第89話 塔の秩序 5月31日【裏】
俺は綺麗に洗濯された服を着てエレベーターで上層階へ上がっていく。
隣には松野、腕にはアオイがしがみついている。
乗っているのはこの2人だけだ。
「他の奴は居住区に戻ってるだけだから変な顔すんなよ」
俺がタイコさんを気にしているのを察したのか松野はフンと鼻を鳴らしてから言った。
「心配しなくても北枝みたいなマッチョ女は趣味じゃねえ。新参はまず市長に挨拶するのが決まりなんだよ。だからお前達だけなんだ」
「市長……ね」
つい無駄口を叩いてしまったが松野は俺の失言を咎めるではなく笑う。
そしてチラリとエレベーターのカメラを見てから話し始める。
「俺も下らんとは思うが選挙とやらでそう呼ぶと決めたそうだ。ともかく真面目な人だから変な軽口はやめとくんだな」
俺は何も言わずに頷く。
「あと、多分いけ好かねえやつもいる。何かしら因縁つけてくるだろうが乗らずに流せよ」
再度頷きながら松野の顔が歪んだことに興味を引かれた。
ポーンと音を立ててエレベーターが停止する。
25階、ここの統治者達が居住している層だ。
扉が開き、ホールで待ち受けていたのは3人だ。
その中の1人が一歩前に進み出た。
「いらっしゃい新顔さん。無事隔離を終えられてなによりです」
声色に敵意はない。
だが同時に歓迎の感情もまったく感じない。
完全に社交辞令としての挨拶だ。
俺もまた形だけの挨拶を返しつつ視線を走らせる。
じっくり観察しているのを悟られないようにアオイの頭を撫でながら分析する。
声をかけてきた女性は年齢50代ぐらいで痩せ型。
立ち位置と松野の情報からして彼女が市長で間違いないだろう。
次いでアオイの顎下を撫でながらその隣にいる40前後の男を観察する。
逞しい体格で俺を警戒しながらも主として松野を睨んでいる。
恐らくこいつが『いけ好かねえ奴』だな。
2人から少し離れて20代の若い女性。
表情に緊張が見え、他2人の動きを気にしているので低い立場の人間だ。
俺はアオイの頬を揉み解しながら、更に観察を続ける。
女性の顔は可愛い系ながら奥底から湧き上がる色香を隠し切れていない。
無邪気なように見えながらかなりの男性経験があると推測される。
なにより胸がとても大きく、お尻はぴったりしたパンツを破きそうなぐらいむっちりしている。
こんな体をしていればいくらでも男が――。
「あのう、おにいちゃん」
「すまん」
集中するあまりアオイを揉みほぐし過ぎた。
そのやりとりを見て若い女性は笑い、軽く手を振ってくる。
もちろん俺も振り返そうとしたところで咳払いに遮られた。
「……私はここの市長【横須】と申します。貴方のお名前を教えて頂いてもよろしいかしら?」
市長に睨まれてしまった。
いきなりトップの人間に悪印象を持たれたくはないので真面目にいこう。
「双見誉です。高校生1年の歳ですけど、入学の前にこうなったから元中学生……になるんでしょうか」
特に変わり映えのない普通の自己紹介をした途端、市長が突然俺を抱き締める。
「そう……大変だったわね」
突然抱擁されて困惑してしまう。
まさか俺の若い肉体を求めて襲い掛かってきたのかとも思ったがそんな雰囲気では無いな。
俺の困惑を見て取ったのか市長は体を離し、申し訳なさそうな顔で俺を見る。
「松野さんからは調達要員をして貰うと聞いています。本当は貴方のような歳の子に危険な役目をさせるなんてとんでもないことなのだけれど……」
「それは納得の上なので構いません。アオイ――この子とタイコさんを安全な場所に置いて頂ければ十分です。2人が保護されている限り、俺は全力を尽くします」
「……お約束いたしましょう」
なんとか悪印象にはならなかったようだ。
「市長」
しかしそこに市長の弁を遮るように男が割って入り、露骨に敵意の籠った目を向けて来る。
そして男が市長に聞こえないように呟く。
「随分と恰好いいことを言ったものだ。松野におさがり女をあてがわれて宜しくやっていたガキの言葉とは思えんな」
そう言われると痛い。
隔離中は本当に食って寝てミドリとエッチしかしていなかったしな。
俺がどう返そうか悩んでいると男が追撃を浴びせて来る。
「でも仕方ない、お前が悪いんじゃない。連れて来たコイツが下品なクズ人間なんだから、そりゃ同類が来るに決まってる」
男の敵意は目の前の俺ではなく俺を通り越して松野に飛んでいるようだ。
もちろん松野も嫌味を言われて黙って愛想笑いする奴ではない。
「はっ! そりゃ綺麗な居住区から出ねえ【久岡】さんから見りゃ、俺もこいつも外を這いずり回って残飯を漁る下品な奴だよなぁ。アンタ柔道四段だったか? ケーサツで鍛えた大層な強さでやることが『タワー内の治安維持』と来た。凄めばビビってくれる人間相手にお仕事できて羨ましいぜ」
「もう一度言ってみろ半グレもどきのドチンピラが!」
俺はアオイを抱き上げて2人の間から抜ける。
怒鳴り合うのか殴り合うのか殺し合うのかは知らないが巻き込まれるのはごめんだ。
そして同じ考えで移動してきた若い女性と手が触れ合って笑い合う。
「私は【木船ルイ】全館へのアナウンスとか入場者の監――案内みたいなこともやってます」
聞き覚えのある声だと思った。
隔離室のカメラもこの人が見ていたとすればミドリとのセックスもしっかり見られていたことになる。
……ちょっと興奮するな。また見てもらいたい。
「ルイでいいよ。アタシも誉クンって呼ぶから」
「よろしくお願いします。ルイさん」
差し出された手を握る。
距離を詰めてやっぱりこの人は男好きだと確信する。
まずワイシャツのサイズが絶対小さい。
これだけの住居がある場所でサイズの合う服が見つけられないとは思えないから、わざときつめにして男の目を誘っているに違いない。視線もさっきから二度、俺の股間に向いた。
「……むぅ」
アオイが何故か腕を引っ張って来るので頭を撫でると頬が膨らんだ。
隔離が終わってからこんな感じなんだが体調でも悪いのか心配だ。
「いい加減にして下さい! 貴方がたはそれぞれ責任ある役職についている身なのですよ。こんなところで怒鳴り合っていてどうするのですか!」
睨み合う松野と久岡を叱りつける市長。
2人はそれぞれ最後に何か捨て台詞を吐いたものの、大人しく離れていく。
「へえ」
正直驚いた。
小柄な中年女性の言うことを2人が素直に聞くと思っていなかったからだ。
傍若無人に見える2人を従えるだけの人徳や権力が市長にはあるのか、それとも別の理由があるのか……さすがに初対面の場でそこまで探るのは前のめりすぎるか、やめておこう。
その後の住民達への挨拶はつつがなく終わった。
松野への恐れと軽蔑、俺への迷惑そうな視線も含めてつつがなく……だが。
俺はアオイをタイコさんに預けてエレベーターに乗る。
松野も一緒だが、久岡とやりあった怒りが収まらないのかエレベーターの壁を拳で叩く。
『故障の原因になりますのでエレベーターへの衝撃は避けて下さい』
「うるせえ! 見てんじゃねえよ!」
スピーカー越しに聞こえたルイさんの声に松野が怒鳴り返す。
「……で、ここの奴らのことわかったか?」
「まあボチボチ」
まず市長の横須さんだがこうなる以前から人をまとめる立場であったことは間違いない。
その上で真面目で規則にうるさく隔離のやり方などをみるに極めて小心で僅かなミスも看過できないタイプか……。
「横須さんは元公務員かな。かなり上位の」
松野の目が開く。
「当たりだ。横須さんは……県の教育委員会だったかな? そこの一番上だったそうだ」
「あぁ道理で」
それで俺が元中学生と話した時にあの反応だったわけだ。
俺相手にあんなパフォーマンスをしても仕方ないし、自然な行動だとすると悪人ではなさそうだ。
心の中で『失敗したくないオバさん』なんて失礼な仇名をつけていたがもう少し良い呼び方に変えよう。
次に久岡だ。
元警察官で柔道4段で仕事はタワー内の治安維持……までは会話の中で出て来たから推測の必要もない。
敵対的ではあったが、あの敵意は俺に直接ではなく松野が連れて来たという部分に向いている。
要は松野の敵だ。
「アイツは住民の間で揉め事が起きた時にしゃしゃり出て来る役だ。元警察官だかなんだか知らんが、自分が常に正しいと思ってる鬱陶しいクソ野郎だよ。ただ……人望はまったくねえ嫌われ者だから市長に毎日媚び売って地位を守るのに必死なのさ」
人望の無い嫌われ者は松野も同じなんだろうなぁとは口に出さない。
「もちろんアイツがしゃしゃり出られるのは『中』の揉め事だけだ。調達に関しては何もかも俺に任されてるから口出しなんかさせねえ」
松野はフンと鼻を鳴らして床に唾を吐く。
いやエレベーターで吐くなよ……。
『うわぁ……きったな』
カメラで見ているルイさんも嫌そうな声を出す。
ともあれ松野がDQN系の嫌な奴だとすれば久岡は地位や権力を振りかざして偉ぶる系のやはり嫌な奴だ。今の俺は松野の側に立たねばならないから、その敵も嫌な奴で良かった。
「あと木船は元ウグイス嬢やってたんだったか。ビビりで無責任でドジだから下らねぇ放送するぐらいしかできねえ女だ。まあ木じゃなくて泥船ぐらいにおもっとけ」
『……』
完全にルイさんに聞こえてるの分かってて言ってるよな。
どこまで性格が悪いんだこいつ。
更に松野はカメラを見ながら口角を吊り上げる。
「アイツは頭だけじゃなくてケツも軽いからな。ちょっと迫りゃ簡単にヤれんぞ」
「だよな。あれは絶対そうだと――しまった」
『……誉クン?』
つい同意してしまった。
俺がカメラに向けて全身全霊で謝っている間にエレベーターは14階、新参の者達――つまり調達に出る者達がいる場所に到着する。
「まあ顔合わせと言っても、この間からの失敗の連続で調達班はほとんど全滅だからな。次を補充するまではほとんど見知った顔だけだ」
視線の先にはまずミドリ。
身体能力は女性にしては高く、普通の行動には十分ついてこられる。
警戒心が高く周囲の異常には敏感だ。
一方で精神的に脆弱で追い込まれると冷静な判断ができなくなり逃走する傾向がある。
彼女は既に俺の女なので出来る限り守らないといけない。
次にヒデキ。日出と書いてヒデキと読むらしい。
風体はチャラ男風、年相応の男並みに身体能力はあるのでミドリよりも重量物が持てるはずだ。
ただ注意散漫な部分があるので隠密行動をしたり監視役を任せる時は怖い。
特に親しくもないので死んだらそれで仕方ない。
「あとは」
もう1人、知らない顔の女の子、いや女性がいる。
「スミレ……。昨日からここに来た。元は大学生だったけど中退して……他は特になし、です」
それだけかいと思わず突っ込みかけた。
松野もフンと鼻で笑っている。
スミレについては初対面なので何もわからないが、身長は俺と同じぐらいと女性にしては高めだ。
一方で晴香などとは違って筋力はあまりなさそうだ、ついでに胸も尻もない痩せ型だ。
挨拶のやり方からしても人付き合いはかなり苦手そうだ。
ヒデキやミドリがなにやら話かけているがまともに会話が成立していない。
これでは外でも意思疎通に難がでそうだな。
「当面はこの5人で調達を回す」
俺が『マジで?』と松野に顔を向けると、松野も顔をしかめながら『マジだ』と表情で伝えてきた。
「食料の残りは既に危険域だ。今日は時間的に厳しいが明日は調達に出る。具体的な計画はないから遊撃……辺りを歩き回って実入りがありそうな場所に飛び込む」
ゾンビだらけの町を歩き回って下調べも無く突入とはそれだけ後がないんだな。
松野は調達の責任者だからこそ好き勝手が黙認されているのだ。
だからそれが満足にこなせなくなれば鼻つまみ者はどうなるか……焦るのも分からないではない。
「すぐに成果が必要だ。最悪俺とお前以外は死んでもいい。タワーに入りたい奴はどうせすぐ来る」
俺の方もただの役立たずだと思われればアオイの面倒を見てもらえなくなる。
ある程度の成果は必要だから強引な作戦でもなんとかするしかない。
但しミドリは守る、スミレも女なのでまあできるだけ死なないようにしよう。
「アヤメとの二本立て。またハードスケジュールだな」
「何か言ったか?」
俺はなんでもないと首を振り、部屋においてあった新都の地図とにらめっこするのだった。
【裏】
主人公 双見誉
拠点 両河ニューアラモレジデンス『アラモタワー』 調達班
環境 食料不足
人間関係
仲間
アオイ「保護」タイコ「保護」
中立
松野「調達班長」ミドリ#8「調達班 死守」スミレ「調達班 守る」ヒデキ「調達班 放置」
横須「市長」木船「尻軽オペレーター」
敵対
久岡「治安維持役」
備蓄
食料?日 水365日以上 電池バッテリー∞ 麻酔注射器三回分
経験値 132+X