XX.魔王の事情4
今日はフィーナのレッスンが休みだ。
だから先週同様に、彼女をデートに誘った。
今週は何かと忙しかったが、俺はこの日のために徹夜して仕事をすべて終わらせていた。
フィーナも何かと大変な日が続いていたが、彼女は俺の誘いを快く受けてくれた。
その時の笑顔が忘れられず、俺は胸を高鳴らせて眠りについた。
今日は天気が良かったので、湖にピクニックに行くことにし、フィーナが気に入ってよく飲んでいる紅茶と、パンとチーズを持って出かけた。
とても静かで綺麗に澄んだ湖を二人で肩を並べて眺めながら、ゆっくりとした時間を過ごした。
城ではいつも忙しくしているから、こういう時間は貴重で、かけがえのないものだ。
特にフィーナと過ごす時間は一分一秒がとても大切なものなのだ。
隣で笑いながら話しているフィーナの表情をひとつも逃さないように見つめ、この平和で幸せなひと時を胸に刻んだ。
食事が済んだら少し水辺を歩くことにし、彼女の手を握る。
こうすることにもだいぶ慣れてくれたようだけど、未だに少し照れくさそうに微笑むその顔がまた可愛らしい。
砂浜を歩いていると、フィーナはじっと湖を見つめた。
もしかして、水遊びをしたいのか……?
そう感じたが、彼女の服が汚れてしまっては困る。
少し考えてから、俺は自らの靴を脱ぎ、ズボンを捲って彼女を抱き上げた。
「ルーク様、濡れてしまっています……」
「これくらい平気だ。それに、気持ちいいぞ」
驚いて俺にしがみつくフィーナにそう言って微笑み、バシャバシャと水音を立てて歩く。
こんなところを従者に見られては、確かに怒られるかもしれない。だが今はフィーナと二人きりだ。フィーナは気取らない女性だから、彼女の前ではありのままの自分でいられる。
たまにはこうして遊ぶのも悪くないものだ。
しかし腕に抱いたフィーナとのあまりに近い距離に、自分でこうしておきながら少し緊張してしまった。
胸の鼓動はフィーナに伝わってしまっているかもしれない。
そう思うと少し照れくさくて、俺は彼女の視線に気がつかないふりをして真っ直ぐ前を向いた。
それから暗くなる前に帰るため、馬車に戻り帰路を行く。
楽しい時間というのは本当にあっという間に終わってしまう。
早く、当たり前のように彼女と共に過ごす時間を長く持てたらいい。
しかし焦らせるようなことはしたくない。
彼女が俺を好きになってくれるまで、俺は待つつもりだ。
それでもこうしてフィーナの隣に座ることは許してくれている彼女を、とても愛おしく感じる。
そんなことを考えていると、フィーナが改まった様子で口を開いた。
「……ルーク様、」
「ん?」
そっと俺の名前を呼んだが、それ以上続かないフィーナに顔を向ける。
彼女は俯き、握りしめた右手を小さく震わせていた。
「どうしたの?」
その様子に疑問を感じ、問いかける。
「……あの、お話があります」
「うん?」
そう言いながらも一向に話し始めないフィーナだが、何か言い難いことを伝えようとしているのだと、彼女が話してくれるのをゆっくり待った。
「あの……私は、」
「……」
けれど、その顔がどんどん赤くなっていることに気がついた。
まさか、彼女は俺に想いを伝えてくれようとしているのではないか――?
「私は、ルーク様のことを……!」
「待って」
「……っ」
それを察し、彼女を制する。
不安げに瞳を揺らして視線を落とすフィーナの姿に、彼女の勇気を失礼な形で断ってしまったと、すぐに誤解を解いた。
「……違うよ、フィーナ」
「え……?」
「まずは私に言わせてほしい」
「……」
思えば、俺から彼女へ直接気持ちを伝えたことはこれまでになかった。
「フラッフィーナ・アリアコール。貴女を心からお慕いしています。どうか私の妻となってください」
「……っ!」
俺たちは決められた結婚をする。もし彼女が俺を好きになってくれなくても、最終的には聖女である彼女が俺と結婚するのを拒むことは難しいだろう。
それでも、俺は彼女の気持ちを尊重したい。
王や聖女など関係なく、俺はフィーナという一人の女性に惚れたのだ。
そんな気持ちが伝わるように真剣に告げ、敬意を表すように彼女の手を取ってそっと口づけた。
「……返事を聞かせてくれる?」
固まってしまったフィーナににこりと笑みを見せ、返事を求める。
「は、はい……っ」
ハッとして唇を動かすフィーナの顔は再び赤らんでいく。けれど真っ直ぐに、俺を見つめてくれた。
「ルークアルト・クロヴェリア様……私も、貴方をお慕いしております。この結婚、謹んでお受けいたします」
「フィーナ……」
途端、ギュッと目を瞑り俯いてしまうフィーナに、胸がグッと熱くなる。
ああ、ついにこの日が来た。
二年想い続けた愛しい人と、気持ちが通じ合えたのだ。
今まで生きてきた中で、一番嬉しい瞬間であった。
フィーナといれば、きっとこれからもその瞬間は更新されていくだろう。
「フィーナ、顔を隠さないで?」
「……恥ずかしいです」
「可愛い」
俯き顔を隠そうとするフィーナの頬にそっと手を伸ばし、たまらずにその唇に口づけを落とす。
ずっと触れたかったその唇はとてもやわらかく、あたたかかった。
そのまま額にも口づけし、愛しい身体を抱きしめる。
小さく、華奢なフィーナは俺の胸にすっぽりと収まった。
「可愛い……私のフィーナ」
「……ルーク様」
とてもとても愛しくて、髪を撫でながら何度も口づけを送る。
そうしていれば突然、フィーナの胸の辺りから小さな光の玉が浮かび上がった。
何事かと、彼女の肩に手を置いてその光を見つめる。
「フィーナ……これは?」
「……わかりません、なんだかとても、胸が熱くて……」
初めて見るような光だった。とても優しい光だが、強い力を感じる。
「もしかして、聖女の光……?」
「でも、どうして今……」
二人でその光を見つめていると、やがて光は小さくなり、スン――、と消えてなくなった。
「……目覚めたのか?」
「……わかりません」
フィーナにその自覚はないようだ。
しかし、おそらく今のはそれだろう。
だが、なぜ今だったのか――。
まさか、フィーナと俺が想いを通わせたことに関係あるのだろうか。
はやる気持ちを抑えつつ、俺たちは王宮への道を進んだ。
*
「――ほう、とうとう好きになってもらえたのか」
「ああ、あの時のフィーナは……本当に可愛くて、可愛くて……この世のものとは思えなかった」
その夜、俺の自室でフェリオンと酒を飲みながら、聖女の光らしきものが発動された話をしていた。
そして俺の様子に「他にも何かあったな」と目敏く気づくフェリオンに、フィーナと想いが通じあったことを伝えた。
「そうか。よかったな。それじゃあ聖女の力の発動はまさか想いを告げることだったと言うのか?」
「……それなんだが、定かではないが、もしかしたら口づけかもしれない」
「…………は?」
顎に手を当て、考える仕草を見せながらも俺の内心は浮き足立っていた。
百戦錬磨のこの男にはもうこの気持ちは分かるまい。
だからそれを悟られないよう、必死で気持ちを落ち着かせ、平気なふりをして言った。
「なんだお前、ちゃんとやることはやるんだな」
「フィーナが愛しすぎてな。あそこで何もしないのは、男ではない」
「……へぇ、魔王様が不能じゃなくて安心したよ。しかし魔王ともあろう男がよくもまぁ一途を貫いたよな」
言いながら、フェリオンはどこか他人事のように酒を口に運んだ。
俺の方は先程のことを思い出して、どうしても口元が緩んでしまう。
今日のフィーナは本当に可愛かったのだ。想いが通じ合えたからだろうか。あのまま聖女の光が発動されていなければ、俺は自分を止められなかったかもしれない。
「とにかく、もう一度試してみる必要があるな」
「……それはそうだな。発動のきっかけがなんだったのかは明らかにする必要があるだろう」
本当に、素直にそう思っているだけで、決してもう一度フィーナとキスができることを喜んでいるわけではない。
俺だってそこまで子供ではない。断じて違う!
「……今日はもう俺は帰った方がいいな」
「なぜだ?」
フェリオンは俺を見つめて息を吐くと「早く男になれよ、魔王様」と意味深に呟いて部屋を出て行った。