第21話 三脚【裏】
俺とカオリは姿勢を低くしながら金属製シャッターの前に屈み込む。
この4階建てビルが目的地だ。
「○○商会、ここで間違いない」
「シャッターが閉まってる。あけるの?」
俺は首を振る。
「さすがに音がでかすぎるだろ。ここは大通り沿いだからやらかしたらさっきの比じゃない数の怪物が押し寄せてくるぞ」
俺は言いながら締まったシャッターの近くを確かめる……あった。
非常口を発見、こちらも鍵が締まっていたが、ナタを差し込んで留め具を圧し折る。
それなりの音がしたがシャッターを開ける轟音よりはかなりマシだ。
「行くぞ」
俺はカオリ、そして少し離れたところにいたソフィアにも合図してオフィスへ入る。
「……なんか知ってる感じ」
「外から見たことがあるだけだよ」
実際は『表』の方で建物間違えたふりをして中まで入った。
しかし普通に呼び止められて全部屋は回れなかったしゾンビが中にいるのかはわからないから慎重にだ。
オフィスの一階は駐車場、二階は総務経理など管理部門、そして三階には営業部の札が張られている。
「あるとすればここ……ビンゴだ」
ダンボールに入った複数本のボンベを見つける。
「客先サンプル」の文字も予想通りだ。
「こっちにもあった!」
「ここにも!」
カオリとソフィアも思わず大きな声をあげてから自分で口を塞ぐ。
俺は数秒静止して耳を澄ませる……特に何もない。
社内はまったく荒れておらず血の跡もなかった。
入り口のシャッターと鍵がそのままだったことを考えると、当時たまたま休業していたのかもしれない。
だとすればこれは非常に美味しい。
俺と女の子二人がカバンいっぱい詰めてもまだまだボンベは残っている。
ゾンビが入り込まないよう入り口をしっかり封鎖しておけば貴重なガスを安全に取りに来れる場所になりそうだ。
「えいっえいっ! もう入らないよ」
「もっといっぱいに詰めよう。ガスなんて次いつ取れるかわかんないし」
二人もリュックに限界までボンベを詰め込んでいる。
無茶をしたら破れて全部パーになるかもしれない上に、バランスがおかしくなって危ないのだが……言っても聞かないだろうな。
念の為に全室をチェックしながら歩いていると一つだけ鍵のかかった部屋があった。
「役員室……」
さすがに役員室にボンベは置かないだろうが何故か気になりドアノブを破壊して入室する。
他よりも豪華な机と椅子とソファそして壁には絵画がかかっているだけで特に変わったところはない。
俺は役員用デスクのカギを破壊して全ての引き出しをあける。
「上半期営業報告……いらない。従業員勤務評価……いらない。浮気調査票……気の毒に」
ゴミを押し退けていく。
「セキュリティロックパスコード……?」
明らかに他の紙とは違う材質のそれを拾い上げる。
このオフィスのセキュリティロックだろうか?
いやその程度のものを役員がわざわざ施錠した引き出しに保管する意味はない。
だとすればどこの……。
「ねえ! ねえってば!」
カオリの声に気付き、俺はその紙をポケットにねじ込む。
駆けつけるとカオリが窓の外でしゃがみ込み、俺を手招きしていた。
意を察してこっそりと外を覗くと数十体のゾンビが集まっている。
「何かヘマを?」
「ううん。突然いっぱい現れてオフィスの前で止まっちゃったの」
ゾンビは何者かを追っており、たまたまオフィスの前で振り切られたってことか……運がない。
「まあこっちに気付いていないなら、このまま散る可能性もある。少し待ってみようか」
少なくとも強行突破するより危険は少ない。
入り口も一応締めているし、注意を引かなければ入ってくることはないだろう。
それほど切迫した事態でもないはずだ。
俺達はオフィスの椅子に並んで座る。
俺はボンベの本数と重量を確認して移動に問題がないことを確認する。
カオリはややボロくなった靴を脱いで軽く叩き、壊れそうにないか確認する。
そんな中でソフィアがか細い声をあげた。
「あの、どうせだから自己紹介しませんか? まだ名前も聞いてないです」
そう言って俺を見つめるソフィアの瞳は綺麗な青色だ。
「まず私からいきますね。クラキ・ソフィアといいます。今年で中学二年……はもう無いので14歳です。見ての通りお父さんが日本人、お母さんがイタリア人のハーフで――」
俺より二つ下なのかと頷きながらソフィアを更に観察する。
身長は155cmに届かないぐらい。
あまり食べられていないせいか少し痩せ型に見えるが、胸の膨らみや腰のくびれ、太ももの肉付きを見るに本来のスタイルはかなり良さそうだ。
髪は邪魔にならないようポニーテールにまとめた長めの金髪、目は綺麗なブルー、ハーフだとはっきりわかる顔立ち……目は大きくぱっちりしてまつ毛は長く、鼻もスラリと高い、白い肌に桃色の唇が映える相当な美少女だ。
「一応、ジュニアアイドルやっていたんですけれど知りませんよね? ……マイナーでしたからね」
今で中二ならアレの前だと小学生のアイドル……さすがに興味は無かったな。
「すまん。でもどうりで可愛いと思った」
『表』最強美人の那瀬川晴香と比べても見劣りしない。
見た目ステータスを全部美人方向に振り切った那瀬川に対して、ソフィアは美人5割、可愛さ5割と振り分けた感じだろうか。
「ソフィアと呼んで下さいね」で自己紹介が終わり、ソフィアはカオリの背を押す。
「瀬田カオリ。今年で高校二年――17歳よ」
俺より一つ上だ。
「別に何か特別なことはないけど……中学の時に総体で県内優勝したぐらい」
「すごいじゃないか」
褒めるとフンと顔を逸らしながらも満更でもない顔をしている。
きっと足が自慢だったんだろう。
「まあ足の速さには自信があるからゾンビなんかには追い付かれないから」
気分良さそうに言うカオリを観察する。
身長は160cmを少し超えるぐらい。
ソフィアと同じく痩せているものの、太ももなどはくっきりと筋肉が浮き出すほど鍛えられていて、見るからに運動能力が高そうだ。腹筋も割れていそうだな。
髪は自分で切ったのかボサボサの短髪、やや吊り気味の目もあって中性的な印象がある。
強気な口調や態度ともあわせて女の子にもてそうな女の子だ。
その後、俺も二人に自己紹介してよろしくとグローブを脱いで手を差し出す。
ソフィアはニッコリ笑って受けてくれたのだが、カオリが俺の手を掴んで先に握手する。
「そんな急がなくても次はカオリとするのに」
「違う! ソフィアに何かしないか確かめたの!」
生存者同士は決して味方ではないとはいえ、服屋では助けてあげて彼女達が見つけた食料も分けろとは言わなかった。
ゾンビと遭遇した時もちゃんと教えたし貴重なガスが取れる場所も躊躇なく教えた。
ここまで警戒されるようなことはないはずなんだが。
するとカオリの手を押さえて、改めてソフィアが俺と握手する。
小さく細い手は荒れておらずスベスベで温かい。
「ごめんなさい。やっぱりカオリこの人――誉さんは大丈夫、信じようよ」
「う、でも……」
俺自身は嫌われるようなことは何もしていない。
せいぜいカオリの太ももを眺めたり、ソフィアのふわふわしていそうな胸や尻を盗み見ていたぐらいだ。
それなのにこれほど拒絶されるということは女の子二人、過去に何かあったんだろうな。
「良ければ話してくれ……まだもうちょっとここにいないといけないみたいだし」
窓から外を覗くとゾンビの数は心持ち減って……いると信じたいがまだ駄目だな。
口を開こうとするソフィアを押しとどめ、カオリが話し始める。
「私とソフィアは『アレ』の前は完全に他人だったの。知り合ったのは避難所の体育館……が怪物にメチャクチャにされてなんとか逃げる途中」
ソフィアは思い出したのか体を震わせてカオリの背中に張り付く。
「で、色々あって私達の他に5人の男の人と一緒に頑丈そうな民家にバリケード作って立て籠ったの」
総数7人は少し多めながら、ありがちな生存者だ。
やはり少女二人だけでは一年生き延びるのは厳しい。
「私は男達に言われるまま荷物運びとか、足が速いから囮とかもさせられて……でもソフィアは」
言いにくそうにするカオリを遮ってソフィアが続ける。
「私は力も無いしカオリみたいに足も速くなくて……特技なんてお裁縫とお掃除、お料理ぐらいで」
ソフィアの外見でその特技なんて『表』ならどれだけモテるだろう。
しかし残念ながらどれも『裏』ではあまり意味のない特技だ。
「それで調達ができないなら全員のエッチの相手をしろって……」
俯くソフィアの言葉をカオリが続けた。
「あいつらソフィアが嫌がるとご飯を減らし出したの。それでこんなに痩せちゃって!」
カオリが憤る。
「だからもういいやって受けようとした時に」
「私が腕を引いて二人で飛び出したの。その後は……色々点々としながら移動して、ようやく今の場所を見つけたの――絶対教えないけど」
カオリの判断は明らかに衝動的で間違っていたように思う。
望まない相手に体を求められるのは酷く不快だろうが、そこは交渉材料を用意して引き延ばしながら策を練るべきだった。
あるいは最悪、甘んじて受けつつ逆転の機会を待つ方がまだ良い。
女の子二人で準備無く飛び出して生き残れる確率は低すぎる。
「すごい。ソフィアを守りきったんだな」
それでも二人はここにいる。
路上に臓物をぶちまけるでもなく、ゾンビに咀嚼されるでもなく生きている。
ならカオリは正しかったのだろう。
「すごいなカオリは」
もう一度ダメ押しに言ってやるとカオリはそっぽを向きながらも耳を赤くし、ソフィアはそんな彼女の顔を見て微笑む。
「よろしければ交流しませんか? そちらの拠点と私達の拠点を教え合って、物資の交換とか調達の途中で陽が暮れそうになったら逃げ込んだり、持ち切れないほど物資がある場所を見つけたら一緒に……とか」
ソフィアが俺の目を見ながら言う。
お互いの拠点を教え合うのは生存者にとっては最上級の交流だ。
監視されて調達に出た隙に物資や拠点そのものを奪われる危険もある。
それだけソフィアが俺を信頼してくれていると思うと嬉しいのだが……。
俺は戸惑いを察されない一瞬の間に考える。
だがその一瞬の思考が終わる前に雰囲気が変わったのを感じる。
「なんだ?」
俺は目を閉じて回答を待つソフィアを押し退けて窓を覗く。
「どうしたの?」
俺の豹変に気付いたカオリも続き、ソフィアは困惑しながらもおそるおそるついてくる。
眼下では少しずつ数を減らしていたゾンビが突然一方向に向かって歩きはじめていた。
「誰か来たのか……余計なことを」
思わず悪態を吐きそうになったが現れたのは足を引きずる白いゾンビ……?
ゾンビ達がゾンビに襲い掛かる。
だが組み付いた瞬間、肉の潰れる音がして一体の上半身が折れ曲がった。
更に音は続き、一体は首から上が無くなりもう一体は高々と跳ね上げられる。
「はぁ?」
思わず声を漏らした俺と三階の高さまで跳ね上げられたゾンビの目が合う。
ゾンビは俺に向けて手を伸ばしつつ、頭から落下して動かなくなる。
どうしてゾンビ同士が……。
「いや違う」
ゾンビを蹴散らす一体の足音がおかしい。
というより窓の閉まった三階まで足音が聞こえてくる時点でおかしい。
ゴトゴトとまるで満タン詰まったタンスでも動かしているような音だ。
よく見るとそいつの両腕は異様に肥大化、腕だけボディビルダーのような奇妙な体型になっている。
なにより最大の特徴は大きく長い尻尾……。
いや、あれは脚だ。
かなり造形は変わっているが嫌な感じに見覚えがあるぞ。
俺が何か言う前にカオリが短い悲鳴をあげる。
「さ、三脚……」
俺はカオリの肩を掴む。
「アレを知ってるのか?」
「逆に知らないの? 貴方本当に生存者!?」
知ってはいるが前はあんなんじゃなかった。
それに今月はシズリ以外との交流がなかったからな。
「アレは最近……ここ一か月ぐらいで急に出始めた怪物でみんなは【三脚】って呼んでる! とにかく力が異常に強くて――」
目の前で一体のゾンビが胴体を殴られ体が真っ二つになる。
人体を拳で引き裂くなんてどんなパワーなんだ。
「ゾンビの群れに耐えられたバリケードがそこら中で破られまくってるの! 後はとんでもなく頑丈で大人の男が殴っても突いてもびくともしない!」
三脚はゴトゴトと音を立てながらゾンビ集団の真ん中に進んでいく。
たちまち数体のゾンビが掴みかかるが揺らぎもしない。
俺の見た時とは違い、極端に肥大化した三本目の足を中心に他の足の位置も変化している。
名前通りカメラの三脚のよう……もちろん太さと禍々しさは段違いだが。
その三脚化した足が体のバランスを完全に保っている。
更に白っぽく変色した肌はゾンビに噛みつかれても出血すらしてせず、三脚が腕を一振りすると全てのゾンビが吹き飛び、折れ曲がった。
「なによりやばいのは――」
周辺のゾンビを一掃した三脚がフラフラと首を振りながら虚空を眺めている。
目があった気もしたが、こちらは三階かつブラインドの隙間から見ているので相手が人間でも見つかるはずはない。まして感覚の鈍い怪物なら――。
「三脚は熱を感知できるみたいで声を出さずに隠れていても襲われて全滅したグループが――」
俺はカオリを見て一度瞬きしてからもう一度三脚に目を移す。
一階のシャッターが吹き飛ぶ音が聞こえた。
「そういうことは怪物紹介の一番最初で言って欲しかったなぁ!」
俺は怒鳴りながら立ち上がり荷物を放り投げる。
既に重厚な足音が階段を上る音が聞こえていた。
「は、早く逃げないと!」
ソフィアが慌てて立ち上がる。
状況は非常に深刻だ。
「このオフィスの出口は階段だけなんだ」
屋上はあるが逃げても追い込まれるだけでなにも解決しない。
既にゴトゴト音は二階まで達している。
三脚化した足のせいで安定感が増してゾンビより早く階段を上れるようだ。
「こ、このままじゃ三脚に!? あれと戦って無事だった人いないよ!」
ソフィアが真っ青、涙目になる。
ここに一人いるから絶望でもない落ち着け。
「わ、私が気を引くから――」
カオリには残念だが多分一秒持たない。
勇気は買うが意味がないので大人しくしていろ。
俺は大きく息を吸いこんで吐き戻す。
隣の建物――どちらも6階建てで飛び移るのは無理。
バリケード――金属シャッターを一撃で破る相手に無意味。
飛び降りる――三階から跳んだら普通に足が折れる。外にはゾンビがまだいるので出前になる。
攻撃――ボンベはある。
「火に弱いとかないか?」
「ないわ。むしろ火の海でも平気な顔で歩くみたい」
ならダメ。
「よし決まった」
俺は腰のロープを外し、オフィスに放置されていた電話機を括りつける。
「まさかそれで戦うの!?」
「んな訳あるか」
結び終えると同時に俺は椅子を持ち上げて大通りに面した窓を叩き割る。
次の瞬間、オフィスの壁が吹き飛び、ゴトゴトと音を立てて三脚が現れた。
扉ではなく壁を被るとはとんでもない。
俺は窓から下を覗く。
ゾンビは多くが三脚に蹴散らされたが、積極的に殲滅する意志は無かったのだろう、結構な数の生き残りが破れたシャッターから中に入ってきている。
窓にロープをかけてゆっくり下に降りたら今度は奴らの餌食だ。
俺はロープを振り回して投擲する。
重りのついたロープは上手く電柱の変圧器付近に巻き付いた。
両河の電線地中化が遅れてて本当に良かった。
「掴まれ、跳ぶぞ」
「切れないのそれ!?」
ソフィアは戸惑いなく俺の体にしがみ付き、カオリも文句を言いながらロープに捕まる。
「わからない! ゾンビを飛び越えられればそれでいい!」
言いながら俺は勢いをつけて跳躍する。
次の瞬間、三脚が殴り飛ばしたのか頭上をオフィスデスクが通り抜ける。
間一髪だった。
俺とソフィアの体重でグローブをつけた手が滑りそうになるが限界まで握り込んで耐える。
手袋のないカオリの手は擦れて出血しているが今は我慢してもらうしかない。
俺達はゾンビの頭の上を跳び越え、そのままターザンのように――。
そこで電柱にひっかけていた電話機が俺達の体重に耐えられず壊れて外れ、三人まとめて落下する。
「ぐふっ!」
俺はソフィアを庇いながら落下し地面に叩つけられた。
更に落ちてくるカオリをなんとか受け止めた瞬間、肋骨な嫌な音を立てた。
「……これが歴史の必然か」
「いきなり何!? それより早く立って! 奴らが来る!」
カオリの言う通り呻いている時間なんてない。
俺は歯を食いしばって立ち上がり、痛みを堪えながら歩きだす。
「ご、ごめんなさい。私が荷物全部持って来たから! 忘れているのだと思って……」
ソフィアは俺の分の荷物まで持っていた。
放棄したつもりだったのだが重いはずだ。
「私も……ごめん」
カオリも自分の荷物はしっかり抱えていた。
言いたいことはあるがもう済んだことだし、物資調達が無駄にならなかっただけ良しとしよう。
「もういいさ。とりあえずは俺のマンションに行く。それでいいな?」
冷や汗を垂らして余裕なく言う俺に二人が反論することはなかった。
主人公 双見誉 生存者
拠点
要塞化4F建てマンション丸ごと 居住4人
人間関係
シズリ「同居人」#15 カオリ「居候」ソフィア「居候」
備蓄(4人換算)
食料6日 水6日 電池バッテリー6週間 ガス2か月分
次回更新は明日水曜日18時頃予定です。