第79話 新天地へ① 5月29日【裏】
5月29日(土)【裏】
「3、2、1……0!!」
かけ声と同時に俺と松野は並んで入り口のシャッターに体当たりする。
薄い金属製のシャッターは男二人の突進を留められず、棒立ちしていたゾンビ2体ごと外側に吹き飛ぶ。
「走れ」
言葉に出すと同時に俺は先頭をきって駆けだした。
目的地はアオイ達のいる雑居ビルだ。
松野は俺が声を出す前に駆けだして隣におり、残る2人が一瞬遅れて追随した。
予め動きを説明していたのに遅れている。
身体能力は高いのかすぐに追いついてきたが、本当の非常事態ではこの数拍の遅れが致命傷になるかもしれないな。
俺達は全力疾走の二歩手前、酸欠にならず周囲を警戒しながら走れるギリギリのペースで新都を駆け抜ける。
「おい上!」
バリンとガラスが割れる音と松野の声は同時だった。
俺は足を止めず上を見ることもなく速度を維持しながら進路だけを変える。
2秒程おいて後方の地面に湿ったモノがぶつかる音と更に一瞬おいてガラス片がアスファルトに落ちて砕ける音が続いた。
言うまでもなく道沿いのビルからゾンビが窓を割って降って来たのだ。
「見えてたのか?」
走りながら松野が聞く。
俺が驚きもせずに余裕をもって躱したからだろう。
「アレは何度か見たから想定済みだ」
ビルの中にいるゾンビは通りにいる人間に気付けば寄って来る。
奴らには非常階段を探して降りるような知能はないから一直線に最短距離……つまり窓を突き破って落ちて来るのだ。
旧市街ではほとんど無かった上からの攻撃に最初こそ面食らったが、それもあると想定しておけばどうってことはない。
「お前、こっちへ戻れ」
今の落下に恐怖を感じたのか道の反対側に寄ろうとしたチャラ男に警告する。
チャラ男が文句を言いながらもこちらに戻った瞬間、2体のゾンビが至近距離で潰れた。
戻っていなければ直撃だったな。
「走りながら前方のビルの窓を見ろ。割れていない側に寄れ」
ゾンビが窓を突き破る音は重要な警告音になる。
窓が無ければ気付けるかどうかに運の要素が強くなってしまう。
「この角を左に……いや待て」
左折予定だった交差点にゾンビの集団が群がっていた。
鮮血が道に広がり、数体が千切れた手足や内臓らしきものに群がっている。
運悪く直前にやられた奴らがいたのだ。
「予定変更。左のビルの中を突っ切って反対側に出る。中の安全は未確認だから多分居る。広さはあるので戦闘は回避して逃げ一択」
なにやら言おうとした女子高生とチャラ男を遮るように言い放ってビルに突っ込む。
内部には予想通り数体の怪物がいたが広さがあるので戦闘する必要はない。
全員が距離を取りつつ反対側へ突き抜けようとした時、俺の目前に突然一体が飛び出した。
死角になっていた空間から出てきたらしい。
ゾンビは俺に組み付こうと手を伸ばす。
だが俺は身構えもせず、武器を構えることもしなかった。
ゾンビの手が俺に届くにはもう30cmほど足りない。
僅かな長さだが届かなければ空振りする、そして空振りすれば重心が崩れて前のめりになる。
「よっと」
俺はゾンビの後方に回り込み、人混みをかき分けるように体で押しながら通り抜ける。
至近距離でのゾンビは脅威だが、気をつけるのは両腕と口だけでいい。
重心を崩してどちらも俺に向けられない状況では単なる酔っ払いのおっさんと大差ない。
そしてよろついたこいつが体勢を立て直すまで3秒はかかる。
それだけあれば悲鳴をあげて飛び退いたり、決死のスライディングなどしなくても、小走りで余裕をもって脇を抜けられる。
驚いたように俺を見るチャラ男と女子高生。
「今やばかったのは俺だろ。なんでお前らがそんな顔するんだよ」
俺は苦笑しながらビルを抜ける。
その後の道中は順調で、案外簡単にたどり着けるかと思ったところで次の厄介事が訪れた。
「……随分多いな。いつもこんなか?」
目の前に群れていた怪物の集団を見て松野が舌打ちする。
「いや特別に多いな。脇を抜けられなくもないが拠点が近い。あの数を刺激するのは避けたい」
俺は予備プランとして考えていた裏路地を指差す。
「狭いな。前に出たら難しいぞ」
「今まで5回通って出たこと無い道だ。……1体なら倒す。2体以上なら引き返す」
渋い顔をする松野に言いながら裏路地に飛び込み走る。
そして少し進んだところで遭遇してしまった。
「……いるじゃん」
女子高生が後ずさりながら言う。
中年男性と老女の2体が俺達を見つけてヨタヨタと歩き出していた。
「狭いから戦闘は危険だな。ま、引き返せば済むことだ」
松野は忌々しげに言いながらも慌てる様子はない。
その時、嫌な音とともに裏路地に面した小窓――恐らくはトイレの窓が格子ごと外れ、ズルリと嫌な音を立てながら怪物が這い出してきた。
挟み撃ちでもするように俺達の真後ろに……だ。
今日は本当についてない。
やっぱり悪いことをしたからかな。
「やばい挟まれ――!!」
チャラ男が声をあげる前に動く。
状況を考えれば戦闘は不可避、下手に逃げ回っている間に大通りの大群が来たら破滅的だ。
まず小窓から這い出た個体を分析する。
身長は180cmを越えており、四肢も健在で腐りながらも筋肉量は多く見える。
次いで前方で唸り声をあげる中年男性と老女を見る。
中年男性の方はかなりの痩せ型なうえに右手は折れて機能していない。
老女の方は小柄かつ顎が砕けている。
前2体と後ろ1体の戦闘力を比較……決まった。
後ろの奴が立ち上がって向かってくるまで10秒ほど……なんとかなるだろう。
俺はチャラ男を壁に突き飛ばし、前方に向けて突進する。
そしてまず思い切り振り上げたバールを中年男の左腕に叩きつける。
細い腕は枯れ木のような音を立てて折れ曲がり、白い骨とどす黒い血が見える。
勢いのまま更に接近、中年男の折れた両腕を易々と掻い潜って前蹴りで膝を砕く。
両腕と足が潰れたこいつはもう大きな芋虫と変わらない。
次いで老女が掴みかかってくる。
俺はバールを横にして掴ませるがゾンビの尋常でない力で引き寄せられ、開いた顎が肩口に迫る。
「――噛まれる」
顎がまともだったら危なかったな。
女子高生の声に心の中で反論し、開いたまま閉じない顎を生地の分厚い肘部分で一撃、バールを掴んだままよろめく老女の僅かに残った白髪を引っ掴み、コンクリートの壁に何度も叩きつける。
『表』でこんなシーンを見られたらネットニュースの一面は決まりだろう。
やがて老女の頭は潰れ、俺は痙攣する手からバールを奪って息を短く吐く。
最後に這いながら俺の足首を噛もうとしていた中年男の首にバールを叩き込み、更に頭を踏みつけて首をねじ折る。
「前が空いた。後ろの奴は無視で逃げるぞ」
言い終わる前に俺の横を松野が通り抜ける。
こいつは戦闘中ずっと女子高生の後ろにいた。
恐らく危ないと見たらゾンビの方に彼女を突き飛ばして逃げおおせるつもりだったのだろう。
どこまでも最低な奴なのに、こいつだけは絶対に助けなければならない矛盾がつらい。
「お前の拠点ってのはあのビルだな? よしもう一息……」
ここにきて初めて松野が先頭を行く。
恐らくは一番最初に安全圏に逃げ込む為だろうが、それが裏目に出た。
車の影から怪物が飛び出したのだ。
「なっ!?」
「ちっ!」
意表をつかれて硬直する松野、こいつを死なせたら計画が台無しなので駆けだそうとするが距離的に間に合わない。
「汚物共が」
だが松野は怪物の突き出した手を軽々とさばく。
「きたねえ手で触るんじゃねえ」
そして腰のナタを抜いて振り上げ、怪物の脳天へと叩き込む。
ナタは頭頂部から鼻の下まで深々と入り、怪物は大きく痙攣して倒れそのまま動かなくなった。
「……」
俺は安堵の息を吐くと同時に松野の情報を大きく修正する。
まず完全に間合いに飛び込まれながら掴みかかる手を楽々とさばいた。
あの手付きは偶然ではなく掴み技のある格闘技経験があると見るべきだ。
そして文字通りゾンビの頭をかち割った一撃、俺も渾身の力を込めればやれなくはないだろうが、松野は5分か6分の力でアレをやった。刃を叩き込む場所も的確だったしやり慣れているのは間違いない。
ゾンビ用……とは言い切れない殺し方でもある。
まともに戦えば武器があっても無くてもまず俺は負けただろう。
俺は頭を割られて痙攣するゾンビに向かって小さく目を閉じる。
よくやってくれた。
もしお前が飛び出さなかったら俺は松野の能力を把握しきれなかった。
「ここの8階が俺の拠点だ。ざっくり掃除はしたが、隅々までチェックするだけの人数がないからどこかに潜んでいることもありうる。騒音は禁止だ」
忠告をしているのにチャラ男と女子高生は露骨にホッとした顔で入っていく。
一方で松野は足を止めて俺を見ていた。
「やっぱお前は掘り出しもんだよ。窓から落ちてくる怪物への対応能力。咄嗟の事態にもパニくらない秒単位の判断能力、いざって時の戦闘能力……新参共が1個でも持ってたら大事に使ってやりたくなる能力を全部もってやがる」
「そりゃ嬉しい」
俺は機嫌を損ねない程度に愛想笑いをしてビルに入る。
こいつに褒められても嬉しくないが、ここで敵対するのは目的に反する。
1日ぶりにショットバーの扉を開いた途端、松野の笑みが凍り付く。
「き、北枝……?」
「松野……さん」
俺は2人の顔を見比べて、なにからなにまで分かった上で、なにがなんだがわからないという顔をして聞うた。
「タイコさんと知り合いなのか?」
俺は見知らぬ3人に脅えて俺の背中に隠れたアオイを撫でながら、これでもかとばかりにタイコさんにバチバチと目配せを送る。
「……同じ拠点の人だよ」
俺はまさかと驚きながら振り返る。
表で寝る前に鏡の前で練習したから違和感はないはずだ。
「あんたらの拠点はアラモタワーだったのか。なんて偶然だ。そしてちょうどいい」
俺が松野の仲間……扱いは部下か……になる条件は1つだった。
同じ拠点にいる怪我人と子どもを安全な居住者の拠点で面倒見てくれることだ。
「……あの状況でどう生き延びやがった? こいつが助けたのか……優秀過ぎて困るなおい……」
松野はブツブツ言ってからタイコさんに近づきなにやら囁く。
『あれは仕方ないorお前が悪かったんだ。今更余計なこと言うんじゃねえぞ』
ってなところかな。
一部始終を見ていたのだが、今は全て知らないふりでいい。
全てはタイコさんとアオイを安全圏に入れてからだ。
気まずそうにしながらもあくまで傲慢な態度を崩さない松野に対してチャラ男と女子高生は北枝をみるなりブルブルと震え始める。
「ち、違うんです北枝さん……俺は……ただ松野さんに……その」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
そんな2人をタイコさんは微笑む。
「いいよ。わかってるから」
どこまでも善人なタイコさんだが最後にチラリと松野を見る。
どうせお前の命令だろうの声が聞こえてきそうだ。
だが松野はフンと鼻を鳴らすだけで気まずそうにもしなかった。
この心の強さは見習いたい、傍で見たくはないけれど。
「ところでミコは一緒じゃないの?」
タイコさんが謝り続けるチャラ男と女子高生に聞くと、2人は顔を見合わせてまた俯く。
「あいつは帰りに噛まれやがった。それだけだ」
噛まれた人間が奴らになる確率は70%、そのまま死ぬ可能性が20%、生き残る可能性は10%。
他のやつを盾ぐらいにしか思っていない松野が10%のために怪我人を連れ帰るとは思えない。
「おにいちゃん」
俺は抱きついて震えるアオイを包むように抱き締める。
大丈夫、また同じことになっても同じように看病してやるしまた助かるさ。
「まさかコヤマさん……も?」
名前が出た途端、チャラ男が頭を抱える。
「えっとコヤマさんは昨日……いや俺のせいじゃない……あれはどうしようもなくて……」
昨日見捨てた3人の……恐らくは真面目なリーマンタイプの奴かな。
なら確かにチャラ男じゃなくて俺のせいだ。
「ねえ」
俺の雰囲気が変わったことに気がついたタイコさんが声をかけてくる。
今まで見たこともない顔をしていた。
「双見君。キミなにをしたの?」
「言いたくないし聞かせたくありません。貴女は仲間だと思ってるから」
尚も何か言おうとするタイコさんの言葉に被せて言う。
「これがタイゾウに会う為の最善です。少なくとも俺はそう信じてる」
そして懇願するようにタイコさんを見る。
これ以上聞かないで欲しいと。
【裏】
主人公 双見誉
拠点 新都雑居ビル8F 3人
環境
人間関係
仲間
アオイ「脅え」タイコ「察し」
中立
松野「調達班長」チャラ男「精神衰弱」女子高生「精神衰弱」
備蓄
食料9日 水0日 電池バッテリー0日分 燃料0日分 麻酔注射器四回分
経験値95+X