第55話 デート3.5連発⑤風里 5月18日
5月18日(火) 旧市街 夜
「ありがとうございました~」
俺はほぼ空になった財布を眺めながら本屋を出る。
両河で盛り場と言えば新都だが、自宅に近い旧市街にも少々の飲み屋や飲食店、そして今立ち寄ったような小規模な書店ぐらいはある。
時計は19時半。
今日はどこにもよらずに帰ったはずなのに、ダラダラテレビを見て新にちょっかいを出して飯を食ったらもうこんな時間だ。
「今頃になって参考書無いのに気づくのはまずいよなぁ」
思えば最近は表でも裏でもまったく勉強していない。
『裏』ではそれどころではなかったし『表』ではその気にならなかった。
別に成績が落ちたところで死にはしないが嬉しい話でもない。
今日のように特にすることが無い日ぐらいは学生の本分に戻るべきだ。
「あら」
声をかけられて振り返ると風里が立っている。
「こんな時間にナンパでもしているのかしら?」
風里は派手さこそないものの、薄いニットに上品なストール、スマートな足が映える細身ジーンズというお洒落な恰好で姿勢よく立っていた。
「風里こそこんな時間に突っ立ってたらナンパ待ちにしか見えないぞ。じゃあ行こうか」
俺は風里の手をとり、近場の居酒屋にエスコートしようとする。
「バカ」
振り払われて鼻を摘ままれる。
ここまでがセットだ。
「と、普段なら言うところなのだけれど」
風里は一度振り払ったはずの俺の袖を掴む。
「姉と約束をしていたのに一時間程遅れるそうなの。家に戻るのは面倒だけれど本当のナンパをされても鬱陶しいわ。時間があるなら一緒に暇を潰してくれないかしら」
「喜んで」
俺と風里はいかにも個人でやっている居酒屋兼飯屋兼鍋屋へと入る。
店内は小綺麗で下町風情が残っていい感じだった。
客も多く入っており、各テーブルが賑やかに盛り上がっている。
「私はこれから姉と食事をするから本当に軽いものでいいわよ」
「俺も夕飯食べたからな。ちょこっとでいいよ」
『じゃあ私はオムライスと唐揚げ丼ともつ鍋で』
変な幻聴が聞こえて笑ってしまう。
風里も同じだったのか口元をほころばせた。
「さて……」
風里とどんな話をしたらよいだろうか。
前に二人きりで話込んだのはサイを倒すだのと意味不明な話だったから参考にならない。
彼女が2人きりでの食事に応じてくれる機会はあまりないだろうし、どうでもいい世間話で終わらせるのも勿体ない。
俺がすぐに話題を振れなかったせいか風里はバックから読み物を取り出してしまう。
スマホをいじらないあたりが風里らしいが、女の子に退屈させてしまうなんて情けないな。
「……ん?」
おもむろに風里が取り出したのは雑誌ではなく新聞だった。
それ自体はむしろ知的で風里ならあり得たのだが、大きな文字で「ダービー予想」と書かれていた。
「――!?」
風里は一瞬肩をビクつかせたかと思うと目にも止まらぬ速さで新聞を仕舞う。
「テスト勉強は順調かしら?」
風里は飲み物を口に運び、一つ咳払いしてから話しかけてくる。
「テスト勉強は順調かしら?」
黙っているともう一度繰り返す。
「非順調……これじゃやばいなって参考書買ったところだ」
「あら。双見君は勉強できると聞いていたのだけれど」
風里はクスクスと笑って続ける。
「初めての定期テストよ。酷い結果だとクラスでのイメージが下がりかねないから気をつけなさい」
「そうだよなぁ」
アホと思われても良いことなんてない。
「なかなか時間が取れなくてさ」
「日替わりで女の子と遊ぶのに忙しいからかしら?」
それだけじゃないのだけど、それ以外は話せないのでグウと呻くしかない。
ともかくテストは来週の水曜日からだ。
今までのように『裏』で暇つぶしの勉強ができない以上、真っ当に頑張るしかない。
「ご注文お持ちしました~」
エプロン姿の若い女性店員が軽食の皿を持ってくる。
そして俺の前にたこわさを置く。
「いや俺が頼んだのは……」
風里が無言で自分の前に置かれたポテトとたこわさを交換する。
更に俺の前に枝豆が置かれ、これも風里が無言でサラダと交換する。
最後に店員さんが戸惑いがちに俺の前にコーンスープ、風里の前に塩辛を置いた。
「……なにか文句があるのかしら?」
「なにも言ってねえよ」
好きな食い物は人それぞれだ。
俺達は食べ物を摘まみながら取り留めのない話を続ける。
「晴香からのトークは見た? あの子テスト前なのに新しいゲームを買うなんて」
「見たよ。『今から開始~』の後は一切既読ついてないし夢中になってるんだろ」
俺達共通の話題となるとやはり晴香のことになる。
というか風里がそちらに誘導している。
律儀で友達想いな良い子だ。なんとか手に入れられないものか。
「晴香も勉強できないわけじゃなかったよな?」
「テスト前だけ勉強するタイプね。それがこんなことをしていたら……痛い目見るかもしれないわ」
風里は溜息をついて苦笑する。
彼女は晴香のことになると表情も豊かになるようだ。
「そういえば風里はゲームとかしないのか?」
するなら晴香と3人でプレイするのも面白い。
もちろん人数が増えた方が楽しいこともあるし、過ごす時間が長くなれば、あるいは3人で別のプレイに発展するかもしれない。
だが風里は首を横に振った。
「テレビゲームはあまりしないわね。晴香に付き合って有名どころを少しぐらいかしら。忙しくガチャガチャと動かすようなのはちょっとね……ボードゲームは好きなのだけれど」
「ああ、わかる気がする」
風里にはコントローラーよりチェスの駒なんかが似合いそうだ。
しかも強そうだ。
「どんなボードゲームが好きなんだ? 将棋とかなら俺も少しはできるから――」
「麻雀」
食い気味に言われて俺はふむと頷く。
風里はしまったとばかりに慌てて続けた。
「麻雀と言ってもいかがわしいモノじゃないわ。高校生なのだから健全にテンイチかテンニよ。間違ってもテンリャンピンなんて――」
「わかんねえよ!」
知的な風里のイメージが、競馬新聞広げながら枝豆かじって麻雀をうつ光景に塗り替えられていく。
「ほぼおっさんじゃねえか」
「ウグッ」
風里は俺の口撃に胸を押さえたが、すぐに顔をあげて反撃に転する。
「脳みそ下半身のスケベ男に言われたくないわ。一昨日は晴香と何回したのかしら。あの子昨日一日、ずっとスケベ顔していたのよ」
「晴香、顔に出すぎだろ……」
ポコンと音を立ててトークに晴香の返信が来たが、それどころではない。
「顔に出しすぎの間違いでしょう?」
なんで知ってるんだよ。
ついでにその下ネタもかなりおっさんくさいぞ。
俺達は顔を見合わせて深呼吸して落ち着いた。
そも喧嘩するようなことでもないし、言い合えば言い合うだけ互いに恥をかくだけだ。
「アナタの女好きはもうどうしようもないと諦めるけれど晴香を泣かせないようにしなさいよ。あの子はアナタにぞっこんで話題を出そうものなら、好機とばかりにのろけてくるんだから」
のろける晴香と鬱陶しげに聞く風里の図を想像して笑ってしまう。
同時にあんな美女が俺にぞっこんと聞けば男の誇りが満たされる。
「ところでアナタ上手なの?」
風里にしては珍しい主語の無い聞き方に首を傾げる。
ここは間違ったふりをしてプチセクハラしておこう。
「晴香は悦んでくれてると思うけど、他の男と比較しながらしたこともないしなぁ」
「ふむ。あんなにトロトロになるのに下手な訳がないか……」
まさかセクハラ回答が正解だったのか?
「終わった後、晴香はどうなるの?」
風里が更に突っ込んで聞いてくる。
こうなったら最後まで通すしかない。
「汗まみれのまま抱きついて頬ずりするか、胸板にキスしてくるかかな」
「完全に満足した時の反応ね。ただ大きいだけじゃなく上手と、なるほど……」
風里は顎に手を当てて考え込んでしまった。
セクハラ空振りからの変な空気をどうすればいいのだろう。
手持無沙汰になった俺はなんとなくテーブルに置かれた伝票を確かめる。
「……やばい」
そして風里の肩を軽く叩いた。
「違うわ! 晴香を裏切るようなことは考えていないから!」
いきなりなんだ。
「そうじゃなくて……そのお金の方がですね……」
動揺に揺れていた風里の目がみるみる鋭くなっていく。
「きゅーん」
とりあえず可愛らしく鳴いてみた。
「姉がそろそろ着くそうよ。準備なさい」
「わん」
俺は風里にストールを着せ、靴を並べてカバンを持つ。
知り合いに見られたら情けないことこの上ないが女の子に奢って貰ったのだからこれぐらい当然だ。
ちょっとふざけて楽しんでるところもあるしな。
店を出るとちょうど一台の車が目の前にやってきた。
風里が手をあげているところを見るとあれがお姉ちゃんの車なのか。
「でけえ」
「は? アナタまさかこんなところで……いえなんでもないわ」
風里の間違いは置いておいて車がでかい。
止まった車は大型のピックアップトラック、国産では最大級の大きさだろう。
車から迷彩服姿の女性が降りてくる。
これまたでかい。
170cmの晴香より明らかに高くて175cm程度だろうか。
身長だけなら陽助と同じぐらいなのに威圧感が段違いなのは鍛えられた体のせいだ。
腕、肩、足……服の上からでも筋肉の盛り上がりがわかるほど、恐らくはそれ以外も全身がっちりと鍛えられているので大きく見えるのだ。
ジムで見たマッチョ達とも全く違う筋肉のつき方をしている。
そう言えば風里の姉は自衛官だと言っていた。
まさに戦士の体、今ここで彼女と喧嘩したら一瞬で叩きのめされると確信できる。
「待たせたわね苺子」
風里姉はイメージ通りの凛々しい声とハキハキとした口調で言う。
「本当よお姉ちゃん。随分と待ったわ」
非難の声を出す風里だが、にこやかな表情を見れば怒っていないこと、そして姉が大好きなことは明らかだ。
風里姉は妹の頭を撫でて微笑む。
撫で方がやや乱暴で風里の頭が揺れたのは逞しすぎる故のご愛敬か。
こちらも妹を大切に思っているのが伝わってくる。
「そっちの子は?」
妹に向ける視線とは違うやや厳しい視線で睨まれる。
可愛い妹の近くに男がいれば当然の反応だ。
ここは礼儀正しくしておかないといけない。
間違ってもセクハラなんてかましたら叩きのめされる。
「双見誉です。妹さんの友人で――」
「親友の彼氏よ」
晴香とは付き合ってはいないのだが、それが一番わかりやすいから乗っておこう。
「はいそうです。ぐっ」
風里の嘘に合わせただけなのに足を踏まれた。
「……親友の彼氏と食事?」
ジロリと睨まれる。
直感でわかるがこの人はメチャクチャ強い。
「姉さんが遅れたせいで手持無沙汰だったところをフラフラ歩いていたから付き合って貰っていたのよ。それとも一人でボーっとしていた方が良かった?」
風里姉は負けたとばかりに目を閉じて両手を広げる。
「双見君だったわね。夜に妹が男といたので心配してしまったの。ごめんなさい」
「いえ当然です。野獣のような男も居ますから」
また風里に足を踏まれる。なんでだよ。
「双見君ね……ふぅん」
風里姉がまたも俺をじっくりと見る。
不審に思われるような所があっただろうかと彼女の視線を追う。
彼女の視線は俺の顔や手ではなく胴体部分に……いや足か? どうにも俺のヘソから太もものあたりを這いまわっているように見える。
「重ねて聞くけど、苺子の彼氏じゃないのね」
「違うと言ったじゃない。悪趣味な親友の彼氏よ」
「ひどい」
風里姉はそこで初めて俺の顔を見た。
「そうか。ふぅん……」
今までのハキハキした口調とは違う湿り気を帯びたような声と共に、赤い舌がベロリと自分の唇を一周舐める。
背筋に冷たいものが走る。
股間には生暖かいものが走る。
「苺子の彼氏じゃないか……そうか……それなら」
姉に耳元で囁かれる。
耳にかかる息がまるで映画で見た肉食恐竜の吐息のように感じた。
『食われる』という本能的な恐怖に加えて男の本能も蠢き出す。
俺にも良い女は強引にでも支配したいという獣のような男の本能がある。
だが同時に敵うはずのない強い女に支配されて情けなくむせび泣きながら虐げられたい願望も――。
待ておかしいぞ。俺にそんな妙な願望はないはずだ。
ないはずだからソコに血を流し込むのをやめろ俺の体。
そこで風里が何かに気付いて姉と俺の間に割り込んだ。
「ダメよお姉ちゃん! 親友の彼氏だと言っているでしょう!」
「えー」
風里は姉の体をグイグイ車に押し込みながら俺にさっさと行けと身振りで示す。
「おう……じゃあ風里は明日また学校で、金もちゃんと返すから。お姉さんもさようなら」
一応別れの挨拶をすると一瞬目があった風里姉がウインクして襟を触る。
自分の襟を確かめてみると紙切れに電話番号が書かれていた。
豪快なエンジン音を立てて去っていくピックアップトラックを俺は呆然と見送る。
「あれが真の肉食系女子か……」
俺はなんとか目立たないように位置を調整し、紙切れのしわを伸ばして財布に入れた。
ちなみに貯金は0なので金は新に借りた。
主人公 双見誉 市立両河高校一年生
人間関係
家族 父母 紬「姉」新「弟」
友人 那瀬川 晴香#21「ゲーム中」三藤 奈津美「庇護対象」風里 苺子「おっさん」江崎陽助「友人」高野 陽花里「クラスメイト」
中立 元村ヨシオ「クラスメイト」上月 秋那「不明」風里姉「真正肉食」
敵対 仲瀬ヒロシ「クラスメイト」キョウコ ユウカ「復帰間近」
経験値62