第2話 再会 4月12日
――?
夢、これは悪夢だ。
血のように赤い紅葉がヒラヒラと舞い落ちる中。
初雪のように白く美しい女が俺の上に乗る。
長い銀髪が振り乱され汗が飛び散る。
ゆっくりと倒れ込む美女を抱き締める。
こいつは俺の女だと、俺はこいつの男だと知らしめるように。
女の口が開く。
「二人ぼっちだね」
返事をしたいのに口が動かない。
「ずっと一緒に生きていこうね」
肯定したいのに動けない。夢のはずなのに何もままならない。
女の顔が黒く抜け、のっぺらぼうのようになってしまう。
今度は見たくなくて目を閉じる。何が起こるのかは嫌と言うほど知っている。
でも目を閉じても毎回全てが見えてしまう――。
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4月12日(月)昼休み
「どうして誉はジャージなんだ?」
当然の問いに机に突っ伏したままの姿勢で答える。
「懇親会の帰りに田んぼに落ちた。むしろ昼休みまで聞かれなかったことにびっくりだ」
泥の塊になった制服はクリーニングから帰ってきていない。
無気力の漲る腕でスマホを掲げる。
「どうした?」
「スマホも壊れたんだ。クラウド使って無かったから電話番号とか再登録頼む」
笑うソイツを睨みつけた。
【江崎陽助】中学時代からの友人だ。
身長175cmでがっしりした体格、整った顔、明るい茶髪に負けない快活な性格、中学ではバスケ部でレギュラーとモテる要素しかなさそうな男だが彼女はいない。
案の定、仲良くなろうと機会を狙っていたらしい隣席の女子が会話に入って来る。
「江崎君って懇親会来てなかったよね? ID交換しようよ」
「ああ、いいよ」
照れる女子と微笑む陽助、新たな学校、新たなクラス、新たな出会い……恋が始まらないほうが不自然なぐらいだ。
だがならない。
残念ながらそうはならないのだ。
「可愛い子だな」
「あぁ。あの娘とも一年間仲良くできるといいな」
下心の欠片もない綺麗な笑顔が帰って来る。
「初っ端から好感触だったろ。アプローチしてみたらどうだ?」
「俺の恋愛対象は年上だからなぁ。年上のお姉さん、いいよな」
本来は大いに理解できる言葉だ。
二年、三年の先輩、あるいは女子大生……健全な男子高校生なら嫌いなはずはないし俺だって大好きだ。
だが何事にも限度というものがある。
「コンパ好きの女子大生」
「ピクリともしないな」
陽助は問題外と首を振る。
「二十代のナース」
「まだまだ……もう一声」
次を期待して腕を組む。
「三十路キャリアウーマン」
「その辺りから恋愛対象になってくる」
「アラフォー女将」
「その辺りだよなぁ女盛りは! ドストライクだぜ!」
陽助が天を仰いで立ち上がる。
イケメンが台無しになるほど気持ち悪い。
「五十を超えるとさすがに歳の差が気になってくるな。もちろん全然いけるけれど」
本当にモノには限度というものがある。
「ちなみに女子高生は?」
「子どもじゃねーか変態かよ」
同い年だよと突っ込む前に気力が尽きたので下らなさすぎる話を打ち切り再び机に突っ伏す。
ふと隣の会話が聞こえてきた。
男子三人で女子のランキング付けでもしているようだ。
「A組で一番はやっぱ水谷さんだよな」
「美人だしスタイルもいいもんな~。なんてか雰囲気もエロいし」
「金髪でちょっとヤンキーっぽいのも逆にくるよな」
そうそう水谷のキツイ感じの顔に金髪が良く似合っているんだ。
制服を着崩しているせいで色々見えやすいのも良いよな。
「次点は町田さんかなー。顔は高野さんと迷うとこだけど、おっぱいの差で!」
「町田さん背ちっこいのに胸でかいもんな。体全部も軟らかそう」
「地味系でオドオドしてるのも押せばいけそうでムラっとくるよな」
町田は街で探してもまずいない程の巨乳だ。
ややぽっちゃり体型なのも抱き締め甲斐がありそう。
「僅差で高野が三番として、四番目は……」
なかなか難問だが高身長でクール巨乳の佐伯、ボーイッシュで無防備な小林、ぶりっこロリ系の清水、この辺りがくるのではなかろうか。
「誉ってかなりのスケベだよな」
突然陽助が馬鹿なことを言い出した。
「あいつらの話に合わせて頷いたりブツブツ言ったり丸わかりだぞ」
口に出ていたのか、気をつける。
「でもさ、お前見たか? C組の……」
「見た! あれはやばい。入学式で目が合って時間止まったもん。顔もスタイルも反則だわ」
「A組って全体レベル高めだけど、あの子一人でC組にまくられるレベルだよな――」
三人組の話が盛り上がってきたところで勢いよく教室の扉が開かれ、会話が止まる。
もう昼休みは終わりなのかと顔をあげたところで彼女と目があう。
「……居た」
一直線に俺の方へ向かってくる女の子。
「え、誰?」
「あの子C組の?」
「すっげえ美人……」
クラス中の視線もざわめきも意に介さずに駆けださんばかりの早足で。
「君、誉の知り合いなの?」
陽助の問いにも答えず、絹のような髪をなびかせ、宝石のような瞳で俺だけを見つめながら。
「やっぱり同じ学校だった」
彼女は机の前に立つ。
忘れるはずもない。
金曜の夜はそれなりの騒ぎだったし、このレベルの美女が記憶から消えるはずがない。
「良かった」
美女は微笑み、俺の手を引いて席から立たせる。
「ん」
美女は俺の前に立つと突然両手を広げた。
「ん?」
つられて同じように手を広げる。
次の瞬間、軟らかく温かく良い香りまでする体が胸の中に飛び込んで来たのだった。
クラス中から驚きの声があがる。
冷やかしや煽るような声ではなく人間が本当に驚いた時に漏らす呻きにも似た声だ。
そして腕の中に居る美女はそんな雑音など意に介さず、腰に手を回してさらに強く密着してくる。
状況は理解していた。
金曜の夜に助けた美女は同じ学校の生徒だったわけだ。
理解した上で驚きだ。
お礼を言われるぐらいは予期していたが突然のハグ、しかもここまでがっつり来るとは思わなかった。
驚きはもう一つ。
「すごいサイズだ」
言いながらつい美女の背中に手を回してしまう。
「事情は一切わからないが、おっぱいの感触を述べる場面じゃないと思うぞ」
陽助が余計な突っ込みを入れると同時に腕の中の美女が笑ってハグを終わらせた。
もう少し続けたいが、これ以上粘るとスケベと思われかねないので止む無く背中に回した手を放す。
「私のこと覚えてるよね」
美女は俺の目をしっかりと見ながら言う。
「ああ、もちろん」
同じ高さにある彼女の目を見て返す。
それにしても、と心の中で呟いた。
暗闇の中でも美人だと分かっていたが、明るい場所で見ると目を疑うほどだ。
意志の強そうな切れ長の目を長いまつ毛が飾り、鼻は高く美しいラインを描いている。
顎のラインも耳の形もとても美しく、亜麻色の髪が時折顔の前を流れ、淡い香りを漂わせる。
制服をこれでもかと盛り上げる胸、そこから思い切りくびれて生地をだぶつかせる腰、学校指定のスカートがミニに見えるほど長い脚、俺と身長はほとんど変わらないのに腰の位置だけ目に見えて高い。
顔立ちは女優顔負け、スタイルもモデルと比べて遜色ないどころか勝るだろう。
顔も体も良い意味で『かわいい』の言葉が似合わない。
似合う言葉は……これだ。
「綺麗だ」
思わず口に出してしまった。
さすがに恥ずかしいと思うも吐いた言葉は飲み込めない。
事実なので訂正するのもおかしい。
美女は目を丸くした後、少しだけ照れたように微笑む。
「ふふ、ありがと。君もすっごく恰好良かったよ」
正面から褒め返される。
少し気恥ずかしいがこういうの気分が良いな。
世の中のカップルは照れずにもっとお互いを――。
「おーい、二人の世界に居るところで悪いんだが」
陽助が俺と美女を交互に指差しながら言う。
「誉の恋人か? 友達のつもりだったのに全く知らなくて割とショックなんだが……」
途端に静かだった教室が一気にざわめき始める。
隣同士で盛り上がる女子達、無駄に奇声をあげて騒ぎまわる男子、すごい勢いでスマホをタップする奴に複雑な顔で俺を睨んでくる男……。
陽助め余計なことを――と言いたいが教室に来るなりのハグからお互いを褒め合いだしたのだから時間の問題か。
ともあれ誤解は解いておかないといけない。
「いや、別に付き合ってない」
「付き合ってないのに突然抱擁かましたと?」
変な言い方をするなっての。
教室の雰囲気が一層おかしくなってるだろう。
そもそも付き合う以前の問題だ。
「ええと……とりあえず先輩と呼んでおけばいいのかな?」
目下俺が彼女について知り得る情報はスタイルの良い美女ということだけだ。
美女は「ふぇ」と呆けた顔で言った後、ポンと手を打つ。
「ごめん自己紹介まだだったね。【那瀬川 晴香】貴方と同じ一年だから」
美人すぎるから年上かと思ったが同学年だったのか。
「俺は――」
「――うん。よろしく」
俺からも自己紹介を返して握手、とりあえずこれで知り合いにランクアップしたぞ。
後はこれから宜しくねと言って別れるところだが盛り上がったクラスの連中は止まらない。
「名前も知らない関係なのに突然ハグってなに!?」
「二人はどこで知り合ったの!?」
「まさか前世の記憶が――」
嵐のような質問が飛ぶ中、陽助だけは何を感じたのかそれっきり追及してこなかった。
変なところで勘が鋭い奴だ。
「あーなんといったものか」
俺達の関係を説明するには金曜の出来事を話さなければならない。
那瀬川は明るく振舞っているものの高一の女子だ『男三人に夜道で犯されかかった』なんて相当なショックだったはずで、大勢の前で公表されたくはないだろう。
どう整合性のある嘘を吐いたものだろうかと考えていると那瀬川がすっと前に出る。
「金曜の夜にね。男三人に襲われてレイプされそうになってさ」
「え、マジ?」
「ひっ」
「双見やっぱり可愛いから……」
騒いでいた男子が気まずそうに黙り、女子達からは小さな悲鳴が漏れる。
それと一人、俺がじゃねえよ。
本人から言い出したらどうしようもない。
俺は脳内で積み上げていた嘘話を解体する。
「抵抗したら殴られて服破られて車に乗せられて……」
何とも言えない気まずい沈黙。
「もうやられちゃうなって思った時……双見君が助けてくれたんだ。たった一人で」
言いながら那瀬川は俺の手を握る。
「本当は自己紹介なんかより最初にお礼を言わないといけなかったよね」
深々と頭が下げられ、長く綺麗な髪が床につきそうな程垂れる。
「ありがとう。貴方のおかげで酷い目に合わずに済みました。本当に、ありがとう」
「おう。どういたしまして」
数秒遅れてパチパチと拍手が鳴り始める。
更に数秒遅れてざわめきと「ヤッベー! 双見マジヤッベー!」との奇声……同じようなのが犯人側にもいたからやめてくれ。
「昼休み終わりだぞー席につけぇ」
騒ぎの只中、間延びした声と共に中年の数学教師が入って来る。いつの間にか五限目が始まる時間になっていたようだ。
那瀬川がクスリと笑って顔をあげ、俺も合わせて笑う。
「お前C組の那瀬川か? 早く教室戻れよー。……なんだこの雰囲気?」
「村城センセーこのタイミングはないわ」
「空気読んでよー」
それは理不尽だろうと思いつつ席に戻ろうとすると那瀬川が耳元で囁く。
「お礼がしたいから放課後校門前で待ってる」
お礼なんて、と返す暇もなく那瀬川は早足で自分の教室へと戻っていく。
美少女に誘われて断る理由はないので行くけどな。
「グッジョブ誉。新入早々またやったな、ほらご褒美」
席についた俺に向けて陽助が拳を突き出す。
拳で応じると握っていた飴をくれた。
「ミルク飴じゃねえか。軟らかくなってんぞ」
野郎の手の中で軟らかくなった飴とか褒美じゃなくて嫌がらせじゃねえか。
地味に美味いなこれ、気持ち悪いけど。