第37話 本音はどこに 5月7日【裏】
5月7日(金)【裏】
朝の見回り点検、備蓄確認を終えて一息ついたところふと口に出してみる。
「男に殴られてた女の子を助けたとしてさ」
「ふんふん」
シズリとカオリが反応してくれる。
「余計なお世話って言われて、万札一枚よこすのはどういう意味なんだろう」
「なにそれ実話?」
カオリが怪訝な顔になる。
いくらなんでも具体的過ぎたか。
バレようがないからいいけれど。
「歳は同級生ぐらい?」
シズリの問いにかなり年上と伝える。
「なら本当に余計なお世話でうざかったんじゃない? 万札出してもあと腐れなくしたかったとか」
凹むなあ。
「もしくはその男に殴られるのが気持ち良くて助けて欲しくなかったとか――今の無し!」
カオリは訂正しながらどこかへ行ってしまう。
性癖的なことはともかく、女性の視点から見ても言葉通り余計なお世話なようだ。
あの女性の顔と入っていった店、男の顔まで記憶したが必要無かったのかもしれない。
「あのう」
ソフィアが気まずそうに会話に入って来る。
「水……一応沸騰させたんですけど、溜まり水なんでどうしても不純物が」
飲料水が尽きたのは把握している。
とはいえ屋上のタンクに雨水を溜めてあるので沸騰させて飲めば健康上は問題ない、ないのだが。
悲しそうな顔でコーンと豆のコンソメスープからゴミを取り除いているソフィアを見ているとそうも言っていられない。
「場所の見当はついてる。まず俺が一人で下見するから大丈夫そうなら皆で行ってガサっと取ろう」
水は重さがあるから俺一人で持ち歩くには限界があるからな。
「みんなで行って空振りだったら危ないだけだもんね」
カオリが同意してくれる。
「それにしても誉君ってすごいわよね。空振りが一度もないもの」
いかさましてるからな。
こんなぶっ壊れた世界じゃ反則の一つ二つしないとやってられないので神様がいるなら大目に見て欲しいものだ。
単身マンションを出た俺は周囲を警戒しながら進む。
基本は早足、常に進行方向180度を警戒し、壁などで視界が通らない場所に交差点では数秒止まって音と気配を探る。
突き破れそうな生垣からは飛び掛かられても避けられる距離を保ち、せり出したベランダは上になにかいないか警戒する。
怪我をしたり三脚にかかりきりになったりしていたが感覚は忘れていない。
「おっと」
電柱の裏で揺れているゾンビを発見して鉄パイプを握るも戦わず距離をとってやり過ごす。
「しかし減ったな」
俺はこの道を通る度に数を記憶して怪物密度の参考にしている。
普通の時で約10体、多い時は15体で一桁ならば少ない。
だが今日は電柱の後ろに居た奴しかみていない。
あの作戦で倒したのは200やそこらだから、まさか周辺の奴らを全滅させたとも思えないが、路上を出歩く個体が一掃されたのかもしれない。
ふと交差点で別の生存者の一団と出くわした。
互いに警戒して動きを止め、危害を加えないことがわかると軽く会釈してからそれぞれの目的に向けて動く。
こっちが一人で相手が複数だからちょっかいをかけられるかと心配したが、むしろ向こうの方が慌てて離れていったな。
必要以上の接触はない。
気さくに声をかけるのも後を追うのも安全を考えればすべきことではない。
特に路上で遭遇したような場合には。
「ゾンビが少ないうちに物資調達に動いているのかも」
俺も今の奴らが尾けてきていないか確認してから目的地へ急ぐ。
「〇〇営業っと……ここだな」
到着したのは住宅地の真ん中にあるオフィスだ。
業種は営業代行、ともかく何か物を売りこむ会社だったはずだ。
うちにも健康サプリがどうとかで来た覚えがある。
常識で考えればそんな会社にまとまった食料や水などの物資があるとは考えない。
「だからこそ残ってる可能性が高い」
扉がまだ施錠されているのを確認し、低い位置にある上に鍵のかからないトイレの窓からひょいと建物内に入る。
まずオフィス部分を軽く物色する。
使い古しの固まったインスタントコーヒーを放り捨て、封の開いていない紅茶はザックに放り込む。
この会社が売っていた青汁より効くらしい健康サプリは数秒考えてから放り捨てた。
「邪魔な物を置くならこの奥あたりに……あった」
営業資料などが並べられた棚に隠れて取り出すのも一苦労な場所に水と乾パン、懐中電灯に救急箱と災害備蓄のテンプレみたいな物資が量だけはたっぷりと置かれている。
両河市の災害備蓄優良企業表彰……だったかな。
ここの社長が顔出しで『災害に備えた地域社会に貢献する~』なんて宣言していただけある。
軽くネットで調べただけで悪評噴き出すような会社だったからイメージアップ広報の為だけに用意した備蓄だろうけれど今の俺達の役には立つ。
次にこの会社の営業が来たら話を最後まで聞いてやろう。
「下見は終了。後はさっさと引き上げて全員で回収に来たいところだけれどっと」
俺が窓から外を見上げるのと同時に入口から物音がした。
最初は大きめの音、続いて小さく2度目、3度目……。
鉄パイプを構え、物音を立てないように体を低くして向かう。
入口に向かうと施錠されていたはずのドアが開いていた。
「ふむ」
俺が呟いて立ち上がった途端、横合いから影が飛び掛かって来る。
風切り音を立てて振り下ろされる何かを鉄パイプで受けて流し、よろめいた頭をパイプで殴打……することなく、腕をとって足をかけひっくり返す。
「あうっ!」
悲鳴の漏れた口を塞ぎ、押さえ込んで顔を近づける。
「怪物じゃない。敵意もない」
ゆっくりと穏やかに言いながら、持っていた何か――バールか――を奪い取る。
30代ぐらいの女性、体格も力も俺よりずっと劣る。
装備はバールとライト、そしてザックと俺の調達装備とほぼ同じ。
はっきりとわかる恐怖の表情を浮かべており、俺を狙って追いかけて来た訳ではなさそう。
最初の一撃は俺をゾンビと誤認して攻撃したのだろう。
つまりなにも問題ない。
俺は女性の口から手を放して立ち上がらせる。
今の騒音に反応する怪物がいないか確認してから一応の謝罪をしておく。
「手荒なことをしてすいません」
「こ、こちらこそいきなり殴りかかったりして……」
どうやら真っ当な女性のようでありがたい。
女性はライトで周囲を見回し、俺が引っ張り出した物資を見て目の色を変える。
「……全部持っていくの?」
「そのつもりだけど全部は運びきれないから。そっちも持って行って良いですよ」
本音で言うならそりゃ全部欲しいが、全て俺達の物だと主張して見張れる訳でも無し。
下手に揉めるよりも穏便に済ませた方が良い。
それにこの女性、特に美人ではないのに妙な色気があるんだよな。
「そう! それじゃあ早速……」
女性はザックに乾パンをドカドカ詰めていく。
水を放置しているところを見ると食べ物の方が不足していたのだろう。
「水は雨水そのまま飲んでもお腹壊すぐらいで済むけど……食べ物はどうにもならないしね」
女性はパンパンになったザックを背負う。
「一人で来たんですか? だとすると近場……」
女性は俺が拠点を特定しようとしていると見たのか険しい表情になったが、次の瞬間あっと声をあげた。同時に俺も女性の顔を思い出した。
「君はあの時の不審者!」
「協力者集めの時に叩き出された……」
そしてお互いに笑う。
「今思えば仲間集めしてたんだね。叩き出しちゃってごめんね」
「いやいや血刀もって家に入ってきたら誰でも叩き出すよ。俺の方こそ悪かった」
だとすると女性の拠点はここから少しばかり距離があるはずだ。
「それじゃあ無駄話してるのも危ないし、私はこれで――」
「待って」
俺は女性の腕を掴む。
彼女の顔が反射的に引きつるが仕方ない。
「これから雨が降る――いや雨が降ってるから外に出るのは少し待った方がいいと思う」
「雨? 降ってないけれど?」
女性は怪しむような顔で俺を見る。
それが降るんだよ。
しかも降り始めてから5分で土砂降りになって1時間ほど続くんだ。
「あっ降って来た」
「だろ?」
『裏』の雨リスクは案外に大きい。
パラつく程度でも濡れたマンホールや金属の側溝カバーなどで滑って転倒の要因になるし、強まれば視界と何より音が聞こえなくなるのがまずい。
生垣を鳴らしているのが雨なのか潜んでいるゾンビなのか見分けられないのも致命的だ。
ついでに雨に打たれて風邪をひく、なんて古典的なことも医者のいない『裏』では割と冗談にならない。
「帰るなら雨が止んでからにすべきだ。ここは一応確かめたから」
「……そうね」
女性も今まで生きてきたのだから当然リスクはわかっている。
俺達は日光が届かず薄暗くなったオフィスで並んで座り、雨が止むのを待つ。
「私達もこっそり見てたんだよ。アレ凄かったね」
「派手だっただろ」
俺達は暇つぶしにポツポツと言葉を交わす。
「最後の化け物も知ってたの?」
「いや完全に裏をかかれた。でもあの三脚には毎度毎度裏をかかれてたから……裏をかかれることを見越して準備してたんだ」
声をひそめながら話は盛り上がり、最初は人一人分あった女性との距離が少しずつ近づいていく。
「あれから一体でも三脚を見たか?」
「ううん。一体も見てないし聞いてないわ。本当にいつ殺されるかと思ってたから……ありがと」
女性の方から更に距離が詰められて肩が当たる。
「被害も被ったけどねー」
「……誰か巻き添えになった?」
女性の拠点は女性三人だったはずだ。
誰か死んだとなると気まずい。
「ううん。怪物がそっくりいなくなってフィーバータイムだって周り中が調達に出てね。どこを探しても先を越されてるの。それで食料がやばくなってきたんだぞー」
冗談めかしてデコピンされた。
だから本来食料がありそうにないこんなオフィスにも突っ込んで来たのか。
それで出会えたのだから不思議な縁だ。
降り続く雨の中、俺達はとりとめのない話を続ける。
そして俺は何の気なしにシズリに聞いたのと同じ『表の今日』遭遇した女性の話題を出した。
「助けて貰って突き放す……でも万札はくれたと……ふむふむ」
女性は少し考えたかと思うと納得したように頷く。
「それ、助けて貰って嬉しかったと思うわ。まずその子はどうせ誰も何もしてくれないと思ってた。助けられて最初の気の無い返事は助けてくれるとは思わなかった困惑、それでクズ男の方を見て冷静になって「余計なお世話」「ガキにはわかんない」って君を突き放しにかかったのね」
「なんで? 嬉しいならありがとうで済むのに」
女性はクスッと笑った。
「その子とあなたがあまりにも違う世界の住人だったから。色々知られて蔑まれたり馬鹿にされたくないから……傷付きたくないから突き放す、距離をとろうとするのよ。多分中身グシャグシャよその子」
言われてみれば心当たりはある。
あの派手な女性はキスしそうな程顔を近づけながら目を合わせては来なかった。
下品なほど色っぽい仕草もどこかわざとらしく見えた。
あんな男はやめておけと言った時、僅かに期待の色が浮かんでいた。
「で、色々思うところはあったけど万札渡して全部終了。お金で解決って自分への言い訳かな」
言われてみれば全部当てはまっているように思う。
「ぶっちゃけその子、風俗やってるでしょ? 気持ちが手に取るようにわかるわ」
俺が首を傾げると女性がニヤリと笑う。
「私もアレが起こるまでやってたから……引いた?」
「いや逆に押し出してきた」
女性は俺の股間を見て噴き出す。
「今更言っても仕方ないと思うけどその子はどうせ自分なんて~って斜めに構えてるだけ。本当は助けて欲しがってると思う。まあ本当に今更意味の無いことだけどね。……それよりも」
女性は俺の胸板を撫でながらもたれかかってくる。
「うちは女3人のグループでさ。色々あって男大嫌いなの。でも私は……若い男の子大好きなの……」
女性は口を開き、舌で唇を一舐めして熱い息を吐く。
「ちゃんと周りを警戒するにはこの姿勢で……ふふ野生動物みたいだね」
熟練の女性の色香に16歳の俺は抵抗などできるはずがないのだ。
やがて雨は上がり、女性と俺はキスをして別れる。
「食料分けてくれてありがとね。うちの拠点は私以外、男性嫌いが集まってるから気軽に寄ってとも言えないけど。またどこかで会えたら」
「お互い死なないように」
名前はあえて聞かない。
そして俺は予定通り皆を呼びにマンションへと戻る。
その後、俺達は小さなアオイ以外の全員でやってきて物資を全て回収した。
2Lペット10本入り箱が10箱で200kg。
これを5人で持つのはいくらゾンビが減っている中でも危険だと思っていたのだが。
「移動だけなら問題はないけど戦闘は無理だから怪物がいたら早めに教えてくれると助かる」
タイゾウが両肩にそれぞれ3箱60kgずつを乗せ、更に背中に2箱背負って普通に動けるそうなので食料もまとめて余裕で回収できた。
俺も真剣に鍛えた方が良いだろうか……性欲が無くならない程度に。
「ねえみんなちょっと来て。奇妙なものが落ちてるの」
カオリが床に落ちた粘着質な黄ばんだ何かを指差して真剣な顔で言う。
「ね、変でしょう? もしかすると新しい怪物の何かかもしれない!」
「か、カオリちゃん……それは多分その……」
ソフィアが気まずそうに言いながらチラリと俺を見る。
「あたしが気になるのは一緒に落ちてる薄い方かな。誰のかしらね」
シズリがゴツゴツ肩から当たって来る。
不穏な空気を吹き飛ばしてくれたのはタイゾウだった。
「みんな何かが通るぞ」
一瞬にして緊張モードになった俺達は身を低くして外を窺う。
シズリは打ち合わせ通りに用意したハンカチを口に押し込んで俺にひっつく。
いざ緊急事態の時、俺やカオリは反射的に動けるのに対してソフィアは固まってしまう。
一方でシズリはパニックを起こして暴走する傾向があるので悲鳴をあげないための処置だ。
俺はゆっくり目立たないように動いて窓の外を覗く。
三脚でないかと恐れたが、足音と大きさからしてただのゾンビのようだ。
見覚えのある制服を着た女性……元女子高生は呻きながらどこかへ歩いて行く。
「倒すかい?」
タイゾウの問いに首を振る。
「いや、このままやり過ごそう」
あのJKゾンビは歩き続けているから数分も待てば去るだろう。
無駄な戦闘をするリスクは避けるべきだ。
「情もあるしな」
今年入学の俺と顔見知りのはずはない。
それでも『表』で毎日見ている制服を引き裂き、血で汚すのはためらわれた。
シズリが口からハンカチを抜いて呟く。
「まさか誉君、アレに出したんじゃないよね?」
んな訳あるか。
ともかくこれで水は一気に調達できた。
魅力的な女性と嬉しいこともできたし『表』で遭遇した女性についても面白い意見を得ることもできた。
今日の調達は全員参加しただけあって色々実入りが多かったな。
「ソフィア、今日あたしが終わったら誉君そっちにも回すから頑張って貰って。空っぽにしとかないと大変な趣味に目覚めちゃう」
「は、はい、私は可愛がってもらうだけですけど。精一杯シます……」
だからお前達は違うっての。
主人公 双見誉 生存者
拠点
要塞化4F建てマンション 居住6人
環境
周辺ゾンビ激減
人間関係
同居
シズリ#21「搾る」カオリ「同居人」ソフィア#7「シボる」タイゾウ「人間トラック」アオイ「待ち」
中立 生存者
サラリーマンズ「――」女性三人「良好」
敵対
変態中年「――」
備蓄
食料2週間 水3週間 電池バッテリー5週間 ガス2か月分
経験値54+X
久しぶりの更新です!
年末に差し掛かり、更新予定がガタガタになってしまいましたができる限り更新していきます!