第46話 地獄の行進④結末【裏】
両腕で支えなければならない重量は約100kg。
手の筋肉が軋み、体が前に……炎の方へと引き込まれていく。
歯を食いしばりながら考え、1秒もかからずに結論は出た。
俺には2人を引き上げることはできない。
更にこの状態をあと10秒維持することもできない。
俺がタイゾウならば2人同時に引きあげられただろう。
隣に誰かもう一人居れば片方ずつ引きあげられただろう。
しかしどちらでもない。
故にできない、やりたいが不可能だ。
だから……。
――選ばなければならなかった。
「あっ」
右手が離れる。
いや離したのだ。
ミツネさんのぽってりした唇から漏れる小さな声。
呆然とした顔で落ちていく女性を、俺は最後まで見つめ続ける。
「なんでよぉぉ――!!」
非難と絶望に満ちた声を俺に叩きつけて――彼女は業火に呑み込まれていく。
落下の衝撃で床が全て崩れ、家具を巻き込んで全てが更に下へ落ちていく。
立ち上る火炎と火の粉、そして破壊音が彼女の姿と声を全て消してしまった。
俺はソフィアを両手で捕まえて引き上げる。
「あ、あのっ! 私……その……あの……」
「崩れるぞ。すぐに隣へ」
俺は無表情のままソフィアを持ち上げ、火傷したであろう足を確認しながら隣の屋根へ移る。
「ミツネぇ……あんた……なんで……」
非難の声にも反応せず。
「2人同時に引き上げるなんてできっこない! 誉君をなんだと思ってるの!」
養護してくれるシズリにも応えず。
「ま、まだ間に合うかも! すぐに降りて助ければ!!」
屋根から降りようとするカオリの襟を掴んで押しとどめる。
「……」
呆然としているアオイの手を大した火傷じゃないと確かめる。
「二人を同時に助けることはできなかった」
なにか方法があったのかもしれないが俺には思いつかなかった。
だから二人を天秤に乗せ、ミツネさんを切ってソフィアを助けた。
「俺の決断だ」
全員に対する返事としてそう呟いてこの話はここまでだ。
もう何もできることはないのだから。
ふと道路の反対側を見る。
煙を噴き出し今にも崩れそうに見えた木造の家が同じ状態のまま持ち堪えていた。
「……そこは崩れといてくれよ」
俺は誰にも聞こえないように呟いて歩を進める。
そしてようやく目的の場所に到着した。
「こ、このトンネルに入るの?」
「まっくら……」
地下道、いや排水道と呼ぶべきだろうか。
背後からはそれなりの数……いや今までの状況のせいで「それなり」に見えているが、実際には数百のゾンビがついてきている。
詳しい説明は中に入ってからすべきだろうとライトで暗闇を照らそうとした時だった。
呻き声と共にトンネルの前に倒れていたゾンビが起き上がる。
「潰すぞ」
ここに至って回避も迂回も無い。
正面から叩き潰す。
「待って! あいつおかしいよ!」
ゾンビは突然苦しむような声をあげ、血飛沫をあげながら腰から三本目の足が突き出させた。
「ひ、ひぃぃ」
ソフィアがぺたりと尻餅をつく。
「ここに至って……か」
俺はバールをくるりと回して手に取る。
恐怖も絶望もなかった。ただ腹が立つ。
精一杯考えて最善を尽くしたつもりなのに選択を誤ってミツネさんを死なせた。
そして次はこれだ。
「受けて立ってやる」
「誉ダメっ!?」
シズリの制止の叫びを逆に合図にして俺は飛び出す。
だが俺のバールも因縁の怪物の腕も相手を捉えることはなかった。
「どっせい!!」
命中したのは丸太のように太い腕だった。
「タイゾウ!?」
アオイが叫ぶ。
全速力で走り込んだタイゾウ渾身のラリアットが俺に向かっていた三脚の後頭部を捉え、その顔面を地面へ叩きつけたのだ。
半秒で状況を把握した俺は叫ぶ。
「全員トンネルの中に走れ! ライトは自由につけていい!」
俺達は滑り込むように真っ暗なトンネルに飛び込んでいく。
三脚はもちろん起き上がって俺達を追おうとするが、追い付いてきたゾンビが一斉に組み付く。
もちろんゾンビ達は次々と潰されるが凄まじい数でたちまち奴を押し包む。
どちらが勝つのかはわからないが俺達が得をするのは確かだ。
「ここは元々山から海まで続く小川だった。今も山の手から旧市街までは水路のようになっているけど、新都では水害対策と土地利用の目的で暗渠……まあ地下水路みたいになっている。ここを伝えば比較的安全に新都にいけるはずだ」
「なるほど。私の為に探してくれていたんだな」
俺は早口で話し続ける。
反応してくれるのはタイゾウだけだ。
「ずっと地下を進むことになるからライトをつけても見つかる心配はない。排水路も兼ねているから雨が降ればこのトンネル一杯に水が流れる。だから途中に怪物が溜まっている心配もない」
「ふむ。だが念の為に私と双見君で先頭を行こう。アオイ君とソフィアちゃんは一番後ろにいなさい」
俺はタイゾウの方を見ることもなく説明を続ける。
「生活排水の下水道とは完全に別だからそれほど不潔でもない。まあドロではあるから傷は作らない方がいいけれど」
早口言葉のように言い切って無理に笑顔を作ったところでミツネと同じ拠点の女性に睨みつけられた。
「……全員、怪我ないよな」
誰も何も話さないのは無事な証拠だと思っておこう。
「それにしてもよく無事だった。正直死んだとして計算してたよ」
声の動揺に気付かれたくなくて、饒舌にタイゾウへ話かける。
「調達に向かった先が地下倉庫でね。あっという間に上が怪物で埋め尽くされて出るに出られず居たのだが……突然建物が燃え始めてね。今しかないと飛び出して火の間をがむしゃらに走っていたら君達を見つけたんだよ。それにしても見事に決まった。大学のプロレスサークルでやった以来だったのに」
俺は思わず笑ってしまう。
不完全とはいえ三脚を吹き飛ばすとなると軽自動車激突並みの威力だ。
「良く笑えるわね。ミツネを焼き殺しておいて」
否定しようもない。
俺がつけた火に俺の手で放り込んだのだから100%俺が殺したのだ。
「……」
色々と察したのかタイゾウは俺の頭を撫でる。
「そういうのはアオイにしてやってくれ」
俺が近くを歩いていたアオイを抱き上げる。
「ねえ道が分かれてるけど」
俺は脳内に記憶した両河市土木事業データを引っ張り出す。
「右に行けば浜の手に直行、左が新都、直進したら水逃がし用の貯水池」
だから俺達が向かうべきは左の道だ。
俺はアオイと並んで左の道に向かう。
ふと、おかしな場所からアオイの顔に向けて腕が伸びて来た。
俺は首を捻りながらアオイの髪を掴み、壁に向かって放り投げる。
「怪物が出たぞ!」
勝手に反応した体に一瞬遅れて口が動く。
俺とアオイがいたのは左側、他の皆がいたのは右側、俺達を両断するように真ん中の道から大量のゾンビが溢れ出していた。
「怪物だ! 私が食い止めるから右の道へ走れ!」
「待って誉君は!? 左に行ったの!? なら追いかけないと!」
タイゾウとシズリの声が聞こえるが次々と現れるゾンビに遮られて姿が見えない。
「誉さんご無事ですか!」
「いやぁぁぁ!! 噛まれた!! 噛まれたぁぁぁぁ!!」
ソフィアの声に続いて女性の絶叫が響く。
俺は咄嗟にライトを向けるがゾンビの数はどんどん増える。
しかも迂回しようがないトンネル内だ。
「聞こえるか双見君! 私達は大丈夫だがそちらには行けそうにないからこのまま浜の手の方に出る! 君も新都でなんとか生き延びて……必ずまた会おう!」
「なんとか向こういけないの!? 誉君……ううぅ! 絶対、絶対また――」
「ごめんなさい誉さん、私のせいでごめんなさいごめんなさい!!」
「追い付かれるから走ってソフィア! あいつは大丈夫! 私達が頑張れば必ずまた会えるって!」
タイゾウとシズリ、ソフィア、カオリが叫ぶ。
叫びながら足音が遠くなっていく。
俺は歯を食いしばり、爪でトンネルの壁面をひっかきながら声を絞り出す。
「――タイゾウ頼んだ。全員守ってやってくれ」
俺はすぐ傍まで迫るゾンビを睨みつけ、ゆっくりと後退しながら叫ぶ。
「任された。君も……アオイ君を頼む。絶対に絶対に守り抜いてくれ!」
タイゾウの声も俺と同じように震えていた。
俺は身を翻し、アオイを背負って走る。
最後に誰かが何か叫んだが、もう聞き取れなかった。
朝日が昇っているのを確認してから音がしないようマンホールを持ち上げ、素早く地上に転がり出る。
素早く周囲を確認する。
視界内にいる怪物は30と少し。
うち10ほどがこちらに気付いて迫って来る。
しくじったわけではない。
新都はどこもこんなものなのだ。
俺はアオイを背負って通りを走り、雑居ビルに走り込む。
旧市街なら慎重に音もなく進みたいところだが、既に二桁の怪物に追われている状況では静粛性よりもスピードが重要だ。
朽ちたキャバクラやバーの看板を横目に狭い階段を駆け上がり、途中遭遇した一体のゾンビを前蹴りで階段から転げ落とし、8階にあったショットバーに飛び込んで扉をロープで開かなくする。
追いかけて来た奴かビルの中に居たのが反応したのか、階段を数体のゾンビが行き来したが、どの階のどこの部屋に逃げ込んだかわからなかったのだろう。
やがて呻き声は消えていった。
俺はふうと息をつき、バーカウンターの後ろに座り込む。
背中がぶつかって棚が揺れ、頭に何かが落ちて来た。
確かめてみると炭酸水で笑ってしまう。
「ちょっとケチすぎるだろ。あれだけ嫌がらせしといてご褒美がこれかよ」
俺は見えない空に向けてぼやく。
「ごめんなさい……僕が鈍臭くて……そのせいでみんなとはぐれて……」
半泣きで言うアオイに俺は微笑みかける。
いや笑えてはいないだろうな。
「バカなこと言うな。火をつけたのも、左側の家を選んだのも、ミツネさんを落としたのも、トンネルが安全だなんて言い切ったのも全部俺じゃないか。アオイの何が悪いって言うんだ」
「あ……」
アオイは顔をあげ、俺の顔に手を添えてくれる。
逆に心配しているような仕草なんだが、まさか俺の方が泣いていたりしないよな。
目元を軽く擦ってみる……大丈夫そうだ。
「俺とアオイは死んでない。向こうも俺が殺したミツネさん以外は死んでない」
死んで無いはず、そう思いたい。
アオイは一度頷いてからまた顔を伏せる。
「やっぱりごめんなさい……僕、隠してたんです」
アオイが上着を一枚脱ぐと長袖シャツの二の腕部分が破れて血がにじんでいた。
「逃げる途中で……噛まれました。怖くて……言えなくて」
俺は今度こそしっかりと笑って震えるアオイの頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だ。なんとかしてやるから今はゆっくり休め」
アオイは何度か頷き、俺に寄りかかるようにして寝息を立て始める。
俺はなにも考えず、ただ安っぽい作りの天井を仰ぎ続けた。
【裏】
主人公 双見誉 (憔悴) 放浪者
拠点 新都雑居ビル8F 2人
環境
人間関係
同居
アオイ「負傷(危)」
備蓄
食料1日 水2日 電池バッテリー0日分 ガス0日分
経験値91+X
次回はようやく表に戻ります。