第94話 高校生の懇願 6月4日
6月4日(金)『表』
正午
「誉じゃん。なんでかばん持ってんの?」
廊下で遭遇した陽花里が声をかけてきた。
「昼で早退するんだよ。今日もやらないといけないことがあってな」
「えーマジ? 放課後買い物付き合わせようと思ってたのにさー」
陽花里は不満たらたらの口調で言ってからピタリと動きを止める。
そして早足で食堂に向かい、3分ほどして帰って来た。
「……那瀬川、大盛の定食と自分の弁当並べて食ってたんだけど、なんであれで太らないわけ?」
「なんで晴香のところ行くんだよ」
昨日もこんなことあったなと思いながらカバンを背負う。
今日は着替えが入っていないので昨日よりはずっと軽い。
「那瀬川とのアレ見せられたら気にもするし。私がトイレ行ってる隙にパフェ頼んでさ」
「一緒にパフェ食うぐらい普通だろ」
陽花里が軽く俺の脛を蹴って続ける。
「好き好き言いながら食べさせ合ってるのは普通じゃないっしょ! しかも最後なんてアイス口移ししてたでしょうが!」
つい盛り上がってエスカレートしたんだよ。
「モールのフードコートであんなことするから周りの家族連れとかすんごい顔してたし! そこにあたしが殴り込むとか昼ドラかっての! 恥かいた埋め合わせはさせるから」
「奢らされた上に、ヒール付きの靴で股間思い切り踏まれてまだ埋め合わせいるのか……」
多分あれも周りから注目された原因だと思う。
そこら中の子どもから『しゅらばー』『うわきー』『だめおとこー』『ドマゾ』だの言われたからな。
「陽花里ー待たせた……ってなに話してんの? そっち誰さん?」
おぉ彼氏のタカ君が参上した。
陽花里が廊下で突っ立ってたのはこいつを待ってたのか。
俺の名前も顔も知ってると思うが、自分の彼女と話していたから威嚇してるのかな?
「クラスメイトだって。カバン持ってたからなんでかなーって聞いてただけだし」
「へえ。そりゃ大変だな。体気をつけろよ」
ポケットに手を突っ込んだまま、睨みあげるようにして言うタカ君。
「あ、あぁ。それじゃ俺はこれで……」
俺はタカ君の期待通り、伏目になってビビッて慌てた仕草でその場を去る。
彼には陽花里のことで大きな負い目があるから、少し恰好悪い演技ぐらいなんでもない。
今日の予行練習にもなったしな。
……せっかく彼氏の期待に応えてやってるのに、陽花里め見えてないと思って投げキッスするなよ。
ばれたら修羅場になるだろ。
学校を出た俺は計画を整理する。
「まずはアヤメの母親の部屋に通ってる不倫男をなんとかするか」
俺は口に出してから少し足を止める。
「この流れで初手不倫男成敗は嫌だな。別にやましいところはないんだけど……うん」
脳内に浮かぶのはさっき見たばかりのタカ君の顔とモールの更衣室内で下着姿のまま俺を見る陽花里の……先に母親の方からいこう。
こうして母親の部屋に向かった俺だがある車を見て足を止めた。
フロントライトはちゃんと直してあるようだ。
「時間午後1時……昼間からお盛んなことだ」
さすがに男がいるのでは乗り込めないと思っていたところで母親の部屋の扉が開いた。
俺は咄嗟に自販機の影に隠れてなにを買うか悩んでいるふりをする。
「それじゃあ俺は仕事に戻るからな。次は来週の……前も言ったが休日は絶対連絡するなよ?」
「わかってるわよ。でも奥さんと早く別――」
絵に描いたような不倫会話だ。
ここまでは良かった。
「最近はあのガキまったく戻ってきてないのか。まさかとは思うが事件とかなってないだろうな? 万が一にも面倒ごとはごめんだぞ?」
「警察も学校も何も言ってきてないし大丈夫だって。どっか男のとこでも転がり込んでいるんでしょ。邪魔が入らなくていいじゃない」
俺は適当に買った缶ジュースを握りしめる。
「ま、目立たないように消えてくれりゃそれに越したこともない。学校もそのうち退学させとけ、そうすれば学校と児相に何か言われることもなくなるからな」
「そうだね。ほんとこのままいなくなってくれれば――」
破裂音と共に腕が濡れた。
コーラ缶を握り潰してしまったのだ。
幸いにして男はその異音に気付かず、だるそうに階段を降りてくる。
「ふぅ……アイツバカでちょろいのはいいが、別れろ別れろうるさくなってきたな。ガキの方もなにするかわからねえし、最近は虐待だのネグレクトだの大騒ぎになるからそろそろ潮時か。年の割には良い体なんだがやばいリスク背負ってまで抱くほどじゃねえよな。次は庶務の渡辺あたりを狙おうか」
ブツブツ言いながら車に乗り込む男を見送り、俺は縦に潰れた缶を捨てて母親のアパートを後にする。
一応無駄足ではなかったな。
次の作戦をなんの迷いも罪悪感もなく実行できるようになったから。
俺はとある中規模オフィスビルの前に立つ。
『由良木商事 両河支店』の案内を見ながらエレベーターに乗って会社の受付に向かう。
オフィスビルだけあってサラリーマンやOLばかりで不倫男と同じバッジをつけた者も多く居る。
そこにあって制服姿の俺はとんでもなく目立つがこれでいい。
「いらっしゃいませ――ええと弊社に何か御用でしょうか?」
会社の受付では若い女性が丁寧な挨拶をしながらも怪訝な顔をする。
そりゃ突然高校生が訪ねてきたら怪しむだろう。
「営業2課の清水さんはいらっしゃいますか?」
「……ええとアポイントメントはございますでしょうか?」
予想通り不審な俺を受付が素直に取り次ぐことはない。
だが清水がここにいるのは確認しているし受付嬢の目と反応からも席があると確信できた。
この受付嬢でもいいのだけど、もう少し都合の良さそうな……。
「あら田中さんどうしたの? そっちの子は高校生かしら?」
「あっ! 受付一筋20年の佐藤さん」
お茶菓子片手に現れたのは見るからに噂好きそうな中年の女性社員だった。
俺は思わず立ち上がりそうになるのをこらえる。
そしていかにも深刻そうな顔で中年女性――佐藤女史を見る。
「どうしても……清水さんに言わないといけないことがあって……個人的な……ことなんですけど」
精一杯絞り出したボソボソ声と、緊張に震える手――まぁ演技だが。
「どうやら営業のクレームとかじゃなさそうね。申し訳ないけど用件を言って貰えないと取り次げないの。一体どうしたの?」
俺は佐藤女史が食いついたのを見てガバッと頭を下げる。
そして緊張しすぎてつい爆発的な音量になってしまった……という設定の大きな声で言う。
「俺の……彼女の母親に手を出すのをやめて欲しいんです!!」
「んなっ!」
目の前の2人はもちろん近くを通りかかった者や入口近くの席の社員までが一斉に俺を見た。
そりゃいきなりデカい声でこんなこと言ったら見るよな。
「え、えっと、清水課長は今外出していて、だから続きは応接室で――」
これはまずいと俺を別室に誘導しようとする田中嬢を佐藤女史が爛々と輝く目で制止する。
外見通りの噂好きだった佐藤女史の要望に応えよう。
「清水さんがアイツの母親とそういう関係になって……そのせいでアイツ母親と毎日大喧嘩で! 家にも帰れなくて学校にも来なくなって――助けてやりたいのに俺何もできなくて……どうしたらいいか、なにをしてあげられるかもわかんなくてっ! だからっ!!」
俺は興奮のあまり涙目になりながら冷静さを欠いた口調で一気にまくしたてる。
佐藤女史の目はもう光線を放てるかと思うほど輝き、田中嬢も周囲を見回しながら『まずいですよ やばいですよ』と言いながらワクワクを隠せていない。
そこで俺は声のトーンを落とす。
もちろん涙目は継続だ。
「アイツの母親と清水さんの関係に俺が口出しする筋合いなんてありません。でも清水さんは家庭があるから結婚しても貰えないだろうし……遊びの関係ならどうか手を引いて欲しいんです。これ……つまらないものですけど、清水課長が戻られましたらご迷惑をかけたお詫びに」
俺は深々と頭を下げながら高校生には安くない1980円のお菓子をデスクに置く。
「ご迷惑、おかけしました」
俺は三度深々と頭を下げ、涙を拭いながらその場を去る。
俺が背を向けた途端、佐藤女史はムーンウォークで営業二課ではなく『経理』と書かれた部署に飛び込んでいく。次の瞬間には残像の見えるスキップで『総務』に突入し、次いで回転しながら『人事』それから『企画』へ……今天井を移動していたように見えるがきっと気のせいだろう。
ともかく佐藤女史は期待通り会社中に話しまくっている。
それも多大な誇張を加えてだ。
今回の件で乱暴な方法は取れなかった。
清水がアヤメを直接殴った訳ではないし母親と爛れた関係になろうがそんなものは自由だ。
家庭があるのに不倫しているのは問題だが別に法に触れている訳でもないので奈津美の時のように警察を利用しての排除はできない。虐待としてアヤメの母親だけが排除される結果になり男は逃げるだろう。
秋那さんについていたヒモとも違ってまっとうな会社で管理職という社会的地位もあるから、一介の高校生の俺が下手な方法を取れば逆にこちらがまずくなる。
だからプライドを少々犠牲にして今回の方法を取ったのだ。
「暴力はもちろん脅してもいないし強いてもいない。泣きながら必死にお願いしただけだ。礼儀正しく菓子折りまでもってな」
それでいて効果は絶大だ。
俺を直接目にした社員も多いだろうし、なにより佐藤女史が会社中で言いまくったことは疑いない。
少々の嘘は吐いたが根幹部分の『清水が子持ちの母親と不倫している』『相手の親子関係が破綻』は真実なのだからどうしようもない。
「駐車場の車と部屋から出て来た写真もあるしな。脅迫と取られたくないので今回は温存したけど」
一階に降りたところで帰社した清水がだるそうに肩を回しながらエレベーターに乗り込むのが見えた。戻るなり大惨事だろうから1980円の菓子折り食って頑張ってくれよ。
「さて次は」
俺は再び母親の所に戻ってチャイムを鳴らす
「……はぁい」
清水と一発やってから寝ていたのだろう。
ダルそうな声とボサボサ髪で扉を開いた母親を俺は強引に部屋に押し込んだ。
「なっあんたは――ムグ!?」
叫ばれないよう口を塞ぎつつ扉を閉める。
本当はこんなリスクのあることをしたくないのだが、偏屈バアさんから出された条件を達成するにはこうするしかない。
「静かにして下さい。話をしたいだけです――【桔梗】さん」
名前を呼ぶと同時に昨日言われたことを思い出す。
『一つ条件があるよ 母親――桔梗ちゃんの方もなんとかしてやりな できるならアヤメだったかい? 面倒を見てやるさ』
婆さんは他の台詞同様に吐き捨てるような口調だったが雰囲気から嘘偽りではないと分かった。
そして母親――桔梗を本気で心配しているのも伝わって来た。
あれだけ邪険にしたアヤメも偏屈者の婆さんも桔梗を助けてくれと言っている。
まったく不幸なのか幸せなのか……ともかく少し強引にでも納得してもらおう。
次回とセットの話ですので文尾情報は次回にまとめます。
次回更新は明日19時頃予定となります。




