第1話 運命の出会い 4月9日
4月9日(金)表
「今日は楽しかったなー。企画した奴ナイスだわ」
「だよねっ最初は焼肉で親睦会ってなに~って思ったけど良い意味で予想外だった~」
ワイワイと騒ぎながら外に出ると辺りは真っ暗だった。
買ったばかりの最新スマホで確認すると八時過ぎ、高校生が解散するには健全な時間内と言えるだろう。
この春、俺は晴れて市立【両河】高校一年生となった。今日は一年共に過ごす仲間との仲を深めようと企画されたクラス懇親会だったのだ。
懇親会などと言うと大層に聞こえるものの、要は学校終わりに駅前のカラオケに行き、美味いと評判の焼き肉屋で飯を食って騒ぐ会だった。
俺は騒ぐのはそれほど好きじゃないものの、さすがにクラス最初の集まりには出ておくべきだろうし、それができない程非社交的でも無い。肉を焼きながらクラスメイトの顔と名前、ついでにざっくりとした性格も把握出来たから来た意味はあっただろう。
「じゃーここでA組懇親会は解散とします! みんなこれから一年よろしくぅ!」
誰かの明るい声が締め、それを合図に別れの挨拶が乱れ飛ぶ。
「えっと、たしか【双見】だったよな? 今日は来てくれてサンキュな。また月曜学校で」
クラスメイトの一人が俺に話しかけてくる。
確か懇親会の言い出しっぺだったはずだ。
「あぁ企画お疲れ。来週また学校でな」
【双見 誉】(フタミ ホマレ)漢字はやや珍しいが口に出すとそうでもない普通の名前だ。
「というか双見は歩きなのか。家この近所?」
「それなりに距離はあるんだけどな」
俺は自転車通学だ。
本来ならこの場にも健全な高校生らしく自転車で来るはずだった。
「今日、学校の駐輪場で釘踏んでパンクしたんだよ。押して帰ろうとしたらチェーンも切れた」
さすがにチェーンが切れてしまうと自力での修理は無理、さりとて、新クラス初っ端の集まりをドタキャンは弊害が大きすぎると考え、仕方なしに歩いて来たのだ。
「はは、運悪いな。同じ方向なら後ろ乗ってくか?」
俺は微笑みながら首を横に振る。
「焼肉食い過ぎたから腹ごなしに歩いて帰るよ」
特に仲良くもない相手の後ろに乗っても気まずいので角が立たないよう断る。
「オッケー。でもそっちの道は田んぼと畑ばかりでなんもなくて暗いぞ。痴漢も結構出るらしいし気をつけろよ? 双見も角度によっては割と……いけるかも?」
「アホなこと言うなっての」
何故か反応して声をあげる女子数人を冗談っぽく睨みつけ、じゃあなと挨拶して帰路につく。
足を進めるうちに背中に聞こえていたクラスメイトの奇声とも歓声ともつかない声が徐々に小さくなっていく。
両側に見えていた商店やコンビニが民家へと変わり、やがてそれも途切れ途切れとなり空き地や田畑が目立ち始める。
「本当に何も無くて暗いな」
試しに地図アプリを開いてみると、この先は延々と一本道が続くだけで店も何もない。
いや、ずっと先に何か施設が……マッスルメンジムってなんだよ。なんでこんな所にジムがあるんだ。
まあ何もない一本道なら道を間違えることもなし、車が来てもすぐ分かるから道のど真ん中を考え事でもしながら歩こう。
「パンクまではともかくチェーンが切れるってなんだ。あっちだったら相当やばかった」
人も居らず住宅も無いので、でかい声での独り言も許される。
「おまけにあいつめサボりやがって」
中学時代からの友人でクラスも同じになった奴が来ていれば二人乗りでもなんでもしていたのに。
ここまで口に出してふと気づく。
「ざわざわするな……」
直感が警告音を立て始めた。足を止めないまま周囲を確認する。
曇っていて月は見えない。
街灯の間隔は広く、故障して消えているものまであって道は暗い。
両側は空き地と畑と水田、早場米なのか四月半ばなのに既に水を張っていた。
異常なことは何一つない。至って普通の春の夜の光景だが、俺は小さく息を吸って整える。
この感じになって何も無かったことはまずない。
それはこっちでも変わらない。
「――! ――!?」
明らかに自然と違う音を聞き取り耳を澄ませる。
「――やめ――放――して!――――」
それが女性の悲鳴だと理解する。
「うるせえ! 声出すなって言ってんだろ!」
引っぱたく音。
「こんな場所に誰もこねえよ。怪我したくなきゃ大人しく股開いとけって、な?」
布が裂ける音とくぐもった……口を押えられたように悲鳴。
そこでようやく音の発生源を捉える。
道路脇の空き地で女性が男二人に押さえ込まれていた。
両手両足を押さえつけられ、胸元を破られ、ズボンは膝下まで引き降ろされている。
「黙ってればすぐ終わるって。おっと、こいつやたらと力強いぞ。気をつけろよ」
「二回りぐらいしたら放してやるってよ。おっほーやべえぐらい胸でけえわ……へへへ」
男達は抵抗する女性をもう一発ビンタした。
どう見ても合意の行為ではあり得ない。
二人だろうか?
いや近くにとまっている黒いワゴン車からもう一人降りて来た。
「おめーらグズグズすんなよ。とっととひん剥いて車乗せろや」
「ういっすマサさん。オラ暴れると次はグーで行くぞ」
俺は足を速めながら更に状況を確認する。
相手は大学生ぐらいの齢の男三人。
『マサ』と呼ばれた一人は身長一八〇㎝程度、三人のやり取りからリーダー格だとわかる。
喧嘩にかなり慣れていそうで迫力がある。
運転席から降りて来たことと会話内容から車はこいつの物だな。
女性の下半身を押さえている男は仮に『ゴリラ』としよう。一九〇㎝近い身長でガタイも良い。まともに殴りあっても勝ち目はないな。
上半身の方を押さえている男は仮に『チャラ』としよう。体格は他二人に劣って俺と大差ない。
指示されて動いている一番の下っ端だな。こいつ一人ならなんとかやれそうだが。
とりあえず一番楽な方法から試そうか。
俺はわざと足音を立てて駆け寄り大声をあげた。
「おい、何してる!」
男達は一瞬ビクリとしたが俺を見て一斉に嗤う。
まあ高校の制服だしな。それでも乱暴されかけていた女性は助けて欲しいと目で訴えてくる。
「ガキは引っ込んでろや。とっと失せねえとぶっ殺すぞ!」
マサがドスの効いた声で怒鳴る。
目を剥き、今にも襲いかからんばかりで大した迫力だ。
いかん見つかったと逃げてくれれば万々歳だったが、そう上手くはいかないものだ。
周囲に民家はなく、俺が大声を出しても誰にも届かないと知っているのだろう。もしかするとここで女性を乱暴するのは初めてじゃないのかもしれない。
こうなっては仕方ないと俺は振り返って来た道を戻る。
「……うう……うぅ……」
女性の恨めしげな視線が突き刺さる。そんな目で見られても三対一じゃ勝ち目がない。
俺は驚き、恐れ、転がるように……少なくとも奴らからはそう見えるように逃げていく。
「さすがマサさんイチコロっスね。ビビりまくって逃げてきましたよ」
「高校生のガキなんざ当たり前だろうがよ。それよりあいつがポリ呼ぶ前に車に乗せちまうぞ」
「お前も諦めて大人しくしろって。マジ余裕なくなってきてっから、あんま抵抗すっとマサさんにやっべえぐらいボコされんぞ?」
逃げる背中に三人からの嘲笑と、未だに激しく抵抗しているらしい女性の呻き声が聞こえる。助けを求めた男がとんだ腰抜けで失望しただろうに抵抗を止めないのは大したものだ。
「さて、これで本当に逃げたら胸糞悪くて仕方ないよな」
俺は逃げる脚を止める。
農地の脇に無造作に積まれているコンクリートブロック。
その中でうまい具合に割れて持ち易くなったものを右手で掴み、割れたポイ捨てビンを左手に握り込む。
「よし。まあいけるだろ」
再度反転して走る。
周囲は暗く、強姦魔三人から俺の動きは見えていないはずだ。
暴れる女性が車内に放り込まれる音に続いて車のエンジンがかかった。
フロントライトが点灯し黒いワゴン車が前へと進み始める。
「――荒事開始」
自分に言い聞かせるように呟いてから俺は車の前に飛び出す。
そして全身で振りかぶって右手に持ったブロックを投擲する。
コンクリートの塊は十分な重量と速度をもってワゴン車のフロントガラスど真ん中に命中した。
車のフロントガラスは窓ガラスとは比較にならないぐらい頑丈だ。
それでもブロックを思い切り投げつけられることなど想定していない。
湿っぽい破壊音と共に全体が盛大にひび割れる。
ガラスを蜘蛛の巣に変えたブロックは勢いを無くして転がり落ちる。
ボンネットを凹ませてバンパーを削りながら転がり、右のライトまで砕いてアスファルトを叩く。
「なっ!」
急ブレーキをかけたワゴン車が道の真ん中で斜めに停車する。
マサが大口をあけて絶句しているのが見えた。
「や、戻って来ちゃったよ」
俺はひび割れガラス越しに片手をあげる。心持ち笑顔でだ。
呆然としていたマサの顔が数秒おいて般若のように歪んだ。
「てんめぇぇぇぇぇ!!」
運転席の扉が蹴り開けられ、凄まじい形相で文字通り飛び降りて来る。
まあ自分の車にブロックぶつけられたらこうなるよな。予想通りだ。
「マサさん今のすげえ音なんっすか……うえっ!?」
続いて後部座席から降りて来たゴリラも破壊された車前面を見て絶句する。
「やっべ! マジやっべ!」
チャラも『ヤベヤベ』と鳴きながら降りて来る。
ここも予想通り。
「てめぇ! よくも! 車! ボコるじゃ! 済まさ――ぎゃっ」
怒りのあまり妙な話し方になっていたマサへ握り込んでいた割れビンを投げつける。
上手いことビンの割れた側がマサの右目近くに命中して瞼と額から血が噴き出す。
片目ぐらい潰れればベストだったが距離もあるし簡単には行かないか。
まあ本来の目的は達したはずだ。
「許さねえ。もう殺す。絶対殺す」
マサは血の噴き出す目を押さえながら、ポケットからギラリと光るナイフを取り出した。
「うわマサさんガチで切れた。あのガキ殺されっぞ」
「やっべ! マジやっべ! ナイフとかやっべ! 鬼やっべ!」
何もかも予想通りにきている。
もう一手で完成だ。
鬼の形相で迫るマサ、ゴリラとチャラも俺達だけを見ながら車を離れる。
つまりあの女性を構う者は誰もいない。
「今だ!」
俺の怒鳴り声と同時に女性が後部座席から転がり出す。
抵抗の甲斐あってか縛られてもいない。
一瞬目が合う。
俺は自分がいるのと反対方向に指を差して叫んだ。
「走れ!」
言葉と同時に弾かれたように女性は走り出した。
判断が早くて助かる。
ゴリラが振り返るも見た目通り機敏さはないようで反応が遅れる。
チャラは慌てて追いかけたが、女性との距離はどんどん開いていく。
そしてマサはもう俺しか見えておらず女性を一瞥もしない。
「予想外に速いなぁ」
逃げきれそうに無ければもう一手考えていたが必要なくなった。
ここから彼女を捕まえるには車を使うしかないがマサはもうそれどころではないし、立場的にも今の状況で他の二人が勝手に車を使うことはない。
「八割達成だな」
呟くと同時にマサが日本語かどうか怪しい叫びをあげながら掴みかかってくる。この切れ具合からして捕まると本当に刺されそうだ。
俺は後方へ二度ステップしてマサの手と振り回されるナイフを避ける。
まともに戦うつもりはなかった。
正面から体格で勝り、ましてナイフまで持った男とやり合っても勝算は低い。
揉み合いにでもなれば後ろの二人も加勢してくるだろう。
走って逃げるのも難しい。俺は特に足が速くないので人目がある場所まで逃げる前に捕まる可能性が高い。そもそも一本道で車に追われたらそのまま轢かれる。
なら選択肢は一つしか残らない。
さらば新品の制服。生き残ってくれ先週買ったスマホ。
俺は哀悼と祈りの言葉と共に暗闇の田んぼに向かって跳躍する。
「うぐえ……」
出来る限り上手に着地したつもりだったが、膝下まで泥に捕まり前のめりに倒れてしまう。 ここまでいくともう汚れは気にならない。
「ふざけんな! 戻ってこいや!」
マサの怒声無視して泥をかき分けながら水田の中央まで歩く。
ほとんど泥遊び状態だからこそ簡単には追い付かれない。
車も絶対に使えないし悪環境であの三人が俺より速く動けるはずがない。
何かが飛んでくる気配と水音……石でも投げているのだろうが想定内だ。
街灯が壊れている場所を選んで飛び込んだから辺りは真っ暗、石なんて投げても当たらない。
「クソガキが舐めやがって!」
マサが俺を追って田んぼに飛び込んだようだ。
「お前らも行け! 回り込んで追いつめんだよぉ!」
更に後ろの二人も怒鳴りつけるが……。
「え、いやそれは……」
「田んぼとかヤッベす」
マサ以外の反応は悪い。
ちらっと見えた限り、二人はブランドモノの服をセンス悪く着こなしていた。
決して安い代物ではないはずで台無しにはしたくないはず。
「マ、マサさんもう引き上げましょうよ。女も逃げたしポリ呼ばれてますよ」
「そっすそっす。ガキ殺してもヤれないしヤベえだけで一銭にもなんないっすよ」
「お前らなに日和ってやがるんだよ!」
上手い具合に仲間同士で揉め始めてくれた。
これで更に時間が稼げる。
俺は泥だらけの手でスマホを取り出す。事を起こす直前からずっと一一〇にかけていた。
時間が無かったので会話は出来ていないが、奴らの怒声や衝撃音などはしっかり入っているはずだから泥遊びで時間を稼いでいれば……。
「壊れてるんだよなぁ」
俺はがっくりと肩を落とす。
それなりの耐水性を誇るはずの最新機種は泥だらけになって画面が点灯しなくなっていた。
背後からは口論を終えたマサが泥をかき分けて迫る。
「一番悪い方向に転がったか……」
警察が来ないなら時間稼ぎしても仕方ない。
こうなったら奴らを振り切るか、諦めるまで徹底的に逃げまわるしかない。
「危ない泥んこ鬼ごっこだ」
泥をかき分けて進み、あぜ道を乗り越えて隣の田んぼにまた飛び込む。
とにかく足を止めずに走り続けるのみだ。
口で言うだけなら簡単なのだが、灯りのまったくない環境ではこれが中々難しい。
泥に足をとられて顔を突っ込み、あぜ道に乗る足を踏み外して転倒する。
しかし相手も状況は同じだ。
スマホのライトで俺を照らそうとするが、そのせいでただでさえ悪い足元が壊滅的にお留守になる。
追って来るマサが俺と同じ場所で転んだ気配に声を出して笑うと人語になっていない滅茶苦茶な罵声が帰ってきた。
俺は自分が笑っていると自覚した。
もちろん捕まったらただでは済まないのは分かっている。
それでも背後から聞こえる待ての大声が気持ち良い。
好き放題に叫んでも大丈夫な場所なんだとわかるから。
煽りに返って来る怒声が気持ち良い。
俺の言葉を理解しているとわかるから。
その時だった。
「おい! お前らが悪漢か!」
野太い声と向けられたライトの光に俺とマサの足が止まる。
警察が逆探知でもして来てくれたのかと思ったが違うようだ。
逆光の中でかろうじて見えた姿はタンクトップに短パンだった。
こんな格好の警官がいるはずない。
「うるせえ! さっさと消えねえと殺すぞ!」
泥だらけで半狂乱のマサがナイフを向けて凄み、ゴリラとチャラもこれで泥に入らずに済むと無駄に勇んで男を脅しにかかる。
これは巻き込んで悪いことをしたかなと思ったところで信じられないことが起きた。
「「うわぁぁぁぁ!」」
身長一九〇近いゴリラが右手一本で胸倉掴んで持ち上げられ、チャラは左手で襟首を掴まれて幼児のように吊り上げられたのだ。
目が慣れてくるとタンクトップ短パンの男は優に身長2m超えており全身筋肉モリモリ巨岩のような特大マッチョだった。
「あの人が私を助けてくれた人! 追いかけてるのが悪人のボス!」
綺麗な女性の声に続いて田んぼに大小様々なマッチョが飛び込んでくる。
マサは怒鳴りながらナイフを振り回したが多勢に無勢、抱え上げられて神輿のように運ばれていく。
そこでようやく、けたたましいサイレンと共に赤色灯がやってきた。
「あー終わった」
安堵の息を吐きながら道へと戻る。
そこで泥で手が滑ってよろめき……もう全身ドロドロだから転倒したところで大した問題はないか。
「危ない」
そんな俺の手を掴み支える綺麗な手。
長くしなやかな腕、短めに整えられた爪、シミ一つない滑らかな肌。
「大丈夫?」
顔をあげて助けた女性だと気づく。
さっきは暗くて良く見えなかったが思っていたより若い。
そしてとんでもない美人だった。
女の子と目が合う、いやがっちりと絡む。
女の子が一度フルリと震える。
乱暴されかかった後なので男に見られるのは嫌だったかなと考えるも、掴んだ俺の手は離さず目も逸らさない。
それでいてまた一度、フルリと体を震わせた。
「汚れるぞ」
俺はもう顔以外全身泥だらけなのだ。
「泥ぐらい」
女性――いや女の子は俺の手を両手で包む。
「胸、見えてる」
男達に破られた服がそのままで乳房が見えてしまっていた。
「気にしないよ」
女の子は胸元を隠そうとする素振りもなく俺の手を掴んだまま動かない。
黒く美しい瞳が潤み始め、ほんのり紅くなった唇が開いて……。
「えーちょっといいかなぁ?」
女の子の肩がちょいちょいとつつかれた。
パチンと頭の中で音した気がして互いに吸い付けられ合っていた視線が離れる。
二人揃って顔をあげると中年の警察官だ。警官は女の子に毛布を被せながら言う。
「署で詳しく事情を聞かせてくれないかな。強制性交は重罪だからね。あいつらをしっかり懲らしめないといけない。まだ怖いかもしれないのだけれど……」
警官が睨む先では三人組が喚き散らしながらパトカーに押し込まれていた。
「いえ行きます」
女の子は凛とした声で立ち上がり、しっかりとした足取りでついて行く。
パトカーに向かう途中、振り返りながら何か言っていたが聞こえなかった。
さてミッションコンプリート。評価は90点だ。
女の子を助けて俺も怪我しなかった。
スマホが無事なら満点だったのだが。
さっさと帰って風呂に入ろう。
「それから君」
歩き去ろうとする俺の肩にも手がかかる。
ブロックと瓶を投げたのは正当防衛、田んぼを滅茶苦茶にしたのは緊急避難ではなかろうか。
初手で目を潰しにいったのはまずかったか、などと考えながら顔を顰めて振り返ると中年の警官がビッと親指を立てている。
「大人相手に1対3、ナイフまで持った相手に挑みかかるなんて大した度胸だよ。おかげで女の子が1人不幸にならなくて済んだ。勲章ものだぞ!」
バシバシと肩を叩いてくる警官に苦笑いを返す。
「はは……危ないことには慣れているんで」
俺の外見を見て冗談だと思ったのか警官は笑いながら更に強く肩を叩いてくる。
そこにぬっと巨大な肉壁までが迫って来る。
近くで見るとより凄まじい本気で人外だと思える2m越えの超マッチョだ。
体感温度が5度、湿度が30パーセントは上がった気がする。
「女の子が半裸でうちのジムに駆け込んでくるなり『助けてくれた男の子が危ない』って必死でね。体を隠してあげようとしても『そんなの後で良いから』と」
道理で警察より早かった訳だ。
逃がした時も素早かったし頭の回転が速い子なのだろう。
彼女がこのお化けマッチョを呼んでくれなかったら警察が来る前に捕まっていたかもしれない。
「立派な娘だ。そして君も勇敢な少年だ。ただ残念なのは体が薄すぎる。会費を半年間無料にするから是非うちに入会するべきだ」
巨マッチョから差し出された名刺には『マッスルメンジム チーフマッチョ 森 盛蔵』と書かれている。
女の子が駆け込んだのは地図に出ていた謎ジムだったのか。
道理でマッチョがいっぱい来たわけだ。
そもそもチーフマッチョってどんな役職だよ。名前までムキムキかよ。と心の中で突っ込みつつ曖昧に返事しながら帰路につく。
『今日』はまだ半分以上残っているのに疲れすぎた。これ以上何かする元気は無い。
「待ってるよ少年!」
いかないですよと心の中で返事する。
俺は助けて貰った礼儀として、これからトレーニングに戻るらしいマッチョ達に一礼し、ふらつきながら帰路につくのだった。