第45話 地獄の行進③ 【裏】
俺はナイロンで張った弦を引き絞る。
素人の手製弓なので重心はメチャクチャでバランスも悪い。
歪な形の矢とも相まって的を狙うなんてとんでもない粗悪な弓矢だ。
だがこれでいい。
最初から精密射撃なんてするつもりはない。
ただ大雑把に飛んでくれればそれでいい。
俺は火をつけたボロ布を足元に置き、矢に巻いた灯油まみれの布に火をつける。
「最初は……そこ!」
弦が音を立て、矢は放物線を描いて飛ぶ。
火のついた矢は真っ暗闇の中を線を引くように飛び、住居の生垣に飛び込んだ。
辺りは一瞬暗くなったが、すぐに枯れた生垣が燃えあがり始める。
俺は同じように矢を番え、屋上を移動して別の家を狙う。
矢は古い木造平屋の壁面に突き刺さり、そこから家全体が燃え始める。
「――次は」
方角を変えて再び矢を放つ。
俺が慣れたのかただの偶然か、矢はまるで競技会のように綺麗に飛び、二階建ての住宅の窓を破って屋内に飛び込み、消火する者もいない家はやがて激しく火を噴き始めた。
「キミ何やってるの!? こんな目立つところで火なんか使ったら!!」
最初に屋上に上がって来たミツネさんが驚愕の声をあげる。
だがすぐに周辺で次々と起こっている火災に気付いて絶句する。
「ほ、誉君!? 一体何してるの!」
次にあがってきたシズリも言葉がないようだ。
そりゃいきなり周り中に放火しまくっているんだから無理もない。
俺は答えることなく近場の木造アパートに矢を放つ。
少し前に家主がゾンビに食われた事故物件だ。
矢は既に破れていた窓を通り抜けて室内に飛び込み、遠目にもゴミだらけだった部屋からはすぐに猛烈な煙が噴き出す。
出火場所と他の建物の位置関係を考えて……あっちにも火種が必要だな。
ちょうど全員が屋上に登って来たことだしシズリとミツネさんの疑問に答えよう。
「まず俺達は脱出しないといけない。目的地点は大雑把に言ってあの辺りなんだが――もちろん今のままで行けるわけがない」
全員が頷く。
この数のゾンビを突破できるなんて思えるのは狂人だけだ。
「幸運にも奴らは自衛隊の戦闘に反応して山の手の方向に動いている。と言ってもこの数だから戦闘が丸一日でも続かない限り全部去ってしまうことはない。そんなにもつわけがない」
連中が逃げるか――多分全滅して音や光の刺激がなくなればゾンビの流れはそこで停止するだろう。
「だから奴らの注目ポイントを作った。それも複数」
最初の着火した生垣の火は燃え広がり、庭全体から家屋まで包み始めた。
ガラスの割れる音が響き、巨大な松明のように暗闇を明るく照らし出した。
ゾンビの大群は全体として山の手の方向に動きつつ、近場で発生した複数の火元に引き付けられる。
絨毯のようにずらりと隙間なく並んでいたものが、別々の光と音に向かって押し合い、ぶつかり合いながらバラバラに動き、所々に隙間ができ始めていた。
「地面が見えるようになってきましたね……」
「それでもまだ埋め尽くされてるよ……」
ソフィアが言い、カオリが首を振りながら答える。
その通り、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車が休日の繁華街になったようなものだ。
まだまだ到底間をすり抜けることなどできない。
「だからこうして……」
俺は全体を観察してからもう一本矢を放ち、また一軒の家が燃え上がる。
家や庭などを焼き尽くした炎は更に大きく育ち、隣近所を巻き込み周辺へ広がっていく。
そうでないと困る、わざわざ広範囲に延焼が期待できる場所を狙って撃ち込んでいるのだから。
「街ごと燃えちゃう……」
ミツネさんが体を震わせた。
見ているのは自分達の拠点があった場所か。
「この大群に飲まれた時点で無くなったも同じだ」
俺はあえて強い口調で言いきった。
そうしないと俺だってこのマンションから離れたくなくなってしまうから。
思い入れがないどころか大有りで今も泣きそうなんだ。
俺は双眼鏡を覗きながら延焼の足りない部分を見つけて矢を準備する。
ふと燃え上がっていく家々の合間に動くものが見えた。
火が迫る家に隠れていたらしい男が屋根に登り、こちらに向かって手を振りながら何やら叫んでいる。
『やめてくれ』『たすけてくれ』聞き取れないがそんなところだろうか。
「……」
俺はチラリと両隣を見て皆が気付いていないのを確認してからその家めがけて矢を放つ。
矢は家の庭に飛び込んで枯れた庭木を燃え上がらせ、男は叫びながら道路に逃げて……今、食われた。
「悪いな。優先順位があるんだ」
なにも無ければ助けたかもしれない。
だが俺にとって見ず知らずの男よりもここにいる皆の方が大切であり、奴の居た場所を燃え上がらせることは必要なことなんだ。
「炎がドンドン広がって……ってこれって!」
ミツネさんが息を飲む。
続いて他の者も気づいたようだ。
マンションの上から見下ろすとわかりやすいよな。
「ただ延々と燃え広がる場所が4つ……」
そう、そこは派手に燃え上がって怪物を引き付けるために起こした火災だ。
現に今もゾンビ共は渋滞しながら次々と飛び込んで燃え上がっている。
「その4か所に囲まれて……まるで道路みたいに両側だけ燃え広がっている場所が……」
「それが本命。目的地までの回廊になる」
どうしても夜道を行かなければいけないなら周りが見えないと話にならない。
だが自分達で灯りを持って歩けば山のように集まって来てエンドだ。
ならば進むべき道を燃え上がらせて照らせばいい。
俺達より目立つ炎にゾンビが吸い寄せられていれば押し包まれることはない。
視界もライトなんて持つよりずっと明るい。
しかしこれにも限度があり、ゾンビがあまりに多すぎると全方位から殺到して逆に滅茶苦茶になってしまう。だからこそ回廊を囲むように無秩序に大きく燃え広がる火種を4か所作った。
回廊の外側にいるゾンビはより大きな光であるこちらに引き付けられるだろう。
「外側は4か所の火種、内側にいるのは回廊の炎、そして周りに何万といる手のつけられないのは……」
今も照明弾を撃ちまくっている山の手へと向かう流れは止まっていない。
「そろそろ行こうか。残りは走りながら説明する」
先に山の手の戦闘が終わったらお終いだ。
念のために余った灯油を反対側に撒いて火を放ってから、緊急脱出用の綱を使って屋上から下まで一気に降りる。
「よし減ってる」
全てを埋め尽くしていたゾンビは火や燃え崩れる建物の轟音に引かれて散っている。
遠目におぞましい数のゾンビが歩いてくるのも見えるが、進行方向は際限なく延焼している炎の方だ。
少なくともマンションから目的地まではもう絨毯ではない。
「普段のほんの10倍程度だ――」
俺は目があったゾンビの足をバールで叩き折り、倒れ込んだ頭をハンマーで潰す。
ゾンビとの戦闘は他に手段がない限り避けるべきだ。
「どう見ても他に手段ないよなぁ」
派手に放火したおかげで周辺にいる怪物の99.9%は俺達を狙っていない。
だが残り0.1%は搔き分けないと進めない。
「急げ!」
俺はロープを降りてくる皆を急がせながら、次のゾンビの頭をハンマーで強打し、揺らめいたところで前蹴りで膝を踏み折る。
全員が揃ったところで走る。
走る速度はソフィアに合わせ、それ以下のアオイは随時抱き上げて運ぶ。
「前のセダン左回り! 電柱を側溝側から回り込んで道の中央に戻る!」
可能な限りゾンビを避けられる進路を逐一細かく指示を出す。
周囲は火事の光と焼け落ちる音、そして何万のゾンビが立てる足音、呻き声で満たされているので声は制限しない。隠れながら進む意味も余裕もない。
「道の中央を進んで……止まれ!」
俺は走りながら振りかぶったハンマーでゾンビの側頭部を強打する。
頭が歪み、血飛沫が飛び散るが倒れない。
こいつらは足を攻撃するのが鉄則で上半身は狙ってはいけない。
「わかっているんだけどな」
俺は頭にめり込んだハンマーを手放し、バールで足首を破壊、背負ったザックから尖らせた鉄パイプを取り出し、眼球に突き立てた。
「進め!」
今は堅実な方法で奴らと対峙する余裕がない。
危険を承知で流れるように最短時間で倒していかないといけない。
「右側から電柱が倒れてくる。電線に注意して左から……1体いるから10秒持ち堪えてくれ!」
右に細身女性、主婦、学生の3体、左におっさん1体――倒壊した電柱から外れた電線がムチのように舞い、俺の頬を掠めて右側主婦の両手首を吹き飛ばした。
俺はまず右側に飛び込み、細身女性ゾンビの大腿を叩き折ってひっくり返す。
続いて手首がとんで掴みかかれない主婦ゾンビに背中を向けながら、学生ゾンビの頭に鉄パイプを突き刺し、つっかえ棒のようにして距離を保ってから主婦ゾンビの膝小僧をバールで叩き折る。
そこで一度くるりと回転してブレイク。
倒れ込んだ細身女性と主婦の頭をバールと足で踏み潰し、学生ゾンビに腕を噛まれる。
「誉君!!」
悲痛な声を出すシズリに応える余裕なく、俺は噛まれた腕を引き寄せながら地面に投げる。
もちろん学生が口を放すことはないので噛まれた袖はブチブチと千切れ、内側に仕込んだ雑誌を噛みしめながら倒れ込む。その後頭部に渾身の一撃を叩き込んで中身を全て噴出させた。
腕に痛みはない。
ゾンビといっても元は人体、人間の顎と歯に雑誌一冊を貫き通す能力はない。
事前の準備を誇る余裕はない。
俺は即座に走り、カオリとミツネさんに叩かれながら、なお迫ろうとするおっさんの膝裏を強打し膝小僧から骨を突き出させて転倒させた。
「誉君怪我は――」
「ない。走るぞ」
俺はシズリを前に押し出し、転倒したアオイを抱き上げて走る。
全てが考えた通りに、できすぎなぐらい上手くいっている。
それなのに微塵も余裕がない。
何もかもが綱渡りで失敗どころか僅かに躊躇するだけで容易に全滅するとわかる。
「前――!」
俺は抱えていたアオイを放り投げるように置いてバールを構える。
燃え盛る炎の壁に向かっていたゾンビ6体が何をとち狂ったのかこちらに向かって来たのだ。
素直に火を見てればいいものを。
「――ダメだ。迂回する」
舌打ちしながら言う。
本来は危険であっても突破しないといけない場面だ。
タイゾウが居れば間違いなく突破を選択していた。
だが俺の戦える上限は3体、カオリとミツネを合わせて1体、それ以外の全員で0.5体。
つまり4体と四肢が欠けた1体がこのメンバーで戦闘できる限界点だ。
それ以上は危険ではなく不可能なのだ。
「といっても迂回できる路地はない。なら――」
思ったよりも火の回りは激しく、道の両側にある家にも既に延焼が及んでいるようだ。
右側の家は木造で内部から煙を噴いている。
今すぐにも崩れ落ちるかもしれない。
「左側の家の屋根に登れ」
対して左側はCMで見覚えのある耐火構造の家だ。
雨戸もしっかりと閉まっていて煙も火も見えない。
俺達は塀伝いに屋根へ登り、庭で右往左往するゾンビを尻目に次の家へと――。
「熱っ!」
高所が怖かったのか四つん這いになろうとしたアオイが慌てて立ち上がる。
その両手が赤くなっていた。
そこで俺自身の靴底も少し溶けているのに気づく。
火傷するほど屋根が高温になっているのか?
でもこの家からは煙一つ出ていないぞ。
雨戸もしっかりと――。
「まずい! 早く降りろ!」
他の者が反応する間もなく、庭に居たゾンビが一階の窓に突っ込み、雨戸ごと窓ガラスを突き破る。
途端に足元が蠢く。
屋根が高温になるほど熱くなっていた室内空間が炎も煙も出していなかったのは家が密閉され酸素がなくなっていたからだ。
そこに窓を破ったゾンビと共に大量の酸素が流入すればどうなるか。
轟音と共に家全体が震え、窓という窓から火炎が噴き出す。
高温状態のまま酸素不足で保たれていた家全体が爆発的に燃焼したのだ。
「キャアアアア!!」
俺達が乗る屋根の一部が吹き飛び、ミツネさんが1mほど浮き上がる。
玩具のように回転したミツネさんはそのまま火の海となった室内へと――。
「させるか!」
俺は咄嗟に伸ばされたミツネさんの手を右手でガッチリ掴む。
落下の衝撃に筋肉が軋むがこの程度なら耐えられる。
「間一髪……」
「あ、ありが――」
ニコリと笑って引き上げようとした時、振り返ったソフィアの足元も崩れた。
「イヤァァァ!」
俺は反射的に左手を伸ばしてソフィアの腕を掴む。
間に合った。2人とも捕まえた。完璧だ。
だが――。
「ぐ……ぎ……」
冷や汗をかきながら振り返ると他の者は爆発直前に隣の屋根に移っている。
爆発でボロボロになったこの家に再び飛び移ることは不可能だ。
それどころか家が崩れ落ちるまで秒の単位かもしれない。
「あ、あつい! あついー!!」
「や、やだ! 死にたくないよぉ!!」
抜けた屋根の下は火炎地獄だ。
ミツネとソフィアは悲痛な声で叫びながら足をバタつかせて熱から逃げようとする。
周囲のゾンビは今の爆発で吹き飛んだが一刻の猶予もない。
即座に二人を引き上げて屋根から飛び降り、目と鼻の先まで迫った目的地に駆けこまねばならない。
俺は両腕に渾身の力を入れる。
持ち上がったのはほんの数ミリだった。
ミツネさんの体重は50kg半ば、ソフィアは40kgと少し。
100kgの重量を俺の両腕は引き上げることができないのだ。
つまり――選ばなければならない。
主人公 双見誉 脱出
拠点無し
8人
環境 火の海
人間関係
同居
シズリ#25「脱出」カオリ#0.5「脱出」ソフィア#10「選択A」タイゾウ「行方不明」アオイ「火傷」
ミツネ#2「選択B」 他二人#2「」
備蓄
食料1日 水1日 電池バッテリー3日分 ガス3日分
経験値91+X