第107話 タワーの運命 7月3日【裏】
起きると同時に強烈な性欲とそれに十倍する痛みに呻く。
「が……ぐ……」
「ホマレ? ホマレだよな?」
俺は仰向けのまま全身の痛みに耐えつつ顔を傾ける。
声の主は同じ調達班のヒカルだ。
俺が寝かされていたベッドから限界まで距離を取り、怯えながら聞いてくる。
はてコイツにホマレなんて呼ばれていたか。
「へ、返事しろよ、おい!!」
薄暗いとはいえ互いの顔は見えているのに何を言っているのかと思ったが、寝起きの頭が回転し始めて理解する。
「すまん。体が痛くて呻いただけだよ」
俺が意味のある言葉を発するとヒカルは大きなため息をついて緊張を解く。
松野もナタを床に放り投げた。
「紛らわしいんだよボケが」
改めて状況を整理する。
死に物狂いで『象』を倒した俺は群がるゾンビに追い詰められ、アオイの投げてくれたロープを伝って20階まで登ってそこで意識が途絶えたのだった。
もう二ヵ月近く前のことのように思えるな。
そして意識が途絶えた後、俺はこの部屋――隔離室に運び込まれたのだろう。
自分の体を見ると確かめるまでもなく全身傷だらけだ。
新怪物の触手が掠めた擦り傷、牙が掠めた跡、そして象に殴られた打撲と裂傷――俺だってこんな状態の奴はもう感染しているものとして扱う。
その場で殺されなかっただけ運が良いともいえる。
「……俺達も全員奴らの触手だの牙だのでやられて隔離ってわけだ」
松野が自棄気味に吐き捨てる。
部屋を見回すと松野、ヒカル、ミドリ、スミレと調達班全員が揃っていた。
「全員生きてるか?」
松野は貫かれた右肩をだらりと垂らしており、ヒカルは強打した頭部を固定されている。
スミレは抉られた太ももに赤く染まった包帯を巻き、一番重傷と思われるミドリは貫かれた腹を押さえつつ力無く笑っている。
「かろうじて内臓は大丈夫だったみたい」
俺は胸を撫でおろす。
正直ミドリはダメかもしれないと思っていたのだ。
「それもいつまで持つかだがな」
松野がまたも自棄気味に言い、全員が暗い顔で下を向く。
『象』は倒した。だが俺達は全員まとめてゾンビになってしまう可能性がある。
怪物相手にこんな怪我をしてしまえば普通はなる。
『裏』の世界を今まで生き抜いて来た者ならそれぐらいのことはわかっていた。
「体調悪い奴は? 俺はボロボロ過ぎて判別できない」
象と殴り合いの死闘の末にほぼ3階の高さから落下、そこから20階までのクライミングなんてしたのだから体が疲労の極にあって少々の不調なんてもうわからないのだ。
だがスミレは大量の出血、ミドリは大量の鎮痛剤を投与され、ヒカルは脳震盪で俺が起きる少し前まで意識がなかったらしく、全員揃ってボロボロだ。誰もゾンビ化の兆候がわからない。
「なるようになる……か」
俺は諦めてベッドに横になった。
「しかし隔離は基本1人1部屋では?」
「……もう部屋がねえんだとよ。居住区にもあの変な怪物が飛び込んでメチャクチャさ。死人も怪我人も出まくって1人1室じゃ追い付かねえ。誰かゾンビになったら同室は諦めて死ねってことだろ」
松野はそれだけ言うと反対側に転がって目を閉じた。
不貞腐れているように見えるが声に脅えを感じたのでそれ以上は突っ込まないことにした。
そこで扉を遠慮がちにノックする音が聞こえる。
「お兄ちゃん。声が聞こえたけど目が覚めた? 大丈夫?」
アオイの声だった。
俺はベッドから立ち上がろうとして痛みに崩れ落ち、そのまま這いずって扉の前に向かう。
返事をする前にまずドアのロックを確かめ、ズボンのベルトを使ってノブを絶対に開かないよう固定してからなるべく元気で優しい声で答えた。
「ああ目が覚めたよ。そっちは大丈夫か? タイコさんも怪我してないか?」
「うん大丈夫だよ」
「私も大丈夫。アレとは戦ったけど触れられてもないわ」
アオイとタイコさんの声にまずは一安心だ。
「僕も部屋に入れて、今度は僕がお兄ちゃんをささえ――」
「――ダメだ。でも暇だから扉越しに話でもしようぜ」
最初の一声だけは怒鳴るように言い放ち、すぐに穏やかな声色に戻す。
俺は扉に寄りかかって座り込み、アオイとタイコさんと話した。
何の意味もない雑談に混じり現状の深刻さが見えて来る。
今回の襲撃でアラモタワーは深刻なダメージを受けた。
現時点で死者8名。助かりそうにない者2名。負傷者は20以上、これにこれから怪物になるであろう者が加わる。更に医療物資の過半も使ってしまった。
建物への被害も深刻で電気系統のダメ―ジによって電気の付かない部屋が多く、更にショートによるボヤも起きたために電気の使用は現在停止されているそうだ。
水圧低下や断水する部屋も頻発、貯水槽の減りが異常に早いことから配管が損傷したと思われ、水に関しても決められた部屋で必要最小限だけの使用に留められているそうだ。
しかし最大の問題は別にある。
「後、久岡さんが大怪我したの」
「なんでだよ。アイツ屋上からモノ投げてただけだろうが」
タイコさんの台詞に思わず突っ込んでしまう。
まさか新怪物が侵入したあとに獅子奮迅の活躍でもしたのだろうか。
「ううん。久岡さんは市長を警護するって言ってずっと高層階に居たから戦闘してないわ。それでみんなパニックになりかけてた所にすごい強い女の人が来て各階の新怪物を次々と仕留めたの」
「胸は?」
「大きかったけど……この情報いる?」
いや特に要らない。
新怪物を次々仕留めるとか正体わかったからもういい。怖い。
「その人が新怪物を一掃した後に久岡が出てきてね――」
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「お前ら何をやってる!」
8階居住区のホール、所狭しと並べられた負傷者達を見て久岡は叫ぶ。
「な、なにって怪我人の治療に決まっているじゃないですか。久岡さんこそ今までどこにいたんですか!? 警備隊がいないから俺達は――」
久岡は中年の男の胸倉を掴む。
「バケモノにやられた奴はバケモノになる。常識だろうが! 貴重な薬や包帯を使いやがって!」
久岡は手当中の負傷者を汚らわしい物のように足で押し退ける。
「待ってください! みんなが怪物にやられた訳じゃない! それに助かる人だって――」
献身的に負傷者の手当てをしていた若い女性が久岡に掴みかかるが、足を払われ床に頭を打ち付けた。
「それを誰が調べるんだ俺達か? 調べてる間に居住区で怪物になったら責任とれんのか?」
久岡は住民全員を見渡して言う。
「タワーの損害は甚大だ。この上内部に怪物なんて出たらそれこそ壊滅しかねないぞ。――負傷者は全員処分するべきだ。窓から下に放り落とすだけで済む。それが一番確実だ!」
住民達から悲鳴と呻き声が上がる。
「そんな無茶苦茶な! これだけの人数を殺すなんて正気じゃない!」
「で、でも逆にこの人数が中でゾンビになったらお終いだぞ!」
負傷者達が必死の形相で立ち上がる。
「お、俺の傷は奴らが飛び込んで来た時のガラスの破片で切ったんだ! 奴らにはならない!」
「俺だってこの傷は壊れた机で……」
「嘘つけ! お前の怪我は奴らの触手だろうが! 俺は見たんだぞ!!」
悲鳴と怒号が交差する。
「いやリスクは徹底的に除去すべきだ。そうやってここは今まで生き延びて来たんだ!」
「けどこれだけの人数……調達班の連中も全員怪我してる。成り立たなくなるぞ」
「タワーさえ健在なら新参なんていくらでもくるさ!」
久岡は無表情のまま、ほんの僅かだけ口元を釣り上げる。
「待って! 今回の相手はただのゾンビじゃないよ。触手に刺されたらそうなるかなんてわからないのにいきなり殺すなんて無茶苦茶だよ!」
タイコが叫ぶ。
「みんなの為にお兄ちゃん命がけでおっきなバケモノ倒したんだよ! 処分なんて絶対させない!」
アオイも泣きながら叫ぶが久岡は鼻で笑うだけだった。
「なにを勝手なことを言っているのですか!!」
そこで初めて久岡の表情が歪む。
声の主は横須だった。
「リスクがあるのは認めましょう。しかしそのリスクには治療後に全員を隔離することで対処できます。その上で負傷者が怪物に変化する割合を見極め、改めて対処方法を見当しましょう。最低でも住民全員の意志を確認してから決定を――」
久岡は面倒くさそうに頭を掻いた後、横須を睨みつけた。
「失礼ですがね市長。今はそんな悠長なことを言っている場合じゃないんですよ」
「なんですって?」
横須は目を見開いた。
「いつか言おうと思っていましたが市長のやり方はぬる過ぎますし遅すぎる。この惨状を見て下さい。まさに緊急事態だ。余裕のある時ならば投票も話し合いも宜しいですがね。今は私の――誰だ!」
久岡が指差した先には一人の女がいた。
「あの人は私達を助けてくれ――」
「さてはドサクサに紛れて入り込んだ放浪者か!」
住民の声も聞くこともなく久岡は女の襟を掴んで引き寄せる。引き寄せようとする。
だが柔道有段者の久岡が思い切り力を込めても女は床に根でも生えたかのように動かない。
そして静かに口を開く。
「私の顔も見ていないのだな臆病者。離せ」
「誰に口をきいてやがる! 今は新参者などに――」
女はがなり続ける久岡から横須に視線を移した。
「市長。この拘束は貴女の指示ですか?」
横須がゆっくりと首を振る。
「では不穏分子の暴走ですな。制圧します」
言葉と同時に女は久岡の襟と腕を取り、綺麗な背負い投げで床に投げ落とす。
「俺を投げ――がっ!」
まさか自分が投げられるとは思っていなかった久岡が動揺する暇もなく、女は倒れた久岡の右腕に自分の腕を絡めて捻じる。
ボコンと不気味な音が響き、久岡が絶叫した。
だがその叫び声すら漏れる前に女は足を振り上げ、踵で床に置かれた久岡の左手を踏みつける。
骨が砕ける音から丸々2秒ほど遅れて久岡の悲鳴がホールに響く。
「悲鳴をあげてはならないことすらわからんか」
女はそう言いながら、負傷者の手当てに使われていた血まみれの包帯を久岡の口内に突っ込んだ。
「んーーーー! んんん-ーーーーー!!」
痛みか感染の恐怖か、久岡は絶叫というよりも泣き声をあげて悶える。
「わ、私たちの救助に来て頂けたと思って良いのでしょうか?」
女――風里姉は無表情のまま市長に向き直る。
「現在市内に未知の巨大怪物が複数出現しており極めて危険な状況です。我々も救出を予定しておりますが、人員が不足している上に対象が多くすぐにとは参りません。状況が落ち着くまでここの守りを固め立て籠もって頂くのが最善です。バリケードの構築方法など指示致します」
「わかりました……お願い致します。救助もできるだけ早く」
風里姉は呻く久岡の上で横須に完璧な敬礼をして見せた。
「つきましては怪物を独力で倒したという少年と巨大怪物の動きや特徴について少し話がしたいのですが、宜しいでしょうか?」
「は、はい。しかし彼は気を失っておりますので」
風里姉は初めて無表情を崩してニコリと笑った。
「ええ構いません。待ちますとも」
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「その後、お兄ちゃんとしばらく2人きりだったけど何話してたの?」
知らないぞ、俺は今まで起きてない。
「気になって盗み聞きしちゃったんだけど『キツイな。締まり過ぎだ』って言ってたけど」
なにされたんだよ俺。怖い。
話す気力がなくなった俺は体を確かめながらベッドに戻ろうとする。
タイコさんも体を休めてねと言って去る足音が聞こえた。
そこでドア越しにアオイが小声で囁く。
「女の人にこれを渡されたんだ。お兄ちゃんに渡せ、誰にも知られるな、中身も読むなって怖い顔で」
扉の下から小さな紙片が滑り込んでくる。
薄く貼られたテープを切って中身を確認する。
『件の怪物から感染の心配は無い 安心せよ』
6の安心と4の不安。内容を疑うからではない。
ここまで断言するからには本当にゾンビにならずには済むのだろう。
だがそう言い切れるということは奴らについて風里姉達は知っているということだ。
『武器を712室の食器棚下に』
4の安心と6の不安。
それが必要と言うことだから。
そして最後。
『早急に脱出の準備をせよ』
不安が……10に決まってるだろ。
さっきの話と言ってることが違うし絶対こっちが真実だろ。
「くそ……不安だ」
「私も怖いよ……誉ぇ」
「痛いより……怖い。ひっついて……お願い」
俺の言葉に反応したミドリとスミレがひっついてくる。
風里姉はなにかを知っていて、俺達はゾンビにはならないのだろう。
だがそれを言えば彼女達も巻き込むことになる。
俺にできるのはただ二人を抱き締めて安心させることだけだった。
【裏】
主人公 双見誉 極度疲労
拠点 両河ニューアラモレジデンス『アラモタワー』
環境 給水不安定 給電停止 死傷者多数 低層階破損
人間関係
仲間
アオイ「保護対象」タイコ「救護」ミドリ#27「腹部負傷」ヒデキ「軽傷」スミレ#20「足負傷」
中立
松野「肩負傷」横須「市長 籠城」木船「離脱準備」
敵対
久岡「脱臼+指骨折」風里姉「ーー」黒羽「ーー」
所持
拳銃+弾x1発 小型無線機 ??
備蓄
食料数か月分 水1カ月 電池バッテリー5日分
経験値 202+X