話だな。」

「まあ、ちょっとした占いみたいなもんかな。当たるも八卦、当たらぬも八卦。当たらなくてもともとなんだけど、でも、当たると信じていれば、それなりにワクワク感は味わえる。そのワクワク感を与えてくれる商売なのかもね。」

「なるほど、な。」

(やっぱりこいつは物事を上手いこと表現しやがる。)

ワクは改めてそう思いました。

それにしても、その手紙とかいう仕組みがもし本当にあるなら、一度ヒロに届けてもらうのも悪くないな、とワクは思いました。


ところで、ワクはさっきから、すぐ隣に座っている若い娘が、何となく気になっていました。

年の頃は十七、八。娘というよりは少女です。地味な服装で、髪を後ろで無造作に結んだだけの、飾り気のない少女。その表情は、どこか悲しげでした。いえ、顔はよく見えなかったのですが、悲しげというよりは――ワクにはその風情を表現する上手い言葉が思いつきませんでしたが、何かこう、(はかな)げというか、放っておくと、どこかへふっと消えてしまいそうな感じ、と言えばいいでしょうか。

少女は、ワクとケイが話に興じている間に、席を立ち、ふらふらと通りに出て、人混みの中へ消えて行きました。


「さあて、荷物をここへ預けて、町を見て歩こうよ。」

「よし。」

ワクとケイは腰を上げます。

大きな町だけあって、他の町には無いような色々な店や施設が立ち並んでいます。先ほどの彫り物屋をはじめ、呉服屋や金物屋、菓子屋などはもちろん、書道具屋、扇物屋、人形屋、散髪屋、化粧品屋、衣装屋、寝具屋などなど、考えられる限りの店が揃っています。もちろん、飲み屋や宿屋もたくさん。ある町角では、十字路の四つの角のうち、三方までが飲み屋でした。二人は、お昼時を挟んで、かれこれ午後の太陽が勢いを失い始める頃まで、あちこちうろうろと見物して回りました。

何よりワクたちの興味を引いたのは、舞台です。店の立ち並ぶ中、とある四つ角に、突然、舞台がありました。舞台としては大きい方ではありませんが、屋根もついています。

(へぇー、こんなものが、町中に。)

ワクのよく見る舞台設備は、祭りなどの催し物の際に(しつら)えられる、いわば仮設のものです。町中に常設された舞台設備は珍しいと言えました。

(アミのような歌い手がよく来るんだろうか。芝居なんかもやるのかもな。)

「見てよ、オジキ。興行の予定が書いてあるよ。」

「本当だ。」

【十月二十三日~十一月十五日:人形芝居一座「わくわく」興行/十二月一日~二十一日:町の音楽団演奏会】

「さすが、大きい町は違うな。」

「わくわく、だって。オジキが作った一座みたいだな。」

「へっ。」

「鑑賞して読物に書きたいな。」

「いいんじゃねえか。ちょうど今、やっている期間中だし。」

「日暮れの頃にまたのぞきに来ようか。」

「ああ。」

ふと後ろを見ると、石細工屋。そこも結構な規模の店でした。

【石に関することなら何でも承ります ~日常使いの品、芸術的逸品から墓石まで~】

(へー、墓石まで、ねえ。)

気づくとそこに、先ほどの少女が立っています。店先に。店に特別用事がある様子ではありませんが、気のせいか、店内の墓石を眺めているようにも見えます。その姿は、やはり儚げで、消え入りそうな風情でした。

すると次の瞬間、少女がふとこちらを向きました。ワクはその容姿に、思わず目を奪われました。

透き通るように白い肌。涼しい目元。寸分の隙もなく整っているのに、どこか可愛らしさも残る、顔の造作。

ただ、その表情はとても淋し気でした。瞳には深い哀しみが湛えられています。少女の風情と墓石という組み合わせが、妙にワクの胸に刺さりました。

気づくとケイも、同じように少女に見入っていました。いや、こちらは、ぼーっと見惚れている、という方が妥当です。ワクが肘でつつくと、ハッと我に返ったようです。

(何だかおかしいな。胸騒ぎがする。)

ワクがそう思っていると、少女はゆっくりと歩き出しました。特にあてもないような、ふらふらとした歩き方。目的地があるのではなく、いつまでもここにいても仕方がないから、とでもいうような。ただ、少女のまとった負の気配は、消えませんでした。

ワクは何となく、少女の後を追います。

「お、おい、オジキ?」

ケイには、ワクが少女の後を追おうとしていることが分かったようでした。

「どうする気?」

「いいから、ついて来い。」

「…。」

ワクの背中で、ケイは不信感丸出しの表情です。

(オジキはこの歳になって色気を出し始めたのか?)

とでも言いたげな顔。


町角から町角へ。広い町の中を、あてもなくふらふらと歩き続けます。連れのような人もなく、ずっと一人きりでした。

やがて――。

少女はとうとう、町外れまでやって来ました。家が(まば)らになってきた辺りで、山の中へ登って行く道を選んで、ふわふわと頼りなさげに進んで行きます。手ぶらで。もう陽が暮れかけようとしている、この時間帯に。ケイもさすがに、これはちょっと変だ、と思い始めたようです。

「追いかけるぞ! お前は、茶店から荷物を取ってこい。」

「分かった!」

ケイは駆け足で町中へ戻って行きました。

ワクは上り坂を、少女を追って必死に登ります。ふらふらと歩いているように見える少女は、それでもさすがに若いからか、上り坂を苦にもせず、すいすいと進んで行くようです。ワクはだんだん身体がきつくなります。

「ちくしょう、ケイ、早く戻ってこい!」

陽がだんだん傾いて行き、世界が橙色に染まります。少女は夕陽を浴びながら、半ば舞うように歩いて行きます。気のせいか、速度がだんだん速くなっているようです。ワクは息が上がりました。身体が言うことをきかず、仕方なくしゃがみ込んで一休みします。その間にも少女はすいすいと登って行きます。

と、そこへケイの姿がようやく見えてきました。ずっと走って来たと見え、しかも二人分の荷物を抱えているため、こちらも少々息が上がっているようです。が、ずっと速度を緩めず、ワクにずんずん近づいて来ます。

ケイが追いつくと、ワクは立ち上がり、受け取った荷物から、ヤエさんの杖を取り出しました。そして、

「ケイ、お前先に行って、あの子を追ってくれ。俺も出来るだけ早く追いつくから。」

「え、で、でも…。」

「早く! 分かれ道でもあったら、あの子を見失っちまう!」

「追いついたら、何て言えばいいんだよ?」

「適当に場をつないでおけ。俺が着くまで。」

ケイは自信なさげでしたが、それでも駆け出して行きました。


ワクは杖を突きながら、精一杯の速さで駆けます。時々、出っ張った石につまづいて転びそうになりながら。道が曲線を描いているため、ケイの姿はすぐに見えなくなりました。夕焼けもその盛りを過ぎ、その色彩はだんだんと鮮やかさを失って行きつつあります。世界は昼から夜に変わろうとしているのです。山の中ですから、日が完全に落ちれば真っ暗です。その前にケイが無事、少女に追いついてくれることを、ワクは祈りました。


左右には鬱蒼とした樹々。空は僅かに朱色を残しながら、ほとんどが灰色に沈みました。汗をかいた身体に、秋の夜の空気が冷たく感じられます。

やがて――。

曲がりくねった道がまっすぐになり、その先にケイの姿が見えました。立ち止まっています。

ケイの向こうに、少女。まだかなりの距離があって、夜目に見えづらいのですが、彼女もやはり立ち止まっているようです。白っぽい服が、ぼうっと闇に浮かんで、ふらふらと揺れています。暗がりではっきりとは見えませんが、彼女の前は、道が途切れているのではないでしょうか。崖ではないかとワクは思いました。

ケイは、少女より少し手前で、立ち(すく)んでいます。どのように声をかけようか、考えあぐねている様子で、彼女の方へ二、三歩進んでは止まり、見るからにおろおろしています。

ワクは仕方なく、腹に力を入れて、ありったけの声を張り上げました。

「おおおい、お嬢さーん!」

少女の反応はありません。聞こえなかったのでしょうか。もう一度。走って乱れた息を出来るだけ整えてから、

「おおおおおい、おじょうさああん!」

今度は、少女は振り向きました。非常に驚いている様子です。こんな夜の山中で、突然声をかけられたのですから、無理もありません。ワクはこの好機を逃すまいと、大股で歩み寄りました。ヤエさんの杖が大活躍です。

が。

あろうことか、足がもつれ、何もないところで盛大に転んでしまいました。

ずさささっ。

「ああっ!」

振り向いたケイ。

「ああ、オジキ、だいじょ…。」

「大丈夫ですか!」

ケイの声にかぶせるように、少女の甲高い声が響きました。彼女は、ワクの方へ駆け寄って来ました。

彼女の方が逆に、ワクを心配している。

(こんなはずではなかったのに…。)

ワクはバツの悪い思いです。が、転んだことが、その場の空気に、思いがけず良い効果をもたらしたようでした――。


しばらく後。

ワク、ケイ、少女の三人は、焚火を囲んで座っています。少女の顔は、月明かりに青白く照らされています。

さっきからずっと無言でいる少女も、少し落ち着きを取り戻したようです。彼女は突然、口を開きました。

「私、いつでも消えてしまいたいと思ってきたんです。生きていたいと思ったことがないんです。」

ケイはどう反応してよいやら、戸惑っているようです。ワクは無言で、彼女の目をじっと見つめました。それから、

「話してごらん。心の中にあることを何でも。きれいにまとめなくてもいい。思いつくままに。」

少女はしばらく下を向いていましたが、それからポツリ、ポツリと、自分のことを話し始めました。

「時々、悲しい気持ちになると、ここへ来るんです。あの崖の上に立って、ここから飛び降りたらどんな感じかしら、と考えていることが多いの。今日は、特に何かがあったわけじゃないのだけれど、もうそろそろ生きるのを辞めてもいいかしら、と思って。何だか朝からそんな気持ちにとらわれて…それで、さっきは、今日はいよいよ本当に飛ぶのかしら、とそればかり、ぼんやりと考えてました。」

先ほど少女が立っていたところは、やはり高い崖の絶壁なのでした。

「本当に死ぬつもりだったかどうか、自分でも分からないけれど、もう終わりにしてもいいかな、といつも思っていることは確かです…。」

それから少女は、自分の生育歴を話し始めました。

継母に育てられたせいか、母親から愛情を感じたことがない。死んだ実の母親と父親はあまり仲が良くなかったようで、自分が実母によく似ていることが、父親に疎まれる理由なのかも知れない。とにかく、実の父親にも可愛がってもらった記憶がない。上手く言えないけれど、自分は存在価値のない人間だ、というような思いを、物心ついた頃からぼんやりと抱いていた。

そのせいか、何をしていても、気づけば、こんなことをして何の意味があるのかと考えている。人が笑っているのを見ると、悲しくなる。何があってどんなに喜んでいても、虚しいこと。第一、自分はその笑いの輪には入れない。無理して人に気に入られようと、親切にしてみても、ありがた迷惑な顔をされたり。逆に人からの親切に対して、自分はそれに値する人間ではないので、何か下心があるのではないかと猜疑心を起こしたり。

いくら頑張っても自分は他人様(ひとさま)の仲間には入れない。それだけの価値がない人間なのだ。自分が生まれて来たことになんて意味はない。生まれて来なければよかった。いなくなった方がいい。――

ワクは静かに、

「そうか。そんな風に感じているんだね。」

それだけ言って、あとは無言で何度もうなずきました。

すると、少女は目を見開き、やがて、その眼から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちました。ワクはその背中をそっと撫でます。少女はしゃくりあげ始めました。ワクは優しく微笑んで続けます。

「誰の人生にも意味なんてないんだよ。意味が欲しい人は自ら()()()()()()いるに過ぎない。それでいいんだ。」

少女は驚いてワクを見つめました。

「昔、君と同じようなことを言っていた人がいたなあ。知り合いの女性で。特別死にたいわけじゃないけれど、生きている理由もない、なんてね。今は幸せに暮らしているよ。」

少女は下を向いて、黙って聞いていました。ケイには、それが誰の事なのか分かったようで、静かにうなずいていました。

「誰もが皆、自分の生まれてきたことに意味なんて無いんだと、うすうす気づいている。大部分の人は、意味が無いなんていうことを受け入れたくないから、必死で意味を作ろうとしている。中には、そうするあまり、他人(ひと)のことまで気にする余裕のない人もいる。このおじさんを見てみろよ。いや、君からしたらお爺さんかな。若い頃から、山を目指してずっと歩いて旅をしているんだよ。こんな年齢になっても。山を目指すことに何の意味があるのか、誰かに聞かれても答えられない。そんなことをしている自分に、大した価値があるとも思えない。少なくとも、周りの人から見たら、存在意味の無い人だろうな。でも、それでいいと思っている。自分が満足すればよいのだから。自分の人生なのだから。」

焚火にくべた枝が一つ、炎の中心に落ちて、炎が一瞬大きく燃え上がりました。少女の眼にも赤い炎の光が映りました。

「図々しくなりなさい。君は生きている。それだけで幸せになる資格がある。ただ、感じたままに素直に生きて行けばいいのだから。」

炎を映した彼女の瞳に、ほんの小さな輝きが宿ったように見えました。

ケイは終始無言で、二人の話にじっと耳を傾けていました。


少女は、名前をシオリといいました。年齢は十八歳。話しているうちに少しずつ心を開いてきたシオリは、時々、ワクたちの発言に対してかすかな笑顔を見せるようになりました。笑うと八重歯がのぞき、整った容姿に愛嬌が加わって、何とも可愛らしいのでした。

今晩はここで寝て、明日の朝、自宅へ送り届けようということになりました。


翌朝、身支度を整えた三人は、山を下り、シオリの自宅へ向かいました。そこは驚いたことに、ワクたちが最初にシオリを見かけたあの茶店の、向かいの彫り物屋でした。

家が近づくにつれて、シオリの表情が硬くなっていくことが、ワクは気になりました。

三人は裏の方――家族の住んでいる住居部分へ回り、戸口の前に立ちました。と、その戸口からちょうど、一人の婦人が出てきました。

「あ…。」

身を固くして下を向くシオリ。

婦人は、彼女に関心がないように、一瞥をくれただけで、そのまま裏庭の方へ行こうとしましたが、ワクたちを見つけて、怪訝な顔で立ち止まりました。

「どちら様ですか?」

「ああ、突然お邪魔してすみません。シオリさんをお宅までお送りしてきました。昨日ちょっとある場所でお会いしまして。」

「…そうなんですか。それはどうも。」

そのまま向こうへ行こうとします。

「あの…。」

ワクは思わず声をかけました。

「はい? 何か?」

「いや、シオリさん、昨日実は、山へ登りまして。」

「はあ。」

「ちょっと危なかったんですよ。」

「…。」

「ええと、何ていうか…。」

「ああ、お礼ですか。おいくらほど差し上げれば?」

「いや、そういうことではなくて。」

「?」

「一人でふらふらと山の方へ上って行かれたもんですから。夕方に。」

「…。」

「それで…。」

「あの。」

ケイが、横から、もう堪らないとでもいうような様子で口を挟みました。

「一人で山へ入ろうとしていたんですよ、娘さん。若い女の子が! 夕暮れ時に!」

「それは、ご迷惑をおかけしましたねえ。」

「いや、だから、そういうことじゃなくて! 心配じゃないんですか? 何があったかとか、聞かないんですか?」

「…。」

夫人は面倒くさそうな顔をして、

「ちょっと待ってくださいね。」

中へ引っ込んで行きました。

「何なんだ一体! あのおばさん!」

「こら、ケイ!」

ワクはシオリをちらりと見てから、ケイを注意します。

「だってさ…。」

そこへ、中から男性が現れました。シオリの父親でしょう。

「これはこれは。ご迷惑をおかけしたようで。」

「…。」

「シオリ、こちらの方たちにお詫びしなさい。他人様(ひとさま)に厄介をかけたら、お詫びをするものだ。いくらお前でもそれくらいは分かるだろう。」

「…ご、ごめんなさい。」

「私からもお詫びを申し上げます。もう二度とこんなご厄介はおかけしませんので。…これを。」

父親は、何か紙に包んだものをワクの手に握らせようとします。

「何ですか?」

「取っておいてください。失礼だが、旅のお方のようですな? 先立つものはいくらあっても邪魔にはならんでしょう。」

「いや、ご心配には及びません。私たちは、物乞いではありませんので。」

父親は少し意外そうな顔をして、

「そうですか。…では。私はこれにて。店の方が忙しいので、失礼させていただきますよ。」

父親はくるりと向きを変え、家の中へ入って行こうとしました。

「ちょっと!」

ケイが呼び止めます。父親は首だけをこちらに向け、

「まだ何か?」

「あんたねえ!」

気色ばむケイを、ワクが抑えました。シオリの方を見ると、手で顔を覆っています。泣いているようです。

それを見て、ワクはとっさに決心をしました。

「この子、一緒に連れて行ってもいいですか?」

「はぁ?」

「この子に、広い世間を見せてやりたいと思いまして。色んな人と出会って、色んな体験をさせてやりたい。」

父親は怪訝な、かつ非常に不快そうな表情を浮かべましたが、やがて言いました。

「旅の費用をお支払いすることは出来かねますが。」

「もちろんそんなもの、いりません。」

「この子は、このように非常にうじうじ、めそめそした子で、ご迷惑をおかけするばかりかと思いますが。」

「結構です。」

「ならば…ふむ。本人がそれでいいならば、ご自由に。」

あまりの反応に、ケイはあっけにとられています。ワクもさすがに、ちょっと驚きました。が、肝心のシオリ本人は、驚いている様子がありません。きっと普段の様子からして、意外ではなかったのでしょう。

「シオリちゃん、どうだい? 俺たちと一緒に来ないか?」

シオリはゆっくりと、でもはっきりととうなずきました。気のせいか、安堵しているようにも見えます。

「そうか。じゃ、シオリ、元気でやりなさい。」

父親はそそくさと、家の中へ戻って行きました。


シオリは、生まれ育った家にそれほどの未練はないようで、いったん家の中へ入り、最低限の身の回りの品だけをもって再び裏口へ現れたときには、泣きはらした目元に、非常にさっぱりした表情を浮かべていました。

ワクはシオリに言いました。

「俺たちも、こんな貧乏旅をしている身で、大した者じゃないが、ささやかに楽しんで行こうじゃないか。生きるんだよ。元気一杯でなくてもいい。幸せ一杯でなくてもいい。一日一日、その日その日をゆっくり味わいながら、とにかく生きていること。俺たちの人生って、それでいいんだと思うよ。」

ワクの一行に、思いがけずまた仲間が加わりました。ケイは照れ臭そうな笑顔で、新しい仲間を歓迎しました。


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