第3話 放課後デート 4月12日
放課後 校門前
「ごめん、待たせちゃった!」
校門に寄りかかり、新品のスマホをいじくっていた俺の前に那瀬川が文字通り滑り込む。
地面を擦る音と土煙、どんな速度で走って来たんだ。
アスリートみたいなフォームも見えた気がする。
「……ん?」
俺が改めて那瀬川を観察すると彼女は見てとばかりに動きを止めた。
昼休みとどこか少し違う気がするが……ああ、髪だ。
ナチュラルセミロングの髪は綺麗に整え直され、毛先がとても良い感じに仕上がっている。
疑問は解決した。
「それじゃ行こうか」
那瀬川の体がガクっと傾いた。
「今見たよね! すっごい見てたよね! 絶対気付いたよね!?」
自分で髪をアピールしながら俺の隣に並ぶ那瀬川。
「とりあえず新都の方でいいよな」
俺はからかうように笑いながら歩く。
俺達の住む【両河市】は市立高校を持つだけあってそれなりに大きな街である。
人口約40万人古くから城下町として栄え、今も特急列車の停車駅を含む複数の鉄道駅と高速道路へのアクセスを持っている。
市の区画は大きく分けて4つだ。
まず俺達が今から向かおうとしている『新都』
近年開発が進んでいる場所で、百貨店やショッピングモール、オフィスビルにホテル、タワーマンションが立ち並び、アミューズメント施設やアパレルショップなどもここに集まっている。
若者が遊びにいくなら、ほぼ新都一択と言って良い。
「特急の止まる新両河駅があるのが大きいよね。他の駅は普通しか止まんないし」
次に『旧市街』
文字通り両河が城下町だった時代からある場所だ。
とはいえ中心に寺がある以外は文化財で溢れている訳でも無く普通の住宅地だ。
一戸建てや中小マンション、公営団地などがこの区画にあり両河高校と俺の家もこの旧市街にある。
「食品スーパーとか小さなお店はそれなりにあるから生活するだけなら旧市街で一応完結するよね」
続いて『山の手』
面積的には市の半分近くを占めるのだが、その大部分は山林と田畑で住民はかなり少なく寂れたり老朽化している設備も多い。キャンプや渓流釣りなどの趣味があるか、あるいは隠れた美味い焼肉店で親睦会でもやるので無ければわざわざ行くことはないだろう。
「静かで自然あふれる……私は当分いきません。はい」
那瀬川が犯されかかった道もここにある。
最後に『浜の手』
海浜公園以外は漁港と工場、倉庫地帯が立ち並び関係者以外があえて行く場所ではない。
ただ海水浴場があるので夏には部分的に賑わう場所でもある。
「私はたまに堤防釣りしにいくよ。泳ぐのも好きだけどナンパが多すぎるのがね……」
話しているうちに新都についた。
入るのは安くて美味い、学生にも優しい低価格帯ファミレス【ネオミラノ】だ。
低価格でありながらそれなりに雰囲気も良くメニューも豊富な上、長時間ダベっていても怒られない。
もっとお洒落な店も考えたものの、今の俺は学校指定の名前つきジャージを着ている。
この格好で雰囲気あるウッドデッキのテラス席に座っても滑稽で居心地が悪かろう。
「ネオミラノなら上下ジャージでも人目を引かない……と思ったのにな」
男子高校生二人組がこちらを凝視しながら通り過ぎていく。
大学生と思わしき集団が俺達を指差して何事か言っている。
料理を運ぶ店員までが視線を固定されて転びかけていた。
「はい双見君メニュー。こっちは期間限定のやつね」
俺は苦笑しながらメニューを受け取る。
「こんなのが来たら男は見るよな」
改めてわかる那瀬川の尋常でないほど整った外見。
俺もこのレベルの美女を見たのは初めてかもしれない。
店内の男は全員こちらを伺い、キッチンにいた店員まで小物を取るふりしながら見に来るほどだ。
「とりあえずドリンクバーだけ先に頼んじゃうね」
本人は呑気に呼び出しボタンを押した上で店員に向けて手を振っている。
男の店員二人がどっちが行くか揉めた末に、おばさん店員が来たので笑ってしまう。
互いに飲み物を一口飲んで一息つく。
「それじゃ改めて、先日はありが――わっ」
頭を下げようとする那瀬川の額を押して止める。
「頭下げて貰うのは一回で十分」
「……うん」
那瀬川は軽く自分の額を撫でて続ける。
「それじゃあスマホの修理代……ぐぬ」
封筒に入ったお金を差し出そうとする那瀬川の額を再度つっつく。
「なんで悪くもない那瀬川が弁償するんだよ。受け取る訳無いだろ」
「せめてクリーニング代だけでも……ふぎゃ」
いらないと意志を込めて今度は鼻をつっつく。
「……むう、なら体でお礼を」
俺は神速で那瀬川の手を握り締めて立ち上がろうとする。
「うわっ冗談! 冗談だってば! 双見君、実はスケベでしょ!」
明るく反応してくれる上に返しも早いので話していて楽しい。
「それじゃここを奢ってくれ。金曜のことはそれで全部終わりにしよう」
そもそも那瀬川を助けたのは俺がそうしたかったから、助けたいと思ったからやっただけ。
むしろこんな美女と知り合えたのだからお釣りの方が多いぐらいだ。
「もちろん奢るつもりだったけど……うん分かった。それで全部チャラだね」
こちらの意図をさっと汲んでくれる。
見た目以上に那瀬川は良い女だ。
「じゃあ元が取れるようにめちゃくちゃ食ってやるか。パスタの特盛ってあったっけ?」
などとふざけて言ってみる。
「うんオッケー。店員さーん、ナポリ風ドリア3つとイカ墨スパ特盛と海鮮パエリアとグラタンが2つ」
女子には通じにくい馬鹿なノリにも乗ってくれる。
「待て冗談だって。せめて炭水化物の集中砲火は止めてくれ!」
那瀬川は悪戯っぽい顔で歯を見せて笑った。
俺達は那瀬川がこれでもかと注文するメニューを腹に放り込みながら取り留めのない話題で盛り上がった。
那瀬川からは俺を探して毎休み時間各教室を回ったらしいが、年上だと思っていたせいで3年J組から回ってしまい、結局俺は1-Aだったために全学年全クラスに突入してしまったこと。
土曜日にマッスルメンジムにお礼に行ったところ、ジムメンバーが200kgのバーベルを成功させた瞬間だったらしくお祭り騒ぎでお礼どころでなかったことなどを聞いて笑う。
俺からは入学三日目に早くも遅刻したこと。
それで母親に怒られて一時間前に登校させられたのだが、教室に誰もおらず暇なので非常階段で風を感じながら本を読んでいたら寝落ちして二度目の遅刻をしたことを話して笑われる。
「ちなみに双見君どんなの読んでたの? 私もそれなりに読むから面白い本なら――」
俺は無言で目を逸らす。
そして三秒程考えてから向き直る。
「先月本屋大賞を取った――」
「エッチなやつだ!」
美人がエッチなんて単語を発するから店中の男がこっち見ている。
俺も体の奥がムラっとしたぞ。
「エッチな奴だ!」
「指差して言うなって。言い方も最初と違うぞ」
実は今も持っているとカバンから表紙を見せてやると机を乗り越えて鼻を摘ままれる。
「そ、その表紙と題名をブックカバー無しで読むとか、さすがの度胸というかドスケベというか……」
赤面する那瀬川をからかいながら、クラスや友人などの話を続ける。
ふと時計を見ると夜になりつつある時間だ。
「ちょっといいか」
家に晩飯がいらないのと帰りが遅くなることを伝えないといけない。
「しっかりしてるんだね」
那瀬川は机に肘をつき、ニコニコしながら言う。
そのまま切り取れば写真集になりそうな絵面だ。
「まあな。那瀬川の方は連絡しないでいいのか?」
例の事件もあったことだし、そっちの家の方が心配しているはずだが。
「んー私は平気。父さん日付変わるぐらいにしか帰ってこないし」
そうかとだけ頷く。
「おっとドリンクバー飲み過ぎたかな。だがこの波を越えれば、まだ30分はいけると膀胱が……」
「無意味な試練乗り越えてないで早く行ってきなって!」
重くなりかけた空気を馬鹿な言動で壊してからトイレに向かう。
出すもの出して席に戻ると……まあ予想はしていた。
「別の人と来ているので。行きませんから」
「まぁまぁそう言わずにさ。なんなら彼と解散した後でもいいし全然待つから」
那瀬川がチャラいミュージシャン風の男にナンパされている。
先ほどまで俺が座っていた席に腰かけてしつこく迫っているようだ。
ほんの二分ほどの間にこれとは恐れ入る。
「いや解散したら帰りますから。あなたとどこか行く気とかまったくないんで」
これで那瀬川がノリ気だったら悲しくなるところだったが喜ばしいことに完全拒否だ。
男が身を乗り出している分、限界まで体を引いて顔を逸らしている。
こんな態度まで取られているのによくナンパを続けられるものだ。
俺はミュージシャンの肩をちょいとつつく。
「そこ俺の席ですよ」
「あ?」
何やら睨んできて席を譲るつもりはなさそうだ。
「仕方ないなぁ」
「うえっ? せ、狭いって!?」
俺は男の対面、つまり那瀬川の隣に無理やり座る。
普通に一人用なのでぎゅうぎゅうを通り越してギャグみたいな光景になっているだろう。
慌てる那瀬川の前に入れてきたコーヒー置いて完成だ。
この状態でまだ続きができるものなら聞いてやろうじゃないか。
「お前どういうつもりよ」
敵意の籠った視線と言葉は俺に向いている。
ナンパの続きはしないのか、ならもういいか。
「晴香は俺の女ですから。諦めて貰えますか?」
「女っ!?」
那瀬川が驚いた顔で俺を見つめ、同時にふるりと小さく震える。
真っ赤な嘘だがこの場はそういうことにした方がスムーズに収まるだろう。
後で文句を言われたらコンビニアイスでも買って許してもらおう。
「だっせえジャージ着て彼氏面とか、なにイキってんだよ」
「学校指定だから仕方ないだろ。自由に選べるのにだっせえ革ジャンチョイスしてる方が問題だ」
「ゴホッ!」
那瀬川がむせた。
やっぱセンスないよな、あの皮ジャン。
「なにお前、俺をなめてんの?」
男が立ち上がり、顔を近づけて睨んでくる。
まったくその通り。
ベロンベロンになめているが口に出すと一気に喧嘩になりそうなので何も答えずにおく。
一応、男と周囲の状況を軽く観察しておく。
男と俺の体格はほぼ同じ。
テーブル上の食器は凶器になり得るも、使って来たら俺も同じ物で対抗できる。
周囲に仲間はおらず一対一、加えて店内は人目だらけで襲い掛かられてもごく短時間で警察が来る。
問題無しだな。
「睨もうが凄もうが俺は彼女を置いて逃げたりしないので。諦めて下さいよ」
男の顔から目を逸らさずにそう返す。
男は睨んだり威嚇の音を出したりと野生動物ばりの行動を繰り返し、俺はただ目を逸らさず見つめる。
しばらく膠着状態が続いた後、男は特大の舌打ちをして大股で店を出ていった。
そしてすぐに屈強な男の店員に連れ戻され、会計を払わされてからもう一度舌打ちして出ていくというギャグをかましてくれた。おかげでクスクス笑いと共に店内の冷えた空気が元通りになったな。
「平和的な奴で助かった。もしこのジャージまで破られたら明日は裸で……ん?」
那瀬川が焦点の合わない目で俺を見ている。
「どうした怖かった?」
熱に浮いたような目のままゆっくり左右に首を振る。
「晴香」
そしてポツリと呟く。
「さっきみたいに晴香でいいよ」
そっちが良いなら俺から拒む理由はない。
「じゃあ……晴香」
晴香のフラフラしていた目の焦点が瞬時に合い、また体をふるるっと震わせた。
「うん。私の方も『誉』でいいよね?」
「おう。是非頼む」
俺が名前呼びなのにそっちが名字だと距離感間違っている痛い奴みたいで悲しい。
「誉は全然怖がらないんだね」
晴香が少し潤んだ眼で言う。
特に危険も無かったし口喧嘩だけなら怖いどころか楽しいすらある。
しかしこんなこと言うと変態みたいなので嘘をつこう。
「怖くなんてないさ。お前を守るためだから」
手に手を重ねてポーズまで決めてみた。
「あ……あぅ……ありが……」
晴香の目がトロンとして唇が開き……。
「って嘘だな! いくらなんでもわざとらしすぎる!」
笑って手を放すとストローで手の甲をトストス突かれる。
美女をからかう快感は癖になりそうだ。
「しかし晴香はもう少し気を付けた方がいいんじゃないか?」
「ん、何が?」
晴香は一連の騒ぎで汗をかいたのかブレザーを脱ぎ、ブラウス姿で伸びをしていた。
これがまた思いっきり反るものだから胸の部分が大変なことになっている。
カードゲームの話をしていた中学生グループの会話がピッタリ止まった。
続いて無意識にだろうか足をひょいと組んだ。
着崩していない制服スカートなのに足が長いせいで太もも半ばまで見えてしまう。
釣りの話をしていたおじさん集団が延々と空のコップを傾け始めた。
「ふいーお腹いっぱい。眠くなってきちゃった」
最後に前のめりになって机にもたれ、少し体をよじってから両胸もテーブルに乗せた。
「わざとじゃないなら逆に怖い」
「え?」
無自覚の蛮行に呆れているうちに店内から人が減ってきた。
あまり遅くなるとさっきのナンパ男のようなのも増えて来るだろう。
「そろそろ帰ろうか」
「あ、うん。じゃあ会計してくるね」
会計する晴香を待っていると何故か横を通り過ぎるサラリーマンに舌打ちされる。
次いで中学生に指差され、おばあさんに渋い顔をされた。
……晴香に払わせているからか。
真の男女平等について語るつもりはないが確かに見栄えは良くない。
次は俺が出そうかな。
「ではお会計9500円になります」
てか高いなおい。
ネオミラノは陽助と二人でがっつり食っても5000円いかないのに。
値段を聞いて視線が余計厳しくなったからさっさと出よう。
店を出た俺達は徒歩で帰路に着く。
途中のラブホテルをわざとらしく見つめていたら頭突きされたのはご愛敬だ。
「今日はお礼のつもりだったけど楽しかったよ」
晴香は笑って言いながら、車が横を通るたび僅かに顔をこわばらせる。
「そうだな。余計なイベントも入ったけれど」
俺は笑って返しながら車道側に位置取って歩幅をぴったり合わせる。
「……」
晴香は一瞬動きを止めた後、ほんの少しだけ笑顔を増した。
「ところで誉の家ってどのあたり? うちは南通り二丁目なんだけど……」
「南の六丁目だよ」
近いとはいえない。
自転車なら圏内といったところだろうか。
「まあ、近かろうが遠かろうが送るから心配するな」
また晴香の体がふるりと震えた。
晴香を家まで送り自宅に戻ると午後10時近くになっていた。
二階建ての一軒家、小さな庭、車一台原付二台が置かれたガレージ。
周りの家との違いなんて説明できない何の変哲もない平凡な俺の家。
ドアノブを握ったまま数秒止まり、ゆっくりと玄関を開く。
「……ただいま」
「おかえりー」
リビングからは母親の声、夜のドラマでも見ているのだろう。
大きな安堵の息が漏れる。
靴を脱いでいると玄関のドアが勢い良く開く。
「ぐわー! つっかれたよぉー!」
四つ年上、市内の大学に通う二回生の姉【紬】だ。
半分以上ダベりが目的のまったり系スポーツサークルに参加している。
体型は小柄で非常にスレンダー、動きはとても軽快だ。
落ち着きなく騒がしいともいう。
「ホマ君邪魔、どいてどいてー。あー喉乾いた」
紬は俺を押し退けて靴を脱ぎ散らかし、コートを放り捨ててドタドタとリビングに向かう。
「紬! ただいまぐらい言えないの!」
「もっとお小遣いくれたら毎日言うー」
俺は母と紬の言い争いを聞きながら脱ぎ散らされた靴を並べ、コートをポールハンガーにかける。
ついでにコートのポケットにねじ込まれたレシートも捨てる。
食事は済ませているので二階の自室にいようかな。
「誉、お風呂入らないの?」
「姉さんが先に入るだろ」
「ふぁいるー!」と何か食べながらの声で返ってきた。
「今帰ったの?」
階段を登ろうとすると上から弟の【新】が降りてきた。
俺より一つ下の中学三年生でテニス部に所属しているのだが、痩せ型の体格と遠慮がちな性格もあってか万年補欠に甘んじている。
「よ、ただいま新」
俺はすみに寄って新を通してやる。
「兄ちゃんまた外で食って来たの? よく金あるな」
「高校生だからな」
女の子に万近い額を奢ってもらったことは黙っておこう。
兄の威厳を損ねるからな。
俺の家は特に貧乏でも金持ちでもない。
中、高、大と見事にばらけた姉弟が月に数回ファミレスやカラオケに行ける程度の小遣いを貰い、誕生日にはゲームソフト程度なら買ってくれるがゲーム機本体はバイトして買えと言われる。
その程度の経済水準だ。
「外食ばっかとか金もったいないよ。明日は家で食えよな」
母が明日はカツカレーだと教えてくれる。
新の好物だ。
「そうだな。明日は一緒に食おうか」
「……うん」
新は俯いたまま頷くと軽快な足取りで階段を登っていった。
「あいつ何のために降りて来た?」
「ホマ君どけぃ!」
首を傾げる俺の横を半裸の紬が走り抜け風呂場に飛び込む。
もう丸見えだ。
「こら紬ー! 大学生にもなって何やってんの!」
返事代わりに脱ぎ散らかした下着が床に落ちる。
「まったく紬はいつまでも小学生みたいなんだから! それに比べて誉は大人になったわね」
母が姉の縞パンツを洗濯機に入れる俺を見て言う。
「中学の頃は紬とも新ともしょっちゅう喧嘩してたじゃない? 新なんか三日に一度はあんたに殴られたって泣きながら……」
二階から余計なこというなと新の声が響く。
「中学三年生の春から急によねぇ。新の反抗期も早く終わってくれたら助かるんだけど」
「母さん石鹸ないよー」
石鹸を求めて全裸で浴室から出てきた姉を母が怒鳴りつけ、話が中断する。
大学生なのに本当に小さい。
膨らんでいるのかどうかも疑問になるほどだ。
さっきまで晴香を見ていたせいか涙が出そうだ。
「ところで今日父さんは?」
「東京出張で泊まりだって。明日は普通に帰って来れるそうよ」
明日の晩飯は家族が揃う。
なんとしても家で食べないと。
風呂に入って寝間着に着替えると11時半になっていた。
もう寝る以外にできることはない時間なのでベッドに横になる。
「那瀬川晴香……か」
思い出してもびっくりするほどの美少女だった。
ノリも良く話も合うので一緒に居て楽しい。
スタイルも抜群で胸や太ももを凝視していたのを気付かれずに済んだのは幸いだった。
ナンパから守った時に密着を楽しんでいたこともバレてはいないだろう。
そして向こうからも好意的な視線を感じた。
意識してくれているのは間違いなさそうだ。
「このまま仲良くなっていけば……」
色々な妄想が膨らみ、ついでに下半身の方にも血が流れ込んで膨らんでしまう。
さてどうするか。
俺はコツンと自分の頭を叩いた。
「寝よう」
俺は深呼吸で息を整え、覚悟を決めてから大の字になって目を閉じる。
眠りに落ちる直前の微睡みの時間。
この時が本当に嫌いだ、反吐が出そうな程に。
全ての感覚が鈍くなり意識が徐々に薄れていく。
そして俺は忌まわしく不愉快でおぞましい眠りへと……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
4月12日(月)自室【裏】
意識が覚醒するなり飛び起きる。
ダラダラと布団に籠って良い日ではない。
枕元においた腕時計を確認――午前6時半予定通り。
特異な音、臭い、振動はあるか――異常無し。
真っ暗な室内を這って窓に寄る。
内側から二重に垂らした毛布を持ち上げ、窓を塞ぐ廃材の隙間から外を伺う。
地を這うような呻き声の合唱、遠くから聞こえる絶叫、複数の黒煙が立ち上り、ふらふらと道路を彷徨う複数の人影……異常無し。
窓から離れてラジオをつける。
『緊急特別警報が発令されました。市民の皆様は最寄りの避難所に避難するか、警察または自衛隊に救助を求めて下さい。パニックを起こさず、冷静に行動してください。繰り返します』
もう一年以上、何万回と繰り返されている自動アナウンスに変化がないと確認してからラジオを消す。
何もかもいつも通り、異常無しだ。