第93話 引受先 6月3日
6月3日(木)『表』
正午
「あれ? 誉、かばんもってどうしたの?」
昼食の誘いに来た晴香が俺を見て怪訝な顔をした。
「あぁ今日は昼で早退するんだ。どうしてもやらないといけないことがあってな」
残念と肩を落とした晴香が顔をあげ、陽花里の席を睨みつける。
そして席に彼女がいないと見るや勢いよく廊下へ駆け出し3分ほどして戻ってきた。
「……屋上で彼氏とご飯食べてた。すごい睨まれちゃったよ」
「なんで陽花里が関係あると思ったんだよ」
俺はかばんを背負って教室を出る。
着替えが入ってるから重くて困る。
「誉に前科があるからでしょ! まさかダブルデート中に更衣室であんな……下着姿で一緒に隠れるとかラブコメ展開も予想してたのに上を行かれるなんて……」
俺だってそんなつもりじゃなかったのについ盛り上がってしまった。
晴香が思い出し怒りする前にさっさと退散することにしよう。
「埋め合わせはまたして貰うからね!」
「ボコボコにされた上に高級レストラン奢らされたのは埋め合わせにならないのか……」
俺は情けない顔のまま晴香に別れを告げて学校を出る。
さて適当な場所でスーツに着替えて向かった先は平凡な一戸建てだ。
庭で洗車をしている男性を確認して歩を進める。
「お忙しいところ失礼します。――さんで宜しいでしょうか?」
「はい?」
顔をあげたのは30代後半のどこにでもいる平凡な中年男性、無精ヒゲが伸びているのは今日が休日で剃るのを怠けたからだろうか。
その平凡極まる顔が警戒の色を帯びる。
いきなり話しかけたのだから当然か、ここから世間話なんてすれば余計怪しいだろうから単刀直入にいこう。
「アヤメさんのことでご相談がありまして」
「――!?」
俺を警戒していた男の目が瞬時に動揺した。
「家庭環境について。お母様との問題もありまして」
そこで再び目が警戒色を帯びた。
ふむ。こいつはアヤメの名前を聞いて何かあったのかと心配して動揺した。
だが一方的に捨てた母親の名が出てきたので慰謝料や金の問題なのかと警戒した……そんなところか。
彼はアヤメと母親を置いて消えた父親だった。
「ええと、弁護士の方とかそういう?」
「そんな大げさなものではなくですね」
父親を刺激しないように言葉を選びながら俺は心の中でヨシと頷く。
父親は本気でアヤメを心配していた。
これなら同居と言わずとも面倒は見て貰える可能性が高い。
アヤメの口から父親の悪口は聞かなかったし、懐いていたような話も聞いている。
子ども残して逃げたダメ親だとしても想いがちゃんと残っているなら見知らぬ親戚や保護施設よりもずっと良いはずだ。俺としてはアヤメが幸せになる道を探したいのであって離婚の責任だの経緯なんてどうでもいいのだ。
「同居とは言いませんが1人暮らしのアヤメさんをサポートしてあげて欲しいと――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
父親は既に別の家族を持っている。
それは知っていたから同居以外の選択肢も切り出したのだが、なんか嫌な予感がするぞ。
「私もスズ――元妻には言いたいことがありますが、アヤメには本当に申し訳ないと思っているんです。サポートはもちろん、妻を説得できれば同居だって構わないと思っています。本当です」
「ですが……」
ほらきた。
「ですが今は時期が悪いと言うか……最近会社をクビになってしまって……」
「はぁ。それはお気の毒に」
間が悪いのは確かだが、別に豪華な暮らしをさせてやれとは言っていない。
世間は恐慌でもなし適当に転職すれば良いだけではないのか。
「クビになってしまったストレスもあってその……家の……主に妻の貯金を競馬でスってしまって……」
「ええ……」
この流れで前妻の娘と同居したいなんて言えないだろうな。
「おまけに昨日その……浮気……的なものがバレた直後でもあったりして……」
「……」
俺は心の中で天を仰ぐ。
この流れでアヤメの話を出してまとまるのは嫁が菩薩かなにかだった時だけだ。
「しかも妻は妊娠中で……アハハ。女の子らしいです」
この父親は悪人ではないのだろうがダメ人間すぎる。
こいつにアヤメを任せたら虐待はなくても結果として不幸にするだろう。
「それで私にできることは?」
「ねえよバカ」
俺は困惑する父親をおいてその場を去る。
上手くいきそうだと思っただけにショックは大きいがめげてはいられない。
「次だ次!」
次に俺が向かったのはアヤメの叔母だ。
こちらは夫とアヤメと同年代の子ども2人の家庭だ。
庭いじりをしている中年女性はパッと見、人当たりが良さそうに思えた。
「すみませんアヤメさんの件で」
状況を説明し終えると叔母は何度か頷き、同情するような調子で切り出す。
嫌そうな顔をされる可能性も考えていたがそうでもなさそうだ。
「親戚の噂で聞いていたわ。お父さんが逃げて大変よねぇ。私も妹とはあまり連絡をとってはいないけれど……ところで養育費のようなものはどれぐらい貰えるのかしら? 後は妹もそれなりに貯金あるって聞いたことがあるのだけど――」
アヤメがどんな子か聞く前に金が出てくるようではどうしようもない。
次だ次。
次は40代独身アパート暮らしの叔父……まあ確かめるだけならタダだしな。
ボロアパートに汚い部屋で確かめるまでもない気がするが清貧を旨とした聖人の可能性もある。
ほとんど下着姿で現れたのは太った不健康そうな中年男性だ。
手に持った買い物袋にはエロ雑誌とカップ酒が入っている。
「お、俺も生活に余裕はないんだけどな。アヤメちゃんね……あんまり会ったことはないんだけど中学生だっけ? ちなみに写真とかってある?」
「この子ですね」
俺は本人の写真ではなくネットで検索した『かなり美人でない子どもタレント』の画像を見せる。
「そもそも俺と妹は別に仲良くもないしな。なんでアイツの娘の面倒見なきゃ――」
「ごめんなさい画像を間違えました」
俺は画像を可愛らしいジュニアアイドルに切り替える。
「子どもに罪はないものな。それでいつからウチに来れるの?」
はいアウト。
こんな奴の所にアヤメを行かせたら大変なことになるところだった。
「で、結局残ったのは遠い親戚の70代の婆さん。気難しいの注釈付きっと」
到着したのは旧市街と山の手の境にある一軒家だ。
塗装の禿げた門扉の向こうには敷地面積の半分を占める庭があり、道のように敷かれた砂利が玄関まで続いている。
敷地の広い家が多い地域ではあるが、その中でも群を抜いて大きい家だ。
俺の家と比べれば優に倍以上はありそうだが相当に年期の入った平屋に豪邸感はない。
外から見える範囲で家を観察してみる。
窓には木製の雨戸と障子、立派な縁側も備えられ風呂とトイレは外廊下を通った別建屋のようだ。
玄関は引き戸でチャイムもない。
平成を通り越して昭和を感じる家なのだが、それは別にどうでもいい。
重要なのはそこから読み取れる家主の状況だ。
「まずゴミ屋敷じゃない。庭にはなにも物はないが雑草も少ない……定期的に手入れされてるな。気になるのは砂利や石が苔まみれなことだが……」
「ウチになにか用かい?」
背中に浴びせられた大きな声に俺は数瞬だけ動きを止めてからゆっくりと振り返る。
俺を見て……いや睨んでいたのは俺より頭2つぐらい小さな老人だ。
「……この家にお住まいの雨野スエさん。でよろしかったでしょうか?」
俺が言い終わるなり盛大な舌打ちが帰ってくる。
「表札にそう書いてあるだろうよ。無駄なこと言わせんじゃないよ。どきな」
俺もそう思うがあまりに若すぎたのでつい確認してしまった。
しっかり老人の外見ではあるのだが、活力というのだろうかオーラが70代とは思えなかったのだ。
老女は名乗ろうとする俺を押し退けて門扉に手をかける。
やはり難物だがここで見送っては来た意味がない。
「ちょっとお話があるのです。聞いて頂けないでしょうか?」
「あたしにゃないね。出直しな」
フンと鼻を鳴らして門扉を開こうとする手に俺の手を重ねる。
一々毒が強いのは本当に報告書通りだ。
「大事なことなんです」
俺が老女の目を見ながら言うと、彼女は睨み返すように視線を合わせ、鼻を鳴らして入れとばかりに玄関を指差したのだった。
――数時間後。秋那さんの部屋
「ということがあったんだ」
「へえ。頑張ったんだね誉ちゃん」
俺の腕枕に頭を乗せながら相槌をうってくれるのは秋那さんだった。
交渉が終わり、アヤメの部屋に寄ってお茶を飲んでいた時、秋那さんから連絡があった。
その文面が『ムラムラするので適当な男連れ込みます。ごめんね♪』だったものだから、俺はアヤメの頭を撫で回しながら別れを言って飛び出し、そのまま秋那さんの部屋に飛び込んだ。
するとタオル1枚の秋那さんが玄関で両手を広げて待っており、そのまま抱き合ってベッドになだれ込み今に至る。
満足そうな秋那さんに対して俺の方がぐったりしているのは技量の差だ。
「でもそこまでやってあげたのに、その子まだ食べてないんでしょう? 早くやっちゃえばいいのに」
身も蓋もない言い方に笑ってしまう。
「やっぱり中学生ですから。そんな簡単な感じでしちゃうのは――」
秋那さんは俺の口を指でつついて言葉を止める。
「話を聞く限り完全に落ちてると思うけどなー。中学生が親に見放されるとか絶望しかないし、そこを助けてくれた男の子なんていたらもうドロドロでしょ」
秋那さんは腕枕をやめて仰向けになる。
大きな形の良い胸を隠す素振りもない。
「もし私が一番ヤバい時に誉ちゃんみたいな男の子が助けてくれたとしたら……」
「したら?」
話に乗ってみる。
「完全依存、絶対服従になってただろうね。セフレにされようが遊ばれてようが傍に来てくれるだけで嬉しさしかないぐらい――まあ現実にはそんな人いなくて不良仲間の玩具になりつつ、売春からの妊娠でドボンだったんだけどね……あーまた黒いのきた……誉ちゃんヘルプ」
俺は秋那さんを組み敷き、キスを繰り返して安定させる。
「自分で地雷設置して自分で起爆するのやめましょうよ……あとアヤメは小柄なんでサイズの問題も」
「あー若い男癒される……サイズの方は仕方ないわ。そもそも誉ちゃんの特大サイズを中高生に使うって時点で無理があるんだって」
俺も高校生なのに理不尽だ。
「君のは男慣れした女……特に出産経験があって今は男日照りの30代人妻とかなら刺さるだろうなぁ」
「素直に喜べない……若者同士の青春がしたい……」
俺が落ち込んだふりをすると秋那さんは楽しそうに笑う。
「あとは避妊注意ね。誉ちゃんのは大きさでびっくりするけど、量とか濃さもやばいからね。中高生なんて体が孕みたいーって叫んでる年頃なんだから、こんなの入れたら即妊娠しちゃうよ。……ただ本当に手に入れたい娘にはわざと失敗して強引に自分のモノにしてしまうことも……」
「健全な高校生に邪悪なこと教えないで下さい」
秋那さんは笑いながらベッドから立ち上がる。
「でもその子って最初はすごく生意気だったんでしょ? こんな感じかな――コホン」
秋那さんは咳払いして声色と表情を変える。
「ざぁこざぁーこ♪ ざこエッチー♪ 女の子より先にへばって悔しくないのー? お兄ちゃんは全身ざーこ♪ どこ責めてもひぃひぃうるさぁーい♪ 我慢も全然できないしーおっきいだけでよわよわー♪」
わりと心にぶっ刺さったのだが演技だとわかっているのでなんとか耐える。
だが秋那さんの演技は止まらない。
俺の足を開いて間を覗き込み、絶妙に腹立たしく一言。
「――ちっちゃ♪ キモッ♪」
俺の頭の中で何かが切れ、気付けば叫びながら秋那さんに飛び掛かっていた。
――夜 自室。
「腰が痛い……」
あの後は完全暴走状態に陥った俺はもう何をどうしたのかも覚えていない。
覚えているのは何故か年上向けの技術を教え込まれたことと、最後は腰が動かなくなってうつ伏せに倒れ込んだこと、へばった俺の耳元で『ざぁこ』と囁かれたことぐらいだ。
「男としてのプライドをひどく傷つけられたのにどうしてこんなに満足しているんだろ」
なんとも言えない複雑な感情を処理しているとドアがノックも無しにあけられる。
「兄ちゃん。台所にスマホ忘れてたぜ」
新が夕食の時に置き忘れたスマホを持って来てくれたようだ。
お礼を言いながら受け取ろうとしたその時、ピコンと通知があがる。
『今日は調子に乗ってゴメン! お詫びに次は君の言うことなんでも聞いてあげるからとびっきりのを考えておいてね!』
秋那さんからだ。
しかもとんでもないセクシーポーズの画像まで添付されている。
「に、兄ちゃんこの人って!」
新が自分の部屋に駆け込み、秋那さん主演のDVDを手に舞い戻る。
持ってたんだな。それもシリーズもので3作も。
「この写真本人だよな!? 兄ちゃんルーナさんとどういう……こんな写メ送って来るってことはまさか!」
新がグイグイ迫ってきたところで、音程の外れた鼻歌を歌いながら紬が階段を登って来た。
「んあ? 2人揃ってなにして……」
紬の視線が俺から新、そして新が握りしめているソレへと移っていく。
「やめろよ……親はやめろよ……」
だが新の願いもむなしく消える。
「お母ぁさぁぁぁん!!! 新がエロいーーー!! 若妻不倫三昧――!!」
叫びながら階段を駆け下りていく紬。
「だから母親はやめろって言ってるだろがクソ紬――!!」
それを追いかけて新も階段を駆け下りる。
両手に不倫三昧持ったままだが大丈夫か?
俺は肩を竦めてから部屋に戻ってパソコンをつけ、マッチングサイトを立ち上げるのだった。
『表』
主人公 双見誉 市立両河高校一年生
人間関係
家族 父母 紬「姉」新「弟」
友人 那瀬川 晴香#26「女友達」高野 陽花里#2「同級生」三藤 奈津美#5「被保護者」風里 苺子「友人」江崎陽助「友人」上月 秋那#22「ざぁこ♪」キョウコ#2 ユウカ#2「クラスメイト」
中立 雨野アヤメ「暇」ヨシオ「同級生」ヒナ「新の友人」スエ「条件?」
敵対 雨野母「ネグレクト」不倫男「大企業管理職?」
経験値154