交渉
谷沿いの道を土煙を上げながらT-72がT-34を牽引して走っている。
彼の名前はマサキチというらしい。本名ではないだろうがアバター名を本名からもじっているプレイヤーは少なくない。クランリーダーらしいがメンバーが8人クランは小規模に分類されるだけあって威厳のあるようには見えない。小規模クランで戦車を保有していることは珍しいわけではないが単機運用しているのは珍しいことである。通常戦車は複数で運用され互いにカバーし合うのが基本であり、単機の場合、死角が多い為に敵に先手を撃たれる危険は高い。また、今回はT-34のような性能差の大きい敵で圧倒的有利な状況だったので損失なく勝つことができたのだろうが、戦いは数というように性能差がなければ数が多い方が有利である、その為、高コストの戦車の単機運用は破壊されるリスクを考慮しても良い選択とは言えない。にもかかわらず単機運用するということは相当な腕の良いプレイヤーか初心者かの二択である。今回、彼らに勝てたのは彼らが自由に動けなかったのと修理に人員を割いた為に起こった死角の多さである。これにより奇襲を許したと考えられた。
「聞いてたか?」
ハッチからもぐらたたきのもぐらみたいに頭を出したマサキチがこちらを見ながら聞いてくる。
「ん?あぁ、聞いてた。」
相槌を打つ。戦車の上は相変わらずエンジンがうるさかった。
「どうやら聞いてなかったようだな。本当に良かったのか?あんな交渉内容で」
あんな交渉内容とは、こちらと交わした口約束のことだろう。
「問題ない。あのT-34を売った分のアンタの戦車の修理代くらいは出してやる。その代わりアンタ達にはセーフティゾーンの買取してくれるN P CのところまでT-34を運んでもらう。そういう約束だ。」
「でも、よかったのか?俺たちを殺せば戦車も手に入れることもできたのに」
「キャタピラを直してもらわなきゃいけなかったんでな。俺らみたいな素人が直すより玄人にやってもらった方が早いだろ」
彼は腑に落ちないようで
「でも、直した後に撃てばよかっただろ?」
と聞いてきた。
確かにそうすれば戦車も手に入れられて万々歳かもしれないがこれはゲームだ。例え死んでも現実の体が死ぬわけではない。つまりリスポーンが可能なのだ。ここがとても広い仮想世界でも、同じ人に会う可能性は充分あり得る。なので、恨まれることはあまりしたくないのだ。特に対面でキルなんてしたら相手に与えるこちらの印象は最悪だ。粘着なんてされたらたまったもんじゃない。
「戦車を大事にしてるようだな」
「え?」
「相当カスタマイズされている」
「ああ、そうだが」
「戦車を愛しているのか?」
「そりゃもちろん」
「そんなに大事な戦車を奪うことはできんよ俺には」
適当なことを言ったが相手は満足したようでそれ以上追求してこなかった。しかし、今度はこちら側に興味を持ったようで。
「そう言えば、アンタ名前は?」
まだ名乗ってなかった。
「コーギーだ」
「やっぱり、犬の名前なんだな」
「どうかしたのか」
「コーギー、アンタ犬小屋の連中なんだろ」
「ん?なぜそう思う?」
「そのマスクだよ」
彼がこちらに顔だけ向ける
「なるほどな…」
手でマスクを触る
このマスクは犬小屋のメンバーが装備している犬を象ったガスマスクである。メンバーの名前が犬の名前のようにマスクもメンバーごとに造形が異なる。
「元な、今は所属してない」
「なんで抜けたんだ?あのクランはトップクラスの強さを誇るじゃないか」
「…方向性の違いで揉めたのさ」
「ふーん、そう…」
自分から聞いてきて感想がソレとは大層なことだ。いや、何か彼にも思うところはあるのだろう。そういうことにしておく
「ところで…」
マサキチが左を見る
「彼は?」
彼の視線の先には機関銃を携えたイケメンが砲手と楽しそうに会話している。何について話しているのかはわからない。
「ああ、彼は…」
「ムラマサです」
彼が割って入ってくる
「…君は犬のマスクしないの…ですか?」
「持ってないからね〜」
「へぇ、そうなんですか」
「それに犬の名前でもないしね〜」
「なるほど…」
「それより…あとどれくらいで目的地に着くの?」
「えっと、それは…」
車長は慌ててマップを出す。車長の前に地図が立体投影される。
話の主導権がムラマサに移った。これを機に俺自身は完全なる聞き手に回ることにした。
「現在我々がいる場所はここです」
マサキチが地図にある矢印アイコンを指差す。
「我々は谷を北上しこのセーフティゾーンに入ります」
彼の言うセーフティゾーンとは強制的に引き金が引けなくなる場所である。地図には緑色で表示されている
「ここのセーフティゾーンが一番近いのかい?」
「はい」
マサキチがムラマサと話す時は丁寧口調なのは気のせいだろうか。俺と話すときはタメ語だったんだが…。
不意に右腕を掴まれた。右腕を見るが誰もつかんではいない。しかし常に掴まれている感触がある。どうやら現実世界で俺の腕を掴んでいるものがいるようだった。
心地よい風がこの世界が本物であると錯覚させてくる。
「ムラマサ。後を任していいか?」
何か察したのかムラマサが返事をする
「うん。いいよ。」
不意にマサキチが声を上げる
「あっ。G Mだ…」
彼の目線の先には一筋の飛行機雲が空のキャンバスに描かれていた。その先には飛行機が飛んでいるのだろうが点としか見えない。ジェット機は物凄く値段が高い。持っているのは相当な富豪か運営ぐらいである。さらに言うと音速を超える飛行機はまだこの世界のマーケットには出品されていない。出品されてないものを運用できるのは運営側だけである。
「スリープモード…」
つぶやくようにそう言うと、この場にいる誰でもない無機質な声が脳内に響く
「スリープします。よろしいですか?」
「ああ。問題ない」
「了解しました。スリープに移行します」
そう言い終わるやいなや視界がワープしたように引き延ばされる。咄嗟に目を閉じる。
ふと思う、あの飛行機を操縦している奴は何を考えているのだろうかと。
次話は現実世界の話。現実世界はどんな世界なのかな?お楽しみに。