第29話 武器 4月29日
4月29日(木)『表』祝日
俺は新都の外れにある喫茶店に入る。
カラリと入店を知らせる鐘が鳴った。
店内には数人の客がいたものの大声で話していることもなく、控えめな音量でクラシック音楽が流れているだけで静かなものだった。
「10分前か」
店内に置かれた昭和どころか大正の匂いがしそうなアンティーク時計を見ながら席につく。
ちなみに昨日の『裏』は何もなかった。
ただ食って寝て体力を回復しただけ、変わったことと言えばシズリが悪戯で顔に胸を乗せてきたことぐらいだ。
あとはカオリが屋上から偵察した感じ、三脚は俺達以外の生存者にも目をつけたのか、より広い範囲を動き回るようになっているらしい。
そこまで考えたところでカラリと鐘が鳴る。
顔をあげると待ち人だ。
「こんにちわ双見君。時間には正確なのね」
現れたのは風里苺子だ。
昼の10時55分、約束の時間五分前だった。
さぼりではなく今日は祝日で学校はないのだ。
「俺の方から頼んだのに遅刻なんてあり得ないだろ?」
本当は紬が騒いでくれなかったら少し危なかった。
昨日の運動量が多すぎて疲れていたから。
「それで情報はどこだ?」
「あら。せっかちなのね」
風里は俺と正面に座り、用意してきた資料をトンと揃える。
「例の件よ。一応最低限は調べて来たわ」
風里は資料を並べてから顔の前で手を組む
淡々とした口調、センスの良い眼鏡がきらりと光る。
「では早速確認させてくれ。有益な情報なのかどうか……な」
俺はちょうどやってきたコーヒーを一口だけ飲んで机の隅に置き、資料を手にとる。
「有益かどうかはそちらが勝手に決めることね。私は対価さえ貰えればいいの」
「「ゴクリ」」
隣の席の主婦二人が息をのみ俺達を凝視している。
今の会話は探偵ドラマかスパイ映画かって感じだったから無理もない。
思った以上に風里が乗ってきて実は俺も少しびっくりしている。
「どうやったら街中でサイを倒せるのか」
「なかなか興味深い話よね」
主婦2人が机に突っ伏してコーヒーを零す。
悪いが責任は取らないぞ。
俺は資料を風里に返す。
動物園のパンフレットやネット画面を印刷したサイの画像を見ても仕方ない。
「結論から言うとサイ……最大のシロサイと仮定して重量は優に2トンはあるわ。人間が持ち運べる程度の重量物を落としても転がしても倒すのは無理ね。ただ足止めにはなるでしょうから」
風里が市内の地図を取り出す。
数か所の道路に赤い線が引かれ数字が書き込まれている。
はてこれは……わかった。
「200m以上の傾斜道路とそれぞれの勾配角度か?」
風里が驚いたように俺を見る。
「……良くわかったわね」
ふむふむ傾斜地で重量物を転がして足にダメージを与え、動きを鈍らせてから接近戦か。風里はサイについて語っているが三脚でも同じことができるだろう。
むしろ足が一本少ない上に移動速度も鈍いからよりダメージは大きそうだな。
問題は音を立てて派手にやるとゾンビがわんさと出てくるだろうことだ。
やるとすればマンションから近いこの場所かな……しかし近すぎるのでゾンビを集めてしまうと三脚より厄介になるかもしれない。
三脚と一緒に集まったゾンビを一掃できれば問題はないのだが。
「とどめの接近戦も厄介だよな。仮に足を潰したとしてもサイと一騎討ちは厳しい」
「そうね。ライオンでも余程飢えない限りサイは襲わない。狩りの成功率も相当低いそうよ。生身の人間が挑んで良い相手じゃないわ」
「ね、ねえあの子達、真面目な顔で何の話してるの?」
「私だって知らないわよ。二人とも頭良さそうなのがまた……」
主婦2人の困惑は聞こえないことにする。
「大型ライフルを使いたいところだけれど、街にあるものだけの縛りでしょう?」
元警察のゾンビを探せばあるいはピストルぐらいは見つけられるかもしれないが意味はなさそうだ。
ピストルを撃っている奴を見たこともあったが正確に頭に当てなければゾンビすらまともに倒せない。
今は除外しておいた方が良さそうだ。
「だから接近戦でサイを仕留められそうな物を調べて来たわ。あり合わせの材料で作れるものよ」
俺は食い気味にその資料を手に取る。
「なにこれ」
棒の先に爆発物をつけてそれで相手を突くのか。
確かにサイ……三脚が強靭でも体に密着させた状態で爆発が起きれば致命傷を与えうる。
「刺突爆雷というそうよ。第二次大戦末期、アメリカの戦車に打つ手の無かった日本軍は――」
いやそれはいいんだ。
風里のくれたネットページをそのまま印刷したものに書いてある。
「俺も死ぬだろこれ」
「でしょうね」
もういちど資料に目を落とす。
「ダメじゃん」
「爆発で破壊されるのはまず押し付けられた方でしょう? コンマ何秒かの差で先に倒せるわ。ルール上は勝ちよ」
なんだそりゃと俺はがっくり突っ伏しつつ、名前はしっかりと覚えておく。
正面から叩きつければただの心中だが使い方次第ではあるいは。
あと傾斜道路の地図は絶対に確保しておかないと。
「なんか突然自爆するとかの話になったけど……」
「は、話の流れがつかめない」
主婦達はまだいるようだ。
「ちなみに風里ってこういう妄想話好きなんだな。まさか資料まで持ってくるとは思わなかった」
『バカじゃないの?』『下らないわね』『時間の無駄なのだけれど』ぐらいの返事を覚悟していた。
そういうと風里はフイと横を向き、顔をほんのり赤くする。
「……こういうの入り込むほうなのよ」
あっこれは可愛い。
「シミュレーションゲームとか」
「……すごく好き」
もう可愛いのが確定してしまったぞ。
「それじゃ。休日にわざわざ来て貰ったんだから好きなもの奢るよ」
「ええ、当然ね」
風里はワンランク上のコーヒーと少しお高めのケーキを注文する。
彼女にとってはまったく意味のないことに付き合って貰ったのだから、遠慮なく奢られてくれた方が俺としてもありがたい。
美味いコーヒーを飲みながらお洒落な喫茶店の窓から外を眺め、取り留めのない会話をする。
俺が馬鹿なことを言い、風里が真面目に答え、最後は罵倒風に話を締める。
これを繰り返すだけで面白くて楽しい。
ふと風里の手がテーブルの上で遊んでいたので軽く手を重ねてみる。
彼女はこちらを見たが特に反応しないので持ち上げて手の甲にキスをしてみる。
見下ろすように小さく溜息をつかれたがやめろとは言わず手も逃げない。
ならばと頬に手を伸ばして顔を寄せると手の甲を抓られた。
「キス以上は晴香の許可よ」
「わかってるって」
「えっあの流れから浮気関係いくの?」
「もう最近の学生がわからない……齢なのかなぁ」
主婦達はそろそろ家に戻って旦那の相手でもしてやってほしい。
俺としても晴香を怒らせたくはないし、風里と晴香の友情を壊したくもない。
どうすればそうならずに風里とスケベなことができるだろうか。
そこでピコンと俺のスマホが音を立てる。
「お店ではマナーモードにしなさい」
俺は苦笑しながら音を消して確認する。
晴香からとはタイミングが良すぎるな。
『おはよう誉♡ 起きてる?』
『もう昼だぞ』
既に時間は12時を回っている。
『昨日誉♡があんなに頑張るからー。まだ誉♡が中にいる気がする。部屋にも誉♡の匂いが残ってるぞー』
昨日はかなり頑張った。
おかげで今も下半身にやんわりと疲労感が残っている。
それはそうと俺の名前の後ろに何か見える気がするのは幻視だろうか。
『誉♡ー今なにしてるのー? ご飯食べたー?』
返信しようとしたところで風里のスマホも鳴った。
彼女と俺は無言でそれぞれのスマホを操作する。
『コーヒー飲んでる。昼飯はまだだ』
「こ、こんどは若者らしく会話もせずにスマホ操作……」
「サイ、兵器、浮気、無言……これが今の若者なの!?」
主婦まだいるのか。
良く見ると結構若くて美人だな、チャンスがあれば声かけよう。
指で机を叩く音に目をやると風里がじっとりした目で俺を睨みつける。
どうやら主婦達に向けた感情に感づかれたようだ。
はて1分間隔で来ていた晴香からのトークが止まった。
顔でも洗っているのかな。
『ごめんねー友達と全く同じ内容が来たからびっくりして笑っちゃった』
俺と風里は同時に顔をあげる。
「まったく。スマホを渡しなさい」
「別にいいけど……なんでだ?」
風里は俺のスマホを奪うと何やら確認し始める。
「晴香にとんでもないことをしていないか確認――晴香トロトロになってるじゃないの。まるで貴方の名前の後ろにハートマークがついているみたいよ」
さすがに履歴の確認はプライバシー的にどうなんだ。
「昨日もしたのね……何回したの?」
「5回」
風里は溜息をつく。
「この前まで処女だった晴香を一晩で5回なんてひどい男ね」
ちゃんと満足させたのに。
納得いかないので俺も机の上に放り出された風里のスマホを見てやろう。
彼女がちゃんと気づくように堂々と手に持つが、何も言われなかった。
「はぁ。情報の塊に暗証番号を設定しないわけがないでしょうに」
ふむ、風里ぐらいになると生年月日なんて使わないから……概ねこんなところだろう。
俺は4桁の数字を3度試行して解除に成功、保存されている画像でも眺めている。
「……え?」
「連絡先とかは見ないから心配するなー」
裸の自撮りでもないかと期待したが無さそうだな。
そこでスマホが震える。
また晴香だ。
『豪華な朝ご飯できたー!!』の文章に続いて乗せられた画像は山盛りご飯と300gはありそうなステーキだった。
起きっぱなでこんなの食うのかよ……。
『昨日あんだけ焼肉食って朝からステーキかい!』
思わず突っ込んでしまった。
「双見君……バカじゃないの」
風里に怒られて顔をあげる。
しまった、彼女の携帯で送ってしまった。
風里は即座に鳴動を始めた俺のスマホを投げて返してくる。
言うまでもなく晴香から……ビデオ通話だ。
マナー違反を承知でつい出てしまう。
映った晴香はいつもの美貌だ。
起きっぱなでこれということは化粧せずにこの顔なのか、すごいな。
『誉♡……じゃなかった。誉さんちょっとよろしいですか?』
「おう。今喫茶店だからちょっと外に出るな」
席を立つがその間もない。
『その前に周囲360度をぐるりと映して』
どうせもうバレているので風里をドアップで撮ってやろう。
風里は優雅にコーヒーを飲みながらピースサインを向ける。
『すぐに行きます。店を教えて』
俺と風里が笑ってしまうとフンギャーとすごい声が聞こえた。
「すぐ来るってさ」
「晴香は本当にすぐ来るわよ。店の前で待ちましょうか」
俺と風里は静かに立ち上がる。
「ねえ今の浮気ばれたんだよね? なんであんな落ち着いてるの!?」
「しかも今から三人で遊びましょうみたいな……み、乱れてる最近の若者!?」
主婦が可愛い。
さすがにここで声をかけたらリンチにでもされそうなのでやめておく。
外に出て陽光の下で改めて風里を見ると学校や奈津美を助ける時とは違って全身がお洒落だ。
全ておろしたてのようにも見える。
「すごいお洒落だな」
「今更だけどありがとう」
皮肉を込めて礼を言う風里に謝りながら笑う。
『――ない!』
背後から何やら叫び声がする。
『――ぶない!』
「危ない」と聞き取った瞬間、俺は風里を抱き締めて壁に押し付ける。
そして小さな悲鳴を聞きながら叫び声の方向に目をやる。
「おいおい……」
なんとワゴン車がすごい速度でこちらに突っ込んできていた。
しかもあの速度なのにまったく音がしない。
「うわぁぁぁぁ!」
そのワゴン車を運転手と思われる青年が叫びながら追いかけている。
そういえばさっき風里がくれた地図の傾斜道路にここも含まれていたな。
結構な勾配だったはずだ。
「さてはサイド引き忘れたな……」
ワゴン車はかろうじて歩道には突っ込まずに車道を進み――。
「あーあ外車にいった。次はあれイタリアの有名な……うわー」
ワゴン車は駐車していたドイツ製の高級外車にぶち当たり、軌道を変えて信号待ちをしていたイタリア製のスポーツカーに追突、それでも勢いは止まらず、突きあたり高級家具屋のフェンスを紙のように引き裂き店内へ突っ込んでいった。
幸いにして目に見える範囲にけが人はいないようだが。
「……自業自得とはいえ悲劇ね」
「ああ」
頭を抱えてしまった運転手から目を逸らす。
「ところでいつまで私を抱き締めているのかしら」
「途中でこっちに来ないとわかったんだけど良い匂いだったからもったいなくて」
俺は風里を解放して服を確認する。
少し埃がついているだけ、綺麗で滑らかな壁で良かった。
「あと腰を押し付けて来たのもわざとでしょう?」
「最初は咄嗟に。途中からはわざとかな」
風里は俺の鼻を弾く。
「……だそうよ晴香」
「はぁはぁ……おのれ誉……昨日あれだけしておいて朝には苺子へモーションかけるなんて……」
電話からまだ10分も経っていないのに徒歩でこの速度とは晴香の運動能力とんでもないな。
あとなんか油で汚れた紙皿持っているんだが、まさかステーキ食いながら来たんじゃないだろうな。
俺は両手をあげて降伏のポーズを取る。
晴香と何故か風里からも鼻や頬っぺたを抓られながら、視線は破壊された外車とフェンスから離さない。
あのワゴン車はサイにも匹敵する重量の外車を損傷させ、鉄製のフェンスを易々と突き破った。
エンジンがかかっていなかったのでほぼ無音、かつ当然ながら無人だった。
『裏』の車は既に一年以上放置されている。
鍵がなかったり壊れていたりガソリンがなくなっているものだらけだ。
しかしただ坂道を転がるだけでいいのなら……。
「いくらでもある」
思わず顔が笑ってしまった。
主人公 双見誉 市立両河高校一年生(肋骨完治まで9日)
人間関係
家族 父母 紬「姉」新「弟」
友人 那瀬川 晴香#13「トロトロ」三藤 奈津美「胸やけ」風里 苺子「サイ」高野 陽花里「彼氏?」江崎陽助「勝利」
中立 元村ヨシオ「孤独」
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経験値29
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