第9話 修羅場hard 4月14日【裏】
4月14日(水)【裏】
体育倉庫
外からは相変わらず多数のうめき声が聞こえ、周りが奴らだらけなのはあきらかだ。
そんな中で俺達は――。
「どう考えても不公平だろがよ。1人で半分飲んでんじゃねーか」
「そんなにきつく言わないでよぉ。あたし女の子なんだよ……」
「シズリは1番体力も無いし足も怪我してるんだ。多めに見てやれよヒロシ」
「ならせめて申し訳なさそうな態度でいろよ! 俺に飲む量多いとかケチつけやがったんだぞこの女」
大揉めしていた。
どうせ今日から揉め始めるだろうと予想していたが朝1から全開とは。
「だってヒロシが……」
「あぁ!?」
激昂したヒロシが腕をふりあげたところで俺は二人の間に割って入り、双方を睨みつける。
「声」
水の配分より1番重要なのは声を出さないこと、外の奴らに再度気付かれたら全て台無しなのだ。
「「……」」
二人は互いへの文句を口を中で言いながら別れる。
そもそも水の配分ならほぼ飲んでいない俺を気遣うべきだろうに。
自己紹介の情報も含めて改めて3人を分析する。
スグルは大学3回生、アメフト部のレギュラーで身長190cm体重95kgの巨漢だ。
優しくて人望もある彼らのリーダー的存在。
ただしあまり度胸がない、故に今1つ頼りない。
ヒロシは同じく3回生。
音楽をやっていたそうで身長は170cm半ば、体格は細マッチョ……というより痩せ型だ。
態度が悪く、すぐ人に絡むので揉めごとが多そうな問題児、仲瀬二世、年齢的にこっちが1世か。
ゾンビに挑む度胸はあるものの、怒りだすと周りが見えなくなるタイプ。
シズリは二回生。
沢山のサークルを掛け持ち。
身長はうちの姉より少し高い程度で体格は並、足も挫いているらしく戦力としては何も期待できない。
見た目通りのぶりっ子だが人への文句は言いまくる。
そこはかとない腹黒さを感じるが胸は大きく可愛い。
争いが1段落したところで俺は再び横になる。
『昨日』の朝から何も食べていないし、水もほとんど飲んでいない。
体力温存の為にも『今日』食ったクレープの味を思い出しながらじっとするのが最善だ。
だが沈黙が続いたのはほんの数分だった。
「ヒロシのマットあったかそう……あたしの薄くて寒い……ずるいよ……」
シズリがポソリと呟く。
「はあ? そもそもお前が1人で二枚使ってる方がおかしいだろ!」
ヒロシも反応して跳ね起きる。
「声」
もう1度言うが二人は止まらず言い合いを始めた。
「足痛いのにひどい……なんでそんなこと言うの……最低」
「何が最低だこの――!」
俺は跳ね起き、ヒロシの肩を掴んでマットに引き倒す。
「なんだお前! 先に絡んで来たのは――」
文句を言う口を手で押さえつける。
「大きい声を出すな。どっちが正しいのかよりもずっと大事なことだ」
シズリの方に非があると思わないでもないが俺はより声のデカいヒロシを押さえつけた。
優先順位はまず声を出さないこと、それ以外のことは後でやってくれ。
ヒロシを黙らせてから自分のマットをシズリにかける。
「これで寒くない?」
「あ、うん。ありがとうねっ」
シズリは下を向きつつ可愛らしくお礼を言う。
ただ口元が少し吊り上がったような気がした。
「……本当ヒロシって酷いんだぁ。双見君とは大違いだよぅ」
シズリが俺の手をギュッと握り込んで上目遣いで笑う。
しかもここまでの騒動で服が伸びていたのか胸元が開いて、上から胸が見えてしまっている。
シズリは俺の肩と胸に軽く手を乗せてもたれかかってくる。
「双見君、ひどいことされそうになったら守ってね」
「おう」
甘い調子で言われて反射的に答えてしまった。
すると胸の前に手をおいて多分感謝のポーズ。
「またかよこの女……」
何故かヒロシが舌打ちして立ち上がる。
シズリはさっと俺の後ろに隠れた。
「と、ところでさ」
ここまで完全に何もしていないスグルがやばい雰囲気を感じてか話題を変えた。
「双見ってこの辺りに住んでるんだろ? なら仲間が救助に来てくれたり……」
俺は近所のマンションを改造して一人で住んでいることを伝える。
救助が無いとわかったスグルはデカい体を小さくして凹んでいたがこれは別にどうでもいい。
そもそも今の俺達はゾンビに包囲されている状態だ。
助けに来られても逆に困るし、その程度の判断もできない奴が突っ込んでくるとこっちも死ぬ。
むしろこの3人の話こそ驚きだった。
「アレの後、俺達はずっと新都の高層マンションで暮らしてたんだ」
「居住者……か」
こいつらがゾンビの生態にまるで無知なのも頷ける。
世界が壊れた日以降、両河市で生きている人間は大きく3種類に分けられる。
1つ目は生存者、主として旧市街の民家や小屋などに住み、近場から物資を調達して生き永らえている者達だ。
全体数は多いが物資調達や隠蔽性の問題からごく小規模な集団かつ小規模な拠点に分かれている。
ちなみに俺もここに当たる。
色々苦労した甲斐もあって居住環境はトップクラスだろう。
二つ目が居住者、新都のタワーマンションや高層ホテルなど巨大構造物に籠る者達だ。
全体数は居住者よりもずっと少ないが1か所当たりの人数は多く、数十人が住んでいる場所もある。
設備は最高、場所によってはソーラーパネルが生きていて電気が使える所すらある。
高層ビルの構造上、入口部分と下層階を固めれば極めて堅牢でゾンビ共が群がってもビクともしない。
まれにバカの暴走や物資調達の不手際から派手な全滅イベントが起きることもあるが、まあ滅多にない話だ。
そして居住者が新都から離れたこんな場所をふらついている理由は――。
「そのトラブル……があってさ。追い出されてしまったんだ」
スグルが辛そうに言う。
そうだろうな。それしか考えられない。
居住者はゾンビ共の脅威からは遠いものの大集団が1つの建物で生活するので人同士の問題が多い。
どこのビルにもそれぞれスクールカーストどころではない厳格な秩序があり、リーダーやメイングループと対立すれば放り出されることもしばしばだ。
「その後は安全な場所を探し歩いてね。途中で仲間が次々に……」
彼らのように追い出された居住者や拠点を失った生存者、極々少数の市外からきた者が3番目の種別となる。
放浪者、確固とした拠点をもたずに市内を転々としている者達だ。
良い拠点を見つけてそのまま生存者になる者もいるが、住処の条件が悪かったり周辺の情報に疎かったりで命を落とす者も少なくなく――というかぶっちゃけ数日中にほぼ死ぬ。
頭が切れて運の良い奴だけがなんとか生き残るイメージだ。
他にも色々と変わり種はいるがまず遭遇することもないだろう。
居住者、放浪者、別の拠点に住む生存者同士も決して味方ではない。
物資調達の途中で偶然出会えば「お互い頑張ろう」とはならず「ここの食い物は俺達のものだ」となるし、見知らぬ奴らが拠点に向かってきたならば住処や物資を奪いに来たと考えなければならない。
ここにいる3人も危機を抜ければ俺の拠点や食料を奪おうとするかもしれない。
「まあ、そうなったらなった時に考えようか」
俺がボソリと呟く。
この3人が計算高く動けるとは思えない。
一応リーダーであろうスグルも頼りなく出し抜かれるとは思えない。
未来の自分に任せておけば十分だろう。
「俺のせいだ。あのスーパーで食料調達しようなんて言わなければミチユキもモトミも……」
「スグルのせいじゃないよぉ。あんなの誰もわかんなかったもん」
スグルが頭を抱えて落ち込み、シズリが背中を擦って慰める。
俺の方を見て可愛くウインクしたのは嫉妬しないでの意味だろうか。
脳が出し始めた危険信号を下半身が押さえ込む。
「……というかさ」
シズリの声が少し低くなり視線がヒロシに向く。
またかよ。
「そもそも追い出されたのはヒロシのせいだよ。ヒロシがアンドウさんに暴力振るったりしたから」
災難だったな、まだ見ぬアンドウさん。
「ああ!? なに抜かしてんだこのクソ女! そもそもの原因は――」
ヒロシが転がっていた金属棒を手に立ち上がる。
同時に俺も立ち上がりヒロシの得物を素手で掴む。
シズリはスグルの後ろに隠れてか細い声で泣き始める。
「離せよ。何もしらねえくせに……」
そりゃお前らの事情なんて知らない。
「ここで棒持って暴れたらどうなるかは知ってるぞ」
さてヒロシが引かなかったらどうするか。
殴り倒すのは音が出るから――。
覚悟をもって息を吸いこんだ時、ようやくスグルが割って入って来る。
「もう言っても仕方ないことだろ。お前達を止められなかった俺が悪かったんだよ」
ヒロシはスグル……ではなくシズリを睨みつけた後、部屋の隅に寝転がる。
俺もなるべくヒロシから距離を取って横になる。
なんか俺が喧嘩したみたいになってるがシズリを庇っただけなんだけどな。
それを見てスグルが盛大に安堵の息をついてへたり込み、そのまま横になった。
籠城以来、本当に無駄な動きを強いられている。
仮に俺以外の3人が植物だったとしたら体力の減りは半分ぐらいだったのではなかろうか。
ふと想像してみる。
スグルは体格と肝を鑑みて、デカい幹に小さな花だな。
ヒロシは……声に反応して動く花の玩具を想像して思わず笑ってしまいそうになる。
そしてシズリを想像しようとしたところで、脳内にクレープを咥えた晴香が割り込んできた。
満開の桜、大きなバラ、これでもかと開いたひまわり……。
馬鹿な妄想で誤魔化しているが腹は減ったし喉も乾いてきた。
水筒の水は今日で尽きる。
明日はもっと悪くなる。
「……3日ぐらい余裕だと思ったんだけどなぁ」
小さく呟いた時、隣に誰かが潜りこんでくる。
シズリだ……この流れでスグルが隣にいたら悲鳴をあげてジエンドだったかもしれない。
「隣いいよね?」
正直さっさと寝たいのだが、近くで見ても可愛いので邪険にはできない。
「双見君ってすごく頼りになるよね」
いきなりどうした。
そう言ってくれるのは嬉しいが危険な臭いがプンプンする。
「スグルも普段は優しいんだけど……ちょっと臆病なところがあるからさ」
シズリは寝ているスグルをうかがいながら秘密ね、と唇に指をあてる。
「双見君はどうしてそんなに余裕あるの? 外は怪物だらけ食料も水もないのにすごく冷静……あたし達より年下だよね?」
さあ、と適当な返事をするも自分の中ではわかっている。
『表』があるからだ。
ここでどんなにつらくても寝れば『表』にもどれる。
家族がいて友達がいて平和な学校生活があり、最近では美少女と濃厚なキスまで出来た。
本当の世界があってこそ罰ゲームみたいな『裏』でも冷静に居られる。
この地獄だけを生きている人達から見ればズル、チートに近いかもしれない。
「ともかく後1日だよ。明日を無難に過ごせば明後日の朝には楽に出られるはず」
ゾンビがある程度散れば、ここから俺のマンションまではひとっ走りだ。
「……これは捕まえとかないと」
シズリがなにかを呟いたようだが聞こえなかった。
彼女は手を顎下にあて、あざとく可愛い声で言う。
「双見君ってずっと1人で暮らしてるんだよね?」
言いながらシズリの手が股間の方に伸びて来る。
「じゃあココ……使われなくて可哀そうだ」
ズボンの上で手が躍る。
「庇ってくれたお礼、してあげちゃおうかな」
シズリは俺の目を見ながら首を傾けて言う。
計算され尽くした態度だとわかるのにそれでも可愛い。
「味方をしてくれるなら……」
シズリは蠱惑的に唇を開きながらゆっくりと下へ――。
下半身が涼しくなり直後に1気に温かくなった途端、マットが跳ね上がり眩しい光が向けられる。
「お前らなにやってんだよ……」
ヒロシだ。
そしてスグルも気まずそうに起き上がっている。
「そりゃ至近距離だから気付かれるよなぁ」
独り言を言う俺に向かってヒロシが腕を振り上げる。
下手に抵抗して取っ組み合うより、大人しく殴られて音の出ない方向に転がった方が良いかな。
だがヒロシの拳はなんと俺では無くシズリを殴りつけたのだ。
シズリはマットの上を転がり、コンクリートの床に倒れる。
「――おい」
掴みかかろうとした俺をヒロシは嘲笑する。
「しゃぶらせ損ねて怒ってんのか? ハッ! んな心配しなくてもすぐまたヤれるよ。あいつ男大好きで誰でも股開くんだよ! そうだよなぁシズリ!」
シズリが両手で顔を覆って泣く。
だがヒロシは止まらない。
「俺と付き合ってた頃からそうだったもんなぁ。楽屋でバンドの奴しゃぶってるの見つけて問い詰めてみりゃ、結局メンバー全員に乗っかってたなんて笑えるだろ!」
「こんな時に言う!? 信じらんない!」
シズリの嘘泣きが止まった。
問題は事の真偽でもヒロシとシズリが付き合っていたことでもない。
二人のデカすぎる声だ。
「やめろ声が大きすぎる」
俺は言いながら近場にいたシズリを押さえ、スグルにヒロシを止めろとジェスチャーするもワタワタしていて伝わらない。
「新歓コンパは伝説だぜ。酔った新入生介抱するとか言って便所でヤってんの。んでそいつ帰ったら別の新入生とトイレ入っていきやがる」
「いい加減にしてよ! ヒロシの言ってるの全部嘘だから! 絶対信じないでね!?」
シズリが俺の手を振り払いながら引きつった顔で笑う。
「ヒロシを止めろ!」
ジェスチャーが通じていないので俺も危険域の声を出す。
ようやくスグルが動き、ヒロシの肩を掴んで――違うそうじゃない。
殴り倒してでも止めるんだよ。
「あそこを追い出されたのは確かに俺がリーダーのアンドウを殴り倒したせいだよな。お前がヒィヒィ言いながら腰振ってた、太って禿げて脂ぎったスケベ親父のアンドウサンをよ――」
シズリが俺の解放しっぱなしだったズボンチャックを思い切り引き上げる。
色々巻き込まれて怯み、拘束が緩まってしまった。
一瞬、転がっていたダンベルに目が行く――いくらなんでもできない。
「やめろっつってんだろぉ! 包茎野郎がぁ!!」
ぶりっ子を捨てたシズリが物凄い剣幕で怒鳴る。
髪を振りみだし、顔は般若のようだ。
これがシズリの本性か。
ぶりっ子する子も好きだが、ガラの悪い子も実は好きだ。
俺は現実逃避しながら深いため息をついてシズリから手を放す。
ヒロシを押さえようとしているスグルにも『もういい』と投げやりな合図を送る。
待つこと数秒、ドンと扉が叩かれた。
全員の動きが止まる。
1秒ほどたって更にドン、次は半秒ほどで3連発……そこからはもう連打だった。
全方位から叩かれる音、凄まじい呻き声、窓から突き出る無数の手……。
俺は3人に向けて大きく腕を広げる。お手上げのポーズだ。
「完全に気づかれた」
シズリが口を押えてへたりこむ。
もう1分早く気付いてくれていたらな。
ヒロシがへたり込む。
もう30秒でも間に合ったかな。
スグルが青い顔で震える。
さっさとヒロシを止めていてくれれば……俺もシズリを押さえきれなかったから文句は言えないか。
「扉も壁も頑丈だから大丈夫だよ」
俺はズボンの中身が無事なのを確認してから倉庫の真ん中にどっかり座る。
「ただし全部やり直しだ。また3日の籠城だな」
3人がシナシナとへたり込む。
あれほど怒鳴りあっていたヒロシとシズリが無言でもたれ合う。
もう気力が尽きたのだろう。
「俺のミスだ」
シズリといちゃついたことではない。
もし彼らが冷静ならこんなことにはならなかった。
最悪俺がぶん殴られるぐらいで済んだはずだ。
明らかにばれる場所で俺に迫ったシズリ、彼女を煽り続けたヒロシ、止め損なったスグル。
誰か1人でも正常な判断ができればこうならなかった。
ゾンビに囲まれた環境で満足な水と食料なしに3日じっとしている。
たったそれだけのことで人間がここまで追い込まれるとは想定していなかった。
手掛かりはあった。
『居住者』は人間関係的な部分はともかく、居住環境は快適だ。
だからこそ彼らの感覚は『表』のそれに近かったのだ。
『表』の奴をゾンビの真ん中に放り込んだら精神なんて半日もたない。
だからそれに気付けなかった俺のミスだ。
「こ、ここからどうすれば……」
スグルが助けを求めるように俺をみる。
もう籠城は続けられない。
精神的にも限界だし水も食料も無い。
3日水抜き5日飯抜きでは、脱出できてもまともに歩けない。
「……明日の朝までに考える。今日は寝よう」
ゾンビに群がられているうちは何もできないし夜に出歩くのも論外だ。
裏のことは裏で片付けたいがこのままでは普通に死ぬ。
一度表で考えるしかないだろう。
そう言って横になった俺の上に布がかぶさる。
なんだと見てみると……女の下着だ。
目を開けるとなんとシズリが1糸纏わぬ姿で仁王立ちしていた。
「……もうあたし限界、周り中からアーアーウーウー言われてたら朝になる前に狂っちゃう」
シズリはマットに横になると俺達に向かって手を広げる。
「3人でがかりで抱いてよ。そうすればあんたらも少しは気が紛れるでしょ」
「このクソビッチ」
ヒロシが頭を抱えた。
「明日の為にも体力を温存した方が」
スグルが真っ当に反論するのだが……。
「体力より心がもたないっての! あたしだってアンタを体で慰めてあげたことあるでしょ!」
「こいつスグルともやってたのかよ」
吹っ切れたシズリはやりたい放題だ。
「音を出し続けたらゾンビの攻撃が終わらないんだが……」
俺が言うと同時にシズリはハンカチを丸めて自分の口に突っ込みOKサインを出す。
「「「……」」」
俺も含めて男3人はイソイソと服を脱いでシズリに群がる。
「体育倉庫でマットの上」
「しかも3人がかりで」
「女の口に布を突っ込む……とか」
その後、思った以上に熱中して全員の心はある程度落ち着いた。
「……こいつのデカすぎるだろ」
「あ、アメフト部でもここまでエグいのはさすがに……」
「♪」
俺もかなりリフレッシュできた。
あとは脱出計画を考えるだけだ。
次回は表のお話になります。
矛盾点など気付かれましたらご指摘頂けると嬉しいです。