XX.魔王の事情2
フィーナが王宮へ来てすぐ、彼女の花嫁修業とも呼べるレッスンが始まった。
正式にフィーナを俺の婚約者として発表するお披露目会まではひと月しかなく、それまでに彼女が覚えることやできるようにならなければならないことが多すぎる。
貴族の出でもない彼女にそんなことを強いるのは気が引けるが、王の妻になるには仕方のないことであるのもよくわかっている。
ならばせめて、週に一度は彼女を休ませてあげたい。
フェリオンや講師たちにそう頼み、なんとか承諾してもらうことができた。
そしてずっと王宮に閉じ込められている彼女に気分転換をと、前日に街へ出掛けないかと誘ってみた。
それまでにもし予定が入ってしまっていたり、疲れているようならば断ってくれて構わないと思い、あえて前日に誘ったのだが、彼女は嬉しそうに承諾してくれた。
素直に、とても嬉しかった。
予定通り朝食後に二人で馬車に乗り込み、街へ出掛けた。
隣に座ればフィーナは緊張した面持ちで何か言おうとしたけれど、この状況を受け入れてくれたようだった。
二人きりになったところで今日の格好を褒めてみた。
城での綺麗に着飾ったフィーナも美しいが、やはりこういう自然体なフィーナが俺は好きなのかもしれない。
とても可愛いと思った。
素直にそれを伝えれば、フィーナは顔を赤くさせた。
その姿がまた可愛くて、俺も少し照れてしまう。
二人きりの空間でこんなに近い距離にいる彼女に、俺がどんなに貴女を想っているかを伝えてしまいたくなる。
二年間想ってきた女性だけど、彼女のことを知れば知るほどこの想いは大きくなっていく。
ああ……本当は今すぐにでも君を抱きしめたい。
その感情をなんとかこらえ、それでもつい緩んでしまう口元に笑みを浮かべた。
街に着いて馬車を降りる際、エスコートに差し出した手はそのまま彼女の手を握って歩いた。
フィーナの手は小さくて可愛い。いつまでも握っていたくなる。
そして王都の街を見て、フィーナはとても嬉しそうにしていた。
欲しいものがあれば買ってやろうと思っていたのだが、彼女は今の暮らしで十分なのだと、それを丁重に断ってきた。
それは確かに、フィーナらしいと思うとたまらなく愛おしく感じた。
彼女が望むものはすべて叶えてやりたいと思うが、彼女はそれを望んでいないのかもしれない。
であればせめて、フィーナには笑っていてほしい。
それくらいのことはさせてくれと思いながら微笑んで、一緒に店を見て回った。
それから贅沢を望まないフィーナと出店で軽食を取り、少し話してから再び街を見て回った。
暗くなる前に王宮へ戻るため早めに馬車へ乗り、俺はそのまま彼女の手を離さずに隣に座った。
行きの馬車よりも、彼女が心を開いてくれているような気がしたのは、俺の勘違いだろうか?
疲れていたのだろう。ウトウトとしながら時折肩に凭れてくる彼女に、俺の方が胸が高鳴った。
フィーナはあたたかく、やわらかい。
彼女の温もりと芳しい香りに少し緊張したのは黙っておく。
気を抜けばその身体を抱きしめてしまいそうだった。
ずっとこのまま、時が止まればいいとさえ感じてしまったが、残念ながら馬車はあっという間に王宮へ到着してしまった。
「今日はとても楽しかった。貴重な休日をいただいて、ありがとう」
降りる前にそう伝えれば、フィーナからも真っ直ぐな視線が返ってきた。
「こちらこそ、本当に楽しかったです。付き合ってくださり、ありがとうございます」
その瞳に偽りは感じず、緊張しながらまた誘ってもいいかと聞いてみれば、すぐに笑顔で頷いてくれた。
フィーナは俺との結婚を嫌がっていたから、もしかすると断られるかもしれない。そう覚悟していたから、その返事が嬉しすぎてつい、彼女に手を伸ばしてしまった。
「……どうか〝ルーク〟と」
「え……?」
そして少し踏み込んで、愛称で呼んでもらうことを望み、自らも彼女を愛称で呼ぶことを希望する。
すぐに許してくれたからさっそく呼んでみると、フィーナは少し恥ずかしそうに視線を落とした。
「呼んでほしいな、君に」
強請るように静かに囁くと、フィーナはおそるおそる、という感じで〝ルーク〟と呼んでくれた。
俺をそう呼ぶ女性は、もちろん彼女だけだ。
彼女だけの特別をプレゼントしたつもりだったが、俺の方が嬉しくなってしまった。
「……ルーク様?」
不安げに見上げてくるフィーナの顔が可愛すぎて、口づけてしまいたくなる。
やわらかな髪を撫で、耳に触れる。
そのまま手を滑らせてなめらかな頬を包み込むと、フィーナは何かを察してその頬を赤く染めあげた。
ああ、可愛い。
愛おしい。
形の良い小さな唇を見つめると、さすがにビクリと小さく揺れて動揺の色を瞳に宿すフィーナに、やっぱり抱きしめてしまいたくなる感情をぐっとこらえてその手を離した。
「すまない、君があまりにも可愛くて」
「…………ルーク様」
可愛さのあまり口元を緩めて笑ってしまえば、フィーナは少し怒ったように俺を可愛く睨みつけてきた。
「部屋まで送ろう」
これ以上ここにいれば手を出してしまいそうだと自嘲して、馬車を降りる。
女性に対して、自分の中にこれほどまでに熱い感情があったのだと、彼女に出会って初めて知った。
そんなフィーナを決して手放しはしない。
俺はその日改めてそう胸に誓った。




