09.朝食
朝、僕はふかふかのベッドの上で目を覚ました。窓の外に意識を向けると、話し声や馬車を牽く馬の足音が聞こえてくる。せっかくだからもっと寝られれば良かったのだけれど、村での生活リズムが身体に染みついているせいか、どうしても早起きしてしまった。
「ああ……よく寝た」
ここはゴドウィンに紹介された宿の一室だ。あの後、僕らは数時間ほど馬車に揺られてタルテンに到着した。到着後、僕と姉さんはゴドウィンらと別れて自分たちの旅を続けようとしたのだけど、結局はゴドウィンの頼みを断り切れず返事は保留になり、彼の知人がやっているという宿に泊まることになったのだった。
「おはよう、クロト」
姉さんは先に起きていたらしく、鏡台の前に座って身支度を整えているところだった。姉さんが朝早いのはいつものことだけれど、身支度に妙に力が入っているように見える。
「おはよう姉さん。そんなに気合入れて……どこか行くの?」
僕が問いかけると、姉さんは窓際に行って外を指差した。
「ええ、買い出しの前にあの大聖堂を見に行こうと思うの」
「大聖堂?」
ベッドから起き上がり、姉さんの隣に立つ。すると、窓からは町の中央に聳え立つ巨大な大聖堂が見えた。周囲の建物よりも一回りも二回りも背の高い大聖堂には、頂上近くに大きな鐘が吊り下げられていた。遠くからでは細かいところまではよく見えないけれど、街の中で白く輝く大聖堂はとても綺麗だ。
「うわぁ……すごいね。昨日タルテンに着いたときはあんな聖堂があるなんて全然気づかなかった」
「クロトは疲れててすぐ寝ちゃったものね。一緒に見に行く?」
「行く!」
あんなに大きな建物を見るのは生まれて初めてだ。寝ぼけていた頭もすっかり覚めた。僕が興奮するのを見て、姉さんは苦笑した。
「そうね、それじゃ出発の前に朝食を摂りにいきましょうか」
「うん」
僕らが泊まっているこの宿は、他の宿泊客の身なりを見るに階級の高い冒険者や商人が泊まる上等なところらしかった。食事に関しても、昨夜は豚肉と近隣で採れた野菜を使った豪勢な煮込み料理が振舞われた。あの肉と野菜の美味しさは、一度味わってしまったら忘れられない。
昨夜のご馳走を思い出しながら二階の部屋から階段を下りて食堂へと向かう。食堂には四人掛けのテーブル席が八つあり、そのうちの一つにはスーリャの姿があった。
姉さんは辺りを見回し、それから彼女の向かいに座った。たぶんゴドウィンがいないかを確認したのだろう。僕もあの人には朝からは会いたくなかった。
姉さんの隣に座り、厨房に朝食の用意を頼むためにベルを鳴らす。
「おはようスーリャちゃん。ゴドウィンさんとは一緒じゃないの?」
「……」
姉さんが挨拶したのに、スーリャは無言のまま朝食のサンドイッチを口に運んだ。姉さんは少し困ったような顔をしてから、それでもめげずに話しかけた。
「いつもここみたいな宿に泊まってるの?」
「……」
「凄いよね、料理は美味しいし。部屋も広い」
「……」
「そうだ。今日私たち食料の買い出しに行く前に、大聖堂を見に行こうと思うんだけど、他にタルテンの観光名所って知ってる?」
昨日も見たやり取りだ。スーリャが返事をしなければ姉さんはいつまでも話し続けるだろう。スーリャもそれを察したのか、諦めたように口を開いた。
「……昨日も言ったが、私たちに関わるとロクなことがないぞ」
「食事中に少しお話するだけよ。そのくらいは構わないんじゃない?」
「……」
「ほら、旅での出会いは大切って言うし」
姉さんの押しは強い。スーリャは気持ちが折れたのか、小さく頷いた。
「わかった……食事中だけなら。あと、私のことをちゃん付けで呼ぶのはやめて。なんだか背中がむず痒い……」
「ふふ、ちゃん付けじゃないなら、なんて呼べばいいかしら。クロトはどう思う?」
「スーリャさんとか?」
「スーリャさんも嫌……」
スーリャは大きな溜息を吐いた。なんだかその反応は年相応の女の子らしくて、少しおかしかった。
「ちゃんがダメ、さんもダメなら、じゃあなんて呼べばいいのかしら……」
「スーリャ、でいい。呼び捨てが一番慣れている」
「そう?じゃあスーリャって呼ぶね」
「ああ。それで、何の話がしたいんだ?」
スーリャに訊かれ、姉さんは少し考えるように腕を組んだ。
「うーん、まずはそうね……ゴドウィンさんのことかな。なんでゴドウィンさんってあんなにしつこいの?私、あんなに諦めを知らない人に会ったことがないのだけど」
「あの執念深さは病気みたいなもの。あいつは私が初めて会ったときからあんなだった」
「そうなの!?もしかして、武器商人ってああいう性格のひん曲がった人しかやっていけなかったりするのかな……?」
「そうかもしれない。ゴドウィン以外にも何人か武器商人には会ったことがある。どいつもいけ好かない奴ばかりだったけど」
「やっぱり……」
姉さんは納得がいったように頷いた。それからやや上目遣いに訊く。
「ちなみにその、話しにくかったら話さなくてもいいんだけど……スーリャはいつからゴドウィンさんのところに?というか、どうしてあんな人の護衛なんかになったの?」
いきなり核心に迫る質問だ。姉さんのストレートな問いに、しかしスーリャはなんでもないことのように答えた。
「護衛を始めたのは一年前からだ。元々私は孤児院にいて、ゴドウィンはその孤児院に援助をしていた。それで才能に恵まれた私を養子として引き取ったんだ」
「じゃあ、親子っていうのは一応本当のことだったのね」
「残念ながら」
スーリャは遠くに視線を向けた。昔のことを思い出しているのかもしれない。姉さんはやや憤慨したように言う。
「でもそれって酷いんじゃない?欲しい才能を持っている子を見つけるためだけに孤児院に寄付してたってことでしょ?」
「そうなる。でも、奴が孤児院に援助をしたおかげで私たち孤児が助かったのも事実なんだ」
複雑な思いがあるのか、スーリャは俯き加減に言った。
「……」
スーリャの話は僕と姉さんにとって決して他人事ではなかった。両親が死んだとき、もしも村の人の手助けがなければ僕と姉さんはスーリャと同じように孤児院に入っていたかもしれないからだ。
姉さんはスーリャの頭を撫でた。
「話してくれてありがとう。私たちも両親がいないから、スーリャの気持ちはわかるわ」
「や、やめてくれ。別に同情されたくて話したんじゃない。言わないと話が長くなりそうだったからだ」
スーリャは慌てたように手を払った。彼女の反応に、姉さんは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「あら、ごめんなさい。クロトによくやってあげてるから、癖で……」
「おいお前、いつもこうしてもらってるのか……?」
スーリャは僕に責めるような視線を送った。
「いや、違うよ!?ずっと昔のことだから!」
「そんなことないのに~。クロトは恥ずかしがり屋だから。いまからでも撫でてあげようか?」
「姉さん……頼むから黙っていてくれ……」
「嫌よ。だってクロトをからかうの楽しいもの」
「もー!」
我が姉のことながら頭が痛くなってきた。僕はテーブルに突っ伏して、軽く地団太を踏んだ。姉さんはすぐこうだ。人が嫌がることを楽しいからってやるんだ。
そうやって僕が拗ねていると、くすりと小さな笑い声が聞こえた。
「え?」
姉さんのものではない。顔を上げると、そこではスーリャが口元に堪えるような笑みを浮かべていた。
「く、くく……お前らを見ていると、孤児院の年少たちを思い出す」
「ふふ、スーリャが笑ったわ」
姉さんはどこか得意げに言う。僕を出汁にスーリャを笑わせたのがそんなに楽しいか……。忌々しげに姉さんを睨んでみるけど、姉さんは意に介した様子がない。完全にノーダメージだった。
「まったく……」
しかし……悔しいけれど、スーリャをちょっとだけでも笑わせられたのは正直嬉しかった。
「ゴ、ゴホン……」
スーリャは笑ったのを誤魔化すためか咳払いをし、逃げるように席を立つ。
「話はもういいだろう。朝食も済んだし、私は部屋に戻る」
そんなスーリャに、姉さんは名残惜しそうに言った。
「それは残念。でも、明日の出発までにまた話す機会はあるわよね?」
僕らは今日中に買い出しを済ませて、明日の朝にはタルテンを発つ。おそらくそれでスーリャともお別れだろう。そうしたら、きっと二度と会えることはない。
スーリャは背中を向けながらも、ぽつりと答えた。
「……わからない。でも、出発の際に別れの言葉を交わすくらいなら」
「そう。そのときは無視しないでね?」
「しないさ」
「絶対よ?それじゃまたね」
「また」
そうしてスーリャは部屋に戻っていった。
そして、彼女と入れ替わるように朝食の料理が運ばれてきた。買い出しは重労働になる。僕はいまのうちにしっかり食べておこうと思い、サンドイッチに噛り付いた。