第42話 地獄の行進① 5月10日【裏】
5月10日(月)【裏】
今日も今日とて屋上から平和な町を双眼鏡で眺める。
旧市街は昨日と同じくゾンビの数は極小で三脚の姿もない。
一方で新都へ続く道に目を移すと、それなりの数のゾンビが歩き回っているのが見える。
立ち並ぶビルと双眼鏡性能の限界でこれ以上は見えないが、実際はもっと多いだろう。
「新都に飛び込んで安全な拠点を確保する……アテがないでもない。だが分が悪い」
一応はタイゾウの為にしっかりと考えてみた。
やってやれないことはないだろう。
だがリスクはやはり高い。
仮に死ななくとも俺とタイゾウが長期間戻れない事態になれば残ったシズリ達が苦境になる。
妹を探したい気持ちはわかるのだが、確率的にはほぼ死んでいると言わざるを得ない。
1%の生存確率にかけてリスクを踏むのは、やはり割りに合わない行動だ。
「ダメだな」
誰にも聞こえないように呟く。
不意に耳の奥がズキリと痛む。
耳の穴を軽く指でほじってみるがなんともなかった。
階下に戻るとタイゾウ以外の全員がくつろいでいた。
奴は近場に小さな調達先に一人で行っている。
「私は君達より多く食べるから多めに働かないとね」だそうだ。
「本当に良いマッチョだから言い辛い……」
複雑な気分のまま、カオリのストレッチを手伝う。
「どうせならマッサージもしようか?」
「いやらしい展開になりそうだからやめとく」
ジト目で見られ、見透かされたと笑いながら退散する。
「時間あったらカードしません? デッキを変えたからこんどは負けないし……」
アオイがカードに誘って来たので受けてやる。
確かにカードの構成は変わっていたが基本戦術が同じなので初見でも特に問題なく対応できるな。
普通に勝ちそうになったが、昨日泣かれたのを思い出して負けてやると見抜かれて拗ねて泣かれた。
子どもに上手く負けるって難しいんだな。
その後はソフィアにお願いされて写真を撮り、気分が乗って薄着と際どいポーズになってきたところでストップをかけられ、あとはシズリとダラダラ紅茶を飲む。
そういえば最近『裏』で勉強をしていないと気づいた。
『裏』にも話し相手がいて遊んで騒ぎ、スケベなこともする。
淡々と一人で勉強する時間はもう無かった。
「こりゃテストやばいかも」
別にテストが全部0でも死ぬわけでもないから構わないが。
などと考えていた時、窓に小石が当たる音がした。
「誰かな」
俺は足取りも軽くドアを開け、バールを背中に隠して部屋から出る。
「かるーい感じでバール持って行ったね」
「なんだかんだ、ずっと一人で生き残っただけあるわ」
シズリとカオリが引き気味に言うが仕方ないだろう。
予定にない来客を丸腰笑顔で迎えられる世界じゃない。
だがそんな警戒心も無駄になったようだ。
マンションの下で手を振っていたのは水の大量調達の時に出会った三十路の女性だった。
念の為に一度周囲を確認する。
ゾンビも俺が顔を出すのを待ち構えている誰かもいないようだ。
「どうしました?」
「交換。食料をガスか固形燃料に換えてもらえないかなって」
大きな調達先を見つけたのだろう。
女性はカバンにどっさり入っている缶詰を見せた。
一応安全性を考えるが、女性は1人でこっちはアオイを除いても4人。
「いいですよ」
梯子を降ろすと女性はなるほどと頷いた。
「階段がないと思ったらなるほど、これなら無敵だわ」
「いいの?」とカオリが目で聞いてくるので「構わない」と目で返す。
「むしろ心配すべきは向こうだろ」
俺は梯子を登り終えた女性を部屋に招きながら苦笑する。
「そこは貴方を信じてるわ。ちょっとした縁もあったじゃない」
シズリが勘付いたのか俺の肩を小突いてから女性を睨みつける。
「まさかハーレムしてるとは思わなかったけれどね。年の割に上手だと思ったわ」
女性は持って来た物資を床に広げながら笑う。
「缶詰が25個か」
普通の状態ならばおかずとして一人で一日に一缶消費する。
俺達は6人なので4日分のおかずだ。
「それでカセットボンベを6本くれない?」
「いやいや多すぎ! メチャクチャじゃん!」
俺が答える前にカオリが飛び込んで来た。
「でもこの缶詰良いやつだよ。ほらハンバーグとか貝とか」
ソフィアが缶詰を見て目を輝かせる。
「それでもボンベ6本とか多すぎる。入手難度が全然違う!」
『表』だと缶詰一つで安いカセットボンベ三缶セットぐらいの値段になるだろう。
だが『裏』だと事情は全く違う。
缶詰は食料品店以外にも備蓄としてそこら中で見つかるのに対してボンベは中々見つからないのだ。
「でも缶詰はないと死ぬけどボンベは最悪なくても食べられる贅沢品でしょう」
女性が攻めるがカオリは即座に返す。
「火がないと米とパスタが食べられないから食料みたいなもの!」
どちらも正しい。
缶詰は必須の食料でガスや固形燃料はただの調理手段だ。
ただ『裏』で最大のカロリー源は米とパスタで、これを煮込んで食べ物にするか水で戻してデンプンとして胃袋に放り込むかは士気と体調に大いに関わる。
更に俺達はそこまで追い込まれていないものの食料不足が極まればそこらの雑草とネズミや虫を鍋に放り込むこともある。
ちゃんと煮込めば、えずきながらもなんとか食えるがそのままいったら病気になって命に関わる。
「まあ最悪そこらのものを燃やせばガスの代わりにはなるんでしょうけどね」
カオリがどっちの味方なのと俺を睨む……続きがあるっての。
「貴女もあれはまずいと思うからガスが欲しいんですよね?」
窓の外に立ち上る煙を指差す。
他の生存者達が物を燃やして調理をしているのだ。
そこらにいくらでも転がっている廃棄物を燃やせばガスを調達する必要はない。
問題はモクモクと立ち上る黒煙……優に7本はあるだろうか。
「そうね。いくらなんでもあれは怖くて……集まって来ると思う?」
「わかりません」
家や車が燃えて黒煙が立ち上ることはよくあることだ。
ゾンビ共は火や燃える音には反応して集まるが、黒煙に引き付けられているようには見えなかった。
だがそれも限度の問題でこうも何本も、しかも連日立ち上っているとなると何とも言えない。
「町内放送が使えれば『野焼きはお止めください』とでも言えるんだけどな」
「ふふ、それ山の手の方で聞いたことあるわ」
「あたしはサークルでBBQしてて拡声器で言われたことあるわ」
女性とシズリと共に笑いながら俺はガスボンベを並べる。
「これぐらいで妥協してくれないか? 温かい紅茶も入れるから」
「ふふ、交渉成立」
最初からこのぐらいで予想していたのだろう、女性は二つ返事でOKを出してくれた。
カオリはまだ甘いとばかりに俺を睨んで来るが、彼女は貴重な信用できる相手だ。
肋骨を犠牲にして手に入れた大事なガスだが、妥協する価値はあるさ。
「それじゃあ紅茶も頂きますか」
女性が俺に微笑みかけた時、再び耳の奥が痛んだ。
大きな耳鳴りがギーンと響いてすぐに止んだ。
そして俺達が紅茶を手に一言二言言葉を交わした時だった。
「ミツネ!!」
「ここにいるんでしょ! 出てきて!」
マンションの下から尋常でない声がする。
俺は咄嗟にバールを手に取るが、女性――ミツネが大丈夫だと制して立ち上がる。
「ウチの二人の声だ。別口の調達に行くって言ってたのに」
俺とミツネが並んで顔を出すと、その二人は真っ青な顔でまくし立てている。
「すごい数! 一面絨毯みたいで! 埋め尽くす! 家に戻れない!」
「登って! アパート三階! 倒れる!」
俺とミツネは顔を見合わせた。
2人の叫びはバラバラで要領を得ない。
「ともかく登って」
一応罠の可能性も考えたが、ミツネと同じような体格の女性2人が加わっても俺が遅れを取ることはないだろう。
俺は梯子を降ろしつつ双眼鏡で新都の方向を確認する。
ぶつ切りで詳細はわからないが、どうやらゾンビの大群で襲って来たのだろうと推測はできる。
だとすれば一番怖いのは新都から大群がやってくることだ。
かなり前に車で新都から逃げかえったアホが千近いゾンビを引っ張ってきてしまったことがあった。
あの時は半月ほど調達もままならず、いよいよネズミでも探そうかと思ったほどだった。
「……特に変化はないな」
俺は胸を撫でおろす。
新都からきているのでなければ、それほどの大群が来ることはないはずだ。
彼女達の拠点は俺達のマンションよりも山側のはず。
山の手は農地やキャンプ場がある地域でゾンビの大群が潜む場所ではない。
「ものすごい数、全部の通りに怪物が溢れて道路と家の区別もつかないぐらいで!」
2人の女性は必死の形相で語っているものの、住宅街の道なんて50体も群がれば溢れているように見える。それなりの数が来ているには違いないが、調達フィーバータイムが終わっただけのことで今までと同じように備えていれば――。
「三階建てのアパートが一瞬で呑まれて、怪物の重さで丸ごと潰れていたの!」
俺は即座に屋上にかけ登り、更に給水塔によじ登って山の手の方角に双眼鏡を向けた。
「誉君どうしたの!?」
慌ててついてきたシズリに応える。
「数なんて慌ててたら十倍でも百倍でも間違う。でも三階建てのアパートが呑まれて倒壊って具体的な現象は間違わない。アパート押し倒したとすれば百や二百じゃないぞ」
沈みつつある夕陽が眩しくて鬱陶しい。
「それらしきものは見えないが」
蠢くゾンビの集団を探すが見つからない。
見える範囲の住宅地から山までそんなものはどこにも……。
俺は一度双眼鏡から目を外す。
一度目を擦ってもう一度覗き込み、大きく息を吐く。
「ど、どうしたの?」
「最悪だ……」
ゾンビの集団が見つからないんじゃない。
山から住宅地までが全部集団の中にあったのだ!
今度はシズリに返事せずに数を数える。
まずゾンビを十体数えて面積として把握、十倍の範囲を百と数え、更にその十倍を千と概算して――。
「ざっくり5万から……下手すると10万はいる!」
それも俺の大したことない双眼鏡で見える範囲で。
「え……」
シズリが言葉と顔色を失う。
俺も絶対失っている。
なんで山の手からこんな数が、と脳内に地図を浮かべる。
両河市の地図から縮小して関東全体まで考える。
山岳地帯を越えたその先は……。
「東京から来やがったのか!」
土煙が近づいてくる。
道に入りきらないゾンビが折り重なって家屋に乗り上がり、その体重で次々に家が潰れているのだ。
「これは駄目だ」
俺は給水塔から飛び降りる。
「あの数なら10階建てだって折り重なって登ってくる。補強した窓だって体重だけで破られる」
まだ主張を続けている女性2人とミツネの襟を掴んで部屋に放り込む。
抗議の声を睨みで止めてドアを閉める。
「すぐに脱出……」
言いかけて止める。
ちょうど夕陽が山の向こうへと沈んでいったからだ。
暗闇の中を逃げることも、暗闇の中で灯りを灯すこともありえない。
まして山の手方向から迫る奴らから逃げるとすれば新都の方向になってしまう。
不安そうなソフィアを乱雑に撫でるが言葉をかける余裕はなかった。
一晩籠城できるだろうか。
そんなことわかるものか。
流れ下る濁流のど真ん中に居るようなものだ。
上手くゾンビ共が脇を流れてくれれば助かるが流れをせき止めてしまったらたちまち崩れ去る。
全て運で決まると言うしかない。
あるいは一晩生き延びて朝になったらどうなる。
これだけの数が煙のように消えるわけがない。
奴らが足を止めたら文字通りゾンビの海に浮かぶ孤島になる。
すぐに逃げなければいけない。
だがもう逃げられない。
心の中で自分を殴りつける。
今日の朝きっちり周囲を確認したか?
否、しっかり見ていたのは新都方向だけ、それ以外は適当に近所を見ていただけだ。
もし山の手の方向をしっかり観察していたらあの規模だ、朝の時点で気付けていたんじゃないか?
煙をあげて料理している奴らを馬鹿にしながら俺も油断していたのだ。
その代償を俺だけではなく同居している女性達も支払うことになった。
とんでもなく情けなくて愚かな話だ。
もう遅い。
これ以上考えても自分を罵倒することしかできず、それは全く無駄なことだ。
俺は頭を二度大きく振って思考を止める。
「やばいの誉君?」
「な、なにか準備とかある?」
「誉さん……どうしたらいいでしょう?」
俺は心配そうに俺を見る全員に笑いかけ、アオイの頬っぺたを引っ張る。
「こりゃ籠るしかないなぁ」
俺は軽い調子で言いながら窓を塞ぎ、外には漏れないはずの灯りも消す。
「残念だけど今日はご飯食えそうにない。部屋の移動もできない。全員で固まってもう寝よう。1対6の大ハーレムだ」
俺はいやらしい手付きでシズリの胸を揉み、カオリの尻も撫でるが反応して貰えなかった。
「タイゾーは?」
アオイの問いに俺は曖昧な返事をして布団を被せる。
「やれやれ困ったもんだ」
状況は絶望的だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
目が覚め、ゆっくりと体を起こす。
微睡む気分にはなれなかった。
「前にも似たようなことがあったな」
だが今回は死んだかもしれないだけじゃない。
仮に生き残っていても明日以降の希望が全く見えない。
「んあーホマ君、おはよー」
寝ぼけ眼で起きてきた紬を抱き締めておはようのキスをする。
「ちゅー」
紬は寝ぼけているのか普通に受け入れてくれた。
なので舌も入れてみる。
「むぐー」
紬のフワフワしていた瞳が徐々に光を取り戻していく。
「姉さん」
「ホマ君」
そして名前を呼び合った瞬間に完全に覚醒した。
「づわぁぁぁ!! またかぁぁぁ!! ホマ君、絶対私に気があるでしょ!? 本気でお姉ちゃん狙ってるでしょ!?」
相変わらず、ちびっこいのに怪獣みたいな叫び声だな。
「ない」
即答と同時に襲い来る金的蹴りをいなしつつ、新の部屋に入る。
「わっ兄ちゃんいきなり入って来るなよ!」
着替え中だった弟の抗議を無視して俺は新をハグする。
「うえっ!? な、なんだよいきなり!」
「ん、ん、ん!」
よし元気出た。
ポンポンと裸の背中を叩き、何故かへたりこんだ新を置いて部屋を出る。
課題は二つ、エッチなお姉さん奪取計画と地獄からの脱出計画だ。
「なんとかしてやる。俺ならできる。ミスった分を取り返してやる」
自己暗示のように数度繰り返してから俺は学校に向かう。
主人公 双見誉 生存者
拠点
要塞化4F建てマンション 居住人8人
環境
ゾンビの海
人間関係
同居
シズリ#23「籠城」カオリ「籠城」ソフィア#8「籠城」タイゾウ「行方不明」アオイ「恐怖」
ミツネ他二人「籠城」
中立 生存者
サラリーマンズ「――」
敵対
変態中年「――」
備蓄
食料10日 水2週間 電池バッテリー5週間 ガス1.5か月分
経験値58+X