04.交易商
「姉さん、タルテンまではあとどのくらい?」
「もうすぐよ。ほら、あの丘を越えればたぶん見えてくるんじゃないかしら」
「それ、さっきも言わなかったっけ……」
幾度も繰り返したやりとりをして、重たい足を引きずるように前へ出す。
ここ数時間の間で、疲労は既にピークに達していた。頭の中では、辛い苦しい休みたいの三拍子がリフレインし、座り込みたい衝動に何度も駆られている。
畑仕事で鍛えているし足腰の強さにはかなり自信があった。しかし、畑仕事と旅とでは使う筋肉が違うのだった。そのことが骨身に染みてわかった。どんなに鍛えていても、さすがに三日間も野宿をすれば身体は悲鳴を上げる。
一方で、姉さんはまだまだ余力を残した表情で隣を歩いていた。その細い身体のどこにそんな体力があるんだと訊きたくなるけれど、それはあまりに格好悪いので黙っていた。姉さんは僕の葛藤を知ってか知らずか、道沿いの木陰を指差した。
「一旦休もうか」
「うん」
どっかりと座ってバックパックを下ろす。
かなりの距離を歩いてきただけあって、辺りは背の低い草が生えた平原地帯になっていた。森を抜けたおかげで、遥か遠くには竜種が棲むというトツカ山脈の霊峰も見える。
村から出てすぐの頃は道を歩むにも森の中を掻き分けるような感じだったけれど、ここ数日は道が石畳に変わり道沿いもよく整備されていた。中継地点のタルテンに近づいているのは間違いない。問題は体力が持つかということと、食料だ。
「はい、野草を固めたやつ」
姉さんは水の入った水筒と共にビスケットらしきものを僕に手渡した。
「姉さん。それもっと美味しそうな名前で呼んでもらっていい?」
「非常食とか?」
「……ただのビスケットでいいか。まったく甘くもなんともないけど」
「タルテンに着くまでの辛抱よ。宿に泊まれたら美味しいものを食べましょう」
まともな食料はもはや底をついていた。いま食べられるものは野草と小麦粉を焼き固めた苦みの塊だけ。村で毎日飽きるほど食べていた硬いパンすら恋しい。
足を伸ばして身体を休ませる。そうやってぼうっとしていると、後方から馬車がやってくるのが見えた。
「あの馬車が通り過ぎたら出発ね」
姉さんはそう言うと、水筒やビスケットを入れていた巾着を片付け始めた。天を仰ぎながら馬の蹄鉄が石畳を鳴らす音に耳を傾ける。馬車が目の前を通り過ぎるのに時間は掛からなかった。
「はい、出発」
「しんこー……」
のそのそと立ち上がる。すると、示し合わせたように御者の男は馬を止めた。
先を行く馬車が止まったので、僕らは動かそうとした足を止めた。なんだろうと思って見ていると、御者がこちらを振り返り言った。役者のようなよく通る声だった。
「タルテンまでかな?」
「ええ、そうですが……」
姉さんがおずおずと答える。
「では、乗っていかれなさい」
「よろしいのですか?」
「もちろん。旅は道ずれと言いますし、タルテンまではもうすぐですよ」
「どうする?」
姉さんの問いに迷わず頷く。
「乗せてもらおう」
「では……お言葉に甘えさせていただきます」
「荷台にどうぞ」
親切な誘いに戸惑いながらも馬車に乗せてもらう。屋根付きの比較的大きな馬車の荷台にはイモ類の詰まった木箱と、いくつかの樽が積まれていた。行商人だろうか。しかし、それにしては御者の身なりが良すぎるのが気になった。男は糊の効いたシャツにピンと張ったサスペンダーをしている。髪は短く整えられていて、田舎商人とは思えない。
さらに、荷台には短めの直剣を携えた女の子が座っていた。歳はたぶん僕とあまり変わらない。身軽そうな皮鎧を着ていて、その佇まいから冒険者なのが窺えた。
彼女は乗ってきた僕らに視線一つすらよこさず目を瞑っている。ただし、昼寝の最中というわけではなさそうだ。やはり、なにか訳ありの商人なのかもしれない。
もしかして、変な連中に捕まったんじゃないだろうな……。なんて僕が思案していると、御者の男は澄ました声で言った。
「私は交易商でしてね、いまは商売を終えて王都に戻っているところなのです」
「そうなんですか。実は私と弟もこれから王都に向かうところなんです」
姉さんはやや固い表情で答える。姉さんもこの連中が普通じゃないことには気づいたらしい。
御者の男は僕らの抱いている疑念に気付いた様子も見せず、朗々と喋る。
「奇遇ですな。せっかくなら王都までご一緒してもいいですよ。馬も軽い荷を牽いていては鈍ってしまう。いや、お二人が重いという話ではなくてですね」
「ははは……」
つまらない冗談に姉さんは乾いた笑いを返す。なんだか会話に参加していないのに気まずさを感じる。
「……」
ちらりと女の子のほうに目を向ける。彼女は相変わらず目を瞑ったままだ。僕と同じくこちらも会話に参加する気はないらしい。
「お二人は王都には何のご用で?」
「弟の才能を再鑑定してもらうつもりです。村に呼んだ鑑定術師があまり良くなかったので」
「ほう?なにか鑑定に間違いでもあったのですか?」
「ええ、鑑定では結界魔法だと言われたのですが、実際に発動した才能とは効果が違っていて……」
「それはヤブですな。普通、鑑定術師というのは才能の発動まで確認してから去るもの。王都の一流を訪ねるのは正しい判断でしょう」
御者はどこかわざとらしい怒りを滲ませて言う。なんだろう、一度疑ってしまうと一挙手一投足すべてが怪しく見えてしまう。
「有名な鑑定術師に心当たりなどありませんか?」
「いやあ、恥ずかしながら鑑定術師には明るくないのです。しかし、王都には鑑定術師が大勢いますからね。腕利きの鑑定術師がすぐに見つかると思いますよ」
「そうですね」
姉さんははなから良い答えが返ってくるとは期待していなかったのか、さほど残念でもなさそうに頷いた。
「ところで訊ねたいのですが」
御者はこれが本題だと言わんばかりに言葉を区切った。
「なんでしょう?」
「お二人はこの辺りの情勢にはお詳しいですか?」
「情勢、と言うと?」
「戦の気配ですよ。ここ数年で、税が増えたりはしていませんか?」
「どうでしょう。昨年から少し増えてはいますが……」
「ほとんど変わらないよね」
僕が姉さんに続けて言うと、御者はさらに質問を投げかけた。
「なるほど。ほかには?なにか今年に入ってから変わったことはありましたか?素性の知れない山賊が現れたとか、遠方から珍しい魔獣が流れてきたとか」
いずれも聞いたことのない噂だ。
「すみません……私たちが住んでいるのはコチタカ村という辺境の村なので、王都近郊の事情には疎いんです」
「そうでしたか、それは残念。商売の参考にさせてもらおうと思ったのですが」
「ああ、戦争が始まると商売どころではないですもんね」
姉さんは納得したように答える。しかし、御者はどこか得意げに首を振った。
「普通の商売はそうですな。しかし、やりようはほかにいくらでもあるのですよ」
「おい」
そこで沈黙を保っていた女の子が初めて口を開いた。咎めるような強い口調に身体がビクりとする。御者のほうは慣れっこなのか、驚いた様子もなく、「わかってる。お前は黙っていろ」と厳しい言葉を返した。
どうやら、この御者と女の子は単純な関係ではないらしい。だが、そのあたりの事情に首を突っ込もうとは思えなかった。下手な詮索は藪蛇になりかねない。
御者はコホンと咳払いをして言う。
「失礼。そいつは私の娘でね、厳しく躾けているのですよ」
明らかな嘘だ。親子にしては二人は全く似ていない。
「はぁ……そうなんですか」
姉さんは顔を引きつらせて頷く。それから会話は嘘のようになくなってしまった。
まあ、元々お互いの素性はよく知らないのだし、正直言ってこのほうが気が楽ではある。しかし、出来ることなら早く馬車から降りてしまいたいというのが本音だ。
そして、何時間が経ったろうか。僕は会話がなくなるとすぐに眠気に襲われた。馬車の揺れが酷くて眠れないのがもどかしい。タルテンにさえ着けば、ふかふかのベッドで休めるのに。
目を瞑って馬車が目的地に到着するのを待つ。そのうち、馬車はゆっくりと止まった。
「姉さん、着いたの?」
目を擦りながら姉さんの袖を引っ張る。しかし、姉さんは問いかけには答えなかった。