表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/112

第68話 悲しき過去 5月23日

5月23日(日)『表』


「今日こそはいい加減勉強をしよう」


 自分に言い聞かせるように俺は勉強机に座る。

この椅子に座って参考書を開くなんていつぶりだろう


「数学から――」


 参考書に手をつけた途端、ドカンと扉の開く音がした。

俺の部屋ではない、紬の部屋だ。


「姉ちゃんまた俺の部屋勝手に漁ってお菓子食ったろ! 小学生みたいなことすんのやめろよな!!」


「新が勝手に部屋に持っていくからだもん。それにちゃんと半分残しといてあげたでしょ」


 まーた紬が新のお菓子食ったのか。

冷蔵庫のプリンで姉弟トラブルなんてのはマンガでもありがちだが、紬は部屋の引き出しに入れてても狙ってくるからな。


「かけらしか残ってなかっただろ! しかも適当に戻しやがって床に零れてるんだよ!」


「お菓子1つぐらいでギャアギャアうるさいなぁ。もっと広い心をもたないと女の子にモテないよ!」


 ちなみに俺が間違えて紬のアイスを食ってしまった時はギャアギャアなんてものじゃなかった。

親の仇かと思うぐらい責めたてられ、半泣きの紬にコンビニまで付き合わされた。


「余計なお世話だ! 大学生にもなって盗み食いなんてしてるからいつまでもガキっぽいんだよ」

 

「お姉ちゃんに向かって良くも言ったなぁ! アホ、バカ、間抜け新!」


 こういう口喧嘩でアホバカ連呼し始めるのは普通年下の方からなんだけどな。


「いくら食っても育たないペチャパイのくせに!」


 思わず噴き出してしまう。


「あーーー!! 気にしてること言ったな!! この……この……」


 紬が溜める。いや他の罵倒が出てこないだけか。

アホバカ間抜けしか悪口のボキャブラリがないのは良いことか、それとも語彙の不足を嘆くところか。


「この……この……短小アラタ!」

「ふぎゅ!?」


 奇声を発した新に続いて俺も机で頭を打つ。

まさか紬の口からシモ系悪口が出てくると思わなかった。

誰に教わったのか心配になってしまう。


「ち、小さくねえよ普通だよ! 男できたこともないくせにわかったようなこと言うな!」


 新の怒鳴り声が2トーンあがる。

譲れない一線らしい。


「ふーんだ。お風呂で見た時、ホマ君より全然小さかったもんね。おこちゃま新ー」


「兄ちゃんのサイズが異常なんだよ! 俺は普通だ!」


 俺は少し大きいかもしれないが新は小さめだと思うぞ。


「ペチャパイ! ペチャパイ!」


「アホアホアホ!」


 そこからは小学生みたいな罵倒合戦になる。

うるさすぎて勉強どころじゃない。


「外で勉強するか……」


 勉強用具をカバンに詰めて支度をする。


 そこでスマホが音を立てた。


『マッスルメンジム 今日は器具もスタッフも空いていますので猛筋トレしませんか?』


「いやいや。テスト来週なのに筋トレしてる場合じゃ……」


 言いかけて脳裏に昨日秋那さんに言われたことが蘇る。

『80点 もう少し体力があったら――』


 俺は勉強道具をジャージに持ち換えた。




マッスルメンジム


「いらっしゃい双見君。久しぶりですね。また来てくれて嬉しいです」


「ええ。ほんとうに、久しぶりです」


 俺を迎えてくれたのは北枝さんだった。

彼女はここのサブ……なんとかだったな。


「サブマッチョね。うちのトレーナーランクは下から『ノーマルマッチョ』『サブマッチョ』『メインマッチョ』そして最高の地位に君臨するのが『チーフマッチョ』なんだよ」


「ああ……そうですか」


 マッチョの格付けには微塵も興味はないが北枝さんからは目が離せない。


 同姓同名なんてあり得ない。

なにからなにまで全て『裏』と同じ人だ。


「今日は大きなマッチョの大会があって盛蔵さんと常連の人は遠征に出ているの。だから機材も空いてて使い放題なのよ」


 確かに前回は筋肉モリモリの男達が叫びながら使っていた機材が軒並み空いている。

それでメールを送ってくれたのか。


「留守番の私も手が空いているからしっかりついてあげられるよ。盛蔵さんからも双見君のことは気にかけてあげるように言われているしね」


「それは……ありがとうございます」


 どうしても口調は硬く、言葉は少なめになってしまう。


 表と裏で同一人物と付き合った経験はない。

別人として脳内に登録されている人物を融合させるのに手間取るのだ。

 

 そんな俺の態度を緊張していると見たのか、北枝さんは明るく語り掛けてくれる。


「双見君は重点的に鍛えたい部分ってある?」


「そうですね……太ももとお尻とか腰回りの筋肉を鍛えたいですね」


 北枝さんは少し驚いた顔をする。


「へえ下半身中心かぁ。双見君みたいな若い男の子だと目立ちやすい腕とか胸ばかり鍛えたがるものだけど……うんうん下半身の強化は鬼マッチョ化の必須条件だからね。わかってるね!」


「ははは」


 俺は北枝さんに手伝って貰いながらトレーニングを続ける。

彼女の教え方はとても丁寧で優しく、一方で器具を変に使ったら即座に注意してくる。

万が一にも俺が怪我をしないよう気を張ってくれているのがわかる。

これが普通に生きてきたタイコさんなのだと納得できる。


 俺は彼女が『表』でも『裏』でも信に足る人物だと結論付けた。


「あれ軽すぎたかな? 盛蔵さんの言った通りだ……筋力は並か少し上ぐらいなのに2段階ぐらい上の重りも軽々あがる。体の使い方がすごく上手いんだね。ちょっと触らせてくれる?」


 北枝さんが俺の筋肉を確かめるように全身を触る。

その真剣な表情から妙な気持ちは微塵もないとわかるが、鍛え抜かれた体が汗ばみながら触れてくるのだから男としてはたまらない。


 もし昨日秋那さんとヘロヘロになるまで致していなければ盛大に大きくなっていただろう。 


「ふむふむ。君の体のバランスはほぼ完璧だけど背筋に比べてちょっとだけ腹筋が弱いかも。追加で2セットしとこうか。今日はそれで終わりかな」


「まだまだ余力ありますけど」


 特に強がりでもなく言ってみる。


「うーん。私もそう見えるんだけど双見君の筋肉量を考えるともう限界ギリギリのはずなんだよ。これ以上はお勧めできないよ」


「なるほど……わかりました」


 トレーニングに関しては北枝さんに全て任せれば間違いないだろう。



「お疲れ様。私の特製ドリンクだよ。トレーニングの後にはこれが一番」


 全てのメニューを終えたところで北枝さんは特製のジュースを奢ってくれた。

甘い匂いに誘われて一口飲んでみる。


「どう?」

「……感想言わなきゃだめですか?」


 不味いなんてものじゃない。

強烈に甘くて生臭くてとんでもない味だ。


 俺の渋い顔を見て北枝さんが笑う。


「これ超まずいよね。でもその分トレーニングの効果をしっかり体に伝えてくれるから。って私も兄さんに言われたなぁ」


『兄さん』の言葉に体が硬直する。  


「兄さんって言うのは」


「ごめんね。やっぱりこの話は」


 北枝さんが話を切ろうとした時、ジムの入り口が開いた。

途端、彼女の顔が石にでもなったかのように固まる。


 何事かと視線を追う。


 筋骨隆々とした巨体、それとは対照的な穏やかで優しげな顔。

タイゾウだった。

 

 俺は思わず立ち上がり、一瞬置いて座り直す。


 シズリ達は無事なのか、今どこにいるのか、アオイはなんとか生きているぞ。

色々と伝えたいことがあるのに『表』で言っても全て無意味、俺とタイゾウは初対面なのだ。

もどかしいがどうにもならない。


 タイコさんと同じようにタイゾウの人物象を『表』仕様、つまり白紙に切り替える。


 その上で俺は改めて立ち上がった。

『裏』で彼の人となりは知っている。 

全く白紙からの付き合いにはなるが頼りになる善人であることはわかっているのだから。


 俺は隣で硬直してしまった北枝さんを置き、なにやらキョロキョロしているタイゾウに向かって歩く。


「初めまして。このジムに通わせてもらっている双見と言います。妹さんにはよくご指導を――」


 俺が言い終わる前にタイゾウは微笑み俺の手に何かを置く。


 なんだこれ、果物か?

見覚えはあるがあまり食べる機会のない……ああそうだ確か……。


「おはマンゴー!」


 タイゾウは満面の笑みで俺を指差し、ジムに響き渡る音量で叫ぶ。


「……おは?」


 突然のことに脳みそが読み込みエラーを起こす。


 『おは』はおはようの略、それは理解できる。

俺もふざけて言ったことがあるしヨシオが教室で叫んでダダ滑りしたこともある。

しかし初対面の相手に大人の男がぶっ放す単語ではないから聞き違いか?


 そして『マンゴー』とはなんだ。

手に置かれた果物は確かにマンゴーなのだが挨拶で叫ぶ意味がわからない。

中学生的に考えればドギツイ下ネタ……いやいやタイゾウにとって俺は初対面、しかもそれなりに人がいるジム、更には妹の職場だぞあり得ない。


「ええと……」


 脳みその再起動をかけている俺の手に今度はバナナが置かれる。

タイゾウは両人差し指で俺を指差してからニヤッと笑って歩き去る。


 確実に下ネタとしてやっていることと、タイゾウの満面の笑みは最高に気持ち悪いことはわかった。

それ以外のことは何もわからないが。


「お、お兄ちゃん! ここには来ないでって言われてたでしょ!」


 フリーズした俺に対して再起動した北枝さんが立ち上がる。


「まぁまぁいいじゃないか我が妹よ! 私もたまにはこっちで鍛えようかなと――ふんむ!」


 タイゾウがジャージを脱ぎ捨てた瞬間、ジムに悲鳴が響き渡る。


「うわっ!? なんだありゃ!」

「いやぁぁぁ! 変態!!」

「ひっでぇ……」


 それもそのはずでタイゾウがジャージの下に着ていたのはパンツ一枚だけだった。

それだけならあるいはボディビルがはいているパンツに見えなくもないのだが……。


「おにいちゃん! それ2サイズも小さいやつでしょ! ああっこぼれてる! 早く隠して!」


「隠せ? 仕方ないなぁ」


 北枝さんが必死に訴えるもタイゾウは下をそのままに乳首にバッテンシールを張る。


「なんだこれ」


 俺は呆然とその光景を見続ける。


 記憶の中のタイゾウと違いすぎる。

目の前のコレはただの下品なマッチョだ。


 タイゾウは乳首にシールを張り下半身がこぼれた状態のまま、ランニングマシーンで呆然としている女子高生に近づいて至近距離でポージング、ヨガ体操をしていた人妻の前で猛烈なスクワットとやりたい放題に大暴れ、極めつけに悲鳴を浴びながら恍惚の表情で懸垂する光景はまさに悪夢だ。


 もう下ネタなんて通り越してただの変態だ。


 とうとうマジ切れした北枝さんが警察を呼ぶと叫ぶと、ようやく服を着て退散していく。



「……ほんとうにもう、おにいちゃんどうして……グス」


 兄を追い払った北枝さんはベンチに座り込み、両手で顔を覆ってしまった。


「なんと言ったらいいか……」  


 北枝さんに声をかけながら俺の方も少なからず動揺していた。

 

 こちらのタイゾウが変態なのはまあ別にいい。

意表を突かれたが実害はなかった。


 だがこれが本当のタイゾウだとすればシズリ達はあんな変態と一緒に居ることになる。

もし奴が変態行為に及べば体格的に抵抗すらできないだろう。


 しかしわからない。

『表』では善人ぶっていた奴がなんでもありの『裏』で本性が出るってのはあるだろうが、逆はあり得るのか。


「おにいちゃん……昔はあんなじゃなかったの」


 北枝さんがボソボソと話し始める。

ここはしっかり聞いておくべきだろう。


「悪いマッチョだった時期もあったけど盛蔵さんに諭されて……頑張ってトレーニングしてメインマッチョにもなって……」


 悪いマッチョとメインマッチョの単語力が強すぎるが本題はそこではないのでスルーする。

『裏』のタイコさんから聞いた話とも一致するな。


「ファンだった女性とのお付き合いも順調で婚約もしていたの。だからもっともっとトレーニング頑張るって。でも……」


「まさかその女性が?」


 北枝さんは小さく頷く。


『表』であっても人は簡単に死ぬ。

不治の病、交通事故、犯罪……不意に命を奪われることはいくらでもある。


「そう――寝取られたの」


「あれ?」


 なんか違ったぞ。

不意に命がーとか回想したんだけどな。


「去年のクリスマスイブだった。兄が誘ったジムデートにその人は現れず……街でナンパしてきたお笑い芸人に寝取られてしまったの」


「ああ、うん」


 俺は曖昧に頷く。


「なんとか寄りを戻そうとする兄にその人が最後に言った言葉が――『やっぱり私マッチョより面白い人の方が好き』――兄は壊れてしまったの。面白い男がモテるを勘違いしてあんな感じに……」


 悲しい過去だ。


「兄はずっと体を鍛えることしかしてこなかったから、思いつく笑いが下ネタしかないの。それもセクハラと区別のつかない低級下ネタで全然面白くなくて――盛蔵さんも兄が自分を取り戻すまでは認められないってメインマッチョの地位は剥奪、ウォンデットマッチョに堕とされた!」


 タイゾウが壊れたのが去年のクリスマスなら『裏』世界では壊れていない。

つまりシズリ達は安全なので、もうこの話は終わりでいいかな。


 俺はそこから先の話は適当に聞き流しつつ、泣き崩れる北枝さんを慰めることに全力を注ぐ。


「ごめんね。久しぶりに来てくれたのに見苦しいものばかり見せちゃって」


「タイゾウさんのは本当に見苦しかったですけど、北枝さんの泣き顔は綺麗でしたよ」


 バカと胸板をつつかれながら顔を洗いに立ち上がると、騒がしい大声が聞こえた。


 注意を向けるとバーベルのコーナーで学生3人組が騒いでいる。


「よっし50クリア! 余裕余裕、次は一気に70まで行くぜー!」


「一気に20あげるとか笑える。やるって言った以上絶対やれよー」


「上がらなかったら奢りにしようぜ!」


 目を覆っていた北枝さんの顔色がさっと変わる。


「ちょっと君達! 初めての重量をあげる時はちゃんと補助をつけ――」


 北枝さんが学生たちのところに向かおうとした瞬間、適当にしか固定されていなかった重りがバーから抜け落ちる。


 15kgと書かれた重りは地面に落ちて一度弾み、そのまま北枝さんの右脚へ――。


「危ない!」


 俺は咄嗟に北枝さんの手を引いた。

重りは彼女の足を掠めて転がり、ベンチに当たって盛大な音を立てた。


「あ、ありがと……凄い反射神経だね……」


「こういうこともあろうかと」


 正直、間に合ったのは『裏』のおかげだ。

関係ないとわかっていながら、俺はここに来てから北枝さんの右脚から注意を逸らさなかった。


 学生たちに向けられた北枝さんの叱責を聞きながら呟く。


「偶然だよな?」



 

 トレーニングを終えた帰路、ほど良い疲労と達成感で頭はすっきりとしている。


「下心で行ったジムだけど勉強もはかどりそうだ」


 ただそれとは別に女性と触れ合いたい気持ちも増幅されている。

体を酷使するとどうしてもオスが高まってしまう。


 とはいえ晴香も奈津美もテスト勉強中で忙しいはずだ。

女性を呼び出してただセックスさせろなんてふざけたことは言えない。


「だからこれはただの体調確認」


 俺は秋那さんのトークを呼び出し『体調は大丈夫ですか? なにかあったら遠慮無く言ってください』と送る。すると数分後、『シたいならおいでー』と返信が来た。


「お見通しかぁ」


 俺の足は家ではなく秋那さんのマンションに向かうのだった。


主人公 双見誉 市立両河高校一年生 

人間関係

家族 父母 紬「歯痛」新「笑」

友人 那瀬川 晴香#21「勉強」三藤 奈津美#5「勉強」風里 苺子「勉強」江崎陽助「温泉旅行」高野 陽花里#1「彼氏と勉強」上月 秋那#14「エッチなお姉さん」

中立 元村ヨシオ「ゲーム」北枝「トレーナー」タイゾウ「悲しき変態」 

敵対 キョウコ ユウカ「復帰間近」タカ君「陽花里彼氏」

経験値107

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] もし別世界の同じ人間と会話するなんてことになったら、 今回の誉のように混乱しそう。 [気になる点] でも元々の人格とかその人となりはどちらでも似たものなんですね
[一言] 表のタイゾウさんには何かネガティヴな要素があるのだろうなとは思わされていましたが、予想外の方向でしたw
[気になる点] 紬ちゃん虫歯(笑)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ