第95話 アヤメ母と 6月4日
「乱暴にしてごめんなさい――実は」
「アンタ前に来たアヤメのっ! やめっ放せっ!!」
アヤメの母、桔梗は俺の話を聞くことなく怒鳴りつける。
暴れ回って俺の腕を抜け、スマホを取り出して電話をかけ始めた。
警察だったらまずいと身構えたが、桔梗はすぐに唖然とした顔でスマホを耳から離す。
「な、なんでブロックされてるの?」
良かった掛けたのは清水だったようだ。
恐らく俺がこの家に来る間に会社でとんでもないことになっているだろう。
俺は気付かれないように安堵の息を吐く。
「アイツのことは忘れて下さい。どうせ近いうちに捨てるようなことを言ってましたよ」
桔梗が俯いたのでようやく話ができるかと近づくと彼女は鬼の形相で顔をあげる。
「――アヤメだな」
娘ではなく仇の名を呼ぶような形相だ。
「アヤメに言われて私をメチャクチャにしに来たんだろ――アイツ殺してやる」
桔梗はテーブルの上に無造作に放置された包丁を握りしめ、俺に向かって振りかぶる。
こんな展開は予想してなかったが仕方ない。
軽く息を吸い込み、桔梗と握りしめた包丁の動きを見極める。
俺は武芸なんて全く知らないが、少なくとも包丁が迫って来るぐらいで動揺することはない。
ゾンビの歯や三脚の腕と違って最悪腕で受けりゃ死なないのだから大したことではない。
そして刃が届く直前に軽く後ろに下がり、大きく空振りしたところで腕を取る。
「包丁を放して下さい。放してくれないと痛くしますよ」
俺が掴んで手に力を込めると桔梗は小さく叫んで包丁を取り落とした。
「アヤメがあなたに酷いことしろなんていうわけないでしょう。アイツは今でも……って聞いてないな」
桔梗は包丁を取り落として尚、暴れ回る。
これでは話どころではないのでどうするか。
俺は昨日秋那さんから聞いたことを思い出す。
「年上の女が言うこと聞かなかったら? 押さえつけてヤっちゃえばいいよ。無理やりでも一発しちゃえば大人しくなるって。私なんか付き合った男の8割ぐらいは無理やりされて始まってるから。で、ボロボロになるまで使われて捨てられて、まーた別の男にリサイクルされるエコな女だよね」
ダメだ参考にならない。
そこで気がそれたせいか口を塞いでいた手が外れて桔梗が叫ぼうと息を吸い込む。
「やばい」
人が来たら俺は強盗か強姦魔にしか見えない。
俺は桔梗の口を咄嗟に自分の唇で塞ぐ。
「ぐむっ!!」
桔梗は目を見開いて口を外そうとするが、俺も悲鳴をあげられたくないので頭を抱えて放さない。
逃れようとする桔梗と押さえ込む俺……。
俺達は唇を合わせたまま室内を転がり回り、互いの体を掴み、押し、引き寄せる。
そんなことをすれば当然唇だけではなく体のあらゆる場所が押し合い触れ合い擦り合う。
そして桔梗が膝蹴りを繰り出そうとした時、俺の体重に負けて大きく股が開いてしまった。
俺と桔梗の下腹部が制服のズボンとショートパンツ越しに密着する。
「……!?」
暴れる桔梗と押さえ込む俺のやり合いは続き、体中が激しくこすれ合う。
そんなやり取りがしばらく続き――。
「あうっ!」
桔梗が突然変な声をあげたかと思うと一気に抵抗がなくなる。
跳ね除けようとする動きがなくなり、合わさっていた唇が外れても悲鳴ではなく荒い息が漏れるだけだ。
どうしたのか顔色を伺うと桔梗は変わらず俺を睨む。
睨むのだがその目は潤みとろりとしていた。
押さえ込んでいた手を放してみるが逃げようとも暴れようともしない。
唇を放しても叫ぼうともせず、むしろ不服そうに口が追いかけてくる。
「あれ?」
殺し合いにも近かった雰囲気が一気に粘度の高いものに変わっていた。
桔梗さんは何も言わずに顔を逸らす。
いけると確信した俺は先ほどまでとはまったく違う優しい手付きで桔梗の頭を抱え、動きで乱暴にはしないとアピールしながらキスをする。
「ん……んむ……」
そしてキスに負けず劣らずの優しさで全身を軽く撫でる。
桔梗は30半ばなので晴香のような瑞々しい肌ではないし体型も年相応にたるんでいる。
だがそれは引き締まった体の下位互換ではなく若者にはない独特の軟らかさといやらしさを感じる。
なによりすごいのは触れるなり立ち上った女の香りだ。
まるで間欠泉のように吹き出すフェロモンがたちまち部屋を満たしていく。
「セックスをしませんか?」
俺が直球で言うと桔梗は一瞬硬直した後、無言のまま立ち上がり奥の部屋に向かう。
そこには見るからに湿っぽいベッドが置かれている。
「いいですか?」
「……やりなさいよ」
桔梗は何も言わなかったが無言のままベッドに乗り、俺も追ってすぐに乗る。
まさかの急展開に内心困惑しつつも体は既に臨戦態勢をとっていた。
だがここは覚悟が必要だ。
桔梗は俺の2倍の年齢で経産婦、更には不倫男と関係していたのだから相当慣れているだろう。
そんな彼女を下手くそなセックスで失望させたら強姦魔として警察に突き出されるかもしれない。
全身全霊、秋那さんに教えて貰ったこともフル活用して挑まねばならない。
「では頂きます!」
――2時間後。
「思った以上に雑魚だった」
俺はベッドの縁に座って呟く。
体を捻って振り返ると、ベッドではうつ伏せ状態の桔梗さんがヒィヒィと息も絶え絶えの様子だ。
「アンタが……おかしいのよ……高校生のくせに……上手すぎ……サイズも化け物かっての……」
良く考えたら百戦錬磨の秋那さんと同じレベルの人がそうそういる訳がない。
つまり桔梗さんは男子高校生と取っ組み合ううちに発情してしまったスケベなだけの女性だったのだ。
「ともかく」
俺はXLをゴミ箱に捨ててベッドの真ん中であぐらをかく。
「なんでアヤメをそんな嫌うのか話してください。落ち着いた今なら話せるでしょう?」
「……なんでそんなこと」
俺は桔梗さんの汗ばんだ首筋から腰までを軽く撫でる。
「話して。桔梗さん」
「……」
桔梗さんはしばらくベッドに突っ伏していたが、ゆっくりと体を起こして俺にもたれかかるように身を預けてから語り始めた。
「あの子の父親が私達を捨てて消えたのは知ってるでしょう?」
「えぇ」
しばらくは母娘2人悲しみながらもなんとかやっていた。
それはアヤメの方から聞いている。
聞きたいのはそこから桔梗さんがアヤメを嫌うようになった理由だ。
「あの子ね……ずっと父親のことを聞いてくるのよ『パパはいつ帰って来る?』『パパはどこにいってるの?』『どうしてパパは居なくなったの?』私のせいじゃないのに! アイツが勝手に捨てたのに!!」
激昂する桔梗さんの首筋を優しく吸って宥め、続きを促す。
「一緒にいるのは私なのに。必死に頑張ってたのは私なのに……。それでいつだったか、なんで喧嘩してたかももう覚えてないけど言われたの『パパならこんなことで怒らない!』って。そこから大喧嘩になって……酷いことを散々に言い合って、その日以降……アヤメがアイツの娘にしか見えなくなった。愛情も何もかもなくなった。それで全部お終い」
なるほど確かにそれは辛い。
夫に捨てられ必死に娘を育てていた母親が受けて良い仕打ちじゃない。
「その上で」
「痛い!!」
俺は桔梗さんを振り返らせてデコピンを見舞った
「中学生の娘と対等に喧嘩してどうするんだよ。堪えてやれよ」
「うう……」
言いながら後ろから抱きしめて再び首筋を吸う。
これ以上追及するつもりはないしその意味もないので話題を共感に移そう。
「夫の方は酷かったですけどね。あれは酷かった……」
「あのクソ野郎に会ったの!?」
俺が会いに行った元夫の現状を軽く話すと桔梗さんはざまあみろと笑った。
そして一通り笑った後、俺の首に手を回してくる。
「ねえ。私の男になってくれない? 清水さんどっかやっちゃたんでしょ?」
俺が断る前に桔梗さんは更に迫って来る。
「私の男になってくれたらアヤメもあげるからさ」
「よーし。そこになおれ」
額に今度はデコピン2連撃。
「……痛い」
「娘をあげるなんて言うからです」
俺は1つ溜息をつく。
「もうどうしてもアヤメを愛せませんか?」
「無理……かな」
予想はしていたがはっきり聞くと悲しいな。
しかし愛せず嫌いになってしまった以上、無理やり一緒に居てもお互いにとって不幸なだけだ。
「じゃあアヤメは桔梗さんから離します。他のことは全部こっちでやりますから、ただ見送ってやって下さい」
「……うん」
これで桔梗さんがアヤメの今度に余計な口を出して来ることはないだろう。
まず一つ上手くいった。
「でも清水さんもいなくなって君も一緒に居てくれないなら……私本当に一人ぼっちだね」
そう、ここで桔梗さんを一人にするのでは婆さんとの約束を果たせていないし、寂しさや絶望で最悪の決断に至る可能性もある。
「だから対策は考えてあります。要は一緒に居れる人を探せばいいんでしょう?」
俺は桔梗さんのスマホを借りてアプリを一つダウンロードした。
「なにこれ」
「出会い系アプリ」
一気にげんなりした顔をする桔梗さん。
なんでだよ。
これ以上にさっくり出会える手段なんてないだろ。
しかもこのアプリは登録から身元確認まで全てネットで完結できる。
すぐに登録即会えるが売りなのだ。
「というわけで登録用の写真撮るんで化粧してください。但し完璧じゃなくて少し隙を残す感じで。服装も露出するのじゃなくてむしろ体に密着させる感じですね。プロフィールは適当にこっちで仕上げるとしてっと。あと免許証貸して」
当たり障りのない経歴と離婚歴はあえて書いた方がいいな。
子どもは別居……よしこんなもんか。
「なんで人のことなのにそんなサクサク……ってちょっと待って! 体型欄の『少しお腹たるんでます』ってなによ! さっきそんなこと思いながら私のこと抱いてたの!? ちょっとフォローしてよ!」
俺は溜息をつきながら首を振る。
「あのですね。若い子ならともかく30半ばの女性と出会いたい人はモデル体型なんて期待してませんよ。むしろちょっとたるんでだらしない方が燃える!」
「そんなの君だけでしょ!」
「絶対に数多の同志がいるはずですって。さて30半ばで出会い目的、胸は大きめ体はゆるめ……さて登録完了っと。うおっ!?」
登録して1分もしないうちに通知が鳴り始める。
相手の情報を見ている間に次が来てピコピコと通知音が止まらない。
「女性が出会うのってこんなに楽なのか……」
これが男だと逆でめぼしい人に連絡を求めつつ、ほとんど無視されるんだろうな。
やったことはないんだけどな。
「それで私はこの通知から出会う人選べばいいの?」
「いえ俺が選びます。あの旦那を選んで清水に遊ばれてる時点で貴女に男を見る目はないので」
桔梗さんは一声グウと唸ってグチャグチャに湿ったベッドに倒れ込む。
まず出会いと言っても良い関係にならないといけないのでヤルだけの目的の相手は排除だな。
ストーカーになりそうな雰囲気のある奴もダメ。
たかってやろうの魂胆が見えている相手も弾く。
こういうのは男の目で見れば本当にすぐわかるんだよな。
「こいつには一応メールしてみましょうか」
「メールも君が打つんだ」
女になりきってメールするのちょっと楽しいな。
『プロフィールの年齢見てちょっとオバサンすぎるかなって思ったけど、若い感じでいいっすね! メッチャ楽しいです! 是非会いましょうよ!』
なんて言われてしまったりもする。
「そいつはブロックで」
残念。
「そんなこんなでやった結果残ったのがこの男です」
桔梗さんが怖々と画面を覗き込む。
「年齢40歳……市の外郭団体職員……収入はそれなり……小太りで顔は……えぇぇ……」
「いやいや年齢的にはちょうどいいでしょう? 仕事は安定してるしメールのやり取りからも優しい感じがしましたから乱暴されることは絶対ないです。おまけにこれだけ不細工なら浮気なんでできませんよ」
我ながら優良物件を見つけたと思ったのだが桔梗さんの反応は悪い。
「まあ年齢は別にいいけど、出来ればもっとイケメンで細マッチョで高収入で――痛い!」
俺は再び桔梗さんの額にデコピンを見舞う。
「ムチャクチャ言わないで下さい。そんなスペックの人は恋人なんていくらでもいますよ。こんなアプリに登録してくるとしたらスペックぶち壊すぐらいヤバいの抱えているか恋人以外の遊び相手見繕っているかに決まってますよ」
その時またも通知がピコンとなる。
「ええと……なになに。年齢33歳、大手商社管理職、年収2000万……趣味はテニスとフットサルでアマチュア大会出場? 顔は……うおっ俳優並かよ」
「ほらほら来たー! それっそれが良い絶対!」
確かに俺が勧めた小太り40歳ではこいつに太刀打ちできるはずもないが……。
「ふむ、離婚して連れ子がいるらしいですよ」
「それぐらい妥協するわ」
偉そうにと思いながら詳細を聞いて見る。
「えっとなになに……連れ子は1歳、3歳、4、5、7、8、11、12、14……9人だそうです。大丈夫ですか? 実子1人でもこうなったのに」
「……無理です」
ほらみろ、そんなに人生甘くない――ってまたすごいの来たぞ。
「28歳貿易会社経営、年商5000万、初婚……これまたイケメンだな」
「それっ! 絶対それっ!」
さすがにこんな条件の相手に連絡しない訳にはいかない。
俺が精一杯好印象を与えられるように連絡すると即座に返事が返って来る。
『失礼ですが出産経験がお有りとのことで母乳は出ますでしょうか? 量はどのぐらい出ますでしょうか? 今後50歳ぐらいまで出し続けて頂くことは可能でしょうか?』
「いやぁぁぁぁぁ!!」
「変態じゃねえか! どんな好条件でも全部吹っ飛ぶわ!!」
俺はスマホを叩きつけかけた手を危うく止める。
「ともかく大人しくこの――太野さんとくっついて下さい」
名前もなんともイメージ通りだ。
「うーなんか釈然としないなぁ」
俺はブツクサ言い続ける桔梗さんを尻目にデートの約束を取り付ける。
「見るからに弱気な相手でしょうから桔梗さんの方から迫れば完全に主導権取れますよ。交際経験も少なそうですし、夜もがっちり押さえれば完全に尻に敷けますよ」
「今さっき高校生に撃沈されたから自信もてないわ」
それは秋那さんの特訓の成果だから気にしないでほしい。
「大丈夫とは思いますが万一ヤバい奴だったら連絡下さい。乗り込みます」
桔梗さんがニコリと笑う。
この笑顔をアヤメに見せてやって欲しかったけど仕方ないか。
「じゃあ俺はそろそろお暇しますね」
次はアヤメの所にいかねばならない。
「あっちょっと待って」
呼び止められて振り返ると1枚写真を撮られた。
それも顔ではなく股間をドアップで、だ。
「ほんとこんなの見たこと無い……清水さんも大きかったけど比較にならない……高校生でこれって将来どうなっちゃうの」
「……性別が逆だったら即逮捕ですよ」
まったくと笑いながら服を着る。
「最後に一つ」
桔梗はとんでもない写メを保存したスマホをテーブルに置いて床に正座する。
「失敗した母親が言えることじゃないですがアヤメをどうか宜しくお願いします」
俺も服を着て桔梗さんの正面に立ち、何も言わずに小さく頭を下げた。
ちょっと遅れてしまいました。