第62話 タワーズ③ 彼の妹 5月20日【裏】
「これで良し、と」
反対側のビル屋上までロープを渡り切った俺はまず屋内へ通じるドアにビニールロープを巻き付け、非常階段には音出し用の空き瓶を並べておく。
付け焼刃にも程がある対策だが何もしないよりはいい。
ともかくここで一晩明かさないといけないのだ。
「あとはなんとか足を診たいんだけど……」
既に陽は落ちて周囲がまともに見えなくなっている。
もちろんライトをつけるなんてとんでもないことはできない。
「血が出ていないし運が良ければ……いや待って。あそこに物置がある!」
女性が指差す先に小さな物置があった。
周囲をよく見ると枯れ果てたプランターがいくつも転がっている。
これを手入れするための用具置き場か。
「なんにせよ運がいい。鍵もかかってない」
音に気をつけて物置をあける。
肥料や土、スコップにネット……諸々を外に放り出すと人一人が横になれる程度のスペースはある。
「穴もないな。ライトが使えそうだ」
早速女性を運び入れて横たえ、ライトで足を照らす。
「足首か」
太ももでなかっただけマシとするべきだろう。
「バリケードを支えていたらテーブルごと怪物が倒れ込んで来たんだ」
『裏』で骨折する意味を俺も女性も理解している。
その場で死ななかっただけ幸運だが、生き延びても感染症や骨が歪んでくっつくなど、どれか一つでも悪い方に転がればお陀仏だ。
「とりあえず固定はしておく。俺は医者じゃないから詳しいことはわからないけど」
「ありがとね」
上着とシャツを脱ぎ、シャツを裂いて板を添えてきつく結ぶ。
これでなんとかなるだろう、なってくれ。
「じゃ、次は脱いでくれ」
「……」
女性は僅かに躊躇しながらも反論することなく全てを脱いだ。
俺は彼女の裸体をライトで照らしながら確かめていく。
言うまでもなく怪物に噛まれていないか確認するためだ。
あれだけの乱戦をやったせいで全身に擦ったり切れたりの傷がある。
その中に怪物の歯や爪によるものであれば状況は一変する。
アオイの時は俺と2人きりで失うものは何も無かったからそのままだったが、もしこの女性が噛まれているのなら少なくともアオイと同じ場所には置いておけない。
俺は僅かな痕も見逃さないよう女性の体を丹念に調べていく。
「……ど、どう?」
女性の腹筋が浮き上がるほどの逞しく鍛えられた体が小さく震えている。
「……怪しい傷、あるかな?」
再び女性が問うてくる。
男に隅々まで見られる羞恥と屈辱を抜きにしても、もし噛まれていれば9割方死ぬとなれば怖いに決まっているよな。
「む……」
「ひっ」
俺の手が止まると女性が体を硬直させる。
そこで俺はライトを立て、女性に笑いかけた。
「大丈夫みたいだ。噛まれた傷はないよ」
女性はフーと息を吐く。
「あぁ安心した……最後のは怖かったよ。どこか怪しいところあった?」
「最近女性と縁が無かったもんで……ここ綺麗な形してますね」
言いながら頭を差し出す。
「バカッ!」
予想通り頭を叩かれるが、女性は笑っていた。
これで緊張は解けたようだ。
「っと叩いちゃってごめん。命の恩人なのに……おっとマスクもつけたままは失礼だね」
俺は頷く。
恩に着せるつもりはないが死ぬ気でやったのは確かなので否定するつもりもない。
女性は服を着直して俺に向き直りマスクを外す。
「私は北枝。【北枝 黛子】宜しくね」
「……」
脳内データベースから名字と顔が即座にヒットする。
色々繋がった感がある。
「――タイゾウ」
口に出した途端肩をガッと掴まれた。
「兄さんを知っているの!? どこ!? どこにいるの!」
だろうな。だろうとも。
マッスルメンジムで言葉を交わしている人じゃないか。
北枝さんを助けて本当に良かった。
もし彼女を見捨てて後で気付いていたら罪悪感で動けないぐらい凹んでいたはずだ。
タイゾウに合わせる顔も無ければ『表』でマッスルメンジムに行く気もなくなっただろう。
「それで兄さんは……まさか……そんな」
俺がすぐに答えなかったことで嫌な推測をしてしまったのかタイコさんは目に涙を浮かべ始める。
「いや違います。違います。ちょっと呆気にとられただけですから!」
慌てて否定してから、自己紹介がてらタイゾウと出会ってから今までのことを説明する。
「兄はアオイって子を守るために旧市街に? ふふ、タイゾウ兄さんらしいや」
タイコさんは頷きながら頬を綻ばせる。
「俺もタイゾウさんに命を助けられました。その他にも色々手伝って貰って……」
三脚掃討もタイゾウの助けが無ければ成し得なかった。
彼と出会わなければ俺はどこかで死んでいた可能性が高い。
そして話はあの絶望的な状況に移っていく。
「絶望的な状況だったとはいえ俺はタイゾウさんを探さずに脱出を図りました。なのに最後の最後に助けて来てくれて……」
「あの火事は私達の拠点からもはっきり見えてたよ。見張りの人がゾンビの海って言ってたけど、そんな大変なことになってたなんて」
最後に俺の油断から分断された話で終わる。
「大丈夫、兄はとても強くて頼りになる人だから、きっと双見君の大事な人を守ってくれるよ!」
タイコさんはまるで恋人の話でもするかのように言う。
その表情だけでタイゾウが善人であると改めて確信できた。
一旦会話が止まったところで状況を確認する。
まずタイコさん達、居住者についてだ。
『居住者』名前の通り確固とした住居を確保している者達。
辛うじて生き残っている生存者に対して、彼らはいわゆる『人間らしい生活』を維持している。
十分な食事と清潔な空間、何よりも安全。
それらが確保できる新都の一部高層ビルに住む者達のみが居住者と呼称されるのだ。
居住者の拠点たる高層ビルは鉄壁の要塞と言って良く、例え千のゾンビや三脚の群れが押し寄せてもビクともしないだろう。
生活水準なども、生存者の中ではかなり恵まれていた俺のマンションと比べても段違いで巨大な貯水塔やソーラー発電システムまで備えていることがほとんどだ。
更に多くとも数人単位で散っている生存者に対して、居住者は数十人から多ければ百人に届く人数が一か所に集まっており、ある意味原始人に近い生き方をしている生存者と違って各拠点ごとに『社会』が築かれているのも大きな特徴だ。
「これがまたうざいんだよな」
「?」
但し社会が築かれると軋轢もまた生まれる。
俺の知る限りでは外部から怪物に破られて陥落した居住者の拠点はない。
一方で派手な全滅劇はたまに聞く。いずれも内部対立やバカの暴走など内側の問題からぶっ壊れている。
ただ、最新設備とコンクリートに守られた要塞ですら逃れられない問題がある。
食料だ。
水に関しては俺がマンションでやっていたように屋上を利用してなんとかすることもできる。
高度な浄化システムで煮沸しなくてもそのまま飲めるような夢設備を持っている所さえある。
だが食料に関してはどうにもならない。
各戸にある食糧や非常用備蓄もこの1年でとうに食べ尽くされている。
希少物資と引き換えに生存者や放浪者から物々交換で入手することも多いが、全てを賄いきることは不可能で、やはり調達に出る必要がある。
新都での調達は旧市街とは比べ物にならないほど危険だ。
だからこそ最初見た時のようにそれなりの人数を用意し、周囲をがっちり警戒しつつ武器や道具もしっかり備えて出るのだが……今回のタイコさん達のようになることも多々ある。
故に居住者の中でも力のあるものが調達に出るなんてことはあり得ない。
大抵の場合、調達に出されるのは新参者だったり『社会』での地位が低い者達になる。
俺は思考を一旦切る。
考えていると昔のことを思い出してイライラしてきた。
外に漏れないとはいえ、屋外で明かりをつけて話すのが危険な行為なのは間違いない。
手当ても終えたし、明日の移動に備えてさっさと寝てしまうべきだ。
ただ寝る前に聞いておかないといけない。
「タイコさんの拠点はどこですか?」
足を折ったタイコさんの移動は最小限にしたい。
もし俺の拠点よりも近いなら一旦そちらに――。
「両河ニューアラモレジデンス……ほんの二週間前に迎えて貰ったばかりだけどね」
アウトだ。
俺の拠点より遠い上に新都の中心街を突っ切る形になる。
万全な状態でも躊躇するコースだ。
「良くここまで来れましたね」
「途中で高架道路に登って密集地帯を通り抜けるんだよ。両側に縄梯子をかけているから……この足じゃハシゴ登るのは無理だね」
俺が背負えば……いやがっしりしたタイコさんを背負って10m以上の縄梯子を登って降りる自信はない。安全な場所ならなんとかするが、怪物に追われながらと考えると危険すぎる。
「タイゾウさんなら余裕だったんだろうけどなぁ」
「……ふふ、兄なら私達二人担いででも登れたかもね」
タイコさんは冗談めかして言ってくれたが、俺としては割と本気で口惜しい。
旧市街に居た頃は怪物は回避が基本だったのでパワーよりも軽快さを重視し、また必要な栄養も増えるのであえて鍛えてはいなかった。
だがミツネさんから今回のことで考えが変わりつつある。
もし俺が片腕で数十キロを担ぎ上げ、三脚とがっぷり組み合った末に頭突きして投げ飛ばすようなゴリゴリマッチョだったなら……取り得る選択肢はもっと多かったはずだ。
「……って、ねぇよ」
想像の中の自分が黒光りする2m近い巨体になったところで否定する。
そもそもちょっと鍛えたぐらいでそんな異常マッチョになるはずないだろ。
タイゾウとかどうやってたんだろうな。
「兄はいつ見ても食事してるか鍛えてるかだったからね」
タイコさんが笑う。
マッチョになる気が薄れて来たぞ。
ふとタイコさんが大きく息を吐き出してから満面の笑顔を作る。
「世界がこんなになる前にね、兄は少し調子に乗ってた時があったんだ。「俺は最大のマッチョだ」ってね。体の細い人を笑うなんて失礼なことまでしてたんだ」
「ほうほう」
俺は話し続けるタイコさんに相槌を打つ。
「でもある日フラフラになって帰って来た。そして大臀筋を萎ませながら玄関に蹲って泣いたの」
「ふむふむ」
俺は落ち着きなく動くタイコさんの手を握る。
凄い握力に痛みを感じながらも表情に出さないよう努力する。
「『俺は未熟だった! 盛蔵さんの前では俺の上腕二頭筋なんてペンダコにすぎない!』って」
「ははは」
インパクトが強すぎて忘れられない人の名前が出てきた。
俺がタイコさんの両手を自分の肩に乗せると同時に爪がグイと食い込む。
「私が兄さんはすごいマッチョよって慰めても首を振ってね。『俺は誰にも負けないマッチョだ。でもあの人はレベルが違う。あの人は筋肉そのものだ!』って。それからね……」
俺は痛みに耐えながら、絶え間なくタイコさんの額に浮かぶ冷や汗を拭いてやる。
そしてマシンガンのような早口で続く話にゆったりと相槌を打ち続ける。
骨を折っているのに麻酔どころか痛み止めすらないのだ。
痛みを誤魔化す方法は話し続けながら俺の肩に爪を立てるしかない。
もう隠しきれていないと覚悟したのかタイコさんは泣きそうな声を出す。
「ごめんね。爪なんて立てて本当にごめん、痛すぎて――」
俺は言葉を遮って微笑みかける。
「もっとタイゾウさんのバカ話聞かせて下さい。再会した時のネタにしたいので」
話は遂に彼女の疲労が痛みを上回り、俺に寄りかかったまま意識を失うまで続いた。
主人公 双見誉 放浪者
拠点 新都雑居ビル8F 2人
環境
人間関係
同居
アオイ「恐怖状態」
中立
風里2尉「観察」タイコ「足骨折」
備蓄
食料26・5日 水3・5日 電池バッテリー0日分 燃料4.5日分
経験値95+X
唐突に間が空いてしまいました。
次回更新予定は明日19時頃 表の話になります。