第80話 新天地へ② 5月29日【裏】
人物紹介にキョウコとユウカをモブ追加しました
「ともかく静かに座ってる分には安全な場所だから体を休めよう」
俺は備蓄の水を全て出す。
全てと言ってもそもそもがギリギリだから知れているが。
「最近ここいらの怪物共が妙に活性化してやがる。ここに来る途中も一騒ぎしたことだしな……すぐに動くのは避けるべきか」
松野はカウンターを背にどっかりと座りながら言った。
腰かけた位置は突然入口が破られても距離が遠く、仮に三脚が壁を吹っ飛ばしてもカウンターが盾になって破片に当たらない。そして非常口と窓、どちらにも素早く駆けだせる場所……本当に自分が生き残ることにかけては一級品だなこの男は。
「ほらお前も来いよミドリ」
「は、はい……」
そして女子高生の腕を引っ張って隣に座らせる。
脅えながらも愛想笑いを浮かべる『ミドリ』と、チャラ男の気まずそうな顔、タイコさんの嫌悪する表情で大体のことは察した。
本当に生存能力以外はとことん好きになれない男だ。
チャラ男は松野に視線で追い払われるも、一度見捨てた負い目もあってかタイコさんの隣も気まずいらしく迷った末にアオイの隣に座る。こいつは優秀とは言えないが人格はまだまともそうだ。
見知らぬチャラ男に脅えたアオイは俺に抱きつき、俺はアオイを抱えて腰を下ろす。
「……自己紹介でもする?」
囁くように言ったはずのタイコさんの声が妙に大きく響いた気がした。
「黙れ」
突然松野がタイコさんに言い放つ。
「はぁ!? 貴方はどうしていつも――!」
さすがに怒ったタイコさんを俺も手で制する。
露骨に傷付いた顔をする彼女に俺は違うんだと情けない顔を見せながら耳を澄ませる。
階段を踏みしめる異音……ビルそのものを守るバリケードはないのでゾンビが侵入すること自体は珍しくもない。声を潜めて寝ていれば8階まで上って来ることはなく次の出発の時に気をつけておけばよいぐらいだ。
だが今回は様子が違う。
複数の音が重なり合い連続している。
俺はドアの近くまで走り、床に耳をつける。
5秒ほど息を止めて集中した後、確信する。
「全員荷物をまとめろ! 非常口から出るぞ!」
大声のタブーはもう無視する。
今は少しでも早く動く方が重要だった。
「準備にかけられる時間は!?」
松野が荷物を背負いながら叫ぶ。
「ほぼ無い! ギリギリ40秒!」
言いながら俺はなによりも大事な物とタイコさん用の麻酔薬、そして部屋の隅に立てかけた鉄パイプをザックに差していく。
「な、なんだよ安全じゃなかったのかよ! どうしてなんだよ!」
チャラ男が騒ぐが相手をしている暇がない。
俺だけが出入りしていた場所に大人数で来たのが目立った。
道中起こした騒ぎで周りの奴を連れてきてしまった。
タイコさんに謝るチャラ男とミドリの声がでかかった。
色々考えられることはあるが今更だ。
今まではなんとか安全だったが、今はそうじゃない。
それだけだ。
「予定を全部ひっくり返してタワーに向かおう。ここからの最善の経路を案内してくれ」
俺はアオイにボロ布を被せ、タイコさんに肩を貸しながら言う。
「おいおいこの状況で怪我人を連れてくのは無理だぜ。百歩譲ってガキは適当に走らせりゃいいが……」
「絶対に連れて行く」
俺は交渉の余地は微塵もないことをはっきりと示す。
「……」
松野が一瞬停止した。
分析などしなくても俺を捨てていく算段をしているのはわかった。
「俺はなにがあっても2人を見捨てない。怪我人引き連れたまま俺と逃げるか、あんた1人でタワーまで逃げるのか、どっちの生存率が高いか良く考えろ」
「なんだと? 1人なわけが……」
松野は図星を突かれたのかグッと呻き、自分についてくるはずのミドリとチャラ男を見た。
「ど、ど、どうするんだよ! タイコさんは怪我してっし、ガキも見殺しなんてできねえし!」
「非常口ってどこに出るの!? 下にもいるんじゃないの! ここってどの辺りだっけ!? タワーはどっちだっけぇ!」
パニックのお手本みたいに慌てる2人とあくまで冷静に松野を見る俺を見比べて溜息をつく。
「……こいつらと逃げるぐらいなら1人のがマシか。くそっ! マジでダメだと思ったら即捨てるからな!」
俺は頷いて非常口から飛び出した。
松野が屋外の螺旋階段を駆け下り、最後の10段を飛ばして跳躍。
バールで下に居たゾンビの頭を重力も味方に粉砕する。
「もう一体」
俺が指摘する声は無用だったようだ。
潰した1体の後方から出た若い男ゾンビの側頭部を殴打、頭蓋骨にバールの爪を喰い込ませて壁に叩きつけ、蹴りで膝を叩き折って地面に引き倒す。
「いいぞ!」
松野の合図でタイコさんを背負った俺が階段を駆け下り、次いでアオイを背負ったチャラ男とミドリが続く。
困ったように眉を寄せて俺の背中にしがみつくタイコさんに対して、アオイはチャラ男の背中でむくれていた。チャラ男は俺より身長あるのにどうにも頼りないから足を折って万が一にも落とせないタイコさんは任せられないんだよな。体格的には松野が背負うのが一番なんだがすぐ捨てそうだからな。
「チャラ男さん臭い……」
「臭くねえよ! 大事に使ってる制汗スプレーの良い匂いがするだろうがよ!」
アホなやり取りに笑ってしまう。
「ふざけてんなら置いてくぞクソ共が!」
松野が怒鳴る。
俺はすまんと軽く謝りながら大通りへ駆け出す。
そしてそこでの光景に絶句した。
「こりゃ下手に粘らないで正解だった」
通りはゾンビで埋め尽くされつつある。
前は塞がれていないが、百近い目が一斉にこちらを向くのは尋常でない恐怖だ。
これを経験してから表で心霊スポットとかホラー映画とかがまったく怖くなくなったんだよな。
「こりゃちっとうるさくしたってレベルじゃねえな。うっかり連れ帰っちまった数でもねえ」
「わざとだと?」
人の拠点近くでわざと騒ぎを起こしたりゾンビに追われたまま飛び込んだり……そういう行為があることは知っている。
だがやる方も命がけだから余程の憎んでいないとそんなことはしない。
俺達はここにきてまもなく、敵対どころか知り合いすらいないのに考えにくいぞ。
「どの道ここは捨てる。考えるだけエネルギーの無駄だ」
俺は思考を切って松野に早く進めと促す。
俺達は一団となって街を走る。
ゾンビは全て回避、どうしても1体2体倒さなければいけない時は松野が倒し、俺達は目から血が出るほど周囲を警戒する。
パプニング的な脱出となったが順調そのもの問題はない。
あえて言うなら一つだけ。
「ねぇ」
「言わないで下さい。意識すると余計に……」
俺は垂れ落ちる汗を振り払う。
タイコさんの体重は俺と同じか多分重い。
楽々と背負って走れる重さではなく、常に歯を食いしばっていないとチャラ男やミドリからも遅れてしまう。
「絶対に置いて行きませんから」
俺はタイコさんの筋肉質な尻を抱え直して走った。
タワーまでの道の四分の三ほどを消化したところで松野が止まる。
「ここまでだな」
「あん?」
松野は目の前を指差し、次いで傍のビルを差した。
目の前は大通りの交差点、言うまでもなくゾンビがどっさりだ。
傍のビルは入口から窓までが厳重に閉鎖されており外側の側面に縄ハシゴが垂れている。
ハシゴで屋上まで登り、隣同士のビルを繋ぐ縄を伝って移動し交差点を迂回する……というのがタワーへの安全な道なようだが、その縄梯子が劣化か誰かのヘマかで千切れていたのだ。
「ここを迂回すると、とんでもない大回りになって日暮れまでに間に合わねぇ。ビルの壁をよじ登ってでも上にいかねえといけねえが……」
もちろん足を折ったタイコさんには不可能だし、彼女を背負ってできる芸当でもない。
置いていけと幻聴まで聞こえそうな視線だ。
首に回した手の力を抜こうとするタイコさんの尻を掴み、撫で回す。
そして眼前に蠢くゾンビを見て覚悟を決めた。
「交差点を強行突破する」
「寝言言うな。できるわけないだろが」
俺はタイコさんを降ろしてミドリに任せ、これでもかと持って来た鉄パイプを両手に持つ。
「いやいやいくらなんでもあの数は無理だって! 別の道を探そうぜ!」
チャラ男の声を耳から追い出して大きく息を吸い込む。
地図とはもう十分にらめっこした。
残念ながら松野の言う通り、どうあってもこの交差点は外せない。
「どこか安全な場所で一泊して明日行こうよ! 死んだらお終いだよ!」
ミドリの声を遮断してゆっくり息を吐き出す。
「……期待したんだがな。もったいねぇ」
失望の声を出す松野を無視して俺は前に出る。
ゾンビ共の視線が集まり本能から湧き上がる恐怖を感じる。
同時に体の内側に火が付いたような熱さが沸き上がってくる。
ああ、また来た。来てくれた。
「やめ――」
「おにい――」
タイコさんとアオイの悲痛な声が低く間延びしていく。
向かってくるゾンビの動きもどんどん遅くなっていく。
「行くぞ」
俺は普段なら絶対にしない無意味な宣言と共に駆けだした。
まず前から突き出される手が4組8本。
これをギリギリで……いや触れられても構わない、爪が肌に食い込む直前で体を引いて回避する。
まず1体の顔面に鉄パイプを捩じり込む。
ねじ折り尖らせたパイプは腐りかけた鼻から斜め上に入り、脳深くまでえぐる。
突然号令でも受けたように直立して痙攣するゾンビを捨て置いたまま俺は残る3体の足元に飛び込み、転がって背中側まで抜けてから、もう一本の鉄ハイプを別のゾンビの延髄から脳に向けて突き込む。
そこから痙攣するオブジェと化した2体を突き飛ばし、残る2体を巻き込んでひっくり返す。
ここまでどれぐらいかかっただろう。
早くしないと他のやつらに囲まれる――そう考えてまだ最初の一呼吸の最中だと気づいた。
左右から同時に迫るゾンビの動きもまるでスローモーションだ。
相手はガタイの良いチンピラ風容貌が2体。
俺は鉄パイプを両手に持ってまず一体の側頭部こめかみに叩き込み、反対側から伸ばされた手を振り下ろしで叩き折る。
そして叩き折った腕を掴んでゾンビを引き寄せ、下から喉へパイプを突き込み、頭部まで深々と貫いて捨てる。
「大したことない」
最初の6体が倒れると視界が開けた。
交差点にいるゾンビは多い、二百三百ではきかないだろう。
だが冷静に考えればその程度、大した数ではないのだ。
ゾンビが多くとも交差点の広さは十分にある。
埋め尽くされているように見えるのは奴らが均等に散らばっているからだ。
飛び掛かって来る若い女性の胴体真ん中を貫く。
もちろん致命傷にはならず女性はそのまま向かってくるが、腹に刺さったパイプを起点に体を回転させて投げ飛ばす。
だからこうして大暴れすれば――。
続いて迫る5体のうちの1体の足を圧し折り、一旦後ろに飛び退いてから踏み込み2体の眼球を同時に貫く。更に体当たりで1体を吹き飛ばしたところで、最後の一体が腕を伸ばしてくる。
体勢が崩れているので回避はできない。
俺は松野がやった動きを思い出して模倣し、掴みかかる手をさばいてから膝を叩き折って頭を踏みつけ首を圧し折る。
交差点全てのゾンビが轟音をたてて暴れ回る俺に狙いを定めて押し寄せる。
一帯を埋め尽くしていたように見えた奴らも圧縮してみればそこまでではない。
十分通り抜けられる隙間が生まれている。
「行け!」
俺は叫ぶがチャラ男とミドリは硬直したまま動かない。
そこにビルから戻って来た松野が走り込み、チャラ男達も慌てて続いた。
あいつが戻って来たということはビルをクライミングするより、こっちの方が成功率が高いと踏んだということだ。嫌な感じだがちょっと励みになる。
よそ見は1秒にも満たないが、それだけで俺の状況は悪くなる。
前後左右を全て塞がれ、一斉に掴みかかられる。
死ねない。
俺が死ねばタイコさんとアオイの価値はなくなる。
松野がタワーまで連れて行くかも怪しい。
体内の熱が更に燃え上がる。
伸ばされた腕は14本、俺を貪ろうと迫る口が7つ。
全ての腕の位置、足の位置、体重のかかり方を頭にねじ込み分析する。
幸いにして時間はほとんど止まっているように感じる。
最初の腕は鉄パイプで砕く、次の腕はバールで叩き折り、ここで一番近い脚を払う。
次と次の腕は仰け反って回避しながら噛みついてくるやつの口内に鉄パイプをぶち込む。
ここで鉄パイプが折れる……想定内だ。
鉄パイプを手放してバールを両手持ちして足払い、2体の足を折って転がしてから振り上げてもう1体の顎を強打。仰け反ったところで足元を潜りながら脛を砕く。
「最後に横に跳びながら目の前3体の頭を――」
――叩こうとして足元に転がっていた生首に躓き、転倒した。
ゾンビに齧られまくった哀れな姿で無念そうに空を見上げる中年男の首……地面を踏みしめるタイミングでこんなものが出て来るのは想定外だった。
地面を転がりながら次にどうするか考える。
今のロスで飛び込むべき隙間は塞がった。
至近距離には20体以上が来ている……どうしようもないなこれは。
体内の熱が下がっていく……。
せめて最後まで騒ごうと思ったところで凄まじい破裂音が聞こえる。
それが爆竹だと理解した瞬間に俺は跳ね起きる。
冷えかけた炉に再び火が入る。
完全に囲まれながらもゾンビ共の視線が一時的に俺から逸れた。
派手な爆発音に気をとられているのだ。
「こっちだ! 早く来やがれグズ共!」
松野の声から判断するにアラモタワーの人間と遭遇したのだ。
「運が良い――いや良かったら最初から転ばないか」
俺は進路を塞いでいた顔が半分無い中学生女子に体当たりして頭から地面に叩きつける。
多分可愛かったであろう顔面から顔のパーツが飛び出した。
生き残れたら『表』で中学生には思い切り優しくしよう。
そこからはもう滅茶苦茶だ。
転がる、這う、走るを足して3で割ったような不格好な姿勢でその場から転がり出る。
遂に視界が開けた。
俺に迫っていたゾンビは全て後方にいて、目の前にはタイコさんとアオイ……チャラ男達はまあどうでもいい。
切り抜けた先では松野を中心に数人の人間が爆竹を放りながら下がっていた。
やはりタワーの人間だったようだ。
タイコも2人に支えられていてもう大丈夫そうだ。
アオイは相変わらず微妙な顔でチャラ男の背中に乗っているが。
松野が俺の前に立ち、誰から受け取ったのかクロスボウを向けて来る。
「噛まれたか?」
「切り抜けたはずだ」
松野は俺の全身を流し見てからクロスボウを降ろす。
助かった。
そう確信した瞬間、体の熱が冷めていく。
手足は鉛のように重くなり周囲の時間も加速して普段通りになっていく。
「驚いたぜ。世辞や皮肉じゃねえ。マジでビビった」
松野の言葉を苦労しながら聞き取る。
気を抜いたら倒れてしまいそうだがここはまだ外だ。
弱みを見せるわけにはいかない。
「世界がこうなってから修羅場なんていくらでもあったけどよ。あの状況から生き残った奴は初めて見た」
「そりゃ、どうも」
今にも倒れそうだと言うのを悟られないようにすかした返事をしてチャラ男からアオイを受け取る。
残念ながら今はタイコさんを支えるのは無理だな。
松野は俺の肩を叩いて笑う。
「お前が手に入るならガキ一匹と役立たずの怪我人養うぐらいどってことねえ。上の奴にはしっかり言っといてやるから心配するな」
松野の笑みはやはり不快だがこれで目的は達成だ。
俺は眼前に迫るタワー……『両河ニューアラモレジデンス』を見上げ、背負ったアオイ以外には誰にも気づかれることなく溜息をついたのだった。
【裏】
主人公 双見誉
拠点 両河ニューアラモレジデンス
環境 不明
人間関係
仲間
アオイ「安堵」タイコ「安堵」
中立
松野「上機嫌」チャラ男「脱力」女子高生「脱力」
備蓄
食料?日 水?日 電池バッテリー?日分 燃料?日分 麻酔注射器四回分
経験値 115+X