第66話 ブーストモード 5月21日【裏】
5月21日(金)【裏】
新都 無人ビル
しっかりと昇った朝日を見ながら俺はタイコさんを背負う。
「行きます」
「う、うん」
タイコさんの締まった尻を軽く撫でてから一気に非常階段を駆け下りる。
「戦闘せざるを得ない状況になったら貴女を地面に落とします。受け身をとって足を庇えるように準備して置いて下さい。あと怪物が近づいてきたら反対側に逃げて下さい。必ず助けにいきます」
「り、了解」
階段を道路まで下りたところで早くも5体の怪物に見つかる。
「わっいきなり!?」
俺は即座にタイコさんを地面に落としてバールに持ち替える。
そして正面一体の足を叩き折ってから即座に彼女を担ぎ直して走る。
「大丈夫でしたか?」
「なんとか足は庇ったよ。肩うっちゃったけど」
ならよかった。
あまりに乱暴な方法だが時間をかけてゆっくり降ろしている方が危なくなる。
俺は新都の大通りを拠点にする雑居に向けて一直線に走る。
「待って。この道をそのまま進んだら駅前のロータリーに出ちゃう。車が連なってて見通しが効かないし怪物の数も多いから――」
「駅前の入り口から地下へ。そのまま地下ショッピング街を通ってB20の非常階段から地上に出ます。そこから歩道橋に登って大通りを横断します。どこもそれほど広くないので怪物が居た場合排除します」
表で確認は終えている。
あとは怪物がどれだけいるかだ。
そして俺のさほど鍛えられていない体がタイコさんを背負ってどこまで走り続けられるかだ。
地下への入り口前に怪物がまず2体。
一体は華奢な女性、もう一人はジャージを着た体育会系の男だ。
俺は再び警告の声もあげずにタイコさんを地面に落とし、バールで女性の膝裏を殴打する。
整った顔立ち……人間だったころは綺麗だったのだろうなと思いながら膝から崩れる女性の足をもう一撃し完全に歩けなくする。
「次は……ちっ」
ジャージ男が前のめりになってむかってくる。
舌打ちの理由は姿勢的に脚部が狙えないからだ。
仕方なく手を一撃して――と組み立てたところで叩きつけたバールが真ん中から折れ飛んでしまった。
「マジかよ」
一瞬頭が真っ白になる。
タイコさんを担いで移動するためにできるだけ軽量化しようと荷物はほとんど置いてきた。
少ない荷物の中で武器と言えるものはこのバールぐらいしかなかったのだ。
拠点までの距離はまだ9割残っている。
今も目の前には怪物がいるし、ここから先も戦闘が続くこと必至だ。
そんな状況で完全な丸腰になってしまったのだからたまらない。
どうするべきか考える。
しかし何をどう考えても武器無しに生きて帰れるビジョンが見えない。
天を仰ぎたい気持ちだ。
「……そんなことしても無意味なのはこの一年でわかってるか」
俺は大きく息を吸い込んで怪物を見つめる。
「絶対に生きて帰る。生かして帰る」
歯を食いしばり、唸り声のように息を吐く。
ヤバい時にいつもやる深呼吸。
ただいつもと違い、体の奥に火が灯るような感覚があった。
相手の動きが遅くなったように見え、手足が軽くなったように感じる。
心から迷いが消えていく。
俺は折れたバールをジャージ男に投げつけてから掴みかかる。
「あっ! だめ!」
タイコさんが小さく悲鳴をあげた。
彼女の心配通り、自分より大柄の怪物を相手に組み合うなど自殺行為だ。
案の定、ジャージ男は俺の左肩に噛みつき、歯がジャンパーを食い破って深々と突き刺さる。
「クソが気持ち悪い」
俺は男の髪を掴んで引き離しながら足をかけて投げ飛ばす。
ジャージ男は転倒しながらも口を離さず、ブチブチ音を立ててジャンパーとその中身が食い千切られた。
「最悪の気分だ」
俺は転倒した男の髪を掴んだまま、頭を階段の角に何度も何度も叩きつける。
一度目で血が噴き出し、二度目で陥没し、三度目で完全に割れる。
そして4度目、中身が零れたところで蹴り飛ばす。
ジャージ男は不規則に動いているが、既に痙攣に近く立ち上がって追って来る危険はなさそうだ。
「君、肩……」
「ガードしてます」
心配するタイコさんに破れたジャンパーの下を見せる。
屋上物置で見つけたビニールシートを噛まれやすい首筋から肩まで詰めていたのだ。
先程食い千切られたのはこれで肌に歯は届いていない。
むしろ驚いたのは俺が素手で怪物の頭部を破壊してしまったことの方だ。
タイゾウならできるかもしれないが……まあできたのだからそれでいいか。
俺は素早くタイコさんを担ぎ直し、小学生の頃怒られて以来の三段飛ばしで駆け下りる。
当然地下街も怪物だらけだが、その中でも警備員ゾンビが回避不能の厄介な位置にいる。
また素手で戦わないといけない。
「どうしてこうもガタイの良いやつばっかり」
やれるか。
いや、やるしかない。
三度タイコさんを降ろして大きく深呼吸する。
敵が妙に遅く、体は妙に軽い、そして体内の火は大きくなっていく。
警備員の突き出した腕をギリギリまで引き付け、掴みかかろうとするその瞬間、右腕の肘関節に本来曲がらない方向へ蹴りを入れる。
骨が折れる乾いた音が聞こえた。
「ここから……」
俺は怪物の右側へ回り込みあえて動きを止めた。
集中が高まっていくのがわかり、体感時間が更に遅くなっていく。
腕の骨が折れたぐらいで怪物が動きをとめることはない。
不自然に曲がった腕で俺を掴みにかかる。
俺は折れた腕を掴み、回転しながら自分ごと地面に倒れ込む。
警備員の腕は本来の可動域を越えて丸々一周ねじれ――湿った嫌な音と感触と共に引き千切れた。
我ながら驚くほどのパワーが出た。
まさか千切れるとは。
それでも怪物は止まらない。
引き千切れて血飛沫をあげる右腕など知ったことかとばかりに俺に覆いかぶさって顎を開く。
「これでも食ってろ。自給自足だ」
俺はその口内に千切った奴自身の腕をねじ込む。
腐った肉に歯が食い込んでいく。
「二度とその口を――開くなよっと」
更に俺は体を丸め、警備員の顎を両脚で蹴り上げた。
よろめいた警備員は再び俺に向けて腕を伸ばすが、顎への一撃で噛みしめた自分の腕に歯ががっつり刺さってしまったのか口を開くことができない。
俺は跳ね起きるなり怪物に向けて突っ込む。
欠損した右側から回り込み、後ろから首を抱え込む。
普通ならたちまち噛まれるのでこんな真似はできないが、今のこいつは口が使えない。
警備員の頭頂部を掴み、横方向へ全身全霊で力を込める。
太い首がメリメリ音を立て、遂に生木を圧し折るような音をたて警備員の首は横に90度倒れた。
警備員の手足が大きく跳ねあがる。
俺は折れた首を左右に何度か傾け、最後にグルリと後ろを向くまで捻じってから体を投げ捨てる。
地面に倒れた警備員は尚も動き続けたが、痙攣に近い動きで戦闘能力はもうない。
「ふう」
俺はタイコさんを背負い直す。
「す、素手で腕を捩じ切った……それに首を横に圧し折るなんて……その細い腕で……」
細いと言われるのはなんか嫌だな。
普通より少し上ぐらいだとは思っているのに。
とはいえ俺も普段からこんなことはできない。
「ぶっちゃけ自分でも少し引いてます。本当は両腕を折ってからそこに転がってるマネキンでボコボコにして逃げるつもりだったんですよ」
まさか腕を引き千切って素手で首を折るなんてバーサーカーみたいな戦い方になるとは思わなかった。
どうにも普段より敵の動きが良く見える。
普段では出せないような強い力が出る。
絶対に背中の女を守り抜かねばならない。
そしてアオイの為にも絶対に生きて帰らなければならない。
その思いから生まれる生存本能が自分の中で燃え立っているかのようだ。
「まあ生きて帰るために使えるなら理屈なんて考えずに使う」
俺は再び息を吸い込み、自分と同じほど体重のあるタイコさんを背負いながら走り抜ける。
その速度は最初とは比べ物にならず全力疾走に近い。
多数の怪物をかいくぐり、時には蹴り飛ばして突破する。
地上への階段を四段飛ばしで駆けあがる。
それでも息が切れない。
微塵も足が痛まない。
ありきたりな表現だが風のような勢いで歩道橋を駆けあがる。
ここを突破すれば拠点は目と鼻の先だ。
「前を見て!? ここはダメよ!」
タイコさんが叫ぶ。
歩道橋上のいる怪物は一体だけ。
回避困難な狭さではあるが一体ならば……。
「出たな関取」
その一体が昨日俺の作戦を潰してくれた力士ゾンビだった。
夜の間に随分移動しているじゃないか。
「歩道橋の上じゃどこにも逃げられない! ここは一旦引き返して――」
「もう戻れません」
俺達が登ってきた階段から複数の怪物が顔を出す。
下にはもっと多数の怪物が群がっているだろう。
「生き残るには前に抜けるしかない」
口に出すと一層集中力が高まっていくのがわかる。
手足に力がみなぎり、体の中が本当に燃えているかのように熱い。
「でも素手であんなのと戦うなんて無理だよ!」
「いや、やる。やるしかない」
俺はタイコさんを背負ったまま力士に向けて突っ込む。
そして接触直前で彼女を落とし、そのまま巨体へ掴みかかる。
これまでで一番体が軽い。
体の中の火が炎のように燃え上がる。
おそらくは今までの人生で一番の怪力を発揮した俺は力士と組み合い、一瞬にして押し込まれた。
「当たり前だよなぁ!」
限界を突破したのかなんなのかわからないが、身長170cm体重65kgの俺が力士相手に押し勝つなんて改造手術でも受けない限り不可能だ。
もちろんそれはわかっている。
わかった上で組み付いた。
俺は力士に押されながら食らいつこうとする頭を右手で押さえ、左手でマゲを掴む。
「決まり手は押し出し。お前の勝ちだ」
そのまま後ろに重心を移す。
力士の圧倒的なパワーは俺をそのまま吹き飛ばし、歩道橋の手すり――狙い通り錆びて朽ちかけた部分にぶち当てて突き破る。
俺と力士は組み合ったまま道路へと落ちていく。
「――!!」
タイコさんの叫びに注意を向ける暇はない。
ここからが本番なんだ。
俺は落下しながら体勢を入れ替える。
この歩道橋は並の物より高いがそれでも地面までの猶予は2秒もない。
落ちながらも俺を離さない関取の鑑のような巨体をクッション代わりに俺は道路へと落下する。
強烈な衝撃が体を突き抜けた。
肺から空気が漏れ、全身が痺れ、頭が軽く揺れた。
肉が潰れ、骨が砕け、内臓が破裂する感触が自分の体ではなく、その下の巨体だと確認して安堵する。
「ぐ……」
俺は即座に立ち上がる。
この道路もまったく安全地帯ではないからだ。
そして立ち上がるなりバタつく力士の頭部をサッカーボールのように蹴りつけて首を圧し折っておく。
「ゆっくりでいいからそのまま進んでください。次の登り口で合流します」
幸いにして今の轟音で怪物の注目は俺に集まり、歩道橋の上を進むタイコさんを追う個体はいない。
そして目的地はもう目前。
「どうやら逃げ……もごもごっと」
『逃げ切ったようだ』と続けたかったがやめておく。
今までここから追い打ちくること多かったからな。
余計なことを言わなかったおかげかはわからないが、俺達は無事合流し、そのまま雑居ビルに逃げ込むことができたのだった。
雑居ビルの8階。
ほんの一日あけただけなのに二週間ぶりぐらいに感じる。
もちろん『ただいまー』なんて大声では言えないので音が響かないような軽いノックだ。
『――!?』
ノックから一秒と経たずに内側に巻いた紐を外す音がした。
良かった。悪い可能性としてアオイが外に出てしまっていないか心配していたのだ。
そして扉が開くなり、アオイが飛びついてくる。
「おにいちゃん! おにいちゃん! おにいちゃん!!」
アオイはただただそう連呼しながら全身で抱きつき顔を擦り付ける。
「良かった……生きてる……もう帰って来ないかと」
アオイの強張っていた顔が徐々に泣き顔へと変わっていく。
今までは泣く余裕も無かったんだな。
子ども故の高い体温を感じながら、ああ生きて帰って来たんだなと実感する。
体中に張り巡らされていた緊張が解け、体内で燃えていた火が小さくなっていく。
「昨日帰れなくてごめんな。怖かったな」
「うん、うん、ふえぇ……」
アオイはマーキングでもするかのように俺の顔中に頬を擦り付け、両側の頬っぺたにキスをする。
そして最後は俺の口に吸い付き、小さな舌でちょんと唇をつついて離れた。
俺達は互いに見つめ合いながら笑う。
「……ねえ」
そこでアオイはようやく部屋にもう一人居ることに気付いたのか、転がるように移動して俺の背中に隠れた。
「大丈夫、彼女は味方だ。そうだ、もっと良い包帯と添え木になりそうなものを……」
店の奥を探そうとする俺の肩に手が乗る。
「……今のなに?」
「なにってアオイだよ。昨夜話したじゃないか」
手が肩に食い込んで痛いぞ。
「それはわかるよ。態度を見れば君が信頼されてるのもわかる。問題は最後の流れるようなキス……まさか、あんな小さい子を……」
「相手は子どもだぞ。まさかまさか」
俺が笑っているとアオイが体を洗う準備をしてくれている。
今回は異常な肉弾戦続きだったから貴重な水を使ってでも洗っておかないといけない。
「ほらおにいちゃん。洗ったげるから早く早くー」
「おう」
言葉に甘えようとする俺の肩を掴む力が更に強くなる。
骨まで軋む強さなんだが。
「アウト」
タイコさんの視線の先は変な形の椅子と空気で膨らませるマット、そして裸で俺を招くアオイ――。
「誤解なんだ」
鬼の形相になろうとするタイコさんに言い訳していると、唐突に足がもつれた。
「んん?」
机につこうとした手が空ぶる。
「なんだこれ」
全身の筋肉が悲鳴をあげ、肺が突然大量の酸素を求めて荒い呼吸を開始する。
怪物との戦闘や落下でぶつけた部分全てが痛み始める。
異変に気付いたタイコさんとアオイが駆け寄って来るのが見えたが、大丈夫と手をあげようにもあがらない。
「そりゃそうか」
何故?とは思わなかった。
人間には身体能力の限界が出せないようリミッターがついている。
非常時にはこれが外れるから火事場のクソ力なんて言われるものが出せるし、悪い方向だとゾンビにはこれがないから尋常でない力が出せる。
ではどうしてわざわざリミッターなんてついているのか、不利になるだけじゃないか、となるがそうじゃない。限界まで力を出してしまうと『こう』なってしまうからついてるんだな。
などと理屈っぽいことを考えながら俺はその場に倒れ込み、意識を失った。
主人公 双見誉 放浪者
拠点 新都雑居ビル8F 2人
環境
人間関係
同居
アオイ「洗体」タイコ「看病」
中立
風里2尉「観察」
備蓄
食料16日 水1日 電池バッテリー0日分 燃料2日分
経験値95+X




