第85話 家のない少女②
「いらっしゃいませー。好きなお席にどうぞー」
店員は明るい挨拶をしながら、俺と雨野へ視線を飛ばしたように見えた。
俺は一瞬考えてから切り出す。
「メイは先に席いっとけ。ドリンクはにいちゃんが持っていってやるから」
そして尻をポンと押す。
「うっざ! なに触ってんのエロキモイし!!」
そのやり取りをみて店員の警戒が和らいだのがわかる。
時間はもう夜だ。
俺と小学生にも見えるちびっこいコイツが兄妹以外の関係で飯食ってたら怪しいからな。
前に紬と夜中にコンビニ行って店員に通報されかけたことがあるのだ。
あの時は紬が姉だと言ったせいで信じてもらえず結局親に連絡されたっけ。
席についた最初こそ俺を睨み、4人席の対角に座って警戒していた少女――雨野だったが、料理が来るとまるで空腹の野良猫のように警戒しながらがっつき始める。
「あんまり急ぐと詰まるぞ。落ち着いて食えよ」
「うっふぁい! きもい! いふぁれなくふぇも――むぐ」
動きの止まった雨野の前にオレンジジュースをおいてやる。
両手でコップを掴んで一気飲みする姿に微笑みながら、俺は彼女の全身を観察する。
身長は写真で見た通り140cm無いな、まるで小学生だ。
相応に胸の膨らみも小さくパーカーを脱いだ今でも心なしか膨らんでいるかどうかといったところか。
手足はやはり細っこいものの、テニス部にいただけあって下半身には筋肉がついているのか他の場所と比べて太ももから尻にかけてが大きめでホットパンツが凄く似合っている。
そしておしぼりで綺麗に拭いた顔はかなり整っている。
美女と言うには幼いものの美少女だと宣言して否定するやつなんていないレベルだ。
ただ顔の内側から溢れ出す生意気さがガキっぽさを強調している。
そして最大の特徴にして難点。
「飯食えてないのか?」
「うるさい……言わないし……キモい」
パーカーの上からでも痩せ型だと思ったが脱ぐと露骨に痩せていた。
『裏』の生存者を思い出すような体型だ。
「メッチャ見てんじゃん……ウザキモ」
言いながらも雨野は食事の手を止めない。
既に俺でも満腹になるような量を食べて苦しげにしながら、まだ食べようとしている。
これで子豚みたいな体型なら苦笑するところなんだけどな。
ちっこい体にたっぷり飯を詰め込んだ雨野は3杯目のオレンジジュースを飲み込んでようやく一息ついた。
「言っとくけど」
「はいよ」
ぽっこりと盛り上がったお腹をさすりながら俺を睨む。
「食べさせてもらったぐらいでやらせるとかないからね。私そんなに安くないしアンタキモいし」
「はいはい。お前みたいなチビっこいのに迫らないよ」
今日だけで一年分ぐらいキモイと言われた気がする。
「んじゃ腹も膨れたところで名前ぐらいは――」
「きゃっ」
その時、ちょうど俺達の隣の通路で女性が転んだ。
しかも巨乳だ。
俺は慌てて立ち上がって体を支え、女性が落としてしまった物を拾う。
「怪我はありませんか。良かった……これとこれ落としましたよ。スマホは壊れてないみたいです」
女性は俺に礼を言いながら、俺の視線が大きく開いた自分の胸元にあると気付いてジト目になる。
「ごめんなさい。大きくて素敵だったんでつい見ちゃいました」
女性は笑って俺の鼻をちょんと弾き、自分の席へ戻っていった。
俺は小さく手を振って見送ってから、緩んだ頬を直して垂れた目を戻し鼻の下が伸びていないか確認してから席に戻る。
「さて腹も膨れたところで名前ぐらいは教えてくれてもいいだ――いってえ!」
「キモ! キモハゲキモ!! キモすぎ!! あっちいけ!!」
雨野は今までの10倍の勢いでキモキモ言いながら俺の足を蹴りまくる。
ちょっとしたハプニングだったんだから仕方ないだろ。
やせ細ってるのに割と脚力あるなこいつ、さすがテニス部。
蹴りの乱舞が一段落し、雨野は話し始める。
「てか、ウチをヤろうって思ってないからどうして助けたりしたのよ。しかもつけてたんでしょ。キモ」
語尾みたいになっているキモに笑いながら考える。
満腹になって雨野の警戒感は少し緩んでいるようだが、普通に考えたら見ず知らずの奴が尾行してきて助けて飯食わせるとか意味不明だ。
隙を見て悪戯する目的なんだと考えるほうが自然だよな。
不審がられたままじゃこれ以上の話はできない。
もう言ってしまおうか……いやダメだ、ここで言ってしまうと新が告げ口したみたいになって恰好がつかない。伏せておこう。
「街で見かけて可愛いなー声かけようかなーって思ってな。でも良く見るとそうでもなかったから安心しろ。胸も予想以上にちいさかったし」
「はー!? ストーカーじゃんヤバキモ! しかも鬼失礼だし! そもそもウチみて可愛いと思うとかロリコンじゃんこのハゲ!」
ちっこい自覚はあるらしい。
「キモいはともかくハゲは違うだろ……ともかくお前を見てて事情が変わった」
俺は真剣な目で雨野を見据える。
「話せよ。困ってるんだろ」
痩せ細った女子中学生がお金も持たずに汚れ切ったパーカーを着て夜の新都を徘徊してコンビニのトイレで顔を洗う……尋常のことではないはずだ。
雨野は俺と目を合わせ、小さく口を開いたものの、すぐに唇を噛みしめた。
どうやら話すつもりはないらしい。
さっきの自己紹介だと俺はまんま変態だし仕方ない。
「まあいいか」
俺は諦めて立ち上がる。
このまましつこく聞いても何も答えてくれないだろうし、その場限りの嘘でもつかれたら厄介だ。
「もうそろそろ22時だ。これ以上は普通に補導される時間だから家に帰っとけよ」
雨野は泣き声のようにキモと呟き俯いてしまう。
「中学生ならそろそろテストじゃないのか? 勉強しとけよ」
中学ではテストの点が悪くても留年はしないだろうがキョウコ達のようなアホに育ってしまうぞ。
「……ウチ不良だしテストとか関係ないし」
「そうは見えないな。家に帰れないのか?」
正直ここまでの反応で概ねのことは推測できているがあえて聞いて見る。
「違うし」
雨野はドリンクバーを離さない。
家に帰らず居座るつもりのようだが、既に後ろで店員がこちらを指差している。
今帰らなければ店長か警察が来るだろう。
「家の前までついて行ってやるから」
完全にテンションがどん底まで下がり、キモとしか言わなくなった雨野の手を引いて店を出る。
隙あらば足を止めようとする雨野の手を引き、到着したのは俺の家からそう遠くないアパートだった。
まあ新と同じ中学なのだから遠いはずもないのだが。
「ふむ」
アパートはお世辞にも立派とは言えない。
綺麗かボロかで言われればボロに入る方だろう。
それでも付属の駐車場には何台か車も置いてあり貧乏長屋と言うほどでもない。
少なくとも中学生の娘に飯も食わせられない困窮具合とは考えにくい。
だとすると予想の悪い方だ。
「……じゃあ帰るから。ロリキモだったけどご飯はありがと」
前まで来たことで諦めがついたのか雨野は俯きながらアパートに入っていく。
俺は彼女を見送った後もその場を去らず、近くの自販機で温かいポタージュ缶を買う。
これを自分で飲むことになればいいのだけど。
雨野が家に入ってほんの三十秒程でその希望はなくなった。
「――!! ――!! ――――!」
「――――!!!」
アパートの壁が防音でないことを考慮してもすごい怒鳴り声だ。
しかも『死ね』だの『クズ』だのと家族の喧嘩とは思えない単語が入り混じる。
怒鳴り声からの凄まじい金切り声、他の部屋の住人からの抗議の声までが重なってもう滅茶苦茶だ。
そこから僅か1分ほどで目を真っ赤にした雨野が制服とカバンを持って飛び出してきた。
「お帰り。ポタージュ飲むか?」
俺が声をかけると雨野はほんの一瞬だけ嬉しそうに、そしてすぐに目を吊り上げる。
「なんで家の前に居るのよ! マジストーカーじゃんキモすぎ! このキモハゲ!!」
「だからハゲてねえよ! 父親まだ40前半なのに頭頂部怪しいんだよ……怖くなること言うなよ」
俺は罵倒しながら浴びせてくる雨野の蹴りを捌きつつ人気のない路地裏へと入った。
「ま、座ろうぜ」
言いながら地面に直接座り込む。
ここなら誰かに見られることもない。
「中学生こんな場所連れ込むとかヤバすぎ。もう性犯罪者じゃん」
などと言いながらも雨野はポタージュを啜りつつ俺の隣に座る。
「話せよ」
「……」
ネオミラノの空調の効いた快適な席とは段違いの暗くて湿った臭いのする路地裏で雨野はポツポツと話始める。
「うちの家族はお父さんと母親と3人でさ。もともと貧乏だったから欲しい服とかゲームとかはあんまり買って貰えなかったけど……それでもスーパーで安いお肉山ほど買って唐揚げパーティしたり、狭いお風呂に一緒に入ってお湯全部なくなったり……楽しかったんだ」
俺は何も言わずにただゆっくり頷く。
「でも去年の秋頃にお父さんが突然帰ってこなくなって……別の女の人好きになったって……離婚届がポストに入ってて」
俺は頷くのもやめて雨野の手を軽く取る。
「母さん……母親はずっと泣いてて、ウチのこと抱き締めてくれてたけど……段々態度が変わって来て……そのうち男の人が部屋に来るようになって」
手をそっと握る。
「邪魔者みたいな目を向けられて! 男は着替えとか覗いてきて! 殴られて! 学校から帰ったら普通に鍵とか掛けられてて! ラケットで殴り返したら部活の道具も机も全部捨てられて!!」
主語も時系列もメチャクチャな叫びだったが、なにがあったのかは大体わかる。
雨野は俺の手を強く握り返してくる。
「今もあいつらセックスしててさ……なんで帰ってくるんだよって……」
そこから先は泣き声混じりで文法もなにもメチャクチャだったがほぼ全てを把握できた。
母親とその彼氏に疎まれ雨野の居場所はどこにもなくなった。
少しでも明るく暖かい場所を探して夜通し新都をふらつき、昼は学校で眠る。
家に戻れるのは母親達が出かけている間だけ。
もちろん何度も補導され、その度に親に注意がいって更に関係が悪化、学校でも噂になってしまった。
道具を捨てられて部活も勉強もできず、尾ひれのついた悪評で友達も離れていく。
そんな状況が情けなくて認めたくなくて、自分は不良なんだ、不良だから学校では寝るし夜遊びもする、部活も勉強もしないんだと強がっていたのだ。
良く見れば髪は自分で適当に染めたからプリン髪、ピアスも1つ百円もしないような安物、汚い言葉は使い慣れずただキモキモと繰り返すだけ。
「もうさ……いいかな」
雨野は俺の肩に寄りかかって来る。
「アンタがロリコンの変態でももういいよ。ウチのこと好きにしちゃってよ。それで美味しいもの食べさせてよ。暖かい場所で寝かせてよ……もうどうでもいいからさ」
「そうか」
泣きながら諦めたように笑う雨野の手を引いて俺は夜道を歩き出す。
小さく震える手と、血が滲むほど噛みしめた唇に気付きながら。
そして目的地に到着した。
「ついたぞ」
雨野の肩が跳ね上がる。
全身を震わせながら見上げるそこは――。
「……なにここ。『双見』?」
「おう」
つまり俺の家だ。
雨野はまず呆然とし、次いで広めのデコに手を置いて考える。
そして分かったとばかりに手を打った。
「まさか双見先輩の……」
「兄貴の双見誉だ。雨野ちゃんだったよな。名前の方はなんていうんだ?」
雨野は放心状態のまま『アヤメ』と自分の名前を呟き、ペタリと座り込んだのだった。
主人公 双見誉 市立両河高校一年生 夜遊び
人間関係
家族 父母 紬「寝」新「勉強」
友人 那瀬川 晴香#26「女友達」三藤 奈津美#5「庇護対象」風里 苺子「友人」江崎陽助「友人」高野 陽花里#1「クラスメイト浮」上月 秋那#14「エッチなお姉さん」キョウコ#2 ユウカ#2「クラスメイト」
中立 ヨシオ「暇」ヒナ「約束」
敵対 雨野アヤメ「諦めメスガキ」
経験値138