第76話 調達隊救助 5月28日【裏】
5月28日(金)【裏】
俺は地面を転がりながら半壊したドアへ飛び込み、何に使うかわからない機械をただの重量物として入り口を塞ぐ。
「ふぅ……なんでいつもこうギリギリになるんだ」
呟きながら階段を登り、途中の窓から空き缶や空き瓶を投擲する。
耳障りな音が鳴り入口に群がりつつあったゾンビ共が明後日の方向へと移動していく。
今日も命がけの日課として辿りついたのは田和デンタルクリニックだ。
毎日通っているので中のゾンビは排除したし、入口も簡単ながら一工夫して塞いでいるので第二拠点と言えるかもしれない。
そういえば巨乳……ではなく歯垢除去の予約は日曜だったな。
「よろしく」
レントゲン室に突っ立っている先生に見つからないよう挨拶して日課の見張りに戻る。
「さすがにそろそろ来てくれないと時間が無駄すぎる。頼むぞ」
俺は外を注意しつつ何か使えそうなものがないか探して医院の中をうろつく。
と言っても昨日も一昨日も同じことをしたし、狭い医院の中にこれ以上なにがあるとも思えないが。
「レントゲン室には何かあるかもだけど。先生入れちゃったもんな」
今更先生を排除するのもためらわれる上にあえて扉を開くのは無用なリスクだ。
無駄なことを考えながら埃で汚れた医療機器を漁っていた俺の耳に異音が飛び込んでくる。
「きた」
一言呟いてボロ布を頭から被る。
配色はこの部屋の内装とほぼ同じで外からは見つかりにくい。
俺は窓近くに陣取り、顔ではなく眼球を動かして周囲を見回す。
直接対象は見つからなかった。
だからゾンビ共の動きをじっくり見る……ふらふらと無秩序にうごめくはずの奴らが規則性のある動きをしている場所が……あそこか。
「1つ向こうの通りから……なるほど怪物の多い大通りを避けてビルの中を突っ切ったな。そのまま裏路地に出て駐車場を横断、ビルの裏口から……予想通りだ」
完全に俺が想定した通りの動き、そして最善の動きでもある。
「率いている奴はボンクラでもなさそうだ。だが動きが予想よりも遅いな」
呟いたところでビルの真後ろの路地に人影が見えた。
開きっぱなしの金網ゲートを通って次々と中に入ってくる。
全員が厚いジャンパーに手袋、大きなザックを背負い腰にはバールやナタという恵まれた装備。
間違いなくタイコさん拠点の居住者調達班だ。
俺は気付かれないよう身を潜めながら人数と構成を確認していく。
「人数は6人か。チャラ男と真面目風の若い男が2人、若い女の子が1人、中年男が1人容貌からしてこいつがタイコさんの言っていたリーダー『松野さん』だな」
ここまで4人はタイコさんを助ける時に一度見ている顔だ。
「続いて……中年女性と白髪の壮年の男……この2人は動きが悪い」
そして彼らの顔には見覚えがない。
白髪壮年の方ははっきりと息が切れているし、中年女の方は単純に動きが鈍いように見える。
彼らが俺の想定より遅いのはこの2人が足を引っ張っていたからか。
俺はほんの一瞬考えて笑う。
「やはり人数的に厳しくなっているな。だからこそ足を引っ張りそうなやつでも連れて来ないといけなくなっている」
動きが鈍くとも目を増やすことは新都で動くには重要だし一人が持ち運べる物資は限られている。
少数精鋭を気取っても満足な調達活動はできないのだ。
リーダーの『松野』が遅れがちな2人へ鬼のような形相で何やら言っている。
さすがに声をあげて怒鳴りはしないが顔を小突いているのが見えた。
「典型的なパワハラリーダーだが頭は悪くないはず……悪かったら生き残れていない」
一行は俺の想定した通りの最短ルートを通り、大通りの怪物に気付かれないまま地下駐車場を通ってビル内に侵入していく。
彼らが入った商業ビルには日持ちするレトルト食品やお菓子を売っている店がある。
それでいて大通りの大量ゾンビに妨げられてまだ誰にも荒らされていない。
上手く侵入できれば宝の山、缶詰と違って重量も軽く、数十人が食べていけるだけの食料を十分手に入れられるだろう。
俺の介入がなければだが。
俺は窓の隙間から伸びるビニールの紐に手をかける。
これから起きることを想像して少しだけ動きを止めた。
「今更なんだ。これでいいんだ」
想像をタイコさんが見捨てられた時の光景に切り替える。
奴らは自分達が生き残る為に戦い続ける彼女を切り捨てた。
それを悪事とはいえない。
彼らが生きる為に必要と思ってやったことなのだから。
「そして同じことをやられても仕方ない」
アオイとタイコさんが生きる為に必要なことなのだから。
数秒かけて深呼吸、思考を切り替える。
そして力を込めて紐を引く。
目立たない色で塗られたまま屋外まで続く紐に引かれてカシャンと小さな音が鳴った。
怪物ですら反応しない音だが調達班は重大な事態になるだろう。
そこから身を潜めて30分程の時間が経つ。
「よし全員持てるだけ持ったな。お前ら遅れやがったら今度こそおいていくぞ。足が千切れてもついてこい」
耳を澄ませて連中の声をしっかりと聞き取る。
松野と思われる声に不安そうな男女の声が続く。
こっそりと顔を出した俺の前で松野を先頭にした一行は店の裏口から出ようと、金網ゲートの扉に手をかける。
だがガシャンと音を残して扉は開かない。
「なんで鍵がかかって……入る時は開いてたのに……風で閉まったのか。確認しておくべきだった」
松野は再度強めに引くがやはり開かない。
当然だ、鍵がかかっているんだから。
俺が引っ張ったヒモはあの扉に繋がっていた。
もっと言うなら扉のノブに繋がっていた。
開きっぱなしの扉に注意を払うやつは少ない。
例えそこに薄汚れたビニールがへばりついていてもだ。
そして思い切り引っ張りきったテープは扉から外れて俺の手元にある。
彼らはまだ仕組まれたものだと気付いていない。
あの扉は金網についたボロい外見だけあって古く昔の便所のように鍵をかけたまま扉を閉められるタイプだった。そしてカギは俺のポケットにある。
一行から小さな悲鳴があがる。
「うるせえよ。このタイプは簡単に開く……ドアノブに何か差し込んで――クソッだめだ」
接着剤詰め込んでるから無理だろうな。
「所詮は金網ッスよ。バールかなにかで簡単に――」
もちろん物理的にはドアも網も簡単に壊せる。
「バカ、表にはウジャウジャ奴らがいるんだぞ。屋外でそんな危険が犯せるか」
壊せはしても無音では無理だ。
特に金網を破るなんて下手なドアをこじ開けるよりうるさい。
だからまともなリーダーならば違う選択をする。
「ゲートの外側に窓があったはずだ。一旦室内に戻ってその窓から出るぞ」
こう考えるはずだ。
「だがその窓は開かない。それどころか……」
盛大な騒音が響き渡る。
「お前何やってやがる!! こんな場所で音を立てやがったら!」
「し、知らないですよ! 窓を開けようとしただけで、ダメだ開かない!」
窓とテープで結ばれたゴミ箱が中に入っている大量の空き瓶ごと倒れた音だ
表通りの怪物が一斉に反応する、もう窓は使えない。
一行は再度裏口から出てきたが、既に他のビルから出て来た怪物が金網に群がり掴んでいる。
ここももう使えない。
正面入口は最初から論外、騒音のせいで逆にビル内部に次々と侵入しつつある。
「全ての入り口を塞がれた一行は上へ上へと逃げるしかない」
呟きながら屋上へと上る。
ほら出て来た。
「松野さん屋上に出てどうするんスか! 隣のビルにも距離あってとても移れないっスよ!!」
「もうここしか逃げる場所がねえんだよ! 無駄口叩いてる暇があったらハシゴとかロープがないか探せよボンクラ!!」
悪いがない。
俺が持ち去ったからだ。
一行は屋上を探すもなにもない。
そうするうちに上がって来た怪物が屋上扉を叩きはじめる。
「ど、どうするですか松野さん! ロープつっても下も奴らだらけで降りられませんよ!」
「うるせえ今考えて……考えて……」
松野の視線が周囲を彷徨う。
さてこれ以上引っ張って助けるべき奴が死んでしまったら困る。
俺は立ちあがり連中に向かって手を振る。
「おういどうした!? なにしてる!」
我ながら白々しさに赤面してしまうが距離があるので見られていないだろう。
「見てわからねえのか! やばい状況なんだよ! ハシゴかロープを――」
そりゃそうだと心の中で同意し、少しだけ探すふりをしてから3日前に運びこんでいたハシゴを持ち上げる。
「固定している時間はないからそっちも死ぬ気で押さえろよ」
言いながら俺はビル間にハシゴを渡す。
「絶対に離すなよ! これを落としたら全員死ぬんだからな!」
若い男にはしごを押さえさせ、松野が一番に渡って来る。
一番力がありそうなやつが一番最初にこっちにくるとは……まあ今の俺にはなにを言う資格も無いか。
「あたしが一番軽いからっ!」
次に若い女の子が梯子を渡って来る。
まあうん、いいんじゃないか。
「つ、次は俺な!」
次にチャラ男が強引に渡って来る。
もう一人の真面目風が止めようとするがもう遅い。
向こう側に残っているのは真面目風の若い男と中年女性と白髪の壮年の3人になった。
「うわっ!?」
その時、焦り過ぎたチャラ男が足を踏み外して梯子が大きく揺れる。
支えていた真面目男も対応しきれずハシゴがずれ落ちてしまい、チャラ男を乗せたまま下へ落下していく。
俺はチャラ男に手を伸ばす……手を伸ばすふりをする。
本当に掴むつもりは毛頭なかった。
この茶番劇の末に俺が助けなければならないのは松野だけなのだから。
「うぉぉぉぉ!!!」
チャラ男はそのままゾンビの溢れる路地裏まで落下……するかと思われたのだが、なんと一階下の窓枠に飛びつき掴まった。
「た、助けて! 助けてくれ――!!」
俺は松野を顔を見合わせる。
「下は安全か?」
安全だが断言するとおかしいよな。
「一度調達に回った時は何もいなかった」
松野は頷く。
「今から行くから粘ってろ。無駄に声だすなよ!」
俺も松野に続く。
「お、おい待てよ……俺達は……?」
真面目男と壮年男、中年女がこちらを見る。
俺は無表情のまま小さく首を振って屋上を後にする。
3人は俺達の背中に向けて叫び続けるが、耳で聞き取りながら脳には入れず、声ではなく音として処理した。
彼らを死なせたのは俺だ、俺以外に誰が居る。
物事が予想外に転がった部分はあったが、全ては俺の行動によるものだ。
だが後悔はない。
俺は自分と自分の仲間を生かす手段として彼らを死なせただけのことだ。
俺は背後から聞こえるドアが破られる音と助けを求める音、俺達を呪う音と断末魔の音を聞き流しながらチャラ男を引きあげた。
「お、俺のせいじゃねえ……風が吹いたんだ……だから俺のせいじゃない、違う……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
青い顔で震えるチャラ男と、蹲って謝り続ける女の子を尻目に俺は無表情で松野に話かけた。
「これだけ騒いでしまったら大通りの奴らがどう動くかわからない。普段は安全な道も今は危険かもしれない。幸い奴らが最後に聞いたのは残った奴の悲鳴だろうから、ここで1日状況が落ち着くのを待とう」
動揺する部下2人を睨んでいた松野が驚いた顔で俺を見る。
「なんだ反対か?」
「いや……正しいな。今日はもう動くべきじゃねぇ」
俺は立ち上がり、実際は既に確認してあるビルの安全を確かめるふりをする。
「どうやらここは安全――」
台本通りに言おうとした時、目の前で物置が開き上半身だけのゾンビが転がり出た。
サイズ的に人が入れないはずだったのでチェックが漏れていたのだ。
「うおっ!」
松野は素晴らしい反応速度で飛び退く。
だが俺は間に合わない。
完全に不意を打たれた俺は硬直……することなく体が勝手に動く。
冷え切った心が体を勝手に動かした。
俺は倒れ込みながら掴みかかってくるゾンビの口に手袋を突っ込み、そのまま回転して掴まれたジャンパーの生地を引き千切られながら投げ飛ばす。
上半身ゾンビはそのまま壁にぶち当たり、俺は手袋を吐き出す間も与えずバールを首筋に叩きこんだ。
「外に捨てて音を立てたくない。踏み潰す」
「おう」
俺と松野は床で悶えるゾンビの頭に足を乗せ、同時に体重をかけて頭を踏み潰す。
ゾンビは数回震えて完全に動かなくなった。
「傷はあるか?」
俺はジャンパーを脱ぎ捨てて聞く。
「いや上着にも通っていない。大丈夫だ」
松野は即座に答えた。
さっきも俺を助ける仕草すら見せなかった嫌な奴だが判断は早く確かだ。
「布を持ってくるから2人で死体を屋上まで運ぼう、休む部屋の隣に置くのは不潔で危険だ」
「部下に……」
チャラ男の方を見る松野を睨む。
「あんたと俺でだ。不安定になっているやつにやらせて無駄なポカをされたくない」
「……わかった。やるよクソ」
松野はチャラ男に向けて唾を吐きながら、俺に向けて僅かに微笑んだように見えた。
――そして夜。
俺は警戒を緩めることなく、調達班の奴らから三歩の距離をとって壁にもたれかかる。
「よう。まだ名前を聞いていなかったよな」
松野がやってきて俺に調達したばかりであろう菓子を投げ渡す。
「双見、双見誉」
松野は聞くだけ聞いておいて自分の名前は言わない。
そして唐突に切り出す。
「双見、俺達の所に来ないか? お前は動きもいいし判断も早くて頭も切れる。おまけに不意打ち食らっても顔色一つ変えずに対処しやがる。そこの役立たず共とはえらい違いだ」
「俺の所――とは?」
そこで松野は初めて両河ニューアラモの名前を出した。
「おっと居住者の調達役なんて下っ端みたいに思ってるかもしれねえが俺は違うぜ。物資調達を全部仕切ってる俺には古参の奴らだって文句は言えねえ。実際に拠点の誰よりも良い飯を食って良い女抱いてるしな」
まあそうだろうな。
調達係は使い捨てに出来てもそれを束ねるやつはそうはいかない。
傲慢で嫌なやつであっても優秀ならば誰よりも替えの効かない人材だろう。
「とはいえ新都での調達が危険なのはどうしようもねえ。新参どもを使い捨てるにしても無能にヘマされたらこっちの命もあぶねえ。だからお前みたいな優秀なやつがいると助かるんだ。もちろん使い捨てになんかしねえよ。他の新参共とは違う特別扱いだ」
松野と目が合う。
大きな嘘はなさそうだ。
「――いいよ。だが条件がある」
ハプニングはあったが概ね台本通りになった。
まったく良い方向に転がってくれた。
正しい選択をした。
これは必要なことだった。
俺は手を握りこんで震えを押さえて心の中でほくそ笑む。
少なくともほくそ笑むふりはした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
5月29日(土)
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
凄まじい絶叫で目を覚ます。
「うるせぇ……」
「うるさいなぁ……」
俺と紬は同時に起き上がる。
「わぁぁぁぁぁぁ!!」
叫んでいるのは新だ。
なにをそんなに叫んでるのか。
ゴキブリでも見たのだろうか。
新は一緒に体を起こした俺と紬を両手で指差す。
滑稽なポーズだな。
「ヤりやがった! こいつらとうとうヤりやがった!」
俺と紬は目を擦りながら顔を見合わせる。
紬はパジャマを脱ぎ捨て、パンツと付ける意味が全然わからないブラシャー姿、俺の方もパンツ一枚だけになっていた。
「わーパジャマ脱いじゃってるじゃん。ホマ君が潜り込んでくるから暑かったんだよー」
「昨日は蒸したもんな。もう夏も近い」
俺と紬は顔を見合わせて微笑み合う。
「いつかやると思ってた! 絶対一線越えると思ってた!!」
そして新はさっきからなにを言っているんだ。
土曜とはいえ朝からうるさいのは近所迷惑だからやめさせようと立ち上がる。
「ぐ……」
そこで一気に昨日、『裏』でやったことがフラッシュバックする。
腕が震え心がざわめく。
こちらでは何もしてない、俺は何もしていないと言い聞かせるも効果がない。
「姉ちゃん」
俺は伸びをする紬にそのまま抱きつく。
「わっまた甘えたいのー? ホマ君はいくつになっても子どもみたいだなぁ」
紬は俺の頭を抱き抱えて撫でてくれる。
お互いに下着姿なので体温がそのまま伝わり、その温かさに心が安定していく。
「見たくなかった! 姉ちゃんとピロートークする兄ちゃんなんて見たくなかった!」
「ちょうどいいからお前も来い」
「嫌だよ! 兄弟2人で姉ちゃん襲ってるみたいな絵面になるだろ!」
本当にこいつはなにを言っているんだ。
「そうじゃなくて……」
俺は下着姿のまま新を捕まえる。
「俺がお前にスリスリしたいんだ」
「うぎゃーーーー!!」
「男兄弟同士仲良いなぁ。お姉ちゃんも混ぜてー」
ここで昨夜に続いて母さんが登場、3人まとめて怒鳴られたのだった。
主人公 双見誉 冷酷モード
拠点 新都雑居ビル8F 3人
環境
人間関係
同居
アオイ「保護」タイコ「怪我人」
中立
松野「調達班長」チャラ男「パニック」女子高生「パニック」
備蓄
食料12日 水1日 電池バッテリー0日分 燃料0日分 麻酔注射器4回分
経験値95+X
人物紹介は明日……明日……。