第11話 タフな脱出劇 4月15日【裏】
もうすぐ目が覚めそうだ。
俺は再度、その光景を思い出す。
一つでもミスや見落としがないように。
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中学校
「いやぁ懐かしいなぁ」
わざとらしい独り言を呟きながら部活に勤しむ中学生達に注目されないよう校庭の隅を歩く。
「特に校庭の隅なんて卒業した時のまんまだなぁ」
今は心の中だけこの中学の卒業生だ。
体育倉庫に辿りつくとさっと裏に入る。
これで校舎や校庭からは見えないはずだ。
『裏』ではまともに確かめる余裕がなかった体育倉庫の裏を確認する。
「裏手は傾斜していたのか」
倉庫の裏手には2m以上あるフェンスが置かれていた。
フェンスを越えた所から傾斜が一気にきつくなり排水路か用水路か、ともかく人一人が通るには十分な広さの水路へと落ち込んでいる。
転がり落ちれば怪我をする……だからこそフェンスが張られているのだろう。
「逆に上手く滑り降りればそのまま水路に突っ込める」
見下ろしたところ水量は少ない。
排水がない『裏』ではもっと少ないだろう。
水路は長く行き止まりはずっと先、両側面はコンクリで固められた急傾斜の上にフェンス。
ゾンビが突破するにしても数十秒かかるだろう。逃げるには十分だ。
次にフェンスを掴んで揺すってみる。
「こりゃ学校は怒られるぞ」
フェンスは高くて頑丈な作りにはなっていたが、ボロボロに錆びて劣化している。
全力で体当たりすれば破れるはずだ。
つまり水路までごく短時間で飛び込める。
脱出経路の目途はついた。
大問題は倉庫から裏手までのごく短い、それでいてゾンビで埋まっている場所をどう走り抜けるか。
「あのー」
考え込んでいた俺に声がかけられた。
体操服姿の女子中学生が3人、日焼けした活発そうな子、眼鏡をかけた優等生っぽい子、ホワーっとしたアホっぽい子だ
なんてこんな所に中学生が?
中学校だからか。
「すいません。お兄さんどなたですか? なにをしているんですか?」
優等生が聞いてくる。
まだ肝心の体育倉庫を調べていない。
ここで不審者扱いされたら教師を呼ばれて退散するしかなくなる。
不審者なのに不審者扱いされてはならないのだから難しい。
「あぁ俺ここの卒業生でさ。懐かしいなーと思ってつい見ちゃってた。ごめんな、怖がらせたかな?」
精一杯の優しい口調と照れて困った表情を作る。
「懐かしい? 体育倉庫が」
活発な子が首を傾げる。
そうだよなぁ。
体育倉庫が懐かしいとか意味不明だよな。
「不審者ー?」
「それなら女子の部活とか覗かない? ずっと体育倉庫ばっかり見てたし」
不審者じゃないぞとアピールしたいが自分で言ったら確定なので『害はありませんよ』の表情でニコニコしているしかない。
「体育倉庫に思い出……まさかエッチなことじゃ!?」
アホっぽい子がアホみたいなことを言う。
だが乗るしかない。
「はは、まあそんな感じ――」
「ど、どんな思い出なんですか!」
「いつ? 誰です?」
「ウチの倉庫で何をしたんですかぁ!」
3人ともすごい食いつきだ。
さすが中学生の性に対する興味は半端ないな。
「あんまり話すようなことじゃないんだけど……ああ、あの頃のままだな」
俺はさりげなく扉をあけて倉庫の中に入る。
これでこの3人以外に見つかることはないだろう。
アホの子が目を輝かせて中に入り、他の二人も恐々と入って来る。
整地用のローラーで後方の壁を壊して一気に――ダメだスグルの力ならできるかもしれないが一撃で無理なら結局音で奴らが集まって正面突破と大差なくなる。
やはり何か特別な手段がないと脱出は難しい。
10時間前まで居た場所と目の前の光景を比較して相違点を探す。
「お、昔はあそこに金属の棚が無かったっけ? ほら南京錠のかかった……」
『裏』ではなにか高価な備品用かと思っていた。
こじ開けるのも音が出るし食料が入っているようにも思わなかったので放置していたのだ。
「あーそれ知ってます。去年の夏だっけ? うちの顧問がめっちゃ怒られてたやつですから。」
「なにかのボンベ? 本当は置いちゃいけない量を置いてたみたいです」
活発な子が答え、優等生が補足する。
「怒られたというのは校長に? ボンベはカセットコンロとかの?」
活発な子が首を振る。
中学生なのに結構ある胸が揺れる。
「校長もですけど消防署の人にめっちゃ怒られてました。顧問のセンセー三日ぐらいしょげてたもん」
「あたしそれみたよー結構大きくてこれぐらいあったー」
校長ではなく消防署が出てきた?
そしてアホの子が示した高さは膝の上……50cmはある。
細くて綺麗な脚だ。
「プロパンガスか」
「8個ぐらいあったよー」
アホの子が指を6本立てて言う。
義務教育への深刻な疑問を今は問うまい。
ともかくそれなりの大きさのボンベが6~8個、撤去されたのが8月なら『裏』では残っている可能性が高い。
「あれのせいで私達が隠してたお菓子まで見つかったんだよねー」
アホの子が跳び箱を指差す。
「跳び箱の中に?」
「ううん。跳び箱は授業で使うからすぐばれちゃうよ」
活発な子が跳び箱を押すと床に扉が見えた。
「地下室……?」
「そんな大層なものじゃなくてちょっとした物入れです。大きさが中途半端だし、上に物を置いちゃうと出せなくなるから誰も使ってないんです」
覗き込むと確かに狭い。
狭いがギュウギュウ詰めになれば4人ぐらいは入れる。
数十キロのプロパンガスに地下の避難所――。
脳内でシュミレートしてみる。
「天井の素材は……」
見上げた天井に修理の跡があった。
これも『裏』では無かったはずだ。
「バカな男子達が屋根の上で飛び跳ねて穴が空いてしまったんです。案外薄かったみたいで」
優等生が溜息混じりに言う。
もしゾンビが大量に上に乗っていたらアウトだったのか。
だがそれなら生き埋めになる心配もない。
「さて十分懐かしんだからそろそろ……」
「「ダメ!」」
活発な子とアホの子が俺の袖を掴む。
思わず抱き寄せそうになったが捕まるので堪える。
「こ、ここでしたエッチな話」
「まだして貰ってませんー」
そう言えばそうだった。
まあ最初から嘘だし適当に言っとこう。
「昔、ここで女の先輩とイチャついてたんだよ」
「年上!?」
「き、キスとかですか?」
嘘は実際にあったことを下敷きにする方がばれにくい。
「もう少し先までかな」
「「キャー!」」
だから昨日の事実を参考にしよう。
「ところがそこを男の先輩二人に見つかってな。しかも二人とも女の先輩の元カレだったんだよ」
「修羅場っ!」
「昼ドラっ!」
「そ、それでどうなったんですか?」
優等生まで食いついてきた。
怪しまれないための嘘なのだが、女子中学生三人に期待の目で見られて興が乗ってきてしまった。
「散々揉めた末に女の先輩が「私はビッチだ」て開き直ってな。結局4人ですることになったんだ」
「「「ええーーー!!?」」」
良い反応だ。
「じゃあ男3人で女の子を代わる代わる……?」
活発な子が真っ赤な顔で言う。
「最初はそうだったんだが段々グチャグチャになって最後は3か所同時に……」
「ぎゃーーーーー!」
「乱れてるーーー!」
「お尻ーーーーー!」
想像して限界に達した3人が逃げ去っていく。
というかすごい声だったので人が来るんじゃないか、早々に逃げ出さねば。
そこにトテトテと優等生が戻ってきた。
俺の手の上に小さな紙切れを置く。
「それ私の裏垢です。お兄さんの顔、結構好みなんで……あとオスって感じも好きです。良ければ連絡してください」
普通に捕まりそうなのでとりあえず保留しておこう。
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4月15日(木)【裏】
体育倉庫
ふっと目が覚める。
作戦を考えながら眠ったおかげで下見の光景も完璧に思い出せた。
余計な部分が多いような気がしないでもないがまあ良いだろう。
俺は起き上がって他の3人を起こす。
全員が全裸かつシズリは体中すごいことになっていたが構っている時間はない。
「スグルついてきてくれ」
「お、おう」
スグルは立ち上がり、俺の股間を見てから恥ずかしそうに自分の股を隠した。
俺は今日見たばかりの棚の前に立つ。
南京錠も同じなので中身は無事のはずだ。
「壊すぞ」
「え、でも音が……」
俺はダンベルで南京錠を殴りつけて態度で答える。
数度の殴打で南京錠を叩き壊して棚を開く……。
「ガスボンベ……」
ボンベが6……8……いや10本あるじゃないか。
アホの子本当に大丈夫かよ。
こんな量を体育倉庫で保管していたとか教師も大概いい加減だな。
「お前らでかい音出してなにしてんだよ! 何匹か扉を叩き始めて……なんだそりゃ」
「確かライターが……よしあった」
慌ててやってきたヒロシとシズリに作戦を説明する。
「まず窓を塞ぐ。強度はいらないからビニールシートでもなんでもいい。次に騒ぎまくって近場のゾンビを全部ここに群がらせる」
「「「はあ?」」」
3人が反論しようとするのを最後まで聞けと押さえる。
昨日までだったらここで全員ヒステリックになっていたかもしれないが、色々すっきりしたせいで聞く耳はもってくれているようだ。
「奴らを集めてから……これを全部ひらく」
俺はガスボンベに足を置く。
3人が息を呑むのがわかった。
「中毒になって――」
「プロパンガスは中毒を起こさない」
ネットで調べたから間違いない。
でも追及されると不安になるので次に行く。
「これだけの量のガスを充満させて火をつければ爆発して建物全体が吹き飛ぶ。周りに集めたゾンビも死ぬかどうかはともかく吹っ飛ぶはずだ」
「……いや俺達も吹っ飛ぶだろ」
もちろんそうだ。
「だからゾンビを集めてガスを充満させたら俺達はここに隠れる」
俺は跳び箱をどけて地下物入れを開く。
スナック菓子とジュースがあったのはご愛敬だ。
爆発の威力は上へ逃げる。
地下に入ってマットでも被っていれば致命的な衝撃は受けないはずだ。
というかそうであってくれ。
「建物ごと吹き飛ばしたらすぐに地下から出て裏手へ走る。裏のフェンスは脆いから破って水路まで転がり落ちる。あとは水路を道なりに進みながらゾンビの少なそうなところで上に戻ればいい」
全員が沈黙する。
1日で考えたにしてはそれなりの出来だと思うのだが。
「不可能だと思うところとか、自分にはできないと思うところがあったら言ってくれ」
「……そもそもボンベがあるとか地下とかなんで知ってたんだよ」
ヒロシが問う。
「今、思い出した」
そこは説明できないので時間の無駄になるからやめてくれ。
「あまりに危険すぎるんじゃ……」
スグルが問う。
「危険なのは分かってる。他に安全な手があるならそっちにするけど」
返事が無い。
「昨日あたしが気絶した後で髪にぶっかけた奴いるでしょ。ガッピガピになってんだけど」
シズリが問う。
「ごめん」「すまん」「悪い」
それ以上の意見はないようだ。
ならゴーサインだ。
「オラッこいやクソが! 腐った顔面しやがってよ!!」
ヒロシが大声で怒鳴る。
俺もその隣でとにかく大声をあげる。
シズリの絶叫は隣にいる俺まで耳を塞ぎたくなるほど鋭く大きい。
もちろん怪物共は即座に反応して扉や壁が今までで一番の勢いで叩かれ始める。
呻き声は地響きのようで、窓に移った影から群がるどころか積み重なり始めているのが分かる。
「なんか楽しくなってきたな! おらっ来いよゾンビ野郎! 俺が怖いのか!」
ヒロシがノリノリで叫ぶ。
「しゃぶって欲しいならこっちに来なっ! アハハハハ!」
シズリも興奮して胸をさらけ出す。
最初はぶりっ子だったのに見る影もなく開き直ったなぁ。
スグルも二人の異常なノリにはついていけないようだが、叫んでいるうちに声が大きくなってくる。
今まで音を出さなかったストレスを一気に解消しているようだ。
遂に頭の上でまで音がし始めた。
このあたりで良いだろう。
「よし、開け!」
俺の合図と同時にガスボンベが一気に開かれ、全員がそのまま地下物入れに飛び込む。
ガスが入って来ないように天井の蓋をマットで押さえながら、俺達は無言で待つ。
倉庫は破壊されるんじゃないかと思うような勢いで殴打され続けている。
「も、もし爆発せずに燃えたら……壁がこっちに崩れてきたら……威力が低くて扉だけ壊れたら……」
「全員死ぬな。どうせやらなきゃ詰んでるんだから覚悟を決めろ」
「……ポリポリ」
「シズリてめぇこの状況で菓子食うか?」
心の中のカウントが残り5……4……3……。
「よし!」
俺は蓋を薄く開き、ライターを着火して放り投げる。
「閉じろ!」
言いながら自分で蓋を閉じて耳を塞いだ瞬間だった。
耳を塞いでいるのに脳まで響くような大轟音――。
「「「――――!!」」」
他の3人からも滅茶苦茶な絶叫が聞こえ、地震でも起きたように体が揺れる。
蓋の向こうが真っ赤に染まり、一瞬で灰色になって何も見えなくなった。
上半身にシズリの軟らかい体、下半身にスグルの筋肉を感じながら蓋を開く。
「――綺麗な空だ」
屋根も壁も無い。
倉庫に積まれていた物すら何も残っておらず、青い空から麗らかな日差しが降り注ぐ。
ボンベ10基分のガス爆発の威力は十分だった。
体育倉庫を中心にして校庭中に破片が飛び散っている。
近くにあった部活棟が半壊して崩れかけ、それなりに距離のあった校舎のガラスも全部割れている。
そして天井まで群がっていたはずのゾンビ共もそこら中に飛び散り、遠くの花壇に突き刺さっている奴までいて笑ってしまった。
「のびてる場合じゃないぞ。早く出ろ!」
ゾンビは盛大に吹き飛んだ。
ただ、頭がもげた奴以外は死んでいない。
すぐに立ち上がって群がってくるはずだ。
俺はシズリを引っ張り出し、スグルとヒロシは互いに肩を組んで這い出る。
「こんな爆発おこしたら街中から集まって来るんじゃないのか!?」
「だから来る前に逃げるんだよ」
俺はスグルを目の前のフェンスに突っ込ませる。
ビビりでもさすがのアメフト部、肩からのタックルで紙細工のように錆びたフェンスを圧し折った。
「ここから水路まで滑り降りる」
予想通り水はほとんどない。
「滑り落ちるの間違いだろ!」
ヒロシの返事に笑いながら頷く。
既に背後では少なくない数のゾンビ共が立ち上がり追って来ている。
心の準備をしている余裕はない。
「行くぞ! 頭を守れ、足も折らないように」
俺は先頭をきって傾斜に飛び込む。
数メートル続く急こう配の草むらを滑り、コンクリートに変わったところで肘をついて可能な限り勢いを殺す。最後は約2mの垂直落下――。
「ぐえっ!」
受け身を取り損ねて背中から落ちるも水路の底がヘドロなので大怪我は避けられたようだ。
一瞬だけ痛みでうめき、即座に体を起こす。
「ぐぎゃ!」
「ごへっ!」
「あうっ……ありがと」
尻から落ちて来る巨体……これは放置。
顔から落下する……これも放置だ。
最後に転がってきたシズリを受け止める。
尻を抱えて蹲るスグルと鼻血を垂れ流すヒロシを無理やり引き起こす。
「走れ」
痛みに悪態を吐きながらも俺達は走る。
背後から俺達を追うゾンビ共も次々と落下してくるが、奴らは姿勢を制御して勢いを殺せないので多くが落下の衝撃で首や足を折り動けなくなっていく。
少数の健在な奴らは追って来るものの、真後ろから来るなら追い付かれる心配はない。
呻き声はすぐに小さくなっていく。
「逃げきった」
そう宣言しても良いだろう。
「「「はぁー」」」
さすがに歓声をあげたら次の脅威が来ると理解したのだろう。
3人はただ安堵の長い息だけを吐く。
あとはしばらくこのまま進み、適当な場所からゆっくり上にあがればいい。
「とりあえずは俺のマンションに……」
言ったところで急停止する。
目の前にゾンビが一体立っていたのだ。
「はっ! 今更ゾンビぐらい屁でもねえ。こいつも拾ったしな」
ヒロシの手には水路で拾ったらしい鉄パイプが握られている。
俺もこの場ではそれが正しい決断だと思う。
構図としては狭い場所で前後を塞がれた形だが前方のゾンビは一体だけだ。
見通しも効いているので後ろに大群がいる恐れもない。
大音響を響かせた中学校からまだそれほど離れておらず、周辺のゾンビが動き出しているはずだ。
慌てて水路から出ても次の危機に飛び込んでしまう危険性が高い。
ならばこいつを倒して先に進んだ方が良い。
腕を突き出して迫って来る不快な奴。
腐敗したような肌、よたよたとした鈍重な動き、時折漏れる意味不明な呻き声、身長は175cm程……つまり街中にいる普通の怪物だ。
なのに耳の奥で警戒音が鳴り始めたのだ。
注意して見てもやはり普通のゾンビと何も変わらない。
違和感と言えば体格の割に肩幅が広いことと……腰がもう一段でかいぐらいか。
「待て、何か変だぞ」
「心配しなくても大丈夫だっての。やばくなってもお前らがいるだろーが」
ヒロシがニッと笑う。
信頼関係を築けたようだがそれどころではない。
更に異常に気付く。
水路の底には半乾きのヘドロが溜まっていて足跡がつく。
隣にいるスグルを見る。
スグルは190㎝超えで100kg近い巨体だ。
それなのにアイツの足跡の方がずっと深い。
奴は目立ってでかくもないし肥満体でもない。
つまり……。
「行くぜ化け物がよ! 頭叩き割ってやるぜ!」
ヒロシが鉄パイプを振りかぶって踊りかかった。
爆発オチ……では終わりませんでした。