9日目.聖女の悲痛
その日もいつものようにルーク様と朝食を食べた。
フォークやナイフの使い方にも慣れてきて、最初の頃のようなヘマはもうしない。
いつもにこにこと機嫌が良さそうにしているルーク様だけど、今日は口数が少なく、元気がないような気がした。
寝不足なのだろうか?
その顔には少し疲労も窺える。
私は心配になって「どうかしましたか?」と聞いてみた。
「すまない、心配をかけてしまったね」
「いえ」
ルーク様は私の問いかけに小さく笑みを浮かべてから、再び思い悩んだ表情で口を開いた。
「最近北の森で魔獣が増えていてね。騎士団を調査に向かわせていたんだが、実は昨夜、その半数が怪我を負って戻ってきたんだ」
「え……」
「なんとか追い払って逃げてきたようだが、どうやら毒水大蛇竜が出たのではないかと……」
「毒水大蛇竜……!?」
「ああ、引き続き副団長たちに調査を行わせることになったのだが……」
毒水大蛇竜は、この世界でも伝説級の魔物だ。
この世界には獣の姿をした知能のない凶暴な魔物がいる。そういった魔獣等は見境なく襲ってくることがあるのだ。
だから国の民である魔人や亜人たちへ危害が加えられぬよう、王宮には騎士団と魔道士団がある。
その王宮騎士団のことは、私でも元々知っていた。
私が暮らしていた町、トリアルは王都より西にある小さな町で、あまり魔獣に襲われることもなかったのだけど、それでも近くの森で魔獣が出ると王宮騎士団の方たちが討伐しに来てくれていたのだ。
その騎士団の方たちが怪我を……。
私がトリアルの町で平和に暮らせていたのは騎士団をはじめとした、この王宮の方たちのおかげなのだと、改めて実感した。
「ですが、毒水大蛇竜は確か……」
「ああ、もうかなり昔に先代の魔王……私の父が倒しているのだが……。もしかすると復活したのかもしれない」
「……」
毒水大蛇竜などの伝説級の魔物の一部は、魔物の死骸や魔力溜りの影響を受け、再びこの世に生まれてしまうことがある。
その個体は一体しかいないはずなのだが、過去にも何度か出現しているのだ。
けれどもし毒水大蛇竜が今復活したとなると……。その力は魔王にも及ぶとも言われているのだ。かなり危険だ。
「……」
「すまない、不安にさせるつもりはなかったんだ。王都まで来ることはないだろうから、君は心配しなくて大丈夫だ」
「それで、皆さんの怪我の具合は……?」
「……ああ、幸い死者は出なかったが、重傷者が数名。魔道士団の回復薬を使ったが、手や足を失った者は元には戻らない」
「……そんな」
ルーク様は、初めて見せるような悔しみを含んだ表情を見せた。
王宮騎士団はかなりの手練が集まっているはずだ。
その騎士団が、大怪我をしたとなるとやはり相手はかなり危険な魔物であることは間違いない。
それにしても、騎士団の方たちが心配だ。
「すまない、朝からこんな話をしてしまって」
「私も、お見舞いに行くことはできますか?」
「……できるが、しかし、まだ傷が癒えていない者が多い。はっきり言って君には少し、悲惨な光景になるかもしれない」
「構いません。ルークアルト様、どうか私も一緒にお見舞いに連れて行ってくださいませんか?」
真剣に、ルーク様を見据えて訴えた。
二十日後にはここを出ていくことになるかもしれないけれど、それでも今は私もこの王宮に住まう者の一員だ。この国の一員だ。
どんなに悲惨な状況であったとしても、この目で見ておきたい。知っておきたい。
「……わかった。それでは今日の昼、時間を取れそうか?」
「はい、大丈夫です」
「では迎えに行くから、昼食はしっかり食べておくんだぞ」
「わかりました」
午前の仕事が片付いたら迎えに行くと、ルーク様は約束してくれた。
その日の午前中の勉強には、私もいつもより身が入った。
特に、伝説の魔物と聖女のことについては、もう一度書物を見直してみたのだった。
*
昼になり、さっさと昼食を済ませると私はルーク様の迎えを待った。
「遅くなってすまない」
フェリオンと共に急いで来てくれた様子でそう言うと、挨拶もそこそこにすぐに医療棟へ向かった。
普段私たちが生活している棟とは少し離れているその建物に足を踏み入れ、ルーク様の背中に続く。
治療にあたっている魔道士団の方たちはルーク様を見ると立ち止まり頭を下げて挨拶をしてきた。
それに「よい」と手を上げて作業に戻らせると、ルーク様は奥の部屋の前で足を止めた。
「ルークアルト様……今日も来てくださったのですか」
部屋の中にいた魔道士の者が声をかけてくる。
そこにはたくさんのベッドが並べられており、手当は施されたはずなのに、今でも尚苦しみにうなされている者や、ただ静かに眠っている者、顔半分や短くなった片腕に包帯を巻いている者などがいた。
覚悟はしていたけれど、思わず言葉を失ってしまう。
なんと言っていいのかわからない。
もしこれが自分だったら――自分の大切な人だったら――
いいえ、ここにいる者たちは皆大切な仲間であり、私たち国の民を守ってくれている恩人なんだわ。
平和しか知らずに生きてきた自分を情けなく思った瞬間だった。
*
「――なんとかならないのでしょうか」
一人一人に声をかけるルーク様の後ろで何もできずにいた私は、見舞いを終えて戻ったところでようやく口を開いた。
フェリオンはルーク様と顔を見合せたあと、
「あるいは聖女様が力に目覚めれば――」
静かにただ一言、そう言った。
「え――?」
「貴女ももう習ったはずだ。聖女様の魔力は我々とは比べものにならない。個人差はあるが魔道士団団長であるラステリーをも凌ぐ回復薬を作ることも可能かもしれないし、重傷者の傷を癒すこともできるだろう」
「……」
「それに、そもそも聖女様が現れその力を解放すれば、魔獣の邪気は浄化され、大きな被害は出ないとされている」
フェリオンは私を真っ直ぐ見つめながら言った。
その目は〝聖女様〟という言葉を使いながらも、私に訴えかけられていた。